【短編】教室の嘘、桜の下の涙。 〜孤高のツンデレ美少女の心の声が俺の頭にだけ響いてくる〜
天道 源(斎藤ニコ)
短編
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【登場人物】
●主人公 新宮理(しんぐうさとる)
●ヒロイン 桜木有栖(さくらぎありす)
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俺の通う高校は実にアナログで、何につけてもプリントを配る。
今じゃあチャットアプリでやりとりをする学校だってあるというのに、くる日もくる日もプリントの嵐。
別に地球環境のために怒っているわけじゃない。
プリントが前から後ろへと生徒の手を伝って移動してくるたびに、俺にちょっとした試練が訪れるからだ。
担任の教師が一番前の生徒に数枚のプリントを渡していく。
生徒は自分の分を取って、後ろへ回していく。
3、2、1――0。
俺の順番。
「早く、とってくれない?」
目の前に座る女子生徒がぶっきらぼうにプリントを俺へ差し出してきた。
いや、訂正。
差し出すなんてもんじゃなくて、振り返りもせずに、肩越しにプリントをひらひらと振っているだけ。
手を伸ばして取れってことだ。プリントが欲しいならはやくしろ、ってことだ。
まあ、いつもの対応なので気にしない。
俺の前の席の女子の正体――桜木有栖(さくらぎありす)。
フランス人の血が入っているとかで金髪碧眼。
色白で小顔で、身長が低いのに足は長く、意味不明なぐらいに完成した存在。天は二物を与えないというが、こいつはいくつも与えられて、この世に生を受けた。
もちろん試練も与えられた。
たとえば存在が完璧すぎて、作り物のように見えてしまう。だから髪の毛を染めてカラコンを入れていると良く勘違いされる。人は出来すぎていると、作為的な何かを感じてしまうようだった。
数奇なことに、俺と桜木は中学の時分から少なからず縁がある。
昔もさることながら、高校一年時にも、よくトラブルに巻き込まれているのを見た。
が、それも二年になると落ち着きをみせた。それに反比例するかのように、桜木の態度も日に日に、名刀のように切れ味を増していったのだけれども。
「……わかってるよ」
俺はわずかに腰を浮かせてプリントに手を伸ばす。
桜木の手は上下しており、プリントも動く。それをなんとか捕まえるが――変に動いた桜木の手が、ふと俺の指先に触れた。
――瞬間、頭の中に女子の叫び声。
――でもそれは、俺にしか聞こえない声だった。
桜木有栖の手がわずかに動きを止める。
それから「触らないでよ」と舌打ちをされた挙句、頼んでもいないのに、こちらを見ずに溜息までセットにしてきた。
まあ、視線なんか別に要らないだろう。
もしもこちらに視線が向いていたら、金色の長いまつ毛に囲まれた青い目に、凍てつくような冷気を宿して、俺を呪い殺すかのように、睨めつけてくるだけだろうし。
桜木は手をひっこめると、俺の手が触れたこと自体が不快だというように、自分の手を何度もさすった。
「なんで毎回毎回ぶつかわるわけ……? 意味わかんない」
やはりこちらを見ずに、小さく呟く。周囲の人間が、俺を労わるような空気感を出す。しかし、高校生活ももう二年目。それも夏休み前の開放的な空気の中でのこと。
日常的な光景でもあるので、緊張感はすぐに消えた。教師も気にすることなく、夏休み前に浮き出つ生徒へ小言を言い始めた。
ようするにこれが俺の日常ってわけだ。
◇
桜木の家は資産家らしく、つまり目の前の女子はお嬢様というやつで、だからなのか、やたらと高圧的だ。
これで顔が恐ろしいくらいに綺麗なもんだから、周囲の人間も、陰口ならまだしも、対峙するとなんだか無性に負けた気がして、口籠ってしまう。
頭だってめちゃくちゃ良い。テストは常に満点を狙っているようだし、実際、ほぼ満点だ。
それが高校の中でなら井の中の蛙大海を知らずであるが、全国模試でも上位ランカーらしく、教師が『なんでこんな優秀なやつが、うちみたいなフツーの高校に居るんだ?』と首をひねっているらしい。
負けず嫌いなのか、なんなのかしらないが、運動だって得意なようで、毎朝ランニングをしてから登校しているらしい。身のこなしを見る限り運動神経もかなり良いようだが、残念なことに態度と性格が災いしてか、漫画やアニメみたいに『助っ人おねがい!』と頼まれることはないようだった。
ま、ようするに。
桜木有栖はパーフェクトな人間ってやつだった。
攻撃的な性格さえ容認されてしまうほどに、将来が約束された人種。
目立とうとしなくても目立ってしまう存在。
もちろんその『強気』が、生来の性格に加えて、髪色や瞳を攻撃してくる心のない人間に対する防衛手段だということも俺は知っている。
絶対に負けちゃダメ――目の前の金髪碧眼高圧女は、いつもそう決意している。
革命を起こそうとする聖女のように固い意志で自分を奮起している。そうしないと、自分を否定してくる悪意を認めてしまうことになるからだ。
