第18話
都内某所。特別犯罪者隔離施設。門柱のプレートには架空の企業名が刻まれている。入念な入館手続きを幾つも通り、ようやく中に入ることを許された亜香里と斎藤は、施設の責任者に連れられ、殺風景な廊下を歩いていた。
壁や天井、床とあらゆる場所に埋め込み式の監視カメラが設置され、有事の際にそなえ二十人近い警備員が常駐している。
まさに陸の孤島。アリ一匹すら這い出る隙間さえない監獄である。
等間隔に並ぶ部屋の中には、世間に公表できない重罪(国家に対して不都合な存在)を犯した犯罪者が収監されている。ここに収監された者に人権はない。裁判も開かれず、ただ国の上層部から指示が降りれば即座に殺処分されるだけの存在。
汚れ一つない六畳一間の白い部屋には、簡素なパイプベッドが置かれているのみで常人ならば一週間ともたずに気が狂うだろう。おそらく、そういう目的も含まれている。
扉の横には大きなモニタが埋め込まれており中の様子を確認できるようになっていた。
「ここでは、囚人たちのプライバシーは一切尊重されないんですね」
つかつかと乾いた足音を響かせながら歩く責任者に、亜香里は訊ねた。
「ええ、当然です。ここに収容されている囚人は全部で二十人にも満たないにも関わらずこれほどまでに過剰なセキュリティが施されているのは、ここの囚人どもが一度外に出れば、普段テレビで報じられている犯罪者が子供の悪戯に思えてしまうでしょう。ようするに永遠に陽の光を浴びることがあってはならない連中なんです」
五十代半ば、白髪交じりの責任者は表情一つかえずにさらりと言い捨てた。
「そして、今回収監された彼女もまたその一人。何があろうと外に出してはいけない存在ですよ。あなた方もその理由は十分に承知しているのでしょう?」
「それは‥‥‥」
当然です。と口に出しかけたが、私はバツが悪そうに口を噤んた。その反応に責任者は気を悪くした様子もなく、最奥にある監房の前で足を止めた。
「彼女を収監しているのはここです。それでは、私はこれで。取り調べが終わりましたら、また連絡をください。別の者を寄こしますので」と無表情に告げ、かつかつと足音を響かせながらこの場を立ち去っていく。その後ろ姿が見えなくなってから、私は施設に足を踏み入れてから先輩がひと言も声を発していないことに気が付いた。
その表情からは何の感情も読み取れない。
「開けるぞ」
と私の返事をまたずに先輩が扉横に設置されているモニタに手をかざした。
ピーッ、という開錠音。目線の高さに何層もの強化ガラスで覆われた窓枠が出現する。
「やぁ、始めましてだな。会いたかったよ――――黒条 凜」
部屋中央に置かれたベッド。その上に腰を下ろしていた処女雪のように白く美しい髪をした少女は、名前をよばれるとゆっくりと顔を上げた―――瞬間、全身が総毛立った。
御伽話の中から抜け出してきたような浮世離れした美貌。囚人たちに付与された白い無地服も、少女が着ることによって、どんな高級ブランド品よりも豪奢に見える。何より亜香里が眼を奪われたのは、少女の硝子のような冷たい瞳だ。まるでここじゃない何処か別の場所を見ているような―――。
その瞳が滑らかに動き、凍り付く亜香里へと向けられると、ほんの一瞬だけ虚ろだった瞳の中に光が過ったような気がした。
「それで? 私に何かよう、刑事さん?」鈴を転がすような少女の声。
「ほう、なぜ俺たちが刑事だと解った? 身分は明かしていないはずだが」
すると少女は、くつりと喉を鳴らし、
「だって、ここに入って来た時からずっと見ていたもの」
見ていた? それは一体どういう‥‥‥。と口にするより先に先輩がなるほどと呟く。
「ったく、子供相手と舐めてかかれば、痛い目にあうのはこっちみてぇだな‥‥‥」
やれやれと溜息を零し、胸ポケットから煙草を取り出してから施設内全てが禁煙だったことを思い出し、忌々し気に吸うのを諦めた。
「さてさて、じゃあまずは聞かせてもらうか。一体どうやって人を殺していたのか―――」
◇
都内某病院の一室で、今日もまた奇跡が起きた。
交通事故により意識不明となった少女が奇跡的に意識を取り戻したのである。
病室から聞こえてくる歓喜の声を私は待合室のベンチに腰掛けながら聞き入っていた。
凜が消息を絶って四ヵ月。その間にも私は一人で奇跡の使者としての活動を続けていた。無論、凜がいた時のようにネット情報を書き換えることは出来ない。その代わりに私の殻の範囲は以前とは比較にならないほどに効果範囲を広げ、こうして離れた部屋からも治癒の魔法を施すことが出来るようになっていた。
