白銀の戦争遊戯

@issei0496

Prologue

 ―――Prologue―――


 冒険者は、冒険をしてはならない。

 それが一流と呼ばれる冒険者における最大の要訣である。

 この観点に照らし合わせれば、クロムは一流ではなかったのだろう。

 針のように尖った針葉樹がそびえる山の稜線の先。禍々しいほどに輝く夕陽は赫く、干ばつの激しい大地はさながら地獄のようであった。骨となり風化を待つだけの魔獣の残骸。曲がりくねった枯れ木は炭化し白く淀んでいた。まるで世界から見捨てられたような不毛な大地。

 そんな中、クロムを中心とする若手冒険者『空の剣』の一行は、怪我を負った仲間と今はもう物言わぬ骸と化した仲間を抱えながら決死の逃避行を敢行していた。背後、遠く地平線の先から地鳴りのような魔獣の足音が近づいてくる。その数、両手両足の指を使っても足りはしない。怪我人を抱えて撃退できるような数ではなかった。

 「もう駄目だ、キヨルとテッチはおいて逃げよう!」仲間の一人、ルイスが声を荒げた。

 「駄目だ!」間髪入れずクロムは頭を振り、「仲間を見捨てて逃げられるか!」

 「だけどこのままじゃ全滅するぞ!」再度ルイスが必死の形相で叫ぶ。

 ルイスの指摘は的を射ていた。怪我人はともかく既に事切れた仲間の遺体を担いだままでは進行速度は遅く、群れに追いつかれるのは時間の問題だった。象の群れに踏みつぶされる蟻のように、この不毛な大地に紅い染みとなって朽ちていくだろう。それでもクロムは今日まで共に戦ってきた仲間を見捨てるという決断を下せなかった。

 そもそも何故このような事態になったのか、その原因についてしばし回顧する。

 『空の剣』は王都に本拠地をおく若い冒険者を中心とした冒険者組織に属する。その中でもクロムをはじめシズク、キヨル、ルイス、テッチの五人は経験実力ともに一級、準一級相当の実力を有する精鋭である。この五人で組まれた『空の剣』の実績は他の冒険者仲間と比較しても頭一つ、否、三つは抜けていた。そんな中、冒険者たちの間である噂が囁かれていた。

 曰く、遠く王国辺境の地にある『匣』第一層から第二層が『伏魔殿』と化したという。

 もしこれが事実ならば冒険者にとって無視することは出来ない。深度を増すにつれて出没する魔獣の難易度が格段に跳ね上がる第三層以降ならともかく、比較的に攻略、難易度の低い魔獣が生息する第一~第二層ならば多少の危険と引き換えに莫大な利益が見込めるからだ。

 勢いに乗る『空の剣』の一行は直ぐに調査を開始した。馴染みの情報屋数人から買い集めた情報を基に、一行は件の匣がある僻地へと赴く。そこは王国に無数に点在する地下街のひとつ第七地下街にあった。地上からはこじんまりとしたピラミッドのように見えるが、それは一辺一○○メートルにも及ぶ匣の一角に過ぎない。地上権を持たぬ浮浪者たちの住まう街である地下街へと降りる。地下は陽の光が届かず空気は淀み、薄暗かった。魔力で強化された視力を以てしてようやく細かな地形が見て取れるほどに。だが直に一行の眼は、天蓋から突き出す巨大な建造物に釘付けとなった。

 『匣』と呼ばれる古の時代、神々が地上に残した奇跡。

獰猛な魔獣どもが蔓延る匣の中には大量の遺物や魔力を宿した宝『魔具』が眠っている。それを持ち帰り、財と成し生計をたてる者たちを、人々は『冒険者』と呼称していた。

 冒険者の中には持ち帰った大量の遺物により一夜で小国に匹敵する富を得た者もいた。それが嘘か真かは判らぬがそのような噂がたつほどには冒険者稼業には夢がある。当然、冒険者は危険かつ過酷な職業ではあるが神話の時代より現代、神々が人類に与えた恩恵のひとつ『魔力』に覚醒した者にとっては自らの命を賭け金に換える理由としては十分だった。

 その中でも『空の剣』メンバーの実力は高く、これまで潜った匣でも一層から二層間は新人時代を除き窮地に立たされたことなど皆無だった。だが、それ故に一行は失念していた。