辛い時も悲しい時もどんなときも、桜木有栖はなんでもない風に前を向く。被害を被っている俺でさえ、ある種尊敬してしまうほどに。
一つ補足しておくが、そういったことの全てを本人に聞いたわけじゃない。桜木には大きな大きなプライドがある。言い訳や弱音は、誰にだって話すことはないだろう。
友達だって、いない。一緒に寝ているでっかいクマのぬいぐるみぐらいが話し相手。
黒山高校の白い悪魔、と評される桜木有栖は、だからいつも一人で、俺にプリントを渡そうとしては、俺の手にぶつかり「っち」と舌打ちをしてくる。
その真意を誰に言うでもなく毎度同じことを繰り返し、そして俺は周囲から哀れみの視線を向けられる。俺はそれを否定するでもなく、桜木をのらりくらりと躱したり躱せなかったりを繰り返す。
『桜木と同じ中学だったらしいから、なんか弱みでも握られてるんだろ』なんて周囲から噂されながら、俺の高校生活は進んでいる。
ほんと、疲れる。
まじで、疲れる。
なんでこんなことになってんだよ……。
そんなこと、俺にはわからないし、そんなこと、俺が一番よく知っている。
ちなみに、さきほど俺の頭の中に響いた叫び声はこんな感じだ。
声は桜木有栖。
(きゃーーーっ、また今日も触れたっ! ば、ばれてないわよね……? こいつ、変なところで鋭いから……、でもまあ、平気でしょ。ほぼ、鈍感だし。えへへ……今日も幸せ……一日がんばれるぅ……)
これ、全て桜木有栖の心の声である。
口に出すことがなければ、誰に聞かれることもない、頭の中の声ってやつである。
なんでそんな声が聞こえるのかって?
そういや、自己紹介がまだだったな。
俺の名前は、新宮理(しんぐうさとる)。
俺は生まれながらの能力者。
――人の心の声が聞こえるのだった。
◇
物心ついたときには、すでに相手の気持ちを明確に読むことができていた。
相手に触れることは必要なく、視線で捉える必要もない。
大体半径8メートルくらいまでが能力の効果範囲だ。
文字として伝わるわけではなく、頭の中に声が響く感じ。
ラジオの音声を記憶から呼び起こしてもらえれば、どんな感じかわかるだろ? 不思議なことに空気を震わせているわけでもないのに、相手の声音が頭に響く。ただし、一度も声を耳にしたことのない相手だと、その精度が落ちる。
どうしてこんな能力が身についているのか。
俺にその理由は分からないし、きっと最後まで分からないのだろう。注釈しておけば、新宮家には時折こういった人間が現れるのだと、親父から聞いた。親父も小さいころは別の能力で悩まされたらしい。
ま、いいさ。
俺はこの能力に頼らないことにしている。
親父曰く「能力は突然、使えなくなってしまう」という。ネットで調べたが、たしかに世界的に見ても、そういった能力は子供に発現することが多く、大人になると自然と使えなくなるものらしい。概ね成人を超えたあたりで、消失することが大半だという。
俺の能力は使い方次第で凶器となる。一攫千金だって狙えるだろう。だが、そんなことはしない。なぜって、頼りすぎていたら、大変なことになることは明白だからだ。むしろこんな能力、はやく消えてくれって感じである。
相手の気持ちがわかるってのは、便利なことばかりじゃない。
悪口だって聞こえるし、嫌味だって聞こえる。
「この子供、なんだか見透かしてくるようで。気持ち悪い……」
なんて日常茶飯事の印象には飽き飽きしている。
耳をふさいでも投げかけられる無意識の悪意に怒りを覚えた時期もあったが、直に自分がどうにかせねば現実は変わらない、という考えに至った。鍛錬と努力の果てに、中学生の頃には、意識的に他人の心の声を遮断することはできるようになった。
だが限界もある。たとえば直接相手に触れてしまうと、どうしても思考の流入を防ぐことが難しい。それも強い気持ちだと、尚更防ぎきれない。
さらに『バカみたいに強い想い』だと、耳を塞いでいても――それこそ相手に触れていなくても、声が聞こえてしまうのも分かっている。分からされている。
ようするに、なぜか俺のことをめちゃくちゃ強く念じながら心の中で絶叫している女子生徒――桜木有栖は、俺の能力にとっての天敵だった。
指が触れたら、言わずもがな。
指が触れなくても、頭の中に声が響く。
正気、勘弁してほしかった。俺はそういうのは嫌だったのだ。
なのに。
桜木有栖は、やたらと俺に近づいてきやがるのだ。
◇
昼休み。
気楽な高校生活。
昼寝をするために机につっぷしていたら、頭の上に何かがドンッと置かれた。
ついでに、誰かの指が俺の頭に触れる。
(可愛い……、寝ている新宮、可愛い……今日もがんばれる……充電完了ぉ……)
またこいつか……。
俺は頭の重さを押しのけながら、ゆっくりと顔を上げた。わかりきった相手を、初めて視認したかのように声を出す。演技力はここ数年で、間違いなく成長していた。
「なんすか、桜木さん。頭、重いんだけど」
桜木は先ほど、現代社会の授業で使用した教材を抱いていた。
