第14話
深夜、巨大なファンが唸りを上げている。溜まった鬱屈とした気分がそのまま煙に乗り移ったような緩やかな紫煙が、排気ダクトへ吸い込まれていく。デスクの上に置かれた灰皿には、こんもりと吸い殻が積み上がっていた。
何度、溜まる前に捨てるように言い聞かせても、改善の兆しは見られない。
まるで今回私たちが担当している事件のように。
「それにしても、一体これはどういうことなんでしょうか」
「あぁ、何が?」
気だるそうに答える先輩を横目に、私―――高城 亜香里は話を続けた。
「三月に起こった楠女学院生徒三人とその他男性等の集団自殺。それに続くように、翌月、目黒区の路地裏で酒に酔った男数名、さらに池袋では‥‥‥」
「前置きが長い、それで何が言いたいんだよ、お前は!」
「‥‥‥いえ、こうも集団自殺が続くなんて異常ですよ。明らかに何者かが介入している、もしくは新手のドラッグとか、とにかくまともな理由ではないでしょうけど‥‥‥」
「そんな分かりきってることをいちいち言うんじゃねぇ~」
「ですけど、課長から告げられているタイムリミット。もうすぐなんですよ! このまま何の手掛かりもないまま捜査が続いたら、先輩は‥‥‥」
「ンなこと、お前が気にする必要これっぽっちもねぇよ」
「ちょっとは、真面目に‥‥‥っ!」
堪らず、ドンッと机を叩いて立ち上がる。その音で仮眠をとっていた他の先輩刑事からうるさいと叱責され、おずおずと腰を下ろした。
「少しは落ち着け」
先輩は呆れ混じりに嘆息する。
「俺たちはやるべきことはちゃんとやってる。こんな時に焦ってもロクなことにはならんぞ」
「すみません、取り乱しました」
先輩の言う通りだ。直に熱く、感情的になるのは昔から私の悪癖だ。何度も改善しなければと思いつつも、精神的に少しでも負荷がかかれば直ぐにボロが出てしまう。恥じ入るように顔を伏せ、膝の上でかたく拳を握り締めていると、ガタッという音の直後、わしゃわしゃと先輩の太い指が私の頭を滅茶苦茶に掻き回される。
「ちょっ⁉ 先輩、やめてくださいよ!」
周りで眠っている刑事たちを起こさない最低限の声量とともに、頭に乗せられた手を払い落とす。
「お前はムズかしく考えすぎだ。もうちったぁ、気楽に物事を見極められるようにならねぇと、この先苦労するぞ」
「余計なお世話ですよ」
プイッと少し子供っぽすぎるとは自覚しつつも、顔を背けると、背中越しにククッと忍び笑いが聞こえてきて、その事がより一層私の羞恥心を刺激する。
「お前、最後に家に帰ったのいつだ?」
「え? たしか‥‥‥一週間前に‥‥‥」
「はぁ⁉ アホかお前は、ちゃんと帰って家で寝ろ!」
「いえ、別にどこで寝ても同じなので。だったら庁舎で寝た方が移動時間も短縮できますから‥‥‥」
「ったく、お前って奴は~~~~‥‥。お前も女だろ? だったら家族とか、彼氏とかと一緒にいたいとか、そんな事を考えないのかよ?」
「はぁ~? 別に今は彼氏とかいらないんで。それに家族なら‥‥‥妹がいますけど、真面目で私なんかよりもちゃんと自立できていますから、心配はいりません」
「あぁ、そういえばお前、血の繋がってない妹がいるんだっけ?」
「はい。まぁ、完全に血の繋がりがないわけじゃなくて。一応は従妹ってことになります」
「まだ高校生なんだろ?」
「ええ」
「だったら、尚のこと帰ってやれよ。その子もきっと寂しがってるだろ」
「‥‥‥そう、なんですかね?」
「あぁ? 何だよその気のない返事は?」
「い、いえ、ただあの子にも色々と複雑な事情がありますから‥‥‥」
「は~ん、分かったぞ。ようするにお前はその妹さんと向き合うのが怖いんだな」
「べ、別に怖いわけでは!」
「熱くなるなよ。解るぜぇ~その気持ちはよ。俺もよ、分かれた女房と娘はそんな感じだったからな。だから経験者として言っとくよ。一緒に居られる時間があるんなら、少しでも一緒にいてやれ。そんな簡単そうなことがよ、実は一番大切なんだ」
「さすがは元妻子持ちですね。言葉の重みが違いますよ」
「オイこらてめ~、今、ちょっと鼻で笑っただろ。表出ろ。説教してやる」
