第五集 救国の英雄

 北宮純ほくきゅうじゅんによって撃退された王弥おうびは、かん劉淵りゅうえんのもとへ参陣した。洛陽らくようを手土産に出来なかった事を恥じた王弥であったが、劉淵は旧友との再会に「光武こうぶ劉秀りゅうしゅう)が仲華ちゅうか鄧禹とうう)を得た如し、烈祖れつそ劉備りゅうび)が孔明こうめい諸葛亮しょかつりょう)を得た如しだ」とまで喜び、彼を将軍の列に加えた。

 そんな王弥は傘下に加わって間もなく、劉淵に帝位につく事を勧め、それを受けた劉淵は漢の皇帝を称した。そうして劉淵は、彼の子や孫を中心に諸侯王の位を授けていく事になる。


 漢帝国を正式に建国した劉淵の軍勢が再び洛陽へと迫ったのは、王弥軍が洛陽を襲撃してから約一年後、晋の永嘉えいか三年、漢の河瑞かずい元年(西暦三〇九年)、夏の事である。


 この時、洛陽に駐屯していた北宮純は、先年の戦いにおける活躍で既に都中に名が轟いていたが、この時期に洛陽に入城して軍の統帥権を握っていた東海王とうかいおう司馬しばえつは北宮純を出撃させなかった。

 司馬越の腹心の部下であり、先年の戦いで指揮をとった左司馬さしば王斌おうひんの「彼は最後の砦」という進言を容れた物という表向きであったが、隴西ろうせい一帯の統治権と軍権を一任され着々と勢力を築いている涼州刺史・張軌ちょうきの配下に、これ以上の戦功を立てさせたくはないという本心が周囲の者には容易に感じ取る事が出来ていた。

 何しろ司馬越は、先の八王の乱を終結させた功臣といえば聞こえはいいが、現在の晋帝である第三代・司馬しばしょくは司馬越によって擁立されて帝位に就いた経緯がある為、実質的にはほぼ傀儡となっている。要するに政治闘争を最後に勝ち残って実権を握った権臣であり、その野心は明白だった。

 事実、洛陽に入城してから間もなく、城内にいる自分の反対派たちを治安維持を名目に逮捕・処刑しているのである。


 北宮純自身もそうした空気を感じていたが、邪魔者扱いされる事に慣れていた事もあり、兵舎でくつろぎながら戦況報告を待つ事にしていた。


 そんな中で攻め寄せた漢軍を率いるのは、漢帝・劉淵の四男、楚王そおう劉聡りゅうそうである。

 北宮純にとって因縁の相手であったが、それは相手にとっても同じ事。再び奴が出てくると踏んでいた劉聡は、雪辱を晴らす機会に燃えていた。

 しかし迎撃に出てくる晋軍の将の中に、北宮純の姿は無かった。


 まず晋の并州へいしゅう刺史・劉琨りゅうこんによって派遣された韓述かんじゅつの軍を相手にした劉聡は、その軍を完膚なきまでに壊滅させ、その大将首を討ち取った。

 次いで司馬越の命によって淮南わいなん内史ないし王曠おうこう、将軍・施融しゆう曹超そうちょうが黄河を渡って迎撃に向かい、晋漢両軍は長平ちょうへいの地で激突。この戦いでも劉聡率いる漢軍は圧勝し、施融、曹超の両将軍も戦死した。

 焦った司馬越は、曹武そうぶ宋抽そうちゅう彭黙ほうもくと配下の将を立て続けに迎撃に出すも、悠々と進軍する劉聡の前に全て返り討ちにされた。

 更には長安ちょうあんを守備している司馬越の実弟にあたる平昌公へいしょうこう司馬模しばもが援軍として送った淳于定じゅんうてい呂毅りょきといった将軍も、やはり劉聡の前に敗れ去り、遂に漢軍が洛陽の目と鼻の先である宜陽ぎようにまで達する。

 宜陽城を難なく陥落させた劉聡は、その城を拠点として体勢を整え、洛陽と睨み合う状態となった。

 劉淵の息子の中で最も文武に優れているという噂は伊達ではなく、劉聡の圧倒的勢いに晋軍は大いに震え上がる事となったのである。


 この期に及んでも先日の将、すなわち北宮純が現れない事に疑問を感じた劉聡であったが、手柄を立てすぎて味方に背後から刺されたかと思い至った。少年時代に洛陽へ遊学していた経験もあり、八王の乱の内情もよく分かっていた彼は、晋朝のそうした体制をよく心得ていたのである。


 一方で、ここに至っても出撃命令を一向に出す気配がない晋軍の意地に、流石の北宮純も呆れ果てていた。この晋漢の戦いは、最終的に晋が負ける。内心でその思いがどんどん膨らんでいる事を彼は自覚していた。




 さて、宜陽に拠点を置いた劉聡だったが、ここで弘農こうのう太守・垣延えんえんが軍ごと降伏するという話を素直に信じてしまうという失態を犯す事となる。垣延が率いる軍による城内からの夜襲によって敗北を喫し、いったん河北へと撤退した。勝ちが続いて奢っていた部分があったのか、劉聡にとって屈辱の敗北となったのである。


 しかし劉聡はそこで諦める事は無く、漢の首都・平陽へいように帰還した直後、休む間もなく父帝に再出撃を上奏し、先の戦いよりも多い五万もの大軍で南下する事となった。


 これに慌てたのは洛陽の晋軍である。

 起死回生の夜襲によって劉聡軍を敗走させてから、わずか一カ月後の再侵攻なのだ。先の戦いで多くの将兵を失っていた事で戦力が大きく削られており、防御態勢が全く整っていなかったのである。劉聡としては、敵もまさか予期していまいと見越しての再出撃であったと言えた。