目つきは鋭く。白い悪魔と評されるような、背筋が寒くなるような美貌が俺の前で無駄に消費されている。
心の中とは正反対の、冷たい命令が降ってきた。
「ねえ、ちょっと、新宮。寝る時間があるなら、日直の仕事手伝いなさいよ。暇なんでしょ」
「はあ? なんで俺が――」
「――あんた、背が高いから便利なの。じゃ、これ、社会科室まで持ってきて。早くして」
桜木が振り返ると、プラチナブロンドの髪がふわりと浮かぶ。まるで計算されたような動線。
控えめにいって、彼女は美しい。
「なにボーっとしてんのよ。早くきて。拒否権なんか、ないからね」
もちろんこれがなければ、美しいまま全てが完結するのだが、もちろんそんなわけはない。
本来の相方であるはずの男子日直の山田くんが、遠くから申し訳なさそうに俺を見ている。どうせ、手伝おうとする山田くんを睨みつけて、俺に仕事を回したんだろうよ。
山田くんはフルフルと小さく首を振ったが、俺は山田くんに小さく頷き返した。弱者は助けあわないとな。安心してくれ、山田くん。この任務は俺が引き継ぐさ。
俺は黙って立ち上がり、机に置かれた教材を手に取る。それから教卓の上の世界地図を抱えた。
すでに桜木は教室のドアの前に仁王立ち。
信じられねえことだが、人に荷物を持たせておいて、桜木は手ぶらだった。
周囲の人間が『ああ、またいじめられてるよ、新宮……かわいそうに』みたいな目で見てくる。
でも正直なところ、スタイルも良く、肌も白く、顔も小さく、関係なければ怒っている姿すら美術的――と全てが揃っているもんだから、憐みの目を俺に向けこそするが、実際は桜木に見惚れているのだ。人は美しいものを前にすると、弱くなる。もちろん嫉妬も、人の弱さの一部。
桜木が不敵に微笑む。
ぜったいに良からぬことを考えているに違いない。
急に繋がったラジオみたいに、俺の頭に強い心の声が届いた。
(ふふ……、さあ早く『お前も持てよ』とか言えばいいのよ……、そしたら舌打ちして、近づいて、さりげなく荷物をふんだくって、それで、手を触っちゃうんだから……、短時間に二回目も充電できるなんて、最高ぉ……)
絶対、イヤだ。
俺は回避に徹することにした。背が高くて便利らしい俺なのだから、教材だって一人で持てつことはできる。
すべての教材を抱え、俺は言った。
「……よし、これで全部だな。いこうぜ、桜木」
「ちょ、あ、はい――こっちよ、早く……!」
一瞬、愕然とした桜木だったが、すぐに氷点下の態度を取り戻し、俺を先導した。
社会科室につくまで、ずっと聞こえていた声は無視した。
(うう……チャンスだったのに……、でもたくさん荷物持てる新宮、かっこいいよぉ……)
何をしても声が聞こえてくるじゃねえかよ……。
◇
昔話をしよう。
俺と桜木は同じ中学に通っていた。
私立のマンモス中学で、新宮家の人間が代々通っていた歴史ある学校だったのだが、俺には合わなかった。
金持ちが結構多かったからか、嫌らしい感情が学校中に蔓延っていたのだ。精神感応タイプの俺からすれば、声を遮断しても胸がむかむかしたものだ。
どんなに鼻をつまんでいても、ひどい臭いが漂う部屋で飯は食いたくないだろ? それと同じだ。悪いとは言わないけども、俺には辛かった。
だから中高一貫だったにもかかわらず、結果的に俺は今の高校を受験したというわけだ。
中学ではイジメも結構あった。
それも暴力的なもんじゃなくて、ネチネチと精神を追い詰めるようなクソみたいな性質――もちろん暴力的なイジメもクソだけどな。そういう奴らはいつか不幸になってくれ。
ここまで言えばわかるだろう。俺はそれなりにうまくやれていたが、桜木有栖はもちろんうまくやれてはいなかった。
入学当初からあっという間にクラスで浮いた存在となったことを皮切りにして、中学三年間、常に戦い続けていたように思う。
今の高校生活と同じような立場だった桜木ではあるが、周囲の反応はまったく別物だった。桜木自身、まだまだ成長途中だったのだろう。美貌も、威圧感も今の半分くらいだった。
だから全ての人間を存在感だけでパーフェクトに黙らせることは難しく、常にどこかで噂されていたのだ。
残念だがその金髪碧眼の容姿は、親と学校側では容認し合っていても、生徒や一部の教師の納得の範疇にはなかった。
「桜木さんって、ぜったい自分で自分のこと、可愛いって思ってるタイプじゃん?」
そんな言葉が聞こえてくれば、桜木はキッと相手を睨み付けた。
相手が怯んでも、謝罪をしなければ、相手に近づいて、睨み付ける。身長が低い桜木は、相手の顔が大抵上にくるが、それでも下から睨み付ける。
相手が「な、なによ」と更に怯んでも、じっと黙って睨みつける。相手がトイレに逃げ込んでも、睨み付ける。
謝罪を引き出すまで一生睨みつける――というわけではなく、怒りは一日単位でリセットする仕組みのようで、翌日にはまた、怒りの対象が世界全体へとシフトするようだった。
きっと全員が敵に見えていて、一人に相手している場合ではないのだろう。考えるだけで、疲れる話だ。
