第4話

 放課後―――。

 授業中の携帯端末使用の件について文学担当の女性教諭から長々と叱責され、スマホを返してもらった時には、既に時刻は夕方五時三○分を過ぎていた。

 深々と頭を下げてから職員室の扉を閉める。直ぐにスマホの電源を入れると、不在着信二十四、メッセージ六十九、と画面には表記されていた。

 「ど、どうしよう‥‥‥」

 とにかく指示された場所へ急がなければ‥‥‥。

 

 指定の場所に着いた頃には、時刻は六時を回っていた。

 既に陽は沈み、辺りは薄暗かった。頼りない街灯だけがチカチカと不明滅に瞬いている。

 人通りの少ない高架線の下で佇んでいた三人の同級生は、たっぷりと遅刻してきた私を見た途端に、憮然とした眼差しを向けてきた。

 「白柳、あんた、ひょっとして私らのこと馬鹿にしてるでしょ?」

 車両進入禁止の鉄パイプに腰掛ける木村さん、その後ろから同じように睨みをきかせる(同じ楠女学院の生徒であり、木村さんのクラスメイトにして取り巻き)二人の女生徒へ、私は早口で弁明を口にしようとした。

 「や、約束の時間に、遅れてしまったことは謝ります。でもこれには訳が‥‥‥」

 ガンッ、鉄パイプが強かに蹴りつけられた金属音に、ビクリと肩が震えた。

 「言い訳とか、別にいらねぇし」

 高圧的な物言いに身を小さくさせていると、突如、それまでの表情から一転、ニヤリと作り物のような笑みが木村さんの面貌に浮かぶ。弾むような軽い足取りで近づいてくると、そのまま私の肩をポンポンと軽く叩いた。

あまりの身の代わりように戸惑っていると、

 「そんな深刻な顔しないでよー。だってほら、私たち友達じゃん?」

 「‥‥‥‥」

 「遅れた理由も知ってるよ。アンタのクラスメイトから訊いたから」

 「それじゃあ‥‥‥!」

 「うん。気にしなくていいよ。人間だれだって間違いはあるから」

 と、そこで木村さんの後ろの取り巻き二人が、引き攣った笑みを浮かべていることに遅まきながら気が付いた。

 首に蛇がまとわりつくような嫌悪感にゾクリと全身が総毛立つ。

 ぬるり、と形容するのが相応しい、文字通り蛇のような動きで木村さんの腕が首元に回された。さながら獲物を絞め殺す大蛇のように。

 「だからさぁ~、これは友達としてのお願い~。一週間前にさぁ~、ちょっと怖い人たちに眼ェつけられちゃって。その人たちがさぁ、誰か一人女の子紹介してくれたら許してくれるって言うんだよ」

 「木村さん? 私に‥‥‥、何をさせるつもり?」

 恐る恐る訊ねると、木村さんはヌッと私から顔を離し、

 「別に、何も妖しいことじゃないよ。ただちょっと、アンタの体で、その人らを愉しませてあげれば、それでいいから」

 「それって、つまりどういう‥‥‥」

 と言いかけた所で、背後からザッと乾いた足音が聞こえた。

 「あっ、すみませ~ん。話つきました~。この子もオッケーみたいなんで~、後はお願いしま~す」

 媚びるような声音で木村さんが呼びかける先へ、私はおそるおそる顔を向けた。

 「えぇ~、ホントにこの子食べちゃっていいのぉ~」

 黒板を長く伸びた爪で引っ掻くような、耳障りな声が高架線の下に反響した。

 派手な色のジャケットに身を包むガラの悪そうな男数人が、ぞろぞろと歩み寄ってくる。

 いまだに事態が呑み込めず呆然とする私から、するりと離れた木村さんは、「タカさん、すいません、こんな所まで来てもらっちゃって」と気さくな口ぶりで男の一人へ話し掛けた。

 「いいよ、いいよ、チヅっち。むしろ、こんな早く注文通りの子届けてくれて、こっちこそサンキュだし」

 「じゃあ、約束のものを‥‥‥」 

 「そだね。じゃ渡したげて」と、リーダー格らしき男から指示を受けた取り巻きの一人が、小さな紙袋を木村さんに手渡す。その様子を、高架線の下で心配そうに見つめる取り巻きの女子二人。そして唯一、頬を興奮で微かに紅く染める木村さんは、漏れそうになる笑いを必死に堪えながら、子供が買ってもらった玩具を箱からすぐに取り出すのと同じように、ごそごそと紙袋の中身を取り出した。

