第4話 【予定調和の向こう側】


 互いが互いの状況に終始困惑。

 怪訝な表情を浮かべていた酒屋の小僧を送り届ける様に、マスターも外に出る。

 

 「ふぅー……流石にこれは初めての経験ですな。どう解釈すれば良いのやら」


 燦々と照りつける太陽の元、掌で日光を防ぎながら呆然と店の外に立ち尽くす。

 懐に忍ばせたタバコを取り出しては火をつけようとした直前、店内にいたシャルロッテも釣られる様に外の陽気を浴びに来たのか、


 「一本頂戴」

 「酒は大目に見ているつもりですが、タバコは流石に止めた方が良いですぞ。これだけは百害あって一利――」

 「いいから」


 聞く耳持たずに遮ってから、掌を差し伸べタバコをねだる。

 結局マスターも根負けしたのか、箱を軽く上下に振っては白い紙に包まれたタバコを一本差し出した。


 「全く、貴方と一緒にいると自分が聖女を誑かす悪魔の様に思えてきますよ」

 「悪魔って言うのは自分の中にいるもんなのよ。それに、寂れた酒場のオヤジ程度が私の心を変えられるとでも?」

 「これはまた辛辣なことで」


 手慣れた手つきでオイルライターを灯し、まずはシャルロッテが咥える一本に――続いて自分のタバコにも火をつける。

 珍しい午前の空気を取り入れる様に大きく一口吸っては、解せない状況への愚痴を漏らす様に息をつく。


 「ごほっ……ごほっ……」

 「言わんこっちゃありませんな」

 「……煩いわね」


 隣で大人ぶろうとする少女を前に、マスターはそれ以上諭す事もなくポリポリと頭を掻くと、


 「どうせ目が覚めればひと箱丸々中身も元通りと思って、タバコを買い足すという発想すら最近はありませんでしたが……このペースでは恐らく正午前には近所の店にお邪魔させてもらう事になりますな」」

 「目を開けばあろうことか次の日になっている――むしろ今の状態が当たり前で、これまでが狂ってたのよ……ごほっ」


 相変わらず一口吸い込んでは噎せ返るシャルロッテ。

 目に薄っすら浮かぶ涙を拭うと、


 「まぁ、でも……これはチャンスじゃない? 世界が進み始めてるんなら、こんな寂れた酒屋で同じ日を繰り返す事も必要ない」

 「意外や意外、冷静ですな」

 「理解しない方が楽な時ってあるもんなのよ」


 文字通り時の流れに身を委ねるのが先決である。

 まだ世界がおかしくなる前でさえ数えきれない修羅場を潜ってきたシャルロッテにとって、合理的な思考こそ身を守る最大の武器。それを活用して導き出した結論は、

 

 「さて、私が選ぶコマンドは『逃げる』一択だけど、マスターはどうする?」


 状況が飲み込めないにしろ、今日『これから』何が起こるのかはハッキリしている――これはマスターにしろシャルロッテにしろ同じ。

 間違いなく、日が沈む頃には目の前に聳える外壁の内側が紅く染まるだろう。

 マスターは暫く手を顎につけて考え込んでから、


 「うむ。店を捨てるのは心許ないですが、背に腹は代えられませんからな」

 「賢明ね。店なんて草原のど真ん中だろうが酒さえあればやれるでしょうし……アンタの護衛代をどれくらい取るかは考えておく」

 「ほほほ。これはまたガッツリ搾り取られそうですな。――それにしても」


 笑いながら煙を吐き出すマスターは、


 「貴方が亜人どもに『立ち向かう』という選択肢はないのですかな?」 


 興味本位ではあるが、その問いを前にシャルロッテは、


 「無くは無いけど、街の連中助けてアタシになんのメリットが有るの? まぁ、一人につき100万位お布施としてアタシに供えてくれるなら考えても良いけど」

 「ふむ、貴方に対してのメリットですか。名声、人望、尊厳といった所でしょうか?」

 「はっ。そんなのツマミとビールとウィスキーが混ざったゲロ以下だわ」


 シャルロッテは肩を竦めながら笑う。

 人の為、神の為、世界の為……そんな物はこの世界が歩みを止めてきた時に捨ててきた。それは彼女にとってある種決意の様なもの。

 紅く燃えるような双眸に偽りの濁りは微塵もなし。むしろ見ていて清々しいほどだった。『白無垢の聖剣女』の名を含め、そう言う通り少女の中では汚物と同義かそれ以下。改めてそう悟ったマスターは、


 「……亜人の群れが壁内に迫っているのであれば、先ほどの配達の青年は些か落ち着きすぎている――外敵の襲来を促す鐘の音もなっていない事から見ると、まだこの街から見える範囲に敵は押し寄せてないと見て間違いないでしょうな」