俺は相変わらず、他人事のように他人を観察しては、じっと耳を塞いでいた。汚い感情なんて見たくないと、目をつむっていた――いや、違った。それは語弊があった。
少なくとも桜木有栖の精神は、とても力強く、暖かかった。人に誤解されているだけで、桜木有栖は、人助けを厭わない優しい心を持っていたのだ。
でもそんなこと、主張しなければ伝わらない。学校内でそれを知っているのは、俺だけのようだった。
心を読めなければ、桜木有栖の輝きには気が付けない。
だから毎日誰かが嘲笑する。
まるでそうすることでしか、桜木に優位性を保てないのだということを悟っているかのようだった。そうすることしかできないという自分を、逆に認めたくないように、ひたすら相手を馬鹿にするようだった。
ようするに、だ。
桜木の周りの『うすっぺらい人間たち』は、あの美しすぎる顔や、何者にも負けてたまるかという精神性を見せつけられていると、とにかく不安になるのだろう。
『自分には優秀な親もいるし、金も家もあるし、七色に光るコネだってある。でも、生命体としては桜木有栖に勝つことはできないかもしれない』
そう感じるのだ。そしてそれは真実だった。
だからバカにする。バカにして、優位性を保とうとする。それ自体が、負けであることを認めていることになることにも気づかないふりをして――。
◇
そのような環境に置かれた中学時代の桜木だったが、一度、他人に暴力を奮おうとしたことがある。どんなときでも睨みつけるだけだった桜木の、最初にして最後の攻防戦だった。
構図は実に単純。一人でダメなら皆で。力がダメなら策略で――数人の女子が結託して、桜木の大切にしていた持ち物を隠したのだ。
それが見つからずに、桜木は相手を追い詰めた。犯人を一方的に決めつけて、喧嘩をふっかけた。
「出しなさいよ!」と桜木が言えば、「はあ? なに言ってんの、こいつ。とうとう頭おかしくなったんじゃん?」と女子がからかう。
「あんた達が犯人って、わかってるんだから!」と桜木が指摘すれば、「犯人とか、やばくね。言いがかりすぎて、気持ち悪いんだけど」と皆で嘲笑する。
俺の席は、犯人の女子の近くだったし、お互いに強い感情が発生していたから、どんなに耳をふせいでも、お互いの気持ちが頭の中に流入してきた。
なんと醜い感情だろうか。輝きを放つ桜木の心が、汚されていく。真っ白な紙が、汚れた手でぐしゃぐしゃに握りつぶされていくようだった。
周囲もざわつくが、教師を呼ぶものはいない。そもそも桜木有栖には皆がなんらかの陰性感情を持っているのだ。率先して助けようとするものはおらず、むしろ一部は面白がってさえいた。
今回に限っては桜木の行動も軽率だった。確証を示せないのに、いきなりつっかかってしまった。
もちろん桜木は確信を得ているのだろう。自分の鞄が四時限目の体育中に荒らされていることにすぐに気がついたし、無くなっているものも判明している。加えて、すぐにやってきた昼休みに女子たちがこちらを見てくすくすと笑っていた――材料はそろっているのだから、この騒動も必然的で、むしろ犯人の女子たちも、騒ぎになるように、昼休み前に仕掛けたのだ。
しかしそれは、桜木にしかわからないこと。周囲が騒動のスピードについていけるわけがない。普通は心を読めるやつなんていないのだ。
だが――俺だけは普通じゃなかった。
この学校で、この教室で、この騒動の中で、唯一、俺だけは異質だった。そんな俺からすれば、どう考えても、桜木有栖は被害者にしか見えない。
先ほどから俺の頭の中には複数人の女の声が響いている。
(絶対に見つからないしね。隣のクラスに預けたから)
(あとで見つかっても、トイレの中に落ちてるわけだし? 便器の中に落とすとか、最高だ~)
(一方的に悪者にして、パパとママに出てきてもらえば終わりだよね。まじ、おもしろ)
(アクセを持ってきちゃいけないのに、持ってきてる奴が悪いんです~ってね)
クソみたいな感情。汚物みたいな人間性。
そして唯一の優しい精神。それは光り輝く、小さな声。
(……パパにもらった、大事な髪飾りなのに……私が、負けないように頑張る、お守りなのに……!)
でも、誰にも伝わらない。誰にも聞こえない。
本当に?――答えは、俺だけが知っていた。
桜木は叫んだ。
「あんたらがやってんの、わかってんだから! いいから早く返しなさいよ! こんなの絶対、許さないんだから!」
周囲は興味津々。
でも近づかない。
俺の席は、争いの場のすぐ隣。
くすくすと余裕の笑みを浮かべる、悪人たち。
そして――限界はやってきた。
「返しなさいよっ――」
桜木が手を振り上げた。
感情が流れ込んでくる。
(わたしは負けない。こんな奴らに、負けないんだから――)
我慢なんて、毎日していたのだ。限界なんて、すぐにやってくるにきまっていたのだ。
叩かれるだろう女子は、恐怖と愉悦の混じった感情を周囲に発散しまくった。
(勝った、勝った、勝った。私の方が優秀だった! こいつが叩いてきたら、わたしはコイツに勝ったことになる……!)