 匣が、人類の想像など及びもつかぬほどに危険で、狡猾な場所であることを。

 匣侵入直後、一行はその不条理な現実を叩きつけられる。

 魔獣の数、難易度、そして巧妙に張り巡らされた罠のどれをとっても尋常のそれではない。

強固な魔力耐性を持つ個体。仲間や地形に擬態しての背後からの奇襲。平衡感覚、方向感覚を狂わせる霧や細かく重力が変化する地域。そこは侵入者を殺すために実に様々な仕掛けが施されていた。侵入から三時間が経つ頃には、仲間に擬態していた魔獣の奇襲で後衛を務めるキヨルが致命傷を負った。身を挺して仲間を護ったテッチは激闘の末に心臓を撃ち抜かれた。その時点で一行は直ぐにでも匣から脱出すべきだったが、その頃には濃い霧の所為で方向感覚が狂い脱出は不可能になっていた。

 焦り、不安、恐怖、絶望感が残る三人の意識を蝕んでいく。掩蔽物に隠れながら魔獣の警戒網を掻い潜り続けるが次第に体力、気力、何より食料が尽きた。その頃にはルイスとシズクの口論、仲間割れが目立った。二人の限界は近い。はやる気持ちを抑え指揮官として残る仲間を奮い立たせ出口を目指した。だがそこに追い打ちをかけるように一行は皮肉にも出口とは反対に、第二層へと迷い込んでしまっていた。無論これも出口に擬態した匣の罠の一種である。さらに不幸なことに第二層には、魔獣から身を隠すような掩蔽物の類はほとんどなく一行の絶望は臨界点に達した。

 そして現在。背後より迫る魔獣の群れ。第一層へと続く出口がどこにあるのかも判らない。それでも懸命に、疲労と焦りで鉛のように重くなった足を動かし続ける。だがそれすら限界は近かった。

 「クロム、もう駄目だって! 俺たちだけでも逃げないと!」そう言いながらルイスは背負う仲間の遺骸を足元に落とす。最早一刻の猶予も残されていない。チラリ、とクロムは自らが背負うシズクへと視線を向ける。軽やかだった水色の髪先は血と泥で汚れ、瞼は重く閉ざされ、不規則に零れる吐息がまだ彼女が生きていることを告げていた。数刻前、ルイスとの口論の末に重傷を負ったのだ。脇にはすでに冷たくなったキヨルの遺骸。

 「無理だ。俺には仲間を見捨てることは出来ない」今にも泣き出しそうな顔で頭を振る。 

 それを見たルイスは、悲痛に顔を歪ませ「馬鹿がッ!」短く吐き捨てその場から逃げ出した。直後、激しい地鳴りが起こり、クロムを巨大な影が呑み込んだ。振り仰ぐとそこには一匹の巨大な龍にも似た魔獣がルイスに食らいつていた。この階層の主『土龍』である。

その巨体ごと空高く持ち上げられたルイスの断末魔が頭上より降り注いだ。バツン、ゴムが千切れるような音が聞こえ。遅れてクロムのすぐ近くにルイスの右腕だったものが跳ねた。

 穴のように広がった口腔から饐えた呼気が漂い、イボのように浮かぶ複眼が絶望に顔を引き攣らせ呆然と佇むクロムを捉えた。

生物としての本能が直後に起きる逃れようのない『死』を告げていた。

 「は、はは‥‥‥」思わず、乾いた笑みが零れる。

 背負うシズクの体がすべり落ち、糸の切れた人形のようにキヨルの骸が地面に転がった。

 「何で勘違いしちゃったんだろうな‥‥‥」

 下級貴族とはいえ、その嫡男として生を受けたクロムは本来であれば冒険者のような危険な仕事をする必要はない。それでも冒険者の道を選んだ。貴族として安穏で退屈な日々を送ることを良しとせず、死の危険はあっても後世にまで名を残す偉業を成し遂げたかった。

事実、クロムは若手冒険者の中でも非凡な才の持ち主だった。わずか一年弱で二層への進出。三年目には単独での突破を果たし、五年が過ぎた頃には一小隊での三層探索を果たした。これは他の若手冒険者の中では十分に誇れる実績である。

だがそれらは所詮、攻略がほとんど済んだ王国近辺の匣での話しだ。

辺境の地に眠る未開拓領域においては過去の成果など何の意味も成さない。故に『空の剣』の一行は見誤った。己が力量を過信し情報屋から仕入れた情報だけを頼りに、十分な調査を怠ったが故に死にかけている。全ては部隊を指揮する立場であるクロムの失策である。

 自分達ならやれる。自分なら出来るはず、という傲慢が仲間の死を招いた。

 『冒険者は冒険をしてはならない』。冒険者を志して最初の頃、先輩冒険者から言われた言葉だ。事ここに到り、その真意を理解した。 

 一流の冒険者とは生きて匣から帰還する者のことを言う。それ以外は二流ですらない。

臆病すぎるほどの慎重さと、一握りの幸運。それが冒険者に求められる才能なのだ。

眼前の土龍に喰われるのが先か、はたまた背後より迫る魔獣の群に蹂躙されるのが先か。どちらにしろクロムの命はここまで。ならばせめて冒険者としての矜持を示さなくてはならない。

