第31話 31、恵科学賞
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「千、ただいま。新婚旅行から無事戻りました。報告終わり。」
恵は帝都に戻ると帝都大学重力遮断実験工場の千に会いに行った。
「お帰り、恵。楽しかった。」
「楽しかったわ。新婚旅行ってどんな気分になるのか前から興味があったの。」
「楽しくなって良かったわね。」
「ずっと二人で旅をするって相手の嫌なことも見る可能性があるでしょ。そんな時どんな気持ちになるのか心配していたの。でも周先生にはそんなことはなかったわ。」
「それが愛の為す技よ。恵はまだ『周先生』って言っているの。」
「へへ。決着をつけたわ。私は『あなた』って呼んであの人は『恵』って呼ぶことにしたの。」
「『あの人』ねえ。」
「そうそう、ゴラン洲で完首相に会ったわ。完首相もゴラン州民も千に感謝しているって千に伝えてほしいって。ゴラン洲での宿代は完首相が全部払ってくれたわ。」
「そう、良かったわね。ゴラン洲はどうだった。」
「道路は工事ばっかりでとても快適なドライブとはいかなかったわ。でもみんなの対応は穏やかだった。猜疑心がないように見えたわ。」
「未来に希望を持って発展途上ね。」
「そう、そんな感じ。完首相って千の不死を知っているみたいだったわ。」
「そうなの。ばれちゃったの。政治形態の勉強をしたいって言うから経済学部の時の本を渡したらその本の裏表紙に私の写真が写っていたの。しかも当時は珍しいカラー写真よ。曾祖母の千だって言ったのだけど疑っていたわ。」
「『この時代の千先生』って言葉を使ったの。内の人がその言葉に疑問を持ったので完首相も私も焦ってごまかしたの。完首相は千のことは他人には話さないわ。」
「そうでしょうね。人の心を読むのに長(た)けた賢い人だから。元は全州規模のデモ隊のリーダーよ。」
「そんな感じだったわ。なにか信頼感があるの。」
「新婚旅行は全州廻ったの。」
「危険そうな三州以外はね。新婚旅行は講演旅行でもあったの。色々な所で重力遮断物質の講演を頼まれていたんで一気に解決しちゃった。」
「まだ誰も作れていないの。」
「そうらしいわ。磁石を使うことも質問の答えの中には入れたんだけど、それに突っ込む人はいなかったわ。」
「研究者は自分の能力に自身を持ち過ぎてる場合があるから。プライドがあるのね。自分の考えを変えたくないの。と言うより、自分を変えるだけの自信が無いのかな。どんなに知識を積んでも天には届かないのにね。どこかでこれまでの知識で作った家を壊して新しい土台の上に家を作らなければならないの。重力遮断はそんな新しい科学のエポックよ。」
「科学エポックか。自分の名を残したいという有限の寿命を持つ人間の性(さが)は心配する必要がないわね。」
「恵の名前はずっと科学史に残るわ。」
「フライパネルはたくさん出来たの。」
「できたわ。ほとんど見ていないけど一日一個の自動生産だから1000個以上になっているはずよ。そろそろ売れる数ね。インターネットで限定発売するわ。売り先は限定しなければね。値段設定は難しいんだけど、少しくらい高くても売れるでしょうね。利益は財団を作って科学賞の資金にするわ。『恵科学賞』よ。」
「『恵科学賞』か。こそばゆいわね。それでどんな研究が『恵科学賞』の対象なの。」
「新しい科学分野を見つけた人とか作った人が『恵科学賞』に値すると思うわ。既存の分野を進展させた人は対象にならないの」
「いいわね。いくらで売るつもりなの。」
「そうねえ百万円では安いし、千万円では高いわね。恵はいくらがいいと思う。」
「千が百万円で安いって言うのなら百万円にしたらいいと思うわ。政府や大企業にとって百万円は安いのかもしれないけれど、普通の研究者にとってはギリギリ買える金額だわ。躊躇する金額だけど毎日眺めて新しい考えに心をときめかすと思う。万様から頂いたネックレスみたいにね。」
「百万円にしましょう。恵科学賞を取れる人を生むことが重要ね。」
「万様はお元気。何をなさっているの。」
「最近はお休みになる時間が長くなったわ。一週間以上眠ることがあるの。世の中の仕組みを変えたので安心なされたのだと思うわ。世の中がこの仕組みで安定したことを確認したら、また長い眠りに入られてしまうかもしれないわ。」
「千にとっては残念ね。」
「そうね。」
「千のそんな悲しそうな顔は初めて見たわ。私、妻になって初めて性交したの。本当に素敵だったわ。人類が子孫を作り繁栄するのが分ったような気がした。これまで味わったことがないほど心地がいいの。千は万様とそうしているの。」
