第6話 【ありがたいお言葉】


 ものの数分前と比較しても立ち込める煙が大分濃くなったように思える。

 そこにもう一筋付け足す様に、シャルロッテはタバコを灯し白煙を上げた。

 マスターがワープホールの拡張を行っている家屋の壁に靠れながら、もう片方の手に収まるアイスピックをクルクルと回す。


 「あと40分か……それまで持つかしらね、この街」


 独り言をつぶやきながら、辺りを見渡す。

 街はあちこちから火の柱が上がっており、真昼だというのに薄っすらとオレンジ色の光が辺りを照らす。

 有象無象を焼き払った匂いが熱風に紛れて髪を撫でると、


 「これならアタシたちが勘づかれる可能性は低そう、か」


 亜人は鼻が利くためか人が密集している場所を優先的に襲う習性がある。

 恐らくここは襲撃地点から近い事もあり、今頃亜人はここから逃げ出した住人を追走している所だろう。

 間接的とは言え、結局自分たちも住人を餌にしている様な物で、


 「アタシも、この街の屑どもと同じって事か。まぁ、力なき人々を救えるだけの力を持つはずの聖女様が、こんな所でコソコソ逃げる準備してるって意味で、それ以下のゴミかもね」

 

 マスターの密輸ルート上のこの道はもぬけの殻。

 昼時だった事もあり、街が焼ける匂いに調理中と思われる芳ばしい匂いも混じっており、ふと頭上を見れば洗濯物が掛けられっぱなしだったり――ほんの少し前までここで営みをする人々の生活が逃げ遅れたかのようにそこにはあった。


 毎日、変わらず繰り返していく筈だった一日。

 本来で有れば守るべき人々を見捨ててまで、自分はその時間の先を進んで良いのだろうか。


 「……神がいるなら、これもアタシに課せられた試練なのかな」

 

 一人で静かに考え込むと、嫌な感情ばかり浮かんでくる。

 それも有ってから紛らわす為、マスターの元で酒を飲んでは誤魔化し続けてきたのだが――一人取り越された、沈黙の中でそんな後ろめたさに包まれるシャルロッテだったが、


 「あ!……た! 助けてください!」

 「ギシャー!」

 

 彼女以外無人だった街道に、路地の方から人影がふと現れる。

 シャルロッテの方に掛けてくる女性、そのすぐ後ろには棍棒を持った小鬼が数匹。 

 人の腰丈程の体調の生物は、すばしっこい足並みで奇声を発しながら女性を追う。


 「助けて……お願い!!!」


 距離にしてシャルロッテのいる場所から約50m。

 訓練を積んだわけでもない人間が卓越した身体能力を持つ亜人の足から逃れる事など不可能に近く、みるみる内にその距離は縮まって行き――


 「きゃああ!」

 「ギ……シャ……」


 次の瞬間には、追われていた女性と亜人の間に割り込むシャルロッテ。

 手に持ったアイスピックは深々と亜人の頭頂部に侵入、そのまま下あごまで貫通している。


 「ギシャアア!!」


 収縮する小鬼の筋肉から無理やりアイスピックを引き抜いては裏手持ちに切り替え、背後から襲い掛かる小鬼を払う様にその胸部を貫く――流石に劣勢と悟った他の小鬼が逃げようとする中、今度は背後から飛びつくようにうなじの部分を貫いては一瞬で絶命させていく。


 「ふぅ……大丈夫?」

 「あ、ああ……あ……! は、はい……!」

 

 気づけば道の上でまだ息が有るのは人間の女性二人のみになっていた。

 手荷物アイスピックからは小鬼とドロッとしたゲル状の何かが付着しており、ベチャっと地面に落ちていく。

 純白のドレス――元より自分由来のシミこそあったが、今ではその大半が真っ赤に染まった紅白模様。どちらが鬼かと見違う様な強さを前に、助けられた女性も半ば放心状態。それでもようやく生を実感できて緊張の糸がプツンと切れたのか、無気力に地面にしゃがみ込む。

 シャルロッテは咄嗟に女性の背後に手を回し、それを受け止めると、


 「よっ……と。大丈夫? 立てる?」

 「も、申し訳ありません、聖女様」

 「んな大層なもんじゃないよ。一人?」


 震える女性の手を握りつつ、背中をさすっては過呼吸気味の彼女を落ち着ける。

 

 「はい……西門へとつながるメインストリートに人が大量に押し寄せていたのですが、その時西門からも……普通の鬼とは比べ物にならない程巨大な……一つ目の化物が棍棒を振り回しながら侵入してきたんです……あぁ……あぁあああ……!!!」