開いていた文庫本に栞を挟み、通学鞄にしまう。これ以上の長居は看護師たちからも怪しまれる恐れがある。その前にこの場を立ち去らなくては。
立ち上がりかけたその時、不意に名前を呼ばれた。
「鈴⁉ どうしてここに?」
「久しぶり、ちょっと話せない?」
場所を病院から以前利用した喫茶店へと移した。
二人それぞれ飲み物を注文し、店主が手慣れた手つきで私たちの前に白く湯気が立ち昇るカップを置いてしばらくして、話を切り出した。
「それで、話って?」
その言葉に、相変わらずコーヒーに大量の角砂糖を入れていた鈴は、眼鏡のレンズを白く曇らせながら口を開いた。
「やっぱり、まだ続けてるんだ」
「それくらいしか私には、できないから」
「今更、僕がどうこう言う筋合いじゃないんだけど、やめた方がいいんじゃない? 黒条だって、それを望んでいたんだろ?」
「うん。凜は‥‥‥そうだね」
「だったら‥‥‥」
「でもそれが、私にできる唯一のことだから」
「‥‥‥‥‥」
鈴は言うか言うまいか数秒ほど逡巡し、ゆっくりと話し始めた。
「それは、たぶん違うよ」
「どういうこと?」
「何も、聞かされてないんだね」
「いったい、なにを‥‥‥?」
「今だから言うけど、黒条は君にだけは知られたくない重大な秘密を抱えていた」
「凜の秘密?」
そんな話聞いたことがない。にも拘わらず何故、鈴がそんな事を知っているのか?
凜ならまず最初に私に打ち明けるはずだ。それなのに――――。
「華、大丈夫?」
「ご、ごめん。大丈夫だよ、それで凜の秘密って一体‥‥‥」
「本当は黒条自身の口から訊くべきなんだろうけど、今の彼女には出来ないから、替わりに僕が話すよ。華は、魔法の代償が寿命以外にもあることを知っていたかい?」
「‥‥‥うん。前に凜の家で偶然アルバムを見つけちゃって、それで‥‥‥」
以前、凜の部屋で魔法の練習をしているときに、偶然、見つけた一枚の写真。
そこに写っていたのは父と母、そして黒い髪をした少女の家族写真だった。私は最初すぐにそれが凜だと気づけなかった。なぜならその少女の髪色は、現在の凜とあまりにも違っていたから。その理由を凜は、魔法による副作用だと話してくれた。
「そう。アナタたちは魔法を使うたびに少しずつ寿命を削っている。じゃあ、そもそも何で黒条はその秘密に気付けたと思う?」
「あっ、そうか。凜以外には他の魔法使いはいなかったはずなのに」
今更ながら気付いた己の間抜けさに辟易させられるが、それには構わず鈴は話を続けた。
「君たちふたりが魔法使いになってからの期間の差ってどれくらいなの?」
「えっと、たしか‥‥‥凜は私より三年くらい前から、だったかな‥‥‥」
「ならその三年の間に、黒条は自分の身の変化に独力で気付いた。それと同時に、もう一つある変化にも気づいてしまった」
「ある変化?」
「それは――――思想の変化」
「?」
「華と黒条とでは、得意な魔法も規模も違うよね? その理由は何でか解る?」
「使い手の、心が魔法には現れる、から?」
「正解。それと同じように、魔法を使い続けているとその思想っていうか、人間性が極端になる。たとえば普段から他人に優しくしている人なら、それまで以上に他人に優しくしたり、逆に凶暴な人なら、さらに凶暴性が増したり、とかね。
つまりは必用以上に自分の人間性に支配されるようになる。僕と黒条はこのことについて以前、二人で話したことがある。そこで出た結論は、脳内に現代医学では解明できていない何らかの脳内物質、または脳内麻薬が大量に分泌されている可能性。
そもそも君たちに寄生している花って、一体どこから来たのかな? ただの人間を超能力者にするなんって、まるでファンタジーや古いSF映画みたいじゃないか」
長く話し過ぎて熱っぽくなった鈴は、ハッとして頭を覚ますようにぬるくなったコーヒーを一くち口に含んだ。
「でも、私も、凜だって‥‥‥別に極端なことなんて‥‥‥」
「本当に? 華、言っておくけど君は十分すぎるほどに極端で、そして異常だよ」
面と向かって異常と言われ、憮然とした眼差しを鈴へむける。
「おっと、異常は少し言いすぎだったかもしれない。それより問題なのは、その事に華自身がまるで気付いていないってことさ。凜もそのことを心配して、嫌っている僕の所に相談にきたくらいだからね」
