第16話 小夜子? と異界の公道レースと伝奇バトル

 尽きない夢を追いかけて、かつてはハンドルを握っていた。

 あれから何年も経って、二種免許を取得した彼女はタクシードライバーとなった。

 結局のところ、尽きない夢なんてものはていのいい言い訳で、やれることがそれしかなかっただけだ。

 車の運転だけは得意だったこともあって、気楽な毎日を送っている。


 妙な客を拾うようになったのは、いつからだっただろうか。


 女教師だという巨乳女を乗せたり、魔法使いみたいな帽子を被った黒衣のどえらい男前を乗せた辺りだったか。

 何かきっかけはあった気がするが、思い出せない。 

 妙な客に当たると、山道でバケモノから逃げきれだとか、幽霊が運転する車を振り切れだとか、そういうことが起きる。

 最初は驚いたものだが、もう慣れてしまった。

 バケモノが車のケツに張り付いても、彼女は怖がらない。

 車に乗ってさえいれば、絶対に振り切れるし、なんなら事故らせてやることだってできる。

 相手はバケモノだ。かつてのライバルたちとは違う。


 走り屋じゃなければ、怖くない。


 レースはいつだって命がけ。

 高速道路で中央分離帯に乗り上げたら、死ぬ。ハンドルを少し切り損ねても、死ぬ。そんなことを競い合ってしてきた。

 バケモノは命を賭けていない。ただ速いだけなんて、公道レースじゃ雑魚でしかない。


 こんな妙なことになったが、ワリの良すぎる仕事だった。

 不景気なご時世に遠距離まで迎えの指名。しかも、帰り道の料金まで支払ってくれる上に現金で全額前払い。延長したら追加報酬。

 年嵩の事務員さんなど、バブルのころを思い出すと電話を受けただけなのにはしゃいでいた。


 なんとなくヤバそうな気はしていた。彼女はこの勘の良さに何度も救われている。


 不思議と、断ろうという気はしなかった。

 ド下品和服の怖いくらいキレイな女の子。


 たこ焼き屋で美味しそうに食べていたところを覚えているからかもしれない。

 相当な変わり者だけど、キャラを演じているような不自然さはなかった。壮絶に変なお金持ちのガキ。


 不思議な縁だけど、タクシードライバーは妙な縁の繰り返し。

 客が身の上話をすることだってあるし、成功者と負け犬を同じ日に拾うことだってある。それが、今日はバケモノに追われている女だったってだけ。

 ヤクザに追われているヤツよりはなんぼかマシだ。




「やるやんけ」


 タクシードライバーは呟いてサイドミラーをちらりと見た。

 化け物のくせに、空気の抵抗のかからない位置をキープしてくる。

 相手のクソ古いマークⅡは、廃車寸前で明らかな整備不良。こっちのタクシーは、乗り心地優先で最高速度は知れたもの。

 

