2.「冥途への土産話」


「私は学校で、いじめを受けているのです」


 がらんどうの屋上。鉄柵を背に腰を降ろしているのは、不自然極まりない取り合わせの三人組。黒髪おかっぱを揺らす女子高生は両膝を両腕で抱えており、着流しを纏った天狗はあぐらをかき、烏羽色のローブをまとった死神は女座りのポーズでくるくると自身の巻き毛を指で弄んでいる。無限に広がる灰色の地面を見つめている彼らの視線が交錯するはずもなく、ポツポツと語り始めたのは女子高生だった。


 彼女は名前を羽村はむら倫音りんねと言った。吉祥寺駅を最寄りとする私立高校に通う高校二年生の十七歳だった。彼女が通う学校はなんと幼稚園から大学まで存在する一貫校なのだが、彼女は中学までは公立で、高校受験によりエスカレーターに途中乗車した身なのだと。


 リンネは内気な性格で、あまり友達が多い方ではなかったが、サチという名前の親友がいた。サチもリンネと同様明るいタイプではなく、似た者同士の彼女たちは二人の世界に閉じこもるようにいつも一緒にいた。彼女たちは同じ高校を受験し、同じ高校に入学する運びとなった。また二人で一緒にいられる事案に手を取り合って喜んだ二人であったが、しかしクラスは別々になってしまった。お昼休みは一緒にいようねと互いの友情を確かめ合った彼女たちは、それぞれの教室の暖簾をくぐっていった。


 リンネは合唱部、サチは女子バスケットボール部に入部した。中学のころ互いに体育を苦手視していた事実からも、サチの意外な選択にリンネは目を丸くして驚いた。サチは女子の割りに背が高く、目を付けられたクラスメートの強引な勧誘を断り切れなかったとか。「バスケなんて、ほとんどやったコトないのに」と困ったように笑う彼女ではあったが、しかし部活の話をしている彼女は存外楽しそうだった。


 リンネは相変わらず周囲に打ち解けるコトができなかった。エスカレーター校というシステムも相まって、内部進学組のクラスメートたちはすでに既存の仲良しグループを形成していた。同い年のはずなのに自分より何段階も垢ぬけて見える彼、彼女たちと、黒髪おかっぱ少女が意気投合できる道理はどこにもなかった。しかしサチは、部活の仲間を通じて内部進学組のグループにうまく溶け込んでいったようだった。銀縁メガネを捨てた彼女は眼球にコンタクトレンズをはめこみ、野暮ったいおさげ髪をバッサリと切り落とした。彼女は快活な美少女に変身を果たし、ありていにいうと高校デビューに成功したのだ。入学してからしばらくはお昼ご飯を共にしていたリンネとサチであったが、やがてその会合の頻度は減っていった。


「成り上がりでイケてるグループの仲間入りを果たしたサチにとって、未だに地味な私の存在が邪魔になったのでしょうね。まぁ、寂しかったけど、事情は理解できますから、これも仕方ないかなって諦めました。でもね――」


 悲哀の混じった声を漏らした彼女の唇が、ふいにわなわなと震えて。


「サチと私は二年生に上がって、同じクラスになりました。私が彼女に声をかけると、彼女は露骨に煙たがるような態度をとりました。それだけじゃありません。彼女、内部進学組の子たちと一緒になって、私をいじめのターゲットにし始めたのです。最初のころは、地味だとかださいとか、聴こえるように悪口を言う程度でしたが、次第にエスカレートしていって、体育の時間のあとに私の制服を隠して、ジャージ姿で授業を受けている私を笑ったり、机の中に虫のオモチャを入れて、驚く私を見て楽しんだり。……ウソ告って知っていますかね。チャットアプリで、クラスの男子を使ってフェイクの告白をさせるんです。戸惑いながらも、真面目に返事を返した私のメッセージ文章をクラス中に転送して、秘めたる想いを晒し上げるんです。ホント、よくあんな陰湿なコト思いつきますよね」


 へらっと乾いた笑いをこぼしたリンネだったが、顔の上半分は凝り固まっている。言葉を連ねる内に感情が昂ってきたのか、彼女の目はうっすらと涙が滲んでいた。


「いじめのコトは、親にも先生にも言っていません。心配かけたくないとか、恥ずかしいとか、そういう気持ちもありましたけど、それより、『私はいじめられています』って人に相談するコトで、『自分はいじめを受けている』って事実を、自分で受け入れなくちゃならない。それが、何よりも嫌でした。屈辱でした。だから、私はいじめのコトを誰にも打ち明けず、かといって問題を解決する方法も見つかりません。途方に暮れた私は、なんで私だけがこんな目に遭わなければならないんだろう、そう考えるようになりました。そして――」

「この世界から逃げてしまおうと、ここから飛び降りてしまおうと」


 それまで押し黙っていた天狗が彼女の言葉を紡ぐ。逡巡したように顔を伏せていたリンネだったが、やがて力なく、コクリと頭を垂れた。


 辺りはすっかり暗くなっていた。照明のない廃アパートの屋上は深淵以外の何物でもなかった。頼りない月の光と遠くで灯る街灯の光だけが、彼らの輪郭をほのかに照らした。


「キミ、生きていて楽しいか」


 暗がりで、天狗のひょうひょうとした声が轟く。リンネが返した言葉には、陰鬱と呆れがちょうど半分ずつ混ざり合っていた。


「話、聞いていましたか。楽しいワケないでしょう」


 幾ばくかの沈黙を経て、「そうか」と返した天狗が徐に立ち上がる。数歩先まで歩みを進めたかと思うとクルリ振り返って、彼はちょこんと佇む黒髪おかっぱ少女の顔をじぃっと窺い見た。


「リンネ、騙されたと思って、キミの時間を少し僕に預けてくれ」


 そんな提案をするものだから、リンネの目が点になるのは必然ってやつで。


「冥途への土産話として、妙な天狗と交際を持っておくのも一興ではないか?」

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