第3節

 パリに出てからのランボーの行状をみてみよう。

 彼はモーテ家に滞在したわけだが、素行は甚だよくなかった。彼が到着した最初の夜、家人と夕食を摂ってもろくに話をせず、旅行で疲れたと言って部屋に寝に行ってしまった。やがて、朝食がすむと、ヴェルレーヌがすぐにランボーを連れ出し、夕食の時間にも帰ってこない日々が多くなった。また、ランボーはマチルドの祖母の遺品である象牙製の古いキリスト像を持ち出したり、マチルドが大切にしているものを壊したりした。他にも粗野な振舞いが多く、天才的な少年詩人として遇しようとしていたモーテ家の人々をがっかりさせた。まもなく父親が帰ってくるということを口実にして、ランボーをどこか他の友人のところに住まわせるようにマチルドの母がヴェルレーヌに申し入れ、ランボーは一月ほど居たモーテ家を出た。以後、芸術家仲間の家を転々とし、広場での浮浪者生活も経験する。バンヴィルのアパートに住まわせてもらったり、オテル‐デ‐ゼトランジェに住み込んだりした。経済的に困窮しているこの「ミューズの申し子」のために、芸術家仲間が共同出資し、毎月一五フランをランボーに与えるという仕組みもできたが、ランボー自身がそうした友人の好意に水を差すようなことばかりをしてまわるので、これも長続きしなかった。

 ランボーは不潔だった。彼がモーテ家を出た後、彼が使っていた部屋を見てみると虱が動いていた。マチルドがヴェルレーヌにその事を告げると、ランボーはあんな虫を髪の毛のなかに飼っておくのが好きで、道で出会った坊主に投げつけてやるのだ、とヴェルレーヌは笑いながら語ったという。ヴェルレーヌもランボーと付き合うようになって次第に不潔になる。一週間の間下着を着替えず、靴も磨かず、マチルドにとっては「嫌らしい襟巻や、ソフト帽」を着用するようになった。

 ヴェルレーヌとランボーはそんなだらしない格好でフランソワ‐コペー作『棄てられた女』の初演を見に行く。翌朝の新聞に「コペーの作品の上演を見に集まった文士たちのなかでは、詩人ポール‐ヴェルレーヌが、若く魅惑的な女性ランボー嬢と腕を組む姿が目立った」と書かれた。この記事を書いたのはヴェルレーヌの友人のルぺルチエだった。二人が首に腕を回し合い、劇場の休憩室を歩き回っている様子はとてもひどいものに思われたので、反省を促す意味で書いたという。ルぺルチエは記事について謝罪するためにヴェルレーヌを夕食に招いたが、同行したランボーが「葬列に脱帽する男」とルぺルチエをからかったために二人は喧嘩になった。

 この芝居見物はもう一本の新聞記事を生み出した。それはある高踏派の詩人が酩酊して帰宅し、フランソワ‐コペ―の芝居の成功に対する嫉妬によって、危うく彼の若い妻と生まれたばかりの子供を殺すところだった、という内容だった。どういう経緯で新聞記事になったかはわからないが、これも事実だった。

 芝居見物のあと、ヴェルレーヌとランボーは酒を飲みに行き、ヴェルレーヌは午前三時頃、泥酔して帰宅した。そしてマチルドを指さして、「ほら、そこに居るぞ、棄てられた女が! コペーの成功なんか胸糞悪い。女房と子供なんてのは、俺の人質なんだからな。殺してやる! 」と叫んだという。そしてモーテ氏が狩猟用の弾薬を並べていた戸棚に火を放つと脅かした。乳児と母親の看護のために雇われた老婦人が宥めすかして何とか彼を自分の部屋に引き取らせたが、激昂して再び部屋から出てくる。老婦人は秘かに暖炉で焼いた火鋏を突きつけ、ヴェルレーヌを自分の部屋に追い返した。マチルドは事件を母親のモーテ夫人に話し、ヴェルレーヌは夫人から激しく非難された。彼はマチルドのベッドの側に跪き、涙を流して許しを請うた。ここにはこれから繰り返されるヴェルレーヌの家庭騒動のパターンが出ている。ランボーと連れだって夜遅くまで彷徨し、泥酔して帰宅して妻に暴行を働くのだ。原因はランボーにある、とマチルドの目に映るのは已むを得ない。

 ランボーが関係して起きたヴェルレーヌ夫婦の争いをあげれば、まず、一八七一年十月二二日頃に起きた事件がある。この日、夫婦はヴェルレーヌの母親の家の夕食に呼ばれた。帰宅して、ヴェルレーヌはランボーの話を始め、彼と交わした会話をマチルドに紹介した。「シャルルヴィルではお金もないのに、どうやってぼくの本を手に入れたんだい? 」とヴェルレーヌが訊くと、ランボーは、本屋に並んでいるやつを取ってきて、ページを切らずに読んじまってから、翌日には元の場所に戻していた、と答えた。しかし、この返却するという行為が盗みと同じくらい危険だと分かって、本は返さずそのまましまっておくか、売り払ってしまうようになった、という。その話を聞いたマチルドは、「それでわかるわ、あなたのお友達が、あまり上品な人じゃないってことが」と言った。自分の詩、あるいは優れた詩を愛するために、罰金を払ったり牢獄に入るような危険を冒すことは、逆に賞賛に値する行為であり、英雄的行為ですらあるとヴェルレーヌは言いたかったのだが、マチルドには単に泥棒としか伝わらなかったのだ。怒ったヴェルレーヌは彼女の両腕を掴むと寝台から床に放り投げた。階下からマチルドの兄が「上でなにかあったのか? 」と叫んだ。ヴェルレーヌは動かなくなり、マチルドは黙って再びベッドに入った。

 この事件の一週間後の十月三十日、長男ジョルジュが生まれている。ヴェルレーヌは長男誕生後の三日間はさすがにマチルドの両親と夕食を共にし、夜は家で過ごすという正常な生活振りだった。

 四日目になると、泥酔して午前二時頃帰ってきた。底意地悪い様子でマチルドを脅迫するそぶり。看護婦役の老婦人が自分の部屋に行くよう懇願するが、無駄で、ソフト帽を被り、服を着たまま、頭と足を逆様にしてマチルドのベッドで寝てしまった。マチルドの顔のすぐ側に泥靴が置かれた。翌朝、マチルドの母親が部屋に入ってくると、ヴェルレーヌは慌ててベッドから飛び下り、階段を駆け降りて、家の外に出て行った。

 この後、前述した芝居見物の事件が続く。このようにヴェルレーヌの乱行の前には必ずランボーと連れだって過ごした時間がある。ピエール‐プチフィスはその著『ポール‐ヴェルレーヌ』で、「ランボーが意志薄弱な友に対して持っていた支配力を利用して、ずるずると彼を酒に誘っていたのは疑いようのないことで、そうでなければ相棒がいかに狂暴となるかを心得ていた―しかも、少しでも咎め立てする者があれば誰彼かまわず顔に殴りかかるという状態にならなければ、彼を帰宅させてやらなかったのだ」と書いている。

 ジョルジュ誕生以来六週間でヴェルレーヌは二千フランの小遣いを費消してしまった。ランボーの生活費は今や全面的にヴェルレーヌが負担していたし、毎晩のように行く居酒屋やカフェの費用もあった。

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