「凜が、私の事を相談に⁉ もしかして、それが凜の失踪と何か関係があるの⁉ だったら教えて! 私はどうしても、もう一度会わなきゃいけない。ううん。会いたいの‼」
「華、少し落ち着こうよ。周りのお客さんにも迷惑だから」
そう言われて途端に頭の中が冷静になった私は、小さく会釈してから、持ち上げていた腰をおずおずと下ろした。
「いいかい、魔法によって人間性が極端になる。そこまでは理解したね?」
頷くのも何だか釈然としないが、話が進まないのでとりあえず頷いておく。
「君は魔法を使いはじめて、以前と比べてどう変わった?」
「どうって‥‥‥」
凜と出会い、魔法使いになってからの半年間を思い返した。
同級生に苛められ、誰にも相談することも出来ず、義妹のお荷物でしかなかった日々。
その点に関しては今もあまり変わらないかもしれない。とにかくあの頃の私は、両親が自らの命を捨てでも救った存在にも関わらず、あまりにも無価値で、それ故に死のうとしていた。
だけど、凜と、あの花のおかげで全てが変わった。
空を自由に飛び、手に触れなくてもモノを動かせる。
そして、救いを求める人の思いに応えることが出来るようになった。
そこで私は初めて、自分がこの世界に生きる意味、生まれてきた意味を理解した。
それがたとえ偽善だと言われようとも。
「そう、君はこれまで大勢の人たちを救ってきた。でもね、黒条も言ったと思うけど、それは偽善だ。自分の命を削って、赤の他人を救うなんてことが正しいはずがない。そしてそれこそが、魔法による弊害。他人を救うという一点において君は常人では考えられない行動力を持つようになった。ねぇ、そう思うようになったのって、いつごろからだった? 魔法使いになる以前の君なら、そんな風に考えていたかい?」
「‥‥‥‥‥‥」私は絶句した。
「ごめんね、別に意地悪を言うつもりはないんだ。これはあくまでも僕と黒条が出した推測だから。でもその様子だと、間違いではないらしいな。僕は黒条にその原因を訊ねた、すると彼女はこう言ったよ『花に支配されているんだ』ってね。意味判るかい? 自然の摂理として、世界の在り方は基本的に等価交換なんだ。何かを得る代わりに何かを失う。そうやって帳尻を合わせている。君たちの場合は、魔法という奇跡の代償として肉体と精神を花に吸われていた、ってことかな」
鈴の言葉の全てを今は呑み込めない。だけど朧気に何を言いたのかは理解できた。
そして、凜が消息を絶ったのもこの話とおそらく無関係ではないはずだ。
「‥‥‥ねぇ、凜は‥‥‥今、どこにいるの?」
吹けば飛ぶようなか細い声だった。
視線をホットココアに映る冴えない顔をした少女に落としていると、カタッと音を立て、そのまま私に見えるように、自らのスマホを卓上を滑らせて寄こした。
スマホの画面に映し出されていたのは数か月前のネット記事だった。
『都内各所で起こる謎の集団不審死。これで十三件目』と見出しに書かれている。
この事件なら知っている。だけど、凜とこの事件がどう関係しているというのだろうか?
「これがなにか判るかい?」
含みのある言い方だった。
「まさか‥‥‥‼」
ひったくるようにスマホを掴み上げ、食い入るように画面を見つめる。
まさか、そんなことある訳ない。
きっと何かの間違いだ。だって、だって凜がそんな‥‥‥。
縋るようにテーブル向かい側の鈴を見つめる。それだけで鈴は私が何を思ったのか見抜いたのだろう、悄然と首を縦に振った。
「‥‥‥うそだよ‥‥‥そんなこと‥‥‥あるわけない‥‥‥」
嫌なことから眼を逸らそうとする子供のように、私は何度も否定の言葉を吐き続ける。しかし、鈴はそんな私から少しも眼を逸らすことなく、現実を突きつけた。
「ここに書かれている事件。今年の三月ごろから八月までの間に起こっていた集団不審死事件。これは全部、黒条がやったことだよ」
足元にぽっかりと開いた穴の底に落ちていくような、奇妙な感覚に私はしばらくの間、放心してカップの中身をボンヤリと眺めていた。
「本当はもっと早く伝えたかったけど、黒条と約束していたから言えなかった」
「約束?」
力なく顔を持ち上げ、問う。
「前にも話しただろう、僕は君たち二人のことを調べたって」
脳裏に、屋上での光景が蘇る。治癒の魔法や空を飛ぶ姿が映った写真の数々。