「しているわ。万様がお求めになられた時とか万様が眠る前だけだけどね。」
「素敵だったでしょ。」
「素敵なんだけど、私は万様とお話をする方が好きだわ。」
「そう言えばそうね。私も研究の喜びの方が大きいのかもしれないわ。喜びの次元が違うのよね。」
「恵は同志よ。」
千は帝都大学のホームページの帝都大学重力遮断実験工場の欄にフライパネル販売の発表をした。
文面は次の様になっていた。
「フライパネル販売のお知らせ」
帝都大学重力遮断実験工場は重力遮断物質の販売を次の要領で行います。
販売対象物:フライパネル。(方形、縦十㎝、横十㎝、奥行5㎜)
販売数:千枚。
能力:重力加速度の遮断。(一枚で少なくとも地表千㎏は支えることができます)
価格:一枚百万円。
包装:パネルは高強度の金属薄膜で覆われています。
販売方法:電子メールで申し込みいただき、工場で引渡しを致します。
特記事項:販売に不適と思われる方には販売致しません。
*当該販売での利益は全て「恵科学賞」の原資と致します。
フライパネルは早期に完売された。
帝国中央とか各州の政府が購入し、幾つかの大企業が購入し、大学や研究所に所属する研究室や個人が購入した。
千は一カ所に6枚までの制限をかけた。
なるべく多くの人達の手に渡るようにと考えたし、金属薄膜を切り取って中身を取り出して研究しようと考える施設もあるだろうし、浮遊車椅子を作ろうとする者もいるだろう。
それらには6枚があれば事足りる。
フライパネルの販売を初めて半年経った頃、複数枚のフライパネルを買った所からいくつかのメールが届いた。
フライパネルを分解しようと試みたがどうしても出来なかったので分解の方法を教えてほしいという文面だった。
千は率直な要望、恥を忍んでの願いは好きだった。
千はフライパネルの分解に関しての文章をホームページに載せた。
「フライパネルの分解についてのお知らせ」
帝都大学重力遮断実験工場は販売したフライパネルの分解法に関する多くのご質問に鑑み次のように対処いたします。
一、フライパネルに入れられた重力遮断物質(針状微粉末)をフライパネル購入者に限り販売致します。粉末は方向性がランダムですから重力遮断効果はありません。方向を揃えることができれば重力遮断ができます。販売単位は1gで小瓶入りです。価格は百万円で、郵送致します。
一、フライパネルの切断や変形は通常の工具では困難だと思われます。大型切断機でもパネルは変形しません。フライパネルの切断分解は近々に帝都郊外に開院される予定の七面診療所での処置をお待ち下さい。
帝都大学重力遮断実験工場管理官、千。
小瓶の注文はメールで質問をして来た所からだけであった。
千は直ちに小瓶を郵送した。
千は帝都から大分離れた聖地に近い幹線道路沿いにゴラン洲での診療所と同じ七面診療所を開いて診療を始めた。
帝都大学には副業の許可をもらった。
七面診療所は慈善事業であることを認めてもらった。
ゴラン洲での七面診療所は既に有名になっていたので千が帝都に同名の診療所を開くと世界中から多くの不治の病を持つ患者が車列を作った。
千は診療の方法は変えなかった。
診療してほしい患者は順番を待たなければならなかった。
お金があろうと地位が高かろうが関係はなかった。
不正で順番を早めた者には診療を拒否した。
患者の中には遠くゴラン洲から来た者もあった。
後ろ手錠をされたままの警官であった。
千がゴラン洲で手錠を切断していた時に重病で動けなかったらしい。
完が国費で帝都まで送ってくれたと警官は語っていた
千は20秒程で手錠を切断した。
料金は3分間分の300円を請求した。
フライパネルを持って来た者もあった。
千は小さなメスで下側の金属の縁を丁寧に切断し、そっと離してからラップをぴっちりと2重に張って中身がこぼれないようにした
フライパネルの中は細かいハニカム構造で6角形の多数の穴の中に黒色の物質がピッシリと詰っていた。
千がフライパネルを裏返すとフライパネルは空中に浮いていた。
「これでいいですね。帰ったら裏返してから底に丈夫な板を張れば重力遮断作用は保たれるはずです。この処置の料金は貴方が決めて下さい。お金は受付の赤い箱に入れておいて下さい。」
その者はパネルよりも千が切断に使った小さなメスに興味を持った様だったがお礼を述べて百万円を赤い箱に入れて帰っていった。
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