「あんぜっ、安全運転してぇっ」


「あきませんて。あんなんに追いつかれたら何されるか分かりませんし」


 タクシードライバーの口元が弧を描いた。


 なかなかやるバケモノだ。

 ギリギリを攻めていないと、この感じで追いすがることなどできない。

 走りの癖からして、二輪から始めて四輪に転向した峠の走り屋か。

 二輪ですでに命知らず。慣れているから四輪でもそれをやれる。そんなヤツ特有の危ない運転だ。


 若かったあの日、もっとヤバいことをしていた。


【いつだって命駆いのちがけ】


 若き日の黒歴史。わざわざステッカーまで特注して、自らの名言を車体に貼っていた。

 クソ馬鹿だったあのころに出会っていたら、いいレースになっていただろう。


 タクシードライバーは自転車に乗れないし、バイクもダメだ。

 彼女は四ツ輪よつわだけに才能があり、それは人間という種の多様性が作り上げた最高峰に位置する可能性の一つである。


「ちょい揺れますから、口をぎゅっと、歯を食いしばる感じにして下さいね」


 どうしてかは分からない。

 彼女は、その時が分かる。

 いつもという訳ではない。ただ、絶対に必要な時に、それを引き寄せる。

 勝負が決まる瞬間や、大きな潮目になるタイミングが、予知したように分かる時がある。


 その感覚が、来た。


 追いすがる怪物はこちらの集中がきれたものと見るだろう。


 ハンドルを切れば、突如として吹いた突風。


 タクシードライバーのそれは、予知の領域にあった。

 ドンピシャで風を受け流すように切ったハンドルで、本当ならガードレールに追突するはずだった車体は見事に車線に納まった。


 背後を走っていたバケモノは、突風によりガードレールに突っ込むところだ。


「ええ走りやったで。せやけど、命で駆けてへんヤツに負けられんのよ」


 そんな独り言が、相手に届くはずもない。


 ガードレールに突っ込んだマークⅡは、廃車寸前から完全な廃車となって停止していた。

 運転席のバケモノは、自分が死んだことを30年経過してようやく理解したところだ。

 死を受け入れたことで、存在が変質していた魂魄が、元に戻っていく。

 もはや、どれだけ邪悪な神の息吹を受けていようと、こうなればただの魂魄でしかない。くべきところにくだけだ。

 遠ざかるタクシーに、彼は羨望の眼差しを向ける。

 タクシードライバーは、サイドミラー越しにそれを見た。


「来世で、またやろや」


 そんな言葉は届くはずもない。だが、彼が納得したというのは、どうしてか彼女には分かる。

 追いすがっていたバケモノはただの魂魄となり、そして、その存在は雲消霧散うんしょうむさんした。


 後部座席で聞いていた冴子の脳裏には「ヤバい」しかなかった。助かったと思っていたのに、まさかこんなことになるなんて。

 ポエムを捻りながら危険運転をするタクシードライバーに、冴子は戦慄した。





 そのようなことが母の身に起きているとは露とも知らない朱音は、誠士と共に食事をしていた。


 連れていかれたのは、とある山寺だ。

 東京からそう遠くない場所にこんなところがあったのかというくらいの、いかにも山奥といった風情の山寺であった。

 聖蓮尼せいれんにと名乗った尼が、お清めの後に精進料理を振舞ってくれるということになり、誠士も含めて道反一族たちと同席しての食事になった。

 板張りの客間らしき広間に通されると、すでに良い匂いが漂っている。


「今日は、若い人にも美味しく食べられるよう工夫しました」


 聖蓮尼が配膳してくれたのは、豆腐ハンバーグをメインとした洋食だった。

 肉は一切使っていないというのに、全て美味しいものばかり。言われなければ、肉と信じて疑わないような代物だ。

 他には、豚汁風のお味噌汁や、山菜の和え物などがきょうされている。

 いただきます、の後に食事が始まった。


「美味しいな」


 ぽつりと、独り言のように誠士が漏らした。


「おっ、若がそんなこと言うなんて珍しいっスね」


 女子大生だという道反ちがえし一族の女が茶化す。


「若はやめて下さい。その言い方のせいで、ヤクザの二代目だと思われてるんです」


 退魔師として呼ばれる時、緊急の際には学校に黒塗りの高級車が迎えに来る。さらに、彼らが若などと呼ぶせいで、そんな噂がたっているのだ。


「ふふ、鋭い感じがあるから」


 朱音が言うと、誠士が笑みを浮かべた。


「朱音さん、人見知りの若がこんなすぐ笑顔を見せるなんて珍しいっスよ。普段から女なんて興味ねーって感じでしたから、いやあ、安心したっス」