 萎えかけた心を奮い立たせ、腰に佩く片手剣を抜き放つ。剣尖は細かく震えていた。強すぎる恐怖に体の震えは防ぎようがない。その怯懦を振り払うべくクロムは吼え、一歩。終わりへの一歩を踏み出した。

 獲物がみせた最後の意地を嘲笑うかのように土龍の咆哮が荒野に波響する。ぐわっ、と開かれた口腔は人間など優に二十は呑み込める。飛び散る唾液が地面を濡らし、ジュッと音を立てて白煙が立ち昇る。強力な酸が含まれているのだろう。呑み込まれれば一巻の終わりだ。

 『砂の悪魔』の異名をもつ土龍がゆっくりと前傾姿勢を取った、その時。

 「――――――ッッッッ‼」

 迫る土龍の動きが制止した。

 その直後に爆砕。大量の灰と魔石が降り注いだ。

 魔獣が死滅した時に起きる現象である。当然、冒険者であるクロムも目の前の現象が何であるのかくらい理解できる。だが何が起きているのかは理解できなかった。

 石像と化したクロムの見つめる先。視界を埋め尽くす大量の灰が薄れたその先に小柄な人影を見た。舞い散る灰煙のなかを無遠慮に近づいてくる少年の姿にクロムの瞳は釘付けになる。 

 奇怪な容姿の少年である。純銀を溶かしたような髪に、瞳は血のように紅い。魔獣が擬態しているのか、もしくはその類いをクロムは真剣に疑った。それほどまでに少年の容姿は整っていた。だが身に纏う衣装、何より右手の掴無しの刃がそれらの可能性を否定していた。目を凝らして観察すると少年の頬や腕、脚、肌が覗くいたる所に傷痕がある。身なりから推察するに地下街の浮浪児。否、冒険者であろう。

 若輩とはいえ、短くない冒険者稼業で培われてきたクロムの直感がその推測が正しいと告げている。しかし冷静になればなるほどに疑念が深まっていく。完全武装した『空の剣』の面々ですら死にかけているというのに、目の前の少年は武装とよべるようなものは掴無しの刃だけ。

土龍を仕留めたのが眼前の少年であることに疑いの余地はない。が、少年の装いはおよそ冒険者のものではない。ゴミ捨て場で拾った鈍刀をもって冒険者ごっこでもしているかのようだ。

 少年はそのままクロムの隣を素通りした。その先からは大量の魔獣の群れが迫っている。

 条件反射でクロムは少年の手首を掴んでいた。

 胡乱気に向けられる真紅の瞳に射貫かれ、数瞬言葉を喪う。

 それでも命の恩人を見殺しにするわけにもいかない。

 「よせ、あの数が見えないのか⁉」

 いらえはない。クロムを映すその瞳は氷のように冷たい。

 「今ならまだ間に合う。君だけでもここから逃げろ。奴らの狙いは俺たちだ」

 クロムにしてみれば自らを囮に少年を逃がす腹積もりだったのだが、少年は固く口を閉ざしたまま首を縦に振ろうとはしなかった。

 やがて少年は乱暴にクロムの手を振りほどくと、歩みを再開させる。

 その小さな背に向け、「待ってくれ!」と説得する理由も思いつかぬままに呼びかけた。

 コチラの想いを汲んでくれたのか、少年が歩みを止め肩越しに振り返った。

 「弱い奴が剣なんか握るんじゃねぇ」

 短くそう言い残して歩みを再開させた少年には、クロムのどんな説得も届かなかった。

 悲痛に顔を歪ませ、恩人が魔獣どもに蹂躙される姿から眼を逸らすように視線を下向けた。しばらくして遠くより魔獣の叫び声―――長く尾を引く断末魔が荒野に響き渡った。

 弾かれたように顔を上げ、魔力で強化された視力を以って見つめる先、四方を大量の魔獣に取り囲まれた少年は、クロムの心配も、冒険者としての矜持を嘲笑うかのように掴無しの刃ひとつで迫る魔獣どもを一方的に蹂躙していく。

 悪夢のような光景だった。

 血飛沫はない。燃えるように紅かった曠野は今や大量の灰で夜のように黒く染まっていく。

 同時にクロムは理解する。彼の少年こそ『本物の冒険者』であると。

 クロムの眼には、もはや少年のほうが魔獣を凌ぐ脅威に思えた。 

 その後、無事匣からの生還を果たしたクロムは、街で少年の二つ名を知った。

 『白銀の狂犬』。それが少年に与えられた二つ目の名前である。

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