第24話 24、施政権移行 

<< 24、施政権移行 >>

 「千、ゴラン州は民主政治に移行するようですね。」

万は千が淹れたクルコルを一口飲んでカップを持ったまま言った。

「はい、万様。でもこの先はまだ長いと思います。」

「千年も続いた制度が変る最初のきっかけですからそう簡単にはできないでしょうね。」

「今回の動乱では多くの命が失われてしまいました。」

「でも革命とはそんなものです。無血革命は圧倒的な彼我の差がなければ成就できませんから。」

 「今後はどのような方向に向かわせたらよろしいでしょうか。」

「私にもよくわかりませんが、ホムスク帝国の他の州の人々が羨(うらや)む様な自治体になればいいと思います。千は適当な指導者の候補を知っているのですか。」

「はい、今回のデモを指揮したリーダーが候補の一人だと思います。これまでのところは悪い心は持っておりませんでしたが、権力を持つようになっても初心を維持できるかどうかはわかりません。でも少なくとも同志を巧みに操りデモを統率できた人物です。」

「当面は頼もしいですね。」

 千はデモの日以来、デモ隊のリーダーとは連絡をとっていなかった。

デモ隊のリーダーと連絡を取るために借りていた携帯電話は既に返していた。

千と連絡を取るためには患者となって順番を待っている自動車の車列に並ばなければならなかった。

リーダーにとってそれは煩(わずら)わしいことではあったが、千に会うための敷居のような物だと認識していた。

 リーダーは再び順番を待つ車列の最後尾に並んだ。

今回はリーダーは長く待たなければならなかった。

デモでは多くのケガ人が出た。

世の中が少し落ち着いて自分の怪我を治そうとする人達が自分の時間を支払ってでも千の診療を受けようとした。

リーダーが千に会えたのは列に並んでから三日後であった。

 千医師は代りの人を使って順番を待つ人は診療しなかった。

車の中で長く待っていた人だけを診療した。

もちろん食事や排便のために車を離れることは問題にしなかった。

リーダーは食事は仲間に運んでもらい、小便は道端で済ませ、大便は夜中に仲間の車に乗せてもらって最も近い店で済ませた。

リーダーは千が何でも見ることが出来ることを感じ取っていた。

車の中ではひたすらゴラン洲の未来の設計図を描き、消し、再構築して過ごしていた。

リーダーは千医師の試練に合格したようだった。

車はゲートを通ることができた。

 「どうされました。デモのリーダーさんでしたね。今日の名前は完さんとなっていますね。」

「申し訳ありません。前回の受付で書いた名前は偽名でした。完が私の本名です。」

「そうでしたか。貴方のあの時の立場上の行為と見て不問としましょう。どうされましたか。」

「解決の方法が見出せず悩んでおります。何とか悩みを軽減したいと思いこの診療所に参りました。」

「前回にも申しましたが心の悩みは治療機械では治療できません。今回も私の言葉でよろしいですか。」

「望むところです。」

 「どんな悩みか話して下さい。」

「はい、ゴラン洲の州知事は施政権を庶民に移しました。そのようなことはホムスク帝国ではこれまで一度もなされたことがなく、例がありません。庶民が施政権を持つという意味が良く分からないのです。どのようにすれば市民が施政権を持てたことになるのかわからないのです。」

「完さんは亜蘭州知事の言葉を聞きましたか。あの時の言葉がその答えの一例になると思います。亜蘭州知事は市民が政治に関与できる方法を知っていたのですね。勉強していたようです。」

「私は直接には聞いておりませんでした。仲間から主権が変ったとだけ簡単な報告を受けました。」

 「亜蘭州知事は『具体的な施政は人々から選ばれた代表が作る議会で選出される行政機構によって遂行される。州民代表は選挙によって選ばれる。』と言いました。これは議員内閣制という制度だと思います。他にも色々な庶民による政治支配の制度があります。行政の首長を住民が直接選ぶ場合もあります。共通するのは市民が投票で意思を示すということです。この世界には厳然として皇帝がいるわけですから、それを考慮して政治体制を決めたらいいと思います。今の皇帝は各洲の行政には関わりませんから皇帝も納得できる政治体制にすればいいと思います。」

 「市民政権が出来たとして州兵の扱いはどのようにしたらいいとお思いですか。」

「州兵の指揮権は皇帝にあります。私はこの制度は良く出来た制度だと思います。州兵の指揮権を各州の首長が持つようになると、各州の独立性は高まり、洲間での戦争が起る可能性が出てきます。各州は他州からの侵略を防ぐために軍事力を高めねばなりません。そうなればいずれ戦争が起ります。現在の科学力を持つ世界での戦争はホムスク星の文明の崩壊に繋がります。世界的に中立で圧倒的な軍事力を持つ存在は貴重なものです。仮に多くの国で構成されている世界があったとすると弱い国は自国の安全のためにそんな世界機関を望むものですが実現は難しいのです。強国は自国の軍事力の指揮権を放棄したくはないからです。でも現在のホムスク帝国では最初からそんな理想の形が出来上がっております。この形は残すべきだと私は思います。」

