第80話兄、バイロン

「一体どういうつもりだ」




 バイロンが顔を険しくして、クリスティーナに詰め寄る。




「まさか、本当に男の格好をしているとはな。この目で見るまでは、信じるつもりなど毛頭なかったが」




「バイロン兄様……」




「おまえは! 自分がなにをしているのかわかっているのか!?」




 バイロンの気迫に、クリスティーナは身を竦ませた。恐怖と不安、罪悪感が一気に波のように押し寄せてきた。




「これにはわけがあって――」




「おまえのわけなど、どうでもいい!! クリスティーナ、おまえひとりのために、我がエメット家を窮地にさらす気か!?」




「兄様……」




 バイロンの言葉が胸の奥深くに突き刺さった。愚かな己ひとりのせいで、兄たちを危険にさらしているのは間違いようもない事実――。




「久々に帰ってみればこんなことになっていたとは。こっちにいる執事のロバートとは手紙のやり取りをしていたが、皆元気にやっていると、その言葉にずっと騙されていたんだな」




 バイロンは苛立だしげに溜め息を吐く。




「ロバートだけじゃない。帰ってきたら、ペギーの様子もおかしいし。おまえの姿が見えないから、問い出したら、とんでもないことを言った。おまえが男の格好をして、王太子にお仕えしていると――」




 バイロンがきっと睨む。




「わたしがどれほど苦労して、あの領地を立て直したと思っている。わたしだけではない。弟のマシューだって、一緒に頑張ってきた。ザッカリーだって、そうだ。騎士として身をたてれたというのに、おまえひとりのせいで、全部台無しになるんだぞ」




 感情が昂ぶったのが、息が荒い。




「男の格好をし、王族を謀った妹のせいで――」




 クリスティーナは耐えるように拳をぎゅっと握った。




(わたしひとりで罪をかぶるつもりではいたけど、実際、本当にそれだけで許してもらえるの?)




 兄に責められ、今更ながら、犯した罪の重さがのしかかった。


 許されたとしても、愚かな自分のせいで、エメット家に汚名がつくのは避けられないだろう。結果、兄たちが肩身の狭い思いをするだろう。関係のない兄たちを巻き込んだ罪悪に果たして、自分は耐えられるだろうか。


 クリスティーナは自分の体からどんどん血の気が引き、背中に冷や汗が流れるのを感じた。




「今ならまだ、後戻りできる。クリスティーナ、王太子の従者を今すぐ辞めるんだ」




「そんな……」




 クリスティーナは顔をあげた。


 気付けば、自分の素直な感情を口に出していた。実の兄たちが苦しむことなど望んではいない。しかし、それと同じくらいアレクシスのそばを離れることもまた、身を引き裂かれるくらい辛かった。


 心の中で感情と感情が激しくせめぎ合う。


 クリスティーナは懊悩した。




「クリスティーナ!! おまえは代々受け継がれてきたエメット家の領地がどうなっても良いと言うのか!」




 バイロンの口調が激しさを増す。




「母さんがどうして、あんなに必死に土地を守ってきたと思っている。全部、わたしたちのためだ。それをおまえは手放せというのか」




 クリスティーナははっとして身を強張らせた。


 母はクリスティーナの最大の弱点だった。


 世界で一番大事なひとだった。


 幼い頃幸せだったのは、全て母がいたからだと言える。




「母さんが大事にしてきた土地だ。本当ならあんな苦労する必要なかった。自分の先祖とは縁もゆかりもない土地だ。でもあんなに必死に領地経営してきたのは、全部わたしたちのためだ。おまえもわかってるだろう? 母さんはわたしたちを一人前に育てるために、必死にそのお金を稼ぐために、自分を犠牲にしてきた。その土地を手放すはめになったら、顔向けなんてできない」




 バイロンがクリスティーナの肩に手をのせた。




「おまえなら、わかってくれるはずだ」




 クリスティーナは項垂れた。


 母のことを持ち出されれば、胸の中の気持ちが途端に萎んでいく。


 もう反論する気力は沸き起こってこなかった。




「こんなことになるまで、領地にずっとかまけていたわたしも悪かったと思っている。今回戻ってきたのは、皆の顔を見るためではあるが、おまえに縁談を持ってきたんだ」




 クリスティーナは驚いて顔をあげた。




「我が家の領地と隣合わせの領主の息子だ。同じ土壌を持つもの同士、協力してずっと作物の品種改良を行ってきたんだ。彼のおかげで、やっと上手くいく品種ができたところだ。真面目で人柄も保証する。きっとおまえを幸せにしてくれるだろう」




 バイロンの真摯な目の向こうに、その人物への信頼の光が見えた。




「女に戻れば、おまえはもう王都にいられないだろう? おまえの顔を知っている人物にいつ会うかしれない。正体が知られたら終わりだ。これもちょうどいい機会だ。ダナン地方に一緒に帰ろう」




 優しさが込められた響きに、妹を思う心遣いが伝わった。


 同時にその言葉は、クリスティーナが十歳のとき、手放したと思っていた枷を思いおこさせた。


 自分の意思など関係なく、決められた道を押し付けられるのが嫌で、飛び出した世界だった。けれど、本当はなにひとつ解き放たれてなどいなかったのだ。


 だけど、あのときとは違う。自分には宝物のような幸せな記憶がある。それだけで、この先の人生、何があっても辛くはならないだろう。


 クリスティーナは炎のような髪の色を思い出した。力強く燃える瞳。それを記憶の中に閉じ込めるように、瞼をおろした。


 涙が一筋、こぼれ落ちた。

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