手の中の感触
霜月かつろう
第1話
からからと音を立てながらトイレットペーパーの芯が姿を表した。在庫を確認しょうとして棚を見るけれどそこにあるはずのものはなくて、手元にあるものを確認する。
「ねえ。トイレットペーパーってまだあるー?」
ドア越しの声は自分に跳ね返ってくる量も多く、聞こえているか不安になるけれど、ドアの向こうでガサゴソと音がしているので聞こえてはいるようだ。
「ごめん。切らしたみたい。買ってこないと」
そう言われて手元に残ったトイレットペーパーをじっくりと見つめてしまう。足りなくもないってやつだ。満足はできないけれど仕方がないといえばそのとおりだ。それに昨日帰りに頭をよぎったのにめんどくさがったのは自分だ。
「わかったー。あとで買ってくるよ」
「あー。洗濯ありがとうね。いい天気だから散歩ついでにお願いしていい?」
今日は久しぶりに雨も止んでいい天気だったので、散歩に行こうと思っていたのは確かなんだけど、それを向こうから言われるとなんか違う。
「あー。うん。そうするよ」
「それとさー。回覧板、お隣さんに届けてくれない。玄関に置いてあるから」
そういうのはトイレから出てからにしてくれないかと思わないでもない。
「わかったよ」
トイレから出ながら返事をするとそこにはスーツを着込んだ彼女のがいた。
「今日って仕事だっけか」
「そうだよ。急な商談が入ったって昨日言わなかったっけ?」
そんな話は聞いていないと言いかけてぐっとこらえる。彼女が独立した時に彼女の負担にはならないと決めたじゃないか。
「ごめん。それそろ時間だから行くね」
「ああ。気をつけてな」
気の利いた一言も言えない自分に申し訳なくなる。慌ただしく玄関から出ていく彼女を見送ると、そこに置いてある回覧板を手に取る。いつもの町内の行事のお知らせなだけだ。おそらく関係のないそれを流し見すると、お隣さんに届けるために玄関を開けた。
梅雨が終わったと宣言はされていないのだけれど、もう夏が始まったのかもと、思うほどの日差しに思わず顔を手で覆う。
「あら。おでかけですか?」
そうしている間に声をかけられた。回覧板を渡さなくてはならないお隣さんだ。
「ええ。ちょっと買い物を」とてもじゃないがトイレットペーパーを買いにとは言えない。
「さっき奥さんも忙しそうに出て行ったから。てっきり、一緒かと思ったの。違ったのね」
別に深い意味はないはずだ。それでも何かを気にしているのは自分に自信が持てないからか。曖昧に返事をしながら回覧板を渡す。
「そういえば明日の雑草抜きよろしくね。若い子が参加してくれると作業がはかどって嬉しいわぁ」
なんのことだろう。覚えがないことに思わず固まってしまう。
「回覧板に書いてくれたでしょう。参加しますって。あれ奥さんのほうだったかのかしら」
聞いていないけれどその可能性は高そうではある。忙しさのあまり伝え忘れたのだろうか。深く考えても仕方がないし、今日帰って来たら聞いてみるか。いや、本人も忘れているなら黙ってこなしてしまってもいいかもしれない。
「それって何時集合とか覚えてますか」
「朝7時に目の前の神社よ。よろしくね。ほんと助かるわぁ」
そう言い残して隣のおばちゃんは家の中に入ってしまった。手から離れた回覧板の重さが感触として残っていて、それを紛らわすためにもトイレットペーパーを買いにドラッグストアへ足を伸ばす。
乾きはじめのアスファルトから上がってくる熱気は体にまとわりつくような感じがして少しでも早く動いていていないと飲まれてしまいそうな感じがする。
そうやって歩く速度を上げると彼女がスーツ姿で全速力で走っていくのが見えた。そんなはずはないのだ。彼女はとっくに先に行っているのだから見えるはずもない。
だとしたらあれはなんだというのだろうか。それがわかればこんな風に速く歩く必要もないのか。
手の中の感触が物足りない。それがトイレットペーパーでもなんでもいいから誤魔化したい。本当は、と前を見る。
そこにはもう彼女の姿はなかった。最初からいないのだから当然だ。
静かに歩く速度をまた上げる。アスファルトを照らし続ける太陽を感じながら。明日も晴れればいいなと素直に思えた。
手の中の感触 霜月かつろう @shimotuki_katuro
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます