第92話 未来の地獄を歩む

 渋谷には生き残った人間たちも暮らしている。

 妖物が潜む市街地から逃げ延びて、深緑に包まれた渋谷で幾分か人間らしい暮らしをしていた。

 名も知れぬ奇怪な木々には果物が実っていたし、危険な妖物はいない。食うに困らず、真亜子たちが喜ぶものを用意すれば、それ以上の利益も得られた。

 数少ない生き残った人間たちは、幾つかのリスクを承知で渋谷で安息の日々を過ごす。



 小夜子、ギャル谷、元の姿に戻ったガラル氏は渋谷の街に入り込んでいた。



 外界から遮断するように街を覆う木々。まさに大森林の様相を呈した渋谷センター街。

 あらゆる建築物に絡みついた草花が美しく咲き乱れ、木漏れ日が差し込む緑の渋谷は、マイナスイオンに包まれた武陵桃源ぶりょうとうげんであった。


 センター街を歩くギャル谷は渋い顔をしており、ガラル氏は嘲りの混じる忍び笑いを漏らしている。


「小夜子サマ、ここはすでに地獄の様相ですな。街を覆う人惨果にんじんかとは、この地獄に適応したというべきかもしれませんね」


「真亜子め、まさに人類の天敵じゃの」


 人惨果にんじんかとは、仙道が追い求める神秘の果実。

 赤子に寄生する冬虫夏草、または、赤子を養分にして育った木から取れる果実を人惨果と呼ぶ。

 邪悪な樹霊や魑魅すだまに赤子を捧げることで得られる忌まわしき神秘であった。


「サヨちゃん、ここ、ちょっと無理っぽい。凄い気持ち悪い」


 ギャル谷の顔色が悪い。

 小夜子の指先がギャル谷の額にそっと触れた。


「あ、楽になった」


「瘴気にあてられておったんじゃ。しばらくは持つであろう」


「ありがと。サヨちゃん、ここの真亜子ちゃんってもうダメなんだろうね」


 ギャル谷の顔には苦い表情が浮かんでいる。

 現実を受け入れた時にする顔だ。誰でも、いつかはこんな顔をする日が来る。それが、小夜子には気に入らない。


「ほほほ、わらわを甘く見てはいかんぞ。死人を生き返らせることはできんが、それ以外ならば! わらわに不可能なぞあるものかや!」


 そんな物言いにギャル谷は呆気にとられた。口を開くが言葉が出てこなくて、少しだけ固まる。それから、笑顔を浮かべた。


「うん、そうだね。サヨちゃんは、そうだった」


 一つ目仮面の異世界魔王は音を出さずに笑う。

 魔王はいつも勇者を求めている。昼と夜が互いを喰らい合うように、半身を求めているからだ。

 ガラル氏が求めるそれは、いつも人間の内にある。


 旧壱〇九ビルへと進む道すがら、ここに住む人間の女に話を聞けた。

 小夜子たちを妖物と見たものか、最初はひどく怯えられた。なだめた後に、持っていたカンパンを渡すと、おっかなびっくりという様子でここがどのような場所であるか教えてくれた。


 女はここに来て半年ほどが経つという。

 身綺麗で栄養状態も悪くない様子だが、人惨果のような穢れたものを食べているせいか、身体から妖気を放っていた。


「外は地獄みたいな有様で……食べ物もなくて生きていけません。ここに逃げて来てから、果物を食べたりしてなんとか生きています。真亜子様たちが人を攫うことはありますけど、アクセサリーを作って献上したり、服を造ったりしたら食べ物をくれることもありますし、生きていくには外よりもいいんです」


 女はどこか疲れた顔で、弱々しい笑みを口元に刻んだ。そして、言葉を続ける。


「でも、ここの木になる果物は、マンゴーみたいな味なんですけど、食べ過ぎると気が狂います。それに、真亜子様に連れて行かれた人は帰ってこないんです。でも、外にいるよりもずっと……ここが安全でいいところなんです」


 この女も、帰ってこない者がどのような末路を辿るのか、ロクなものではないと分かっている。


「左様か、時間をとらせたの」


 一行と別れる時、女は意を決した様子で声を絞り出した。


「どうか、ここをこのままにしてください。外よりも、生きていけますから」


 小夜子は答えず、ギャル谷は何も言わず、ガラル氏は無反応だった。


 鳴髪小夜子が言うように、ここは地獄と化した世界だ。それでも生きようとしている者がいる。たとえ、家畜の生き方だとしても、それを選ぶしかない。


 旧壱〇九ビルは蔦に覆われているのに、自動ドアだけは生きていた。

 入り口の前には着飾った真亜子が数人いたが、小夜子たちには目もくれず声を出さずに話し合っている。

 真亜子と真亜子が、声を出さずに身体をこすりつけ合って戯れる姿は、蟻同士が触覚を用いて何かを相談している様に似ていた。


 ガラル氏は小さく笑う。


「くく、ふふふ、淫魔共の言葉で少女のようなことを言い合っていますな。滑稽な生き物ですよ」


「虫となるのが進化かや。この世界に適応したというのなら、間違いでもあるまい」


 小夜子は言いながら、真亜子を駆除する方法を考える。きっと、やれないことは無い。しかし、それは大きく気持ちを曇らせるものになるだろう。


「真亜子ちゃん、あんな感じで笑えるんだ。そっか、猫被ってたのは知ってるけど、あんな感じでいてくれてよかったのに」


 そうであったなら、友達になれなくても人を操るような女ではなかっただろう。と、ギャル谷は思う。


「どういうつもりか知らんが、今は敵だと思われておらんようじゃ。呼ばれておるし、行ってみるかの」


 旧壱〇九、今は真亜子の巣へと一行は進む。

 どのようにしたものか、電気を使う照明は崩壊前と同じように生きていた。だけど、内部は木々が生えていて迷路のようになっている。


 小夜子はエレベーター前に生えていた木に触れて、それが何かを知った。

 人間を木に変えるなど、まともな行いではない。人を改造するのは魔道の徒がよくやることだが、そんなものとは根本的に違っている。これは転生や変生、つまりは奇跡によるものだ。

 淫魔ごときにできる行いではない。


「む、あっちか」


 声無き声が、小夜子を呼んでいる。

 ギャル谷は空気を読んで黙っていたし、ガラル氏は油断なく彼女たちを護るように付き従う。

 緑色の迷宮には様々なものがあった。

 半ば樹木と同一化した人間や、淫魔の死体から生えた草花。

 声を使わずに歌い踊る真亜子たち。

 楽し気に踊る真亜子たちは無邪気に笑っている。言語を必要としない社会性昆虫の特性を宿した新たな人類。


 ギャル谷が小夜子の手を握った。


「ごめん、ちょっと怖いから」


「ん、ああ。よいぞ」


 人の手は、こんなに柔らかい。

 地獄の未来はあまりに冷たくて、ギャル谷の手の温度が小夜子にはとても愛おしく感じられた。


 手をつないで歩き、たどり着いたのはコインロッカーが並んだ地下鉄との連絡通路である。

 巨大な木がそこにあり、その根元で人が木に同化していた。


「待っていたよ、異界の邪神」


 男とも女ともつかぬ声は、【最初の人間】ハジメのものだ。

 樹木に囚われた姿に、完璧な存在であるはずの威厳は無い。そこに力など無く、死を待つだけの弱々しい存在であると一目で知れた。


「間宮小夜子じゃ、そなたは何者であるか?」


「最初の人間、……ハジメと名乗っていたよ」


 小夜子が視るところ、この妖気漂う樹木はハジメの肉体を侵食している。もはや、それは止められる段階を過ぎていた。


「淫魔に造られたモノか。それが死にかけで何をしておる」


 ハジメは小夜子を見つめた。そして、薄く笑みを浮かべる。


「僕に、触れてくれ。何があったか、それで分かる。すまないが、真亜子を助けてやってほしい」


 小夜子の顔が険しくなる。


「この惨状、お前がやったに相違あるまい。いまさら、何を助けろというんじゃ」


「こうすれば、真亜子が苦しみから解放されると思ったが、それは僕の間違いだった。時間が無いんだ。頼む、触れてくれ」


 どうすればいいのか、小夜子の身体は勝手に理解していた。

 そっとハジメの額に手を伸ばして触れる。

 大いなる高次元生命であるエリンギ様よりもたらされた超次元菌糸が、ハジメと小夜子の存在を接続する。

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