第3節
d 「錯乱Ⅱ」
「言葉の錬金術」という副題が付いている。これは前にも述べたが、「見者」が到達した「未知」を表現するための言葉の探究だ。モノと等価であるような言葉の探究だ。ランボーはここでそれを、「かずかずのおれの狂気のうちの一つ」と書いている。ここにはすでに「言葉の錬金術」という「狂気」から覚めたランボーがいる。「おれは、言い表わしようもないものを書きとめた。おれは、さまざまな眩暈を定着した」と彼は書く。「おれは単純な幻覚にはなれていたのだ。おれは、まったく自由自在に見ていたのだ。工場のかわりに回教の寺院を、天使たちが教えている太鼓の学校を、天空の街道をはしる四輪馬車を、湖の底なるサロンを。また、さまざまな怪物どもを、さまざまな神秘を。(略)ついで、おれは、おれのかずかずの魔法的詭弁を、言葉の幻覚をもって説き明かした! おれは、とうとう、おれの精神の乱脈をば神聖なものと思うにいたった。」ここには彼の詩的実践における挫折が述べられている。彼が詩作に求めたものは現実の変革だった。詩人はプロメテウスとして「未知」を見通し、それを言葉に表現することで世界を変革する存在だった。それが「見者」としての詩人だった。しかし結局彼が言葉によって「定着」できたものは「未知」ではなく、「眩暈」であり、「幻覚」に過ぎなかった。それは「詭弁」であった。彼は酒や麻薬や、同性愛や、暴力沙汰や、禁忌侵犯、これらの「放蕩三昧」による「精神の乱脈」を「神聖」視するような惑乱に陥っていたのだ。ここにはランボーの苦い覚醒がある。
e 「不可能」
この章では西欧社会への批判がこれまでより直接的に述べられている。「おれのこの不快のかずかずは、自分たちが西欧にいるということを、はやばやと考えに入れておかなかったためだと、それに気づかされるのだ。西欧の沼地よ!」「あの科学の宣言以来、キリスト教が、人間が、おのれをもてあそび、わかり切ったことを自分に向かって証明してみせ、それらの証明を繰り返す楽しみでもって膨れあがり、およそこんなふうにしか生きるすべがないということそれ自体にこそ、真の劫罰が存するのではなかろうか! 手のこんだ、愚かしい拷問だ。おれの精神的彷徨の源泉だ。(略)それというのも、おれたちが、たちこめる霧を育てているからではないか! おれたちは、水分の多い野菜といっしょに熱病を食らっているのだ。そして、泥酔だ! 煙草だ! 無知だ! 信心だ! (略)こんな毒物が発明されていて、なにが近代世界だ! 」キリスト教的蒙昧の「霧」が覆っている「西欧の沼地」に対する嫌悪が表白されている。こんな西欧社会にいるのだから「おれの精神よ、気をつけろ。手荒な救済手段などありはしないのだ。しっかり自分を鍛えろ! ーああ、科学は、おれたちにとって、満足し得るほど急速に進歩するものではない! (略)もし、この今の瞬間から、おれの精神が、絶えずはっきり目覚めていてくれるとしたら、おれたちは、やがて真理に到達できるかもしれない。(略)もし、おれの精神が、絶えずはっきり目覚めていてくれたとしたら、おれは、叡智の真唯中を漕ぎ渡っていることであろう! (略)精神を通じて、人間は、神に向かって進むのだ! 身を裂かれる不運よ! 」。ランボーは宗教的蒙昧に陥らないよう絶えず精神を覚醒させておこうと自戒する。頼みとする科学の進歩は遅いのだ。神と人間精神とに「身を裂かれる」近代人の「不運」を嘆いている。
f 「閃光」
「人間の労働! これが、おれのいる深淵をときおり稲妻のように照らし出す爆発だ。」これがこの章の冒頭の文句だ。「ーおれに、この世で何ができるのか? おれは、労働を知っている。そして、科学は、あまりにも足が遅すぎる。」「労働」と「科学」はランボーの社会的理想と密接な関係にある二つのものだ。しかし、彼は働くことを拒否してきた。「生活は労働によって花開くものだ、こいつは昔からの真理なのだ」(「悪い血筋」)と分かっていながら。それは何故か。イザンバール宛の「見者の手紙」でランボーは「僕はいずれ労働者になります」と書いた後で、「あちらでは、僕がこの手紙を書いている今もなお、労働者が続々と死んでいるのです! 」と潰滅の近いパリ・コミューンに思いを馳せ、「今働くなんて、断じて、断じて、否。僕はストライキを続行中です」と書いていた。そしてこの「ストライキ」は「見者」を目指す実践の間中続けられた。恐らくランボーはブルジョワジーの支配下で行われる労働を拒否したと思われる。それは惨めだからだ。彼は「おれは、手仕事というやつは、どいつもこいつも片っぱしから大嫌いなのだ。親方衆も職人衆も、ありとあらゆる百姓どもも、みんな卑しい」(「悪い血筋」)と書いている。この章でも、「労働など、おれの自尊心にとっては、あまりにも軽すぎるものに見える」と書いている。労働の価値を認めながら、そのなかに素直に入っていけない、ここにランボーのジレンマがある。
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