頭の中にぐさぐさと、鈍色の刃が突き刺さる。切っ先にはまるで毒が塗ってあったかのように、俺の神経を逆なでた。清い光に照らされながら、なんとかここまでやれてこれた俺の精神が、泥水のような感情で、頭のてっぺんから足の先まで、綺麗に、汚く、染まっていく――。
(わたしのほうが優秀だ!)
うるせえ。
(わたしのほうが可愛いんだ!)
うるせえ。
(こんなやつ、消えちゃえばいい!)
ああ、ほんとに、うるせえな!
知ってたさ。
限界だったのは、桜木有栖だけじゃあない。
俺は思わず立ち上がり、叫んだ。
「……少しは黙れよ! くそ女!」
桜木の手がぴくりと止まった。
教室が静寂に包まれる。
時間停止の魔法をかけたように、誰も彼も動かずに、新たな登場人物に視線と思考を奪われていた。
でもそれも一瞬。
俺が「黙れよ」と言った相手は、他人からみれば、叫んでいる桜木有栖以外には考えられない。
仕掛けていた性悪女たちは、他人の介入に驚きながらも、すぐに喜び始めた。関係のないやつが、客観的に、自分たちの優劣・正否を決めてくれたのだ。うれしくてしかたがない。
クラスで遠巻きに見ていた奴らも、状況を理解し始めて、驚きの表情を浮かべている。
そりゃそうだろう。
日頃、図体がでかいだけで、特に誰とも話をしない無害認定されていた奴が、いきなり叫び始めたんだから。
争いはストップした。と同時に事態は急変した。こんなに煩かったのにこなかった教師は、俺が一度叫んだだけで、誰かが呼んできた。
教室内で突如始まる裁判。
悪者は桜木有栖。
俺が叫んだことによって、天秤が傾いたと信じている教室内の生徒たち。
桜木の表情は毅然としていたが、心を針でつついたら、涙は下へと零れ落ちていくだろう。
ふざけるな、と俺は思った。
世界にも、世間にも、人間にも、そして――桜木有栖にも。
いつだって戦ってきた、清く正しいお前が、こんなことで泣いてどうするんだ! くそみたいな奴らに負けたらダメなんだろうが! お前が頑張っていることは、お前自身が証明しなきゃ、どうにもならねえだろうが!――俺はそうして、自分に課したルールを破ったのだ。
下を向く桜木。
勝ちほこった女子連中。
俺は誰よりも先に教師に訴えた。
早口ではなく、しっかりと地を踏むように言葉を並べた。
「桜木は被害者です。こいつらが犯人です。俺はすべてを知っています。隠し場所も、何を隠されたのかも、どうやって、どいつが、どう結託して、桜木をハメたのか――あ、ついでに、こいつら万引きもしてますし、大人から金をもらって交際もしてますね。いいですよ、俺は本気です。こいつらの頭の中の全てを吸い出してやります。俺には何も、隠せませんから」
教室内の空気がふたたび固まった。先ほどの比ではなかった。まるで教室内がジオラマになってしまったかのように、皆がそれぞれの役割のまま、固着していた。
そうして俺はその日から、女子連中の全ての罪を暴いた。
ついでに桜木を糾弾し、犯人グループを擁護しようとする教師陣の悪事もあばいてやった。
裁判沙汰にしようとしたエリートな親たちの犯罪を週刊誌に売りつけようとまでして――家族に止められて、俺の暴走は終わった。やられたから、やりかえすという行為は、行き過ぎても悪となることを知った。
あのときの事件は、いまだに中学校や関係者の間で伝説として語り継がれているという。
そりゃそうだろう。たかが高校生が、世間には決してバレないはずの秘密を暴露していき、教室どころか、学校どころか、世界を相手にして立ち回ろうとしたのだ。そう考えると、社会的に消されてもおかしくはなかったのだから、地域の噂になるくらい安いものだろう。
まあ、でも。
仮に消されていたとしたって――俺は後悔しなかっただろうし、今も後悔はない。
桜木を救ったことも、そして自分が決めた『能力に頼らない』というルールを、他人のために簡単に破ってしまったことにも、後悔なんて生まれなかった。
話は戻るが、結局、桜木が大事にしていた髪飾りは、当日中に本人の手の中に戻ってきた。
教師から「今回は見逃すが、次からは持ってくるなよ。アクセサリー類の持ち込みは禁止だ」とお小言をもらっても、珍しく嬉しそうにしていた。
そういえば、あの時だけは、桜木の言葉と心が一致していたっけ。
助けた数日後のことだ。
俺は机につっぷして昼寝をしている――ふりをしているだけだったが、そんな俺の前で、桜木は小さく呟いたのだ。
「この前は……、たすけてくれて、ありがと……」
(ほんとに、感謝してる……)
ってな。
もちろん俺は寝たふりをし続けて、こんな会話は存在しなかったことになっているけども。
ちなみに、教師から「持ってくるな」と言われた髪飾りが、そのあと、卒業式までしっかりとバッグの中敷の裏に隠されて持ち込まれていることは、俺しか知らなかったことだ。
……無理やり心を読んだわけじゃないぞ。
あいつの『気持ち』が強すぎるのが悪いのだ。
◇