 凄惨な場面を思い起こしたのか、絞り出すような悲鳴を上げながら泣き崩れる女性。

 東西からの挟撃。知能の高い『魔人』クラスのサイクロプスならそれくらいの策を講じる事さえ十二分に考えられる。

 いずれにせよ、初動で本能的に西側に逃げた人たちの身にこの世の地獄が降りかかっている所だろう。

 

 シャルロッテは暫く女性の感情の高ぶりが鎮まるまで、彼女の涙を止めないでいた。しばらくして感情の波が落ち着いたところで、

 

 「まぁまぁ、難しいでしょ落ち着いて。貴方に何があったか、改めて教えてくれない?」

 「……私は群衆の後ろ側に居たので、前の方で騒ぎが起きてるのに気づいて、路地をがむしゃらに走って来たんです。同じ路地に逃げてきたのは何人かいましたが、後から小鬼たちも次々に追ってきて……」

 「アンタは良く逃げ切れたね」

 「魔道学院で身体能力強化の術を教わっていたので……」


 その言葉を最後に再び女性の双眸に涙が滲み始める。


 「私は……魔獣や亜人退治に関する知識も訓練を積んできました。それなのに……救えることだって出来たのに……私は、他の人達を見殺しにした……!」

 「……!」


 力を持ちながら、力なきものを見捨ててまで生き延びる――その自責の念が十字架となって重くこの女性にのしかかっているのだろう。

 心境は違えどまさしく自分と同じような境遇の女性。彼女の思いはむしろ鋭い刃物になってシャルロッテに残った良心にも突き刺さる。

 女性の懺悔に返す言葉を必死に探すが、やがてシャルロッテはすべてを誤魔化すかのように小さくほほ笑むと、


 「貴方に罪はありません。そして、それは主たる神も承知している筈。今はつらい事でしょう。ただ、それは神が貴方に与えた試練なのです」 

 「試練……」

 「貴方は生き残った。救えなかったと懺悔するのであれば、むしろその方々達の十字架を背負って、貴方は前に進むべきです――生き延びるのです」

 「聖女様……!」


 神の教えを口にするなど何十年ぶりか。

 純潔な心などとうの昔に濁流にのまれた彼女に、言霊の奇跡は宿らない――言ってみれば欺瞞に塗れた只の戯言だ。

 それでもなお目の前の女性の心を癒せるのであれば、呵責も恥も忍んで解く事も、また自分に課せられた試練なのだろう。

 

 シャルロッテは両手で優しく女性の手を握っては自身のおでこに寄せ、祝福を表すと、


 「……この真横の建物から真っすぐ五軒目――その中に私が設置した逃げ道があります」

 「えっ?」

 「貴方もそこから外へと逃れなさい。中で老紳士がその手伝いをしてくれていますが、私の導きといえば良い」

 「……聖女様は?」


 シャルロッテは再びアイスピックを手に取って一振り――付着した小鬼の血やら内蔵の破片やらを払うと、


 「救いを求める人が居る限り、私がここで逃げる訳には行きません……一人でも多くの人を助ける。それが『白無垢の聖剣女』たる名を主より与えられた私が『今』出来る事です」


 今となっては飾り以下の渾名。

 それを再び使う日が来ようとはシャルロッテ自身も想像していなかったのだが、


 「貴方も、自分に『何』が出来るか、この街から出ても良いので考えてみてください」

 「自分に……出来る事……」

 「懺悔の念を、力に変えてください――自身の思いを、偽らないでください」


 諭すように言うシャルロッテも、自分が放ったその言葉に偽りはないつもりだ。

 女性がパタパタと震える足を奮い立たらせて、マスターのいる家屋へと走り抜けていく。そこの瞳には恐怖の影がちらつきつつも、それを振り払うかのような確固な意思が現れていた。


 「自分の思いを偽らないでください、か。……ふふっ」


 その奮起ぶりを前に、我ながらこの世界の聖職者とは詐欺師と同義だと改めて認識した所で、


 「後ろめたい気持ちを持ちながら飲む酒ほど、まずいモンは無い。ただ、それ以前に酒すら飲めなくなる方が困る」


 小鬼を殺し、サイクロプスを討つ。

 状況は最悪だが、まだこの街が落ちた訳ではない。

 シャルロッテは残る生存者を導くべく、少女が逃げてきた路地に足を踏み入れる――



 訳など無く、再び近くの壁に背中を靠れ掛け、マスターから拝借してきたタバコに火を灯す。

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