第56話取り引き

 クリスティーナがひとり、執務室に帰る道すがら回廊を歩いていると、近くの茂みから、ひょいと人影が出てきて目の前に立ちふさがった。


 慌てて立ち止まる。ついでに書類も落としそうになった。クリスティーナは相手を見上げた。




「これは、シルヴェスト殿下。失礼しました」




 突然現れた影はシルヴェストだった。


 ぶつかりそうになったことを侘び、立ち去ろうとすると、引き止められる。




「ねえ、きみ、アレクシス殿下の従者だろ」




 クリスティーナは足を止めた。




「はい。そうですが」




 シルヴェストの顔を見るのは、初めて会った日以来であった。アレクシスはおもてなしする身ではあるものの、ほかの仕事もある。始終べったりついてるわけにもいかず、初日に歓迎の晩餐を共にするのと、快適に過ごせるよう、こもごもしたものを部屋に用意したほかは、あとは本人に自由に過ごしてもらっている。


 聞けば、連日どこかの舞踏会や夜会に出席しているらしい。この華やかな容姿と王太子という立場であれば、どこに行ってもきっと歓迎されるだろう。




「ねえ、アレクシス殿下って普段どんな方だい?」




 初めと比べて、口調が大分砕けていた。一介の従者なら、そうなるのだろうと思い、クリスティーナは気にしなかった。




「どんな方――?」




 質問の内容が幅広過ぎて、言葉に迷う。いくつも浮かぶアレクシスに関する言葉に、クリスティーナが迷って口を開けずにいると、シルヴェストがうーんと唸った。




「周りに訊いても、品行方正で真面目、慎み深くて紳士的としか言わない。みんな同じ答えなんだ」




 アレクシスは、普段演じているからそう捉えられても別段おかしくはない。




「それが何か?」




 シルヴェストは信じられないというように眉を広げた。


 言葉遣いだけではなく、動作も最初の印象とは大分異なっている。絵に描いたような、物腰柔らかな王子だと思っていたが、本来の彼はこちらかもしれない。


 大袈裟に肩を竦める。




「おかしいよ。そんな完璧な人間いるわけない」




「そうですか?」




 全ての人間を知っているわけではないクリスティーナは素直に言葉にした。


 シルヴェストが目を閉じて、首を振る。見かけに寄らす、感情表現が豊かな王子様だ。




「誰彼も好かれる人間なんているわけない。いるとしたら、それはそういうふうに演じているだけだよ」




 クリスティーナが口を開けずにいると、シルヴェストが続ける。




「わたしも王太子だから、わかる。時には演じなければならないことを――」




 真面目な表情が現れたので、今の発言は王太子としての彼の本心だと知れた。




「アレク、――殿下のことを知りたいのはわかりましたが、何故わたしに?」




 おもむろに、シルヴェストが一歩近づいてきた。




「聞けば、きみ――クリスと言ったっけ? アレクシス殿下と小さい時から一緒にいるそうだね」




 上背のあるシルヴェストに気圧され、クリスティーナは書類を抱いて頷く。




「え、ええ――」




「なら、本当のアレクシス殿下を知っているのはきみしかいないと思ってね」




「そうだとして、なぜ、そんなに知りたいんですか?」




「わたしの妹が今度、成人を迎えるんだ」




「はあ」




 突然の会話についていけず、クリスティーナは思わず、溜め息のような返事を返してしまった。しかし、シルヴェストは気にしなかったようだ。




「成人するにあたって、いずれどこかに嫁入りすることは決まっている。そこでね、アレクシス殿下はどうかと思ったんだ」




 クリスティーナの体がこわばった。


 シルヴェストはそれには気付かす、話を進めていく。




「ちょうど、年頃も合うし、お互い婚約者もいない。妹もいい人がいないか、今見極めてる最中でね、今回アルホロン行きが決まって、頼まれたんだ。アレクシス殿下の人となりを見てきてほしいって」




 シルヴェストはそこで溜め息を吐く。




「しかし、誰から訊いても同じ答えが返ってくるばかり。わたしはそんなのが聞きたいんじゃない。本当の彼を知りたいんだ。夫婦となったら、隠し事はなくなるだろう? 嫁いだ時に、とんだ人間だったとわかっても遅いじゃないか」




 シルヴェストは力説する。




「妹に伝えるためにも、知っておきたいんだよ。それに兄のわたしだったら、妹に合いそうかどうかわかるしね。――外見は男のわたしから見ても、充分合格だ。妹もきっと気にいると思う」




 喋り続けるシルヴェストを、クリスティーナは力なく見つめた。




(王女様から婚約を申し込まれたら、断れるわけない)




 恐れていたことがいよいよ明確な形をとって、クリスティーナのもとに訪れようとしていた。


 ふと、饒舌だったシルヴェストが急に唇を閉じた。クリスティーナにじっと目線を向ける。


 その切れ長の目にクリスティーナは物怖じしてしまった。やはり秀麗な人物は迫力がある。綺麗な虹彩を放つ碧眼に見つめら、クリスティーナはたじろいだ。




「な、なんですか」




 シルヴェストの視線が細められた。




「それから、きみに訊きたいことがもうひとつあって」




 シルヴェストが一歩近付いた。あともう一歩で、クリスティーナとぶつかるだろう。




「人々から聞いた話の中に、すこし見逃せない話があってね。まあ、みんなが噂してるわけじゃないんだけど――」




 シルヴェストが腰をかがめ、クリスティーナの耳元に唇を寄せた。




「きみとアレクシス殿下ができてるって本当?」




 クリスティーナはぽかんとした。思わず訊き返す。




「できてるってなんですか?」




 クリスティーナの恋愛は、幼い頃読んだ童話の中だけにある。そこには当然、王子様とお姫様、あるいは騎士とお姫様といった、正統な恋物語しか存在しない。だから、男が男に恋をするなどという図式は、クリスティーナの中に浮かび上がらないのである。