そう考えると、俺と桜木の関係は、あれがキッカケだったのだろう。
あの事件の後から、桜木は俺に近づいてくるようになった。即刻なにかが変わったというよりも、じわじわと距離を詰めてくる感じだった。
まあそれも中学卒業と同時に終わるだろう――と思っていたら、まさか高校まで一緒になるなんて夢にも思わなかったんだけどさ。
◇
高校生活も順当に進んでいった。
桜木は相変わらずの様子で、プリントを雑に渡すふりをして、俺の指先に触れようとし、その度に「っち」と舌打ちをする。
で、俺の頭の中に声が響く。
(連続おさわり記録が十五日に伸びた! ギネスに申請しようかな……でもわたしだけの記録にしておきたいな……)
ギネスも困るからやめておけ。
もちろんそんなことは言えずに、俺はまるで被害者のように奴の罵倒を受け続ける。
周りからなんと言われようと、弁解はできない。なにせ相手の心を読んでいるからこそ、成り立つ関係だ。これは、俺たちだけの関係なのだ。
高校三年の時のことだ。なんの因果か、俺は生徒会副会長になった。
会長はだれだよ、って? そりゃもちろん桜木有栖以外に居るわけがないだろう。
暴風雨みたいな存在。けれど雨は大地を潤す。桜木の生徒会立候補演説にはパワーがあった。皆が酔いしれたように聞き入った。無茶な公約ばかり口にしていたが、それでも桜木なら現実のものとしてくれそうな力強さがあった。
おまけに副会長の俺の票数まで確保するかのような論法で、ライバルたちを蹴落としていったのは、巻き込まれた立場とはいえ、横から見ていて痛快だった。
結果、俺は何もしてないのに当選し、ちゃっかりと内申点を稼げるポジションを手に入れたのだった。
選挙結果、発表後。
夕日の差し込む生徒会室で、桜木は口を開いた。
「あんた、感謝しなさいよね。内申点もらえんのよ。大学も推薦でいける可能性があがってよかったじゃない」
怠け者を見下すような物言いだったが、俺にはしっかりと本心が聞こえていた。
(はぁ……二人とも当選出来て、本当によかった……。これでもっと、二人でいられるし……あ、そうだ。会計とか書記とか、わたしひとりで出来るし、全員クビにしようかな……?)
それはダメだろ……。
本当にこいつと一緒に居ると、暇な時間がない。いつだって俺はペースを乱されて、他の事を考えられなくなるんだ。
だから、時間はあっという間に過ぎていった。
学生生活は、すぐに終わってしまいそうだった。
高校までは一緒だった俺と桜木も、大学は間違いなく別々になる。
なぜならば――聞いて驚け。
桜木は『医者』になるために医学部を目指し、見事に難関大学に合格していた。
周囲は「桜木が人を助ける職業につくって、まじかよ……」なんて驚いていたけども、俺は驚かなかった。
意外でもなんでもない。桜木はいつだって人を助けるような暖かな心を持っていたからだ。
ちなみに俺はといえば、実家から通える範疇の普通の私立大学。加えて、副会長職で頂いた内申点でちゃっかりと推薦合格。
使えるもんは使わないとな。もちろん、状況によるけれど。
◇
さて。
高校生活の話もそろそろ終わりとなる。
それは二人きりの生徒会室でのことだった。桜木は忌々しそうに舌打ちをしていたが、もはや恒例の態度なのでむしろ親しみさえ覚えていた。
何をしたって、最後の日だった。
夕日の差し込む室内をぼんやりと見ていたら、この三年間も悪くなかったよな――なんて思えてしまうから不思議だ。
桜木は趣味なのか、綺麗な顔をわざと歪めて、こちらを見た。
「これであんたの面倒を見るのも最後ね。色々と手伝ってあげたわたしのことを、一生胸に刻んでおきなさい。ちなみにわたしの新居はあんたの実家から西側にあるから、そっちに足向けて寝るんじゃないわよ?」
「俺が助けていたほうが断然多かったはずだけどな……」
「あんたなんて、わたしの足下にも及ばないんだから。助けさせてもらって感謝してます、ぐらい言いなさいよ。大学、推薦で受かったのは、誰のおかげなの」
「感謝してます……」
「ふん。それで良いのよ。忘れちゃダメだからね」
「忘れようとしても、忘れられねーよ」
「……どういう意味よ」
「そのままの意味だよ――さてと。じゃあ、そろそろ行くか」
俺はバッグを背負った。椅子から立ち上がり、帰宅の意思を見せた。
「最後まで、適当な男ね……」
「最後まで適当で、悪かったな」
「別に、気にしてないけど……」
「そうか。なら良かったよ」
今日は本当に最後の日なのだ。
ようするに、卒業式の日ってこと。
俺たちの腐れ縁も、これにて終了だった。
(……だめ。いかないで……)
唐突に声が聞こえた。
でも俺は聞こえないふりをした。
「じゃあな、桜木。これで本当にお別れだ」
「……わざわざ言わなくても分かってるわよ。あんたも、大学でも頑張りなさい」
「桜木もな」
「わたしは言われなくても、頑張るの」
「そうだったな」
(やだやだ……、まだ一緒にいたい……!)