 「千先生のお考えには共感できると思いました。確かにこの世界で千年間も戦争が起らなかったのは各州の軍の指揮権が皇帝一人にあるということによると思えます。」

「完さんは政治体制を勉強したいと思っておりますか。もしそうなら参考書をお売り致しましょう。」

「千先生が推薦なさる本ならば読んで勉強しようと思います。その本は私が購入できる価格なのですか。」

「価格表示はありません。そうですね、私は千ですから千円にしましょうか。」

「購入します。」

「ちょっと待っていて下さい。持ってきます。」

 千医師は奥に入ってから一分間程で戻って来た。

「これはだいぶ昔に書かれた本です。完さんにお売りします。」

千は立派な装丁の2㎝ほどの厚さの本を完に手渡した。

完は本の表と裏を観てからページを軽く覗いてから最後のページを開いた。

「千先生、これは300年以上も前に書かれた本なのに著者は『千』と記されております。どういうことでしょうか。」

 「この本は曾祖母が書いた本です。帝都大学の経済学部時代の博士論文の添付参考書です。当時はホムスク帝国の全盛時代でしたから既存政治体制以外の政治体制の研究はあまりなされていなかったのです。それで可能な政治体制を考察しました。その中には民主主義に基づいて成立可能な政権の形も考察されております。どんな政治体制も長短があります。政治を実行するのは人間ですから。民主主義政治体制も長い期間の間に何度かの試練を経て成熟して行きます。為政者の不正によって不満が生じ現存政治体制が修正されてゆくのです。そんな過程を何度も経た政治体制は確固としたものになってゆきます。」

 「この本の千先生が推薦する民主政権の形はどのようなものなのでしょうか。」

「推薦している民主政権の形はありません。どれも短所を持っているのです。一つの理想形として、冗談のようにして書かれている部分があります。中立で絶対的な力を持ち人間的な支配欲がない不死の神様がいればどんな民主政治も成就できると述べた部分です。もしも現在の皇帝が政治的に中立であれば近い形かもしれませんね。もっとも今は力不足ですが。」

 「これから色々な新しい法律が作られると思います。どのような考えに基づいて作って行ったらいいとお考えでしょうか。」

「その本にはそのことに触れている部分があります。多くの政治体制で共通するのは二つの考え方によって法律が作られるということです。本来人間は善であり悪いことをしても救う余地があるとする性善説と本来人間は悪で悪いことをするから細かく厳しく取り締まり、その後の更正は期待できないとする性悪説があります。もちろん両者は共に正しく長短があります。政治家は自分のこれまでの経験を通して両説に基づいて取捨選択をしてゆくものです。

 その本では新しい説を薦(すす)めております。変悪説と名付けました。『人は立場で変るものだから法律に時間の因子を加えなければならない』というものです。性悪説では世の中は重苦しくなるし、性善説の世界は開放的で信頼の世界なのですが悪人は得をします。性善説が成り立つのは適正な学校教育が全員になされて初めて成立する説なのです。その本に書かれている変悪説とは『どんな善人でも、どんな正義の味方でも権力を持ってその蜜の味を知ると悪人に変るから、そうならないように権力者には性悪説を適用する』というものです。既に気付いているのかもしれませんが、このような変悪の可能性がある人物は完さんの周りには多数おりますよ。」

 「恐れ入ります。それには私も含まれているのかもしれません。私はまだ蜜の味を知りませんから。」

「その自己認識は重要だと思います。完さんはこれから政治の世界に入るのかもしれません。そんな時は変悪説を想い出すといいですね。」

「ありがとうございます、千先生。私には千先生が先生御自身がおっしゃっていた『中立で絶対的な力を持ち人間的な支配欲がない不死の神様』のような気がしております。先生は凄(すご)すぎますし、人間的な支配欲が全くないように思えます。」

「わたしは完さんに褒(ほ)められているのですか。それとも貶(けな)されているのですか。」

「私は仰ぎ見ております、先生。」

「名誉なことですね。」

 「千先生、今気が付いたのですが、この本の裏表紙には著者の写真があって簡単な略歴が書かれております。著者の写真は目の前の千先生と同じです。先生は先ほど先生の曾祖母様が書いたとおっしゃいましたが会話の所々で千先生が書かれたように現在形を使われておりました。この本は千先生がお書きになったのではないでしょうか。」

「私は凄すぎるのかもしれませんね。その本は人には見せないで下さい。完さんの推測も他言しないで下さい。それがこの本を千円でお売りする条件です。」

「了解致しました。条件を守ります。」

 完は本の代金千円と診療費30分、3000円を受付の赤い箱に入れ、本を胸にしっかりと抱いて帰って行った。

理想の政治形態が見えたような気がしたのだった。

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