 それは何処にでも打ってあるインスタントラーメンの箱だった。でも私はその中身が何なのか、この十数秒間の遣り取りで、朧気に理解してしまった。

 「木村さん、それって‥‥‥まさか‥‥‥」

 木村さんは私の質問には答えず妖しく微笑む。その表情はこれまで見たことのある嗜虐的な笑みとは異なる、狂気に彩られた面貌であった。

 「そんな、何で、薬物なんか…‥‥」

 以前、義姉の亜香里から近頃学生の間で違法ドラッグが出回ってるから気をつけろ、と忠告を受けたことがある。でもその時は、まるで他人事のように思い話をちゃんと話を聞いていなかった。

 こんな場所に、ノコノコと出てきた自分の間抜けさを呪わずにはいられない。

 そして、自分がとんでもないことに巻き込まれているのだと遅まきながらに理解した。

 ゾクリと全身に悪寒が奔る。

 このままここにいては危険だということは、平凡な女子高生である私にも容易に理解できた。

 男たちとは反対側の、木村さんとその取り巻き二人の方目掛けて猛然と駆け出した。

 背後から、男たちと木村さんの怒号。次いで、バタバタとスニーカーがアスファルトを蹴る乾いた音が背後から迫ってくる。恐怖で振り返る余裕もない私は、そのまま唖然とする取り巻きの一人を突き飛ばし、狭い高架線の下を潜り抜ける寸前のところで、首に巻いていた赤いマフラーの端を、追いかけてきた男の一人に捕まれてしまう。そのまま体制を崩して転倒した。

 「‥‥‥ッ‼」

 声にならない悲鳴を上げた私は、隘路の端に溜まっていた濁った水溜まりに顔から突っ込んだ。口に入った泥水を吐き出す暇もないまま、立ち上がりかけた所を、追いすがった男に乱暴に抑えつけられた。

 「痛い‥‥‥っ!」

 「暴れるな、大人しくしろ!」

 初対面の男からの怒声、次いで、首元に宛がわれるヒヤリとする鉄の感触。

 恐怖に顔が引き攣り、瞠目する。

男は首元に刃渡り十センチほどの鋭利な刃物を突き付けていた。

 「ッッッ‼」

 全身が氷像と化してしまったかのように沈黙してしまう。

 その様子に刃物を宛がう男は、暴力に酔った昏い笑みを浮かべていた。

 その顔が五年前までの地獄と重なり、全身に冷気が拡がっていく。

 両脚から徐々に力が抜け、視界から色彩が消え失せていく。男は、そんな私の恐怖心を弄ぶように、何度も眼の前でナイフをひらひらとチラつかせてみせる。

 「ちょ~っと、白柳ぃ~、何でいきなり逃げちゃってるわけ~?」

 錆びついた機械のようにゆっくりと肩越しに振り返ると、狂的な笑みを浮かべる木村さんと、リーダー格の男がすぐ近くまで歩み寄っていた。

 弾むようなステップを踏みながら、スタッと私の前に体操選手のような着地を決めた木村さんは、作り物めいた笑みを貼りつけ、次いで私の頬を思い切り平手打ちにした。

 パンッ、と乾いた音が高架線の下に反響する。それを見ていた周囲からはぴゅぅ~♪ と口笛、痛っそ~、と心配の欠片もない声がかけられる。

この場にいる誰もが、私という玩具を使って遊んでいるようだった。

 叩かれた頬はジンジンと熱かったけれど、全身に広がる冷たさが痛みを正常に認識できなくしていた。代わりに口の中に鉄の味が広がっていく。

 「何で、こんなことするの? 私‥‥‥木村さんを怒らせるようなこと、何かした?」

 細かく震える声を懸命につなぎ合わせ、どうにかそれだけを口にする。

 「いや、別にアンタは何もしてないよ」

 「‥‥‥じゃあ、何で?」

 「ん~‥‥」と、派手なネイルをした細い指先でおとがいを撫で、数秒ほど唸った後、

 「やっぱ、特に理由なんてないや。ただ何か気に入らないんだよね~」

 「気に入らない? 私が?」

 それこそ訳が解らなかった。七年前に、両親を事故で亡くしてから、私は極力他人との接触を避けてきた。周囲から認知されないように、自己主張を控えて、息をひそめて今日まで生きてきた。木村さんに眼をつけられるようになったキッカケも、ただ廊下で肩がぶつかっただけだ。今にして思えば、あれは木村さんの方からぶつかってきたのだろう。