俺は何も聞こえないふりをする。
そもそもこれは本来、聞こえてはならない声なのだ。
俺だけに許されているルール違反。
(ねえ待って! わたし、あなたに伝えたいことがあるの……!)
俺はなるべく気楽に聞こえるような声を出した。
「医者になるのは大変だろうけど、桜木らしいと俺は思うよ。いつか俺が死にそうになったら、助けてくれよな」
「お金があれば助けてあげる。貧乏ならそのまま死になさい」
「ヤブ医者か……」
「うるさい! 早く帰りなさいよ!」
「はいはい。言われなくても帰りますよ」
どこか顔が赤くなっている桜木を置いて、俺はドアへと歩を進めた。
背後から、息を飲むような音がきこえる。現実の声はせず、しかし頭の中で、心の声がガンガンと響いていた。
(……待って! 待って! わかった! 振り返ってくれたら、告白、する……!!)
(だから、こっちを向いて! ずっと、ずっと一緒にいさせて!)
(ごめん、ごめんなさい、神様。最後に、最後にわたしにチャンスをください……!)
俺には、
何も、
聞こえない――。
俺は振り返らなかった。視線は前に固定したまま、ずっと伝えようと決めていた思いを、ゆっくりと言葉へ変えた。
「なあ、桜木」
「な、なによ」
「一つだけワガママを聞いてもらいたいんだ」
「は、はあ? なんでわたしがあんたの――」
「――お前の携帯の番号、変えないでくれよな。ずっと、ずっとさ。俺、いつかそれに掛けるから。だから、出てくれよな、そんとき。約束だからな」
「え? それってどういう――」
「じゃあ、バイバイ。毎日、楽しかった」
「あっ――」
困惑と焦燥が混ざり合った感情を置き去りにして、俺は走った。
高校生活は今日、終わった。廊下を走って注意されても内申点は下がらない。もう何をしたって、何が変わることはない。どうだって良いのだ。
俺と桜木の楽しい時間は、これで終わりなのだ。
強く、美しく、自分にどこまでも厳しい、俺の『初恋』相手との毎日は――いま、間違いなく一つの区切りを迎えたのだった。
◇
時の経つ速度は、恐れていたよりも早かった。
最後の生徒会室――桜木を置き去りにして、高校生活を終えたあの時から、既に三年が経とうとしていた。季節は冬。雪の積もった街中に、春の色は見つからない。
大学卒業はまだだが、就活からは目を逸らせない。俺は将来をぼんやりと考えながらも、しかし一つの決意を胸にスマートフォンを手に取った。
人生はあまり楽しくはない。正直にいえば、ヒマだ。きっと高校生活が楽しすぎたから、こんな感覚に陥っているのだろう。
でもそれも今日で終わりなのだ。一区切りと入れ替わりにやってきた、新しいスタートだった。
暗記までした数字の羅列――桜木有栖の携帯番号。
コール音はしっかりと鳴る。
約束は果たされていた。
番号は変わっておらず、長い待ち時間のあとに、『……はい、もしもし、桜木ですけど』と懐かしい声がした。
俺は「ひさしぶりだな。覚えてるか?」と前置きをしてから、本題に入った。
「なあ、桜木。久しぶりに会って話せないかな」
◇
話は円滑に進んだが、さすが医者を目指しているだけあって、桜木との時間調整は難航した。
結局、俺たちは三月に再会することとなった。
約束の日は、よく晴れた暖かな日で、例年より早く開花した桜が頭上を染め上げていた。
まるで卒業式のようだったが、俺たちはもう高校を卒業している。昔のままの俺たちではないのだ。
先に待ち合わせ場所に立っていたのは俺のほうだった。
とにかく緊張していたから、一時間前から桜の木の下で突っ立っていた。
約束の時間は近い。だが約束が果たされる確証は、ない。
五分前――俺の心配をよそに彼女は当たり前のようにやってきた。白いワンピースに春色のカーディガンを羽織っている。金色の髪と青い瞳は昔のままだが、随分と大人びた印象だった。
「……久しぶりね」
俺は咄嗟に言葉を返せなかった。三年ぶりに見る桜木有栖は、より一層、美しくなっていた。
壮絶、といってもいいかもしれない。
何が彼女を強くしたのかはわからないが、高校生の時とは見違えて美しく、強い。
俺は紙で指先を切ってしまったかのような痛みを覚えた。同時に不安も生まれる。
胸がバクバクとして、相手の行動の全てに意味を見出そうとしてしまう。裏の裏の裏を読もうとして、思考が定まらず、相手の視線から意思をくみ取ろうとしてしまう――でも、それが当たり前なのだろう。相手にどう思われているかが分からないことは、本来、そういうものだ。
勘のいい奴ならわかるよな?