「その過程で僕は、偶然にも黒条の犯行現場を目撃した。ガラの悪い大人たちと何か喋っていたと思ったら、唐突にその大人たちが自殺したんだ。怖くなってその場から逃げ出した。そして、僕が初めて君たちと接触を図ったあと、黒条にそのことを言及した。そしたら彼女は何もかも打ち明けてくれたよ。その最後に、君にだけは何も言わないでくれって」
「私に?」
「黒条にとって、白柳 華には、知られたくなかったんだろうね。さっきも話したように魔法を使い続けていると思考が極端になる。それは魔法使いとしてのキャリアが長い黒条のほうがより顕著に表れる。君の場合は他人を癒す、なら黒条の場合は何だと思う?」
「‥‥‥‥‥人を、壊すこと」
その答えに鈴は正解とは言わずに、滔々と話を続けた。
「これは黒条自身が語っていた話だ。元々彼女の魔法の根源は、この世界の否定が基になっているそうだ。そのせいか使える魔法も何かを壊す、侵入する、操るといった系統に偏っていた。他者を壊したい、という欲求が日に日に募り、これ以上は抑えきれないと悟った彼女は、自ら命を絶つことを決意したそうだ。だけど、出来なかった。その理由が君には判るかい?」
何となく答えは解っていたが、私はフルフルと頭を振った。
「それはね、白柳 華という存在に出会ってしまったからさ」
「‥‥‥‥」
「彼女は言っていた。君と出会って、モノクロだった世界が色づいたって。それからは君の事を思い続けることでどうにか正気を保っていたようだけど、ある事件をキッカケに、それは壊れた。今年の三月。君を苛めていた木村 千鶴を含めたグループ数人。あれを見た瞬間、自分の中で暴れ狂っていた破壊衝動を抑えきれなくなったそうだ。彼女の魔法は、電子機器に侵入し操るだけじゃない。人間の脳に直接暗示をかけて操ることも出来る。そうして木村 千鶴を含め数人に自殺するよう暗示をかけて、君を守ったんだ。
それからは、もう自分の意思ではどうにも出来なかったらしい。気付いた時には人を殺していた、彼女はそう語っていたよ」
「じゃあ、凜が人を殺すことになった原因って―――」
鈴は言葉に詰まり、小さく溜息を零すと冷たくなったコーヒーを口に含んだ。
「直接の原因ではないにせよ、無関係ではないだろうね。現に最初の被害者は木村千鶴以下数名なんだから。だからこそ黒条は君にだけはこのことを話したくなかったのさ。この話を聞けば、君が自責の念にかられて、自傷行為に及ぶ可能性を危惧したんだろう」
たぶん、この話を凜の口から直接聞いていれば、私は自分の存在が許せず自ら命を断とうとしていたかもしれない。
「まぁ、僕にも君程ではないがそれなりに義侠心がある。君たち二人から話を聞いた数日後に、僕は黒条を呼び出し、自首するように勧めた。僕の母親の前夫、っていうか実父が刑事なんだけど、もし黒条が自首することを拒むようなら告発しようと考えていた。その事を黒条に伝えたら、彼女は、夏休みが終わるまでまってほしいと言った。その理由までは聞かなかったけれど、たぶん、君との約束事でもあったんだろう」
おそらくそれは花火祭りのことだろう。以前から凛と約束していた。
「そして、夏休みと同時に彼女は自ら警察に自らを拘束するように迫った。もうこれ以上誰も傷つけたくなかったのさ」
「‥‥‥そんな‥‥‥ことって‥‥‥」
呆然と呟きながら、私の頬は澎湃と溢れ出る涙で濡れていた。
これまでの頭の中に点となって散らばっていた凜の言葉が、今この瞬間、一本の線となって繋がっていく。
何でもっと早く私に打ち明けてくれなかったのか?
何で相談してくれなかったのか?
たぶん凜は怖かったんだ。また独りぼっちになるのが。だって私も同じだから。凜が救ってくれたから私はもう一度、生きることができた。そんな凜から否定されてしまえば私は今度こそ生きる意味を失ってしまう。凜だって同じはずなのに。それなのに私は、自分のことばかりで、少しも凜の気持ちを考えようとしなかった。
「ずっと一緒にいるって、約束したのに‥‥‥」
魔法使いになってからの記憶の数々が、瞼の裏側に蘇っては消えていく。
思い出の中の凜は、孤高の白雪姫なんて仇名されるような人形のような少女じゃなかった。
泣いたり、怒ったり、笑ったり、どこにでもいる普通の女子高生。
寂しがり屋で、少し甘えん坊な所もあるけど、一緒にいると胸がぽかぽかする。
まるで本物の家族みたいだって、思っていたのに。
それなのに―――――。
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