 「例えばさぁ~、自分の家で虫が飛んでたらイラっとするじゃん? それと一緒っつうか~‥‥‥、アンタ見てるとイライラすんだよね。生きてて何の意味もない奴って、無性にイジメてやりたくなるじゃん?」

 全く理解できない思考回路に、私は何も言い返せずに固まってしまう。

 「それならいっそ、私らのために無駄な奴が犠牲になるのって、むしろ当然じゃない?」

 「そんなの、当然なんかじゃ‥‥‥ないよ」

 「は?」

 気付けば意思とは無関係に声が漏れ出ていた。

 「どんな理由があっても、人を‥‥‥傷つけるのは悪いこと。そんなの‥‥‥小さな子供だって知ってるよ!」

 私ってこんな風に大きな声を出せるんだ、とこの時初めて知った。でも激情のままに酷使した喉は、これ以上は無理だと焼けるような痛みで訴えてくる。

 「だから‥‥‥そういうのが、調子に乗ってるって言ってんだよ!」

 気が触れたような叫び、木村さんは、抑えつけられ身動きの取れない私の制服を無理やり剥ぎ取ると、その下のブラウスを乱暴に引っ張る。ボタンがはじけ飛び、その下に隠されていた白肌が、不規則に明滅する灯りに照らしだされる。その様子を傍観していた男たちが一様に色めき立つ。リーダー格の男が木村さんを押しのけ、下着の上から乳房へかけて太い指先をツウゥと這わせる。その不快感たるや言葉では言い表せない。

 「なぁ、もうここでいいだろ? ブツだって渡したし、この子ここでもらっちゃうぜ?」

 「いいよ別にそんな奴。私らも欲しいモノは手に入ったし、このままウチでキメちゃう?」

 二人の間で勝手に話が進んでいき、取り巻きの二人が暗がり越しでも分かるほどひどく狼狽した様子で、木村さんの後を慌てて追いかけていく。一方、男たちの方は、獣のような性欲に任せて、私の身に付けている制服を無理やり脱がせようと手を伸ばしてくる。

 「‥‥‥いや‥‥‥嫌ぁ‥‥‥ッ‼」

 男たちの視線が、手が、肌に触れる度に沸き起こる恐怖が、私から遂に理性を奪い去った。

 遮二無二に暴れる私の姿に、男たちは更に熱を上げ、遠ざかっていく木村さんは、私の上げた悲鳴を愉しむようにケラケラとせせら笑った。

 ―――どうして、私ばかりこんな目に⁉

 頬を伝う涙が冷たい。

 ―――あの日、私のせいで父さんと母さんが死んでしまったから⁉

 それなら、これは私への罰なのだろうか?

 ―――でも‥‥‥そうなのだとしても、私は‥‥‥。

 胸の奥で、得体の知れない何かが激しく胎動する。

 ―――どうか、お願いします神様。

 それは私の心臓の鼓動とは違う。

 別の生命の鼓動。

 ―――この地獄から抜け出せるなら、なんだっていい。

 恐怖に固く閉ざした瞼の裏側に、極彩色の輝きが広がっていく。

 ―――なんだって犠牲にしますから、だからお願い。

 白柳 華という土の中で眠っていた、種子が芽吹き、開花する。

 ―――もうこれ以上、私から何も奪わないでください!

 瞬間――――、

 私と男たちの間に、薄い膜のようなものが広がり、青白いスパークと共に爆ぜた。

 「「「「―――――ッ‼」」」」

 高架線下の暗闇を追いだし、びっしりと蜘蛛の巣が覆う誘蛾灯。その内側が破裂した。その破片が男たちへ降り注ぎ、その場は一時騒然となる。

 最初に我に返った私は、衝撃冷めやらぬ男たちの間をすり抜けて、その場から逃げ出した。

 振り返れば、リーダー格の男はぽかんとした表情で尻餅をつき、周囲の取り巻き立ちが腕を掴んで起き上がらせていた。

 さらに遅れること数秒。ようやく冷静さを取り戻したリーダー格の「追いかけろ!」という怒鳴り声が、背後から聞こえてきた。

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