第53話生誕祭(2)
森の入り口で貴族の令嬢たちと少し離れた場所で待っていたクリスティーナは、木に繋がれたアイナを撫でていた。
(まだかな、アレク)
早く帰ってきてほしい。これ以上、親しくならないでほしいと心の願いが通じたわけではないだろうが、森の中からこちらに近づいてくる騒がしい音が聞こえ始めた。
どうやら、貴族たちが狩りを終えたようだ。
初めに猟犬。続いて馬に乗った貴族。勢子たちが獲物をもっている。
その獲物を見て、待っていた令嬢たちがそれぞれの感情を乗せ、声をあげる。
「まあ、すごい」
「わたくし、仕留められた獲物を見るのは初めてよ」
「血が出てるわ」
すでに命を奪われた動物たちに対して、興奮や怖れ、未知なる好奇心を声にのせ、目を奪われる者、さっと扇子で隠す者と反応は様々だった。
対して男たちは、興奮に顔を赤らめ、自分たちの成果に意気揚々だ。
アレクシスはどこだろうかと、クリスティーナが首を伸ばすと、一番後ろからアレクシスが現れた。
「本日の勝ち星をあげたのは、殿下ですな」
貴族のひとりが言うと、令嬢たちが顔をあげる。
「我々の中で、一番大きな獲物、なんと牡鹿を仕留められました」
アレクシスの後ろから、牡鹿を担いだ勢子たちが現れる。
「まあ、なんて立派な」
「さすが殿下ですわ」
目の前に置かれた、角が立派な牡鹿を見て、先程扇子で顔を隠した令嬢も目を奪われる。
褒められた本人は至って冷静だ。涼しい顔で馬から降り、隣のフェリシアに手を貸す。
フェリシアがアレクシスの腕をとった。その手は馬から降りてからも握ったまま、離されることはなかった。
「初めて動く獲物を仕留めたとは、思えないくらい堂々として、立派でしたわ」
フェリシアが隣に寄り添い、アレクシスを見上げる。
「皆さまのお目にかけれなかったことが、本当に残念ですわ。惚れ惚れするくらい、弓ひく姿が雄々しくて、とても良いものを見させていただきましたもの」
尊敬の念を浮かべるフェリシアの表情を通して、ほかの令嬢もつられたようにぽうっとなった。令嬢たちが全員、アレクシスの虜となる。
貴族たちの中心にふたりが立ち、まるでこの場の主人公のようだ。
ぴたりと寄り添い、アレクシスを褒め称え、人心をアレクシスに持っていくさまは、まるで未来の王妃のようで――
取り囲む人々もふたりを称嘆の眼差しで見つめる。
この場の光景は未来の縮図のようだった。
ひとり離れたところでそれを眺めていたクリスティーナは、衝撃のあまり身動ぎひとつできなかった。
その時、アレクシスがふとこちらを見た。
クリスティーナは混乱のあまり、さっと目を反らした。
どうしていいかわからず、そばにあった木を超え、足早に森の中に入っていく。
――どこでも良い、ここではないどこかに行きたい。
あれ以上、あのふたりを見ていたくなかった。
顔を伏せたまま、走って木々の間を渡っていると、突如腕を掴まれた。
そのまま、後ろ向きのまま、腰に腕がまわされた。
「悪い。やりすぎた」
囁かれる声から、今、クリスティーナを後ろから抱きすくめているのはアレクシスだと知れた。クリスティーナは混乱した。
どうしてここにアレクシスがいるのだろう。
あの場であれほど相応しいふたりはほかにいないというのに――。どうしてその場を離れてしまったのか。
アレクシスはクリスティーナを腕に囲いながら思った。
(お前があんな顔して女を見つめるなんて初めてだから、焦ったんだ)
「そんな泣きそうな顔するほど、好きだとは思わなかったんだ」
苦しそうな声音だった。しかし、クリスティーナはそれよりも、アレクシスの台詞に血の気が引いた。
(ばれた!? アレクが好きだと言うことがばれてしまったの?)
だとすると、女だということもばれてしまったのだろうか。
そうなったら、従者ではいられない。もうそばにはいられないということだ。
(いや!)
その気持ちが、クリスティーナにとっさに嘘を吐かせた。
「好きじゃない――」
後ろでアレクシスが腕に力を込める。
「本当か?」
その質問に、疑いのようなものが混じる。
「本当に好きじゃないよ――」
クリスティーナは必死に言い繕った。自分で言ったにもかかわらず、その言葉は心を抉った。嘘をつかなければならない自分が悲しい。
アレクシスがほっと息を吐いたようだった。
「なら、俺のこと、嫌いにならないよな」
(え!?)
クリスティーナの頭がこんがらがった。
好きなのかと言われ、その次は嫌いになるなと言う。クリスティーナの返事とは真逆なことを返され、クリスティーナの頭の中は何がなにやらわからなくなってしまった。言葉の道筋がまったく掴めない。
答えないのを焦れたのか、アレクシスが再び、口を開く。
「俺のこと、嫌いにならないでくれ」
必死な口調で耳元に囁かれる。懇願にも似た響きに、クリスティーナはわけがわからないまま、それでもこの質問には答えねばと感情が突き動かされた。頭の中は相変わらず混乱したままだったが。
「――嫌いにならないよ」
「本当か?」
クリスティーナは体の自由を奪われているものの、首だけは動かすことができた。頷いた。
「うん」
アレクシスがほっと息を吐いた。
「なら、いい」
だが、腕の力は緩められなかった。腰に腕を回したまま、クリスティーナにぴったり寄り添う。
クリスティーナも離してくれとは言えなかった。離してもらえば、アレクシスと面と向かって話さなければならない。
泣き顔を見られたら、嘘だとばれてしまう。
クリスティーナが身動きひとつせず、じっとしていれば、ますますアレクシスが腕に力を込めた。
頭に擦り寄せられている感触が伝わるが、何故だろう。
アレクシスはクリスティーナが抵抗しないことをいいことに、愛しいひとの感触とぬくもりを楽しんだのだった。
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