「とにかく、妹のことは大丈夫です。連絡なら定期的にとっていますから。それより私たちが気にすべきなのは―――」
「解ってるよ。それにこの数か月の捜査で、なんとなーく犯人像も見えてきた」
「ほ、ホントですか⁉」
「うるさいぞ高城、眠れねぇだろ!」
「す、すみません‥‥‥」
二回目。他の刑事からの叱責に肩を小さくしてから、今度は小声で先輩に詰め寄った。
「お前、検死の結果聞いたか?」
「‥‥‥はい」
刑事としてこれまでにも様々な凄惨な犯行現場を目の当たりにしてきたが、今現在、都内各所で起こっている集団自殺は、私の知る限り最悪の経験だった。踏み込んだ場所で積み重なった骸。特に近頃は気温も上がっているので死体の腐敗が進み、現場には強烈な悪臭が漂っていた。それらの光景が脳裏を過り、げんなりとした気分になりかけるが、先輩はとくに気にした様子もなく、新しい煙草を一本取りだすと、先端に火をつける。プハーと紫煙を吐き出すと話を再開させた。
「全員、自殺。自分たちの身近にあった果物ナイフや、割れた瓶、特にヒデェのがボールペンやらネクタイで自殺してるってよ。ったく、異常なんて言葉じゃ生ぬるい。お前、ホトケの経歴見たか?」
「はい、一応眼は通しましたけど‥‥‥。何と言うか、全員‥‥‥」
言い難そうに口籠っていると、先輩は無精髭の生えた口元を歪め一笑した。
「全員が前科持ち。まぁようするに社会の屑どもだ。そんな奴らが一箇所に集まって、皆仲良く手ェ繋いで自殺する? んな馬鹿なことが起きてたまるかよ」
「屑は言い過ぎでは? 一応、被害者なわけですし」
「ハッ、お優しいねぇお前は。ホトケの中には俺が少年課にいた頃に捕まえたことのある奴もいたが、アイツらは生きていても善良な一般市民にとっては単なる害悪でしかねぇよ。でもな、そんな奴らでも殺されていい理由はねぇし。むしろ殺した奴が何の裁きも受けねぇのはおかしいだろ」
「ええ、もし本当にそんな事が許されるのならば、私たち警察や、何より正義の信念は無用の長物と化しますから」
「正義? フハッ、青いねェ~。いいか高城、コイツはな、そんな言葉で終わらせていいヤマじゃねぇよ。この事件の本ボシは俺たちに、ホトケを通じて問いかけてんのよ」
「それは、一体何を‥‥?」
「お前は本物なのか、ってな」
「それって、どういう‥‥‥」
「何でも訊くなよ。少しは自分で考えやがれ」
「そこまで話して投げ出すって卑怯ですよ」
「それとな、ホンボシはおそらく子供だ」
「はっ! そういえばさっき犯人像は浮かんでるって。それが何か関係が⁉」
「いいか高城、最初のガイシャのこと覚えてるか?」
「ええ、楠女学院に通う女子高生三人と、過去に違法薬物使用の疑いで逮捕歴のある男数人でしたよね? それがどう関係してくるんですか?」
「これまで自殺した奴らの共通点は、全員が一貫して犯罪歴のある奴ばかりだった。だが、最初のガイシャの女子高生たちにはそれがねぇ。つまり、ホンボシはその女子高生たちにとって身近な存在。おそらく学校関係者の可能性が高い。そして、犯罪者を狙って殺しているのだとしたら、その動機も幼稚だ。精神的にまだ成人しきっておらず、独自の正義感に基づいて行動していることから、教職員を外せば、後に残るのは誰だと思う?」
「まさか、楠女学院の生徒のなかに、ホシがいる⁉」
その答えに先輩は正解とは答えず、代わりに口から長い煙を吐き出した。それが正解を意味していることは間違いない。ならば、楠女学院に通う生徒全てに犯人の可能性があるということだ。そして、その中には同校に通うあの子も含まれているということであり―――。
「たとえ、ホシがガキだろうが―――絶対に捕まえてやる」
冷厳と言い放つ先輩の眼差しは、得物に狙いを定める肉食獣そのものだった。
「‥‥‥‥‥‥」
只ならぬ気配に気圧され、私は沈黙した。
「明日から、楠女学院を中心に調べる。だから今のうちに体を休めとけ」
「‥‥‥はい」
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