「やめて下さいよ。俺がおかしいみたいだ」


 誠士とお調子者の女のやり取りに、隣にいる寡黙な中年男が皮肉気に笑う。

 道反一族は一枚岩ではないものの、誠士を盛り立てる一派には良識と確かな情がある。


「仲、良いんだね」


「あ、ああ。みんな、よくしてくれてるよ。天野さんは、最近引っ越してきたって聞いたけど」


「うん、両親が離婚しちゃって。あっ、その、暗くならないでね、そんな深刻な感じのじゃないから」


 深刻でない離婚など、世の中には無い。当人たちがどれだけあっさりしていても、深刻だからこそ別離に至っている。


『来るぞ』


 朱音の耳元であの声がした。


「えっ。なんでっ」


 突然叫んだ朱音に、皆が驚く。


「天野さん、どうしたんだ」


「いまっ、声がしてっ。何か来るって」


 朱音が言った瞬間、轟音と共に壁がぶち抜かれた。

 誠士と道反一族の二人が立ちあがって構えた。誠士は拳法らしき構え、中年男は銃を取り出していて、女はその両手に大ぶりな短刀を握りしめていた。


瓜子姫うりこひめじゃ。瓜子姫の香気こうきじゃ。母様かかさまの言うた通りじゃ。弟よ、我らの悲願が叶うぞ」


 鈴を転がすような、甲高い女の声。


「姉者、おるぞおるぞ。裏切者の末裔までおるぞ」


 今度は男の声である。


 壁をぶち抜いて現れたのは、異形の鬼であった。


 身長150センチほどだが、異様に太い逆関節の足を持った、赤い肌の鬼。その鬼が、女鬼を肩車していた。それが姉者と呼ばれた者であろう。

 その姉鬼は、白い薄絹を纏い、天女のように美しい顔立ちをしていた。額からは節くれだった大きな角が伸びており、その目は黒目と白目が反転したような瞳。そして、弟鬼に肩車された足は、幼子のように短く、足とは反対に腕は関節が幾つもあって、その身長よりも長い有様であった。


「まさか、手長足長てながあしながか」


 道反一族の男が言う。

 発砲を止めているのは、相手があまりにも強大な妖気を放っているからだ。うかつに撃ってしまえば、鎮める方法すらなくなるかもしれない。


「鬼さん、待つっス。何の用で寺に押し入るんスか。ここには毘沙門天びしゃもんてん様もいらっしゃるんです。せめて、外でやるのがスジじゃないっスか」


 女がやったのは説得ではなく、言霊ことだまだ。

 ルーツの古い妖物は強い力を持つが、こういった言霊で一時的に退けることができる、ということも時にはある。


「半妖がっ、裏切者がさえずるな。今のアタシらに言霊なんて効かんわ。カカカ、今ので枷が一つ外れたわいな。毘沙門天なにするものぞ! 弟よ、このままこいつらを喰ろてやろう」


「良いな良いな。流石は姉者よ。母様も瓜子姫だけ持ち帰ればよいと言うておった。食おう食おう。裏切者を喰らおうぞ」


 誠士が前に出た。

 二人が会話で時間を稼いでくれた間に、【けん】は終わった。手強いが、なんとかできる相手かもしれない。


『朱音よ、後ろに下がっておれ』


 声は囁く。


「若、これってヤバいっスよねぇ?」


 女が引き攣った笑みで言う。弱気な言葉とは裏腹に、両手にある短刀を強く握り込んで、女の口はすでに耳元まで裂けていた。

 彼女もまた半妖。口裂け女の血を引いている。そして、中年男もまた、額に開いた二つの目、合計四つの目で、銃の引き金をいつでも引けるよう狙いを定めている。


「二人とも、頼む。天野さんだけは守り通せ」


「きゃっ、やっぱりそーいうことっスか。お姉ちゃんは応援するっスよ」


「若様、もとよりそのつもりです」


 手長の口元が笑みに引き攣れた。


「クカカカ、話は終わったようじゃのう。人間はいつもそうじゃなぁ。今宵こよいはアタシらの時間だ。ここに神仏の加護はないぞ。忌々しい毘沙門天の目も、母様の猛気もうきに遮られて届かぬわ」


 姉鬼である手長の全身に妖気が充ち溢れた。

 あまりにも、強い。

 道反一族ですら相対したことのない、古い鬼。ある意味では祖先ともいえる手長足長。あまりにも強大な存在であった。


「対妖物柔拳術【如来活殺にょらいかっさつ】、その身に味わえ」


 誠士は気合の声を発することで、妖気を振り払った。

 不思議なことに、負ける気がしない。瓜子姫がいるからには、道反一族は負けられない。


『宿命か。気に食わぬな』


 その声は、朱音にだけ届いた。

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