ようするに今の俺にはもう、桜木の心の声は聞こえないのだ。
二十歳を超えて、俺の能力は衰退し、そして先日、完全に消えた。親父から聞いていた通り、俺は相手の心の声を聞けなくなっていた。能力が終わりを迎えたのだった。
もちろん、それに頼ることなく生きると決めていた俺は、焦らなかった。
だがその代わり、別の約束が顔を出した。桜木への想いの決着を、俺はつけなければならない。
ああ、認めるよ。
俺は桜木有栖が大好きで、一目見たときから、その力強さに全身を強く打たれてしまった。まるでハンマーで頭を叩かれたみたいに失神しそうなほどの衝撃だった。
クソみたいな嫉妬や、怒りや、不満ばかりを抱えている人間の中で、桜木はその容姿に負けないほど、美しい心をしていたのだ。
人の悪意に負けまいと戦う精神は一見すると攻撃的だが、心の中はただただ清らかだった。
泥水の中に特大のダイヤモンドを見つけたみたいだった。その出会いをきっかけに、人生は変わった。俺は一方的に桜木の精神に救われていた。澄んだ泉に水を飲みに来る動物のようなものだった。
桜木は俺を好いてくれていたようだが、事実、俺も桜木の傍に居ることで安定していた。
なら高校生のときに告白しろよ、って思うよな。自分の気持ちに嘘をついていたのかよ、って。
でも――違うんだ。
ちゃんとした理由がある。
考えてみてくれ。
これは絶対に成功する告白だった。誰がどう見ても失敗する可能性が高い話であるはずなのに、俺にとっては確実に成功してしまう告白なのだった。
俺は頼ってはいけなかったはずの能力で、相手の気持ちを知ってしまったんだ。どのタイミングでも成功することを知っていた。
だからこそ告白なんてしちゃいけなかったのだ。
俺にとって、桜木有栖への告白は、ただの反則勝ちだった。
勝てればどうでもいいだなんて、思えなかった。成功しても、その後が悲惨だ。間違いなく、能力がなければ、桜木有栖と対等に付き合えなくなってしまうだろう。
何をするにも、何を話すにも、不安で不安で仕方がなくなり、桜木が俺みたいななんの取り柄もない人間を、なぜこんなにも好いてくれているのか――なんていう確証ばかりを求め、相手を責め、苦しめ、そして破綻させてしまうだろう。
だから俺はじっと待っていたのだ。
相手が何を考えているのかが分からなくなるまで。
俺の告白が成功するか、しないか、わからなくなるまで。
能力が完全に消えるまで――俺は待っていたのだ。
俺は深呼吸をした。春の香りが肺を満たす。
桜の花びらがひらひらと舞い落ちる中、桜木は相変わらずの憎まれ口を叩き続けていた。
きっとそうしないと何かが壊れてしまいそうで怖いのだろう。
でもそれが普通。
相手の気持ちがわからないのが、当たり前なんだ。不安になるのは、なにもおかしいことじゃない。
桜の木の下で、花のように綺麗な桜木が眉をしかめる。まるでネタみたいなシチュエーションだが、俺に取っては夢にまで見た光景だ。
「あんた、久しぶりに見ても、あいかわらず、ノロそうな図体してるわね」
「なあ、桜木。再会して早々で悪いんだけど――俺の話をしてもいいかな」
「あいかわらず人の話を聞かないのに、なぜか会話を成立させるわね……あんた、久しぶりに会ったのに、何も変わってない……」
「ずっと言いたかったことがあるんだ。中学のころから思ってたことだ。今日、呼んだのはそれを伝えたかったからなんだけど、聞いてくれるか?」
「い、いきなり、なんの話?」
風が吹いた。
桜の花が舞った。
俺は言った。
「中学のころから、ずっと好きだった。桜木に救われてたんだ。だから、もし良ければ――俺と付き合ってもらえませんか」
「……え?」
爆弾みたいな発言。
俺がずっとずっと伝えたくて、でも伝えられなかった本当の気持ち。
心の声を言葉へと変えることが、こんなにも大変なことだったなんて、昔の俺は知らなかった。
人と人の繋がりは、心と心をケーブルで接続するみたいに簡単にはいかない。自分の心を捉え、実感し、言葉へと変換させて、相手に伝える。それを毎日毎日繰り返す。その果てに、きっとこういう日が待っているのだろうということを予感しながら、歩き続けるのだ。
桜木は口をパクパクとさせていた。発言はなく、俺の心は不安に押しつぶされそうだった。
情けない確認が口をつく。
「ダメか?」
「ダメ、っていうか……あの、そうじゃなくて……あの、ほんとは、わたしも……」
プライドを人間の形に組み立てたみたいな存在の桜木有栖は、その表情を茫然とさせ、そして驚きに染め、なぜか怒ったように真っ赤にさせて――それから困ったように泣いて、頷いた。
心の声はどこからも聞こえないが、どこからか鼻水をすする音はした。
――どうやら俺も泣いているらしい。
FIN
【短編】教室の嘘、桜の下の涙。 〜孤高のツンデレ美少女の心の声が俺の頭にだけ響いてくる〜 天道 源(斎藤ニコ) @kugakyuu
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