 晋軍は河南で待ち構えて迎え撃ったが、元より兵力の無い状態での急造部隊では、前回以上の兵力で押し寄せる漢軍の前には焼け石に水であった。

 大した抵抗を受ける事もないままに先日失陥した宜陽を再び突破した漢軍は、今度は一気に洛陽の西側に押し寄せたのである。


 五万の大軍に城門へ取り付かれ、決死の籠城戦が始まった。北宮純に出撃命令が下ったのは、結局は再びそんな首都陥落の危機に陥ってからであった。




 洛陽の城門は初日の攻撃を何とかしのぎ切ったが、このまま幾日も籠城が続けば、余所から援軍が来る前に城門が突破されるのは目に見えている。漢軍も同じ見通しであり、陥落も時間の問題だと余裕の構えでいた。


 しかしそれはその日の夜に起こった。夜が更けた頃合いを見計らって洛陽の城門から千騎ほどの騎兵が出撃したのである。目指すは最も近い漢軍の野営地。その速度は城門から騎兵が出撃した事を伝令が知らせるよりも早かった。

 突然の奇襲を受けたのは、漢帝・劉淵の族子である龍驤りゅうじょう将軍・劉曜りゅうようの陣であった。

 彼は漢帝・劉淵から「劉家の千里駒」と呼ばれたほどの名将であり、何より特徴的なのは透き通るような銀色の髪と赤い瞳である。後世に言う所の白皮症アルビノだ。

 ただでさえ漢人から蔑まれた匈奴にありながら、人とは違うその容姿の為に匈奴の中にあっても迫害された彼は、その悔しさをバネにして文武の修練に励み、その才能を開花させた過去を持っていた。


「涼州の北宮純! ここにあり!」


 騎兵の先頭で名乗りを上げて斬り込んできたのは、勿論ながら北宮純である。彼は一直線に大将と思われる人物へと向かってきた。それはまさしく銀色の髪をなびかせた劉曜その人である。


「貴様が北宮純か!」


 そう言って腰に佩いた刀を抜いて、北宮純の馬上からの攻撃をいなした劉曜。だがその後ろから続々と陣内に入って来る騎兵によって乱戦となっている。


「受け止めるとは、やるじゃねぇか銀髪のあんちゃんよ!」


 まるで戦場を駆ける事を楽しんでいるような笑みを浮かべている北宮純に対し、刀を構えながら対応を必死に考える劉曜。

 だが北宮純は馬首を返すと、考える隙も与えぬかのように再び劉曜へと斬りかかって来る。


「もらった!」


 劉曜に向けて振り下ろされた北宮純の大刀は、両者に割って入ったげきによって止められた。それを振るったのは、劉曜の副官として従軍していた呼延顥こえんこうである。彼は副官であると同時に外戚がいせき(皇后の親戚)の一族でもある。


「将軍! ここはお逃げください! 自分が殿軍しんがりを務めます!」


 そんな副官の言葉に、一瞬の迷いを見せるも、大局を考えれば族兄であり総大将の劉聡と合流する事が最良と即座に判断し、一言すまぬと言い残して走り去った。

 呼延顥の戟と刃を交えたままの北宮純は、変わらず笑みを浮かべていた。お前が楽しませてくれるのかと。


 ひとたび戦場に立った北宮純は、まさに狂犬だった。

 忠を捧げる国もなく、守るべき家族もいない独り身。それゆえにいつ死んでも良いと思っていた。下手に政治を理解できる分、何もしていなければ余計な事を考え、鬱々うつうつと塞ぎこんでしまう。そんな彼が唯一熱くなれるのが、己の命を賭け金とした戦場なのである。自分でも狂っていると自覚していながら、彼はその生き方を変えられなかった。

 だがそこにこそ、北宮純の強さがあったのである。


 呼延顥は北宮純と数十合を打ち合い、味方が撤退する時間を良く稼いだ。しかし勢いも士気も腕も及ばなかった。北宮純の繰り出す大刀の一撃によって、遂にその首を落とされてしまったのである。


 血飛沫を上げて倒れ込む副将と、返り血を浴びて不気味な笑みを浮かべる敵将。そして周囲を蹂躙する騎兵たちに、未だ逃げ遅れていた漢軍の兵士は悲鳴を上げて散り散りに逃げ去って行った。

 そして北宮純は、息つく間もなく隊伍を整えさせ、また別な陣営に斬り込んでいく。漢軍五万の陣営を縦横無尽に攪乱した千騎は、ほとんど兵を失う事が無いまま悠々と洛陽城内へ帰還したのである。


 一方で突然の敵襲の報告に叩き起こされた劉聡は、その相手が涼州の北宮純と名乗っていた事を聞くと大いに悔しがった。ここに至るまで全く姿を見せなかった事で、完全に存在を忘れていた。

 劉聡が当初想像した通り、晋軍内での戦功争いによって北宮純の動きが縛られていたのは事実だったのだが、内情を把握しきれぬ漢軍にとって、備えていれば姿を現さず、備えずにいれば最悪の時を見計らった様に現れる。まさに神出鬼没の神威すら感じたのである。


 この北宮純の夜襲によって、漢軍はまたしても軍を引き裂かれ、洛陽の晋軍に対抗する準備を与えてしまう事となった。

 その後、劉聡は一月ほど善戦するも、洛陽の城門を突破する事は叶わず、王弥や劉曜の進言もあって遂に劉聡は撤退を決めたのである。


 こうして、またしても洛陽の危機を救った北宮純は、救国の英雄とまで呼ばれ、洛陽の民衆の間では彼を讃える歌まで作られるほどであったという。






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