 二人で演じる逃走劇のシナリオを立ち上げるべく、限りある情報を洗い出す。

 まず一つに、まだ襲ってきていない敵がいつ大挙して襲い掛かってくるか。


 「時間の問題でしょうね。ひょっとしたらすぐそこの丘まで来てるかもよ」

 「うむ、立ち向かうはろくに軍事経験のない街の防衛隊。王都の近衛兵ですら手こずる様な亜人を相手にあまり大きな期待は抱けませんな」

 「……防衛線は守り通せって命令なんだろうけど、流石に抑えきれなくなったら前線の兵士も逃げ出すでしょ。普段は一般市民に毛が生えた程度の連中なんだし、街の為に死ねる奴なんて数えるほどいない」

 

 親指と人差し指でタバコを口に寄せては、大きく一口。

 何回かむせた事で要領を覚えたか。刺激で咳き込むか否かの絶妙な配分で煙を肺に納めると、しばらくして鼻から二筋の白煙を吐き出す。

 要らぬことでは実に飲み込みの早い少女を傍目に、マスターはタバコのフィルター側を指で弾く――一度は宙に舞っては地面に落ちた燃えカスを靴の裏でもみ消すと、


 「して、我々がどう逃げるか。流石に警報が鳴れば逃げ纏う人々人でロクに進めなくなるでしょう。あとは亜人達の狩場に成り下がるだけですな――普通、強力な亜人の軍団が付近を闊歩している情報を知り得ているのなら、市民に前広な避難を促しても良い頃なんでしょうが」

 「街のお偉いさんの思考なんて分かりやすいでしょ。大方、限界まで壁外で食い止めて、その隙にトンズラ掻こうって算段なのよ。一般市民なんて肉の盾か亜人を引き留める餌にしか見てない連中なんだし」


 平和な世であれば施政者が腐るのは当たり前。その理屈は例えこの世界であろうと同じ事。

 下手すれば昨晩中に権力者は馬車に乗って、亜人との遭遇リスクの低い北門から時計回りに東の王都を目指している事だろう。まだこの街に残っている時点で、二人ともそんな権力者には該当しないのもまた事実なのだ。

 マスターは今更それを嘆くわけでもなく、


 「深く考えるのは道中として、今は逃げる事といたしましょう。こうしている時間も勿体ない」


 如何に自分の身を守るかが先決。

 二人がそう思っていた矢先――


 「……何か聞こえない?」


 先に店の中に入ったマスターに続き、シャルロッテもいつしかぶりの外の熱気から逃れるべく店内に入ろうとして、その歩みを止める。

 彼女の問いかけにマスターもゆっくりと振り返っては耳を澄ますと、


 「助けてくれえ!」

 「敵だ!亜人だぁあああ!」

 「亜人が攻めてきたぞ!!!」


 次第に大きく、近づくてくる声の波。

 この路地裏から遠く離れた表通りから響くそれは、次第に街中へと伝染していく。

 ここでようやく思い出したかのように街中に警戒を促す鐘の音が響いてきた。

 

 中央広場にある鐘楼の鐘を殴りつける様に鳴らしている事を裏付けるように、音の間隔も音量も不規則――いかにこの混乱が突然街の中に降り注いできたかよく分かる物だった。


 「時既に遅し、ってところか。まぁ、亜人どもの頭じゃ、この路地までたどり着くまであと10分は残ってるかな。ほら、マスターも早く――」


 焦燥と恐怖が包む街道。緊迫した空気をヒシヒシと肌で感じる中でも、シャルロッテは動じなかった。残された時間をあえて口に出して言う事で、恐らくこういった修羅場を前にした事のないマスターを冷静を促そうとする意図も暗にあったのだが、 


 「……仕方ありませんな。もう二、三本は持って行きたかったのですが」


 店の方へと振り返ったシャルロッテに、マスターは返す。

 いつの間にか手にアタッシュケース、頭上には紳士帽を被った姿。いつの間にかジャケットまで羽織っており、見事に黒一色に染まっている。

 ただでさえ夏日の様な陽気を前に、まるで太陽光を独り占めせんとする風貌。それを前に頬をしかめるシャルロッテだったが、ふとマスターの手に握られたアタッシュケース――サイズ的にレギュラーサイズのボトルが2,3本は入りそうなそれを目にすると、


 「――護衛の報酬としてその中で一番高い奴貰うからね」

 「ほっほっほ。私を無事に守り通せたら、一考いたしましょう」


 その言葉を前、シャルロッテは苦笑い。すぐにでも逃走劇の幕開けと洒落込みたいところだったが、彼女はふと思い出したかのように店内に戻ると、

 

 「ちょっと借りるよ」


 カウンターに置かれていた有るモノだけそそくさと拾い上げては衣装のポケットに納め、再び店外へと飛び出した。

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