 一方、シルヴェストはその無垢な眼差しに面食らった。




(ずいぶん擦れてないんだな)




 その色事に疎い様子から噂が真実でないことが知れたが、ついからかいたくなった。


 こほんと咳払いをすると、再びクリスティーナの耳元に唇を寄せた。




「つまり、恋人同士かってことなんだけど」




「ええ!!」




 今度は飛び上がったクリスティーナであった。




「え!? え!?」 




 驚き過ぎて、単純な言葉を発することしかできない。


 アレクシスもクリスティーナも男である。――少なくとも周りは疑っていないはずだ。でなければ、今ここにこうしていられない。




「なんで、そんなことに!?」




 目を白黒させるクリスティーナにシルヴェストはくすりと笑う。




「わたしが聞いたのはほんのふたりばかりだよ。まあ、それも確証あってのことじゃなくて、半分は面白がってかな」




 先程の重たい空気を拭い去り、シルヴェストは軽い雰囲気に戻っていた。




「アレクシス殿下はこれまで噂がたつような関係に至った女性がいない、加えて、ひとりの従者を子供のころからずっと肌見離さず連れている。この二つが一部の者たちの憶測を招いたんだろう」




 いまだ頭が追いつかないクリスティーナは、わけがわからないまま答える。




「わたしと殿下はそんな関係じゃありません」




「うん。それはさっきの反応でわかった。――でもそんな不名誉な噂がたつような相手を夫に迎えねばならない妹の立場を思うとね」




 まだ決まったわけでもないのに、シルヴェストは話を進めていく。思案顔のシルヴェストがクリスティーナに目を向ける。




「きみも嫌だろう。自分のせいで、主に迷惑がかかるのは」




「それは――」




 クリスティーナは言葉に詰まった。勿論嫌に決まってる。けれど噂を止めるには、アレクシスの従者を辞めるということだ。それはどうしても避けたい。


 行き詰まっていると、回廊の向こうからアレクシスが現れた。




「クリス、何してる。遅いから――」




 そこで言葉をとぎらせる。シルヴェストの存在に気がついたのだ。




「これはシルヴェスト殿下、ご機嫌よう」




「ご機嫌よう」




 二国の王太子は、クリスティーナを挟んで、挨拶を交わした。


 アレクシスがクリスティーナをちらりと見て、口を開く。




「あの、クリスが何か?」




 その時、シルヴェストが妙案を思いついたように眉をあげた。




「実は今、クリスと相談していまして。わたしの従者になってくれないかと頼んでいたんです」




 思いもよらぬ内容に、クリスティーナは目を丸くした。


 アレクシスが眉を顰めた。王太子の仮面がわずかに剥がれた。




「クリスを従者にですか?」




 しかしそれには気付かない様子で、シルヴェストが明るい口調で続ける。




「ええ。ずっとと言うわけじゃなくて、この国にいる間だけです。実はわたしの従者が、この国に来る前に突然、体調を崩しましてね。急遽来れなくなったんです。少し不便でしたので、こちらにいる間だけでも、貸してください」




「それなら、別の人間を寄越そう」




 シルヴェストが首をふる。




「いえいえ、厚かましいことは百も承知ですが、やはり王太子付従者でないと、わたしも不便で。慣れない土地にいますから、余計こういう仕事に慣れていない者でないと、安心できません」




「しかし――」




「――ここは本人に訊きましょう」




 アレクシスの言葉を遮り、シルヴェストが手の平で、クリスティーナを指した。


 二対の目線が真上から注がれ、クリスティーナは戸惑った。




「えっと――」




 迷っているクリスティーナに、シルヴェストが耳打ちするためにしゃがんだ。


 それを見たアレクシスの眉が跳ね上がった。




「いい取引だと思うよ。わたしはきみからアレクシス殿下のことを聞けるし、きみは主を不名誉な噂から守れる」




 確かに一理ある。根本的にまだよくわかっていないが、この噂はクリスティーナに原因があるかもしれない。好きだという気持ちのせいで自分でも気付かないうちに、必要以上にアレクシスに近づきすぎていたのかもしれない。そのことが変な噂を呼んでしまったのかもしれなかった。それなら責任をとるのはクリスティーナだ。周りはアレクシスがクリスティーナを手放したと思ってくれるだろう。それによって、まだ一部でしかない噂も消えることだろう。


 離れると行ってもシルヴェストがこの国にいる間だけ。


 クリスティーナは決心した。




「シルヴェスト殿下の従者になります」




「クリスッ!」




 アレクシスが驚きの声をあげる。


 クリスティーナはアレクシスを見上げた。




「ほかの方の従者をやったら、学ぶこともあるかもしれないし、今より成長できるかも――」




 ただの言い訳だが、こう言う他ない。




「じゃあ決まりだ。彼を借りていくよ」




 シルヴェストはいつの間にか、口調を崩していた。アレクシスがシルヴェストを睨んだ。


 その視線を受け、眉を大袈裟に広げる。




(あー、怖い。獲物を盗られた肉食獣だな)




 王太子の仮面を崩したことに満足して、シルヴェストはくるりと背を向け、あるき出す。


 強い視線を背中に感じ、くすりと笑った。


 本当の彼が、ようやく顔を出した。


 何故だか、王太子として取り繕っている彼よりも、そちらのほうの彼のほうが好きになれそうな気がした。


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