第31話入舎試験(3)
夜更け、ひとつの影が武器庫へと向かう道を歩いていた。
(やっぱり気になるな)
影の正体はアレクシスだ。クリスティーナの様子が気になって、部屋を出てきてしまった。
(とりあえず、武器庫の前まで行って、何もないなら戻ってこよう。あいつは大丈夫って言ったけど、そんなにあいつ強くないし。べそをかいてたら、慰めてやろう)
歩を進めると、前方から声が聞こえた。
「一杯で足りるかな?」
「大丈夫だろ。頭からかぶせるならこれで充分だ。武器庫を水浸しにしたら、怒られるのは俺たちだ」
「それもそうか。どっちがかける?」
「俺がやる」
「ええ!? そこはじゃんけんで決めようぜ」
ほぼ歳が変わらない騎士の少年二人が、武器庫の扉の前で、持っていたバケツをおいて、じゃんけんの構えをする。
今の会話と、波々注がれたバケツの水を見て、アレクシスはこれから少年たちがすることをほぼ悟る。
「なに、してるんだ?」
突然現れたアレクシスに少年たちがぎょっとする。
「で、殿下!?――ここで一体何を?」
「それはこっちの台詞なんだが。それ、あいつにかけるのか? やりすぎじゃないのか」
春とはいえ、まだ夜は冷える。ずぶ濡れの状態で、一晩いればどうなるか、少し考えれば一目瞭然だ。
アレクシスの詰問に、少年たちは目を泳がせる。
「これはその――」
確かにここまでやる脅しは過去にない。せいぜい、怪しい物音を立てるとか、そっと近付いて耳元で叫ぶとか、そんなものだ。あとは四方八方から伸びる手に全身くすぐられるとか、濡れた布を頬や首筋にそっとあてられるなど、他愛もないことばかりだ。
まごついてる少年たちに、アレクシスは溜め息を吐いた。
「行け」
「は、はい!!」
慌てて去ろうとする少年に、間をおかず言う。
「ただし、鍵はおいていけよ」
「は、はい! どうぞ」
少年たちは鍵を渡すと、一目散に去っていった。それを見送る気もなく、鍵を手のひらで放って、再び、空中でとらえる。
(さて、クリスの様子だけ見てくか)
鍵を鍵穴に差し込み、回す。カチリと音がするのを確認して、扉を引っ張った。
軋んだ音を立てて、扉が完全に開いた。
真っ暗だった武器庫に月明かりが差し込み、扉のすぐ前に横たわっていたクリスティーナの姿が照らし出された。
「だ、誰?」
クリスティーナが肩から頭の先まで上げて、戸惑いの声をあげる。青白い月明かりのせいだろうか、いつもより儚く感じられる。いつも羽織っている上着を地面において、その上に寝転がっていたようだ。
「誰なの?」
まるで無防備な態勢で、こちらを見上げて問いかける様は庇護欲をそそる。
アレクシスの鼓動が一気に跳ねた。月明かりに、クリスティーナの細い輪郭が浮かび上がった。妖艶な態勢なのに、その口元はあどけない。唇に目線が引き寄せられて、脳裏に、本屋の店主の言葉が蘇った。
『口付けすれば、一発でわかりますよ』
(なんでこんなときに思い出す!? 俺は一体何を考えてるんだ)
理性は必死にとめるものの、目が離せない。返事のない相手にクリスティーナは不審に思ったのか、上半身を完全に立たせて、座りこんだ。
アレクシスは誘われるように、音を立てずに地面に膝をついた。クリスティーナと同じ目線になる。
(だが、試すには絶好の機会だ)
クリスティーナの肩を掴む。
「な、なに?」
急に掴まれた肩に、クリスティーナは驚きの声をあげる。掴んだ肩は細くて、頼り無げで、一層、欲望を燃え上がらせた。そう欲望だった。この瞬間、口付けする言い訳も、理性も消しとんだ。
気付けば、クリスティーナの顔を引き寄せ、口付けていた。
びくんとクリスティーナの体が跳ねた。
一体、どれほどそうしていただろうか。一瞬のような気もするし、もっと経った気もする。
アレクシスは唇を離すと立ち上がり、扉を無意識に閉めた。
自分の部屋へと繋がる道を、力のない歩みでのろのろと戻っていく。
月明かりの下、途中立ち止まり、顔をあげて叫んだ。
「ああー!」
そうしないと自分の中の何かが溢れて破裂してしまいそうだった。真っ赤になった顔を覆う。
「駄目だ、完全にこれは駄目だ」
アレクシスは敗北の声をあげ、その場にしゃがみこんだ。理性よりも本能が勝った時点で、既に負けていたのだ。
「俺はあいつが好きだ」
アレクシスはクリスティーナへの恋心を自覚した。自身の赤い燃え盛る髪の如く、その情熱に身をおいた瞬間だった。
一方、残されたクリスティーナは呆然とした。片方の手で唇を押さえる。
「何だったの、今のは」
いまだ口付けの感触を知らないクリスティーナはそれが接吻だとは気付かない。
(何か、柔らかいものが当てられた気がするけど、何だったのかな)
考えて、首を捻る。
(まさか、唇? ううん、まさか。――明日、バートに聞いてみよう。鍵をもっているのはバートだし、きっと聞けばわかるよね)
しかし、次の日、迎えに来たバートが鍵穴に差し込まれたままの鍵に、怒っているのを見て、訪れた人物はバートでないことを悟る。
「あの、バート、昨日実は――」
「ああ、いたずらにきた騎士がいたでしょ。ごめんね、言えなくて。――それにしても鍵をこのまま放置するなんて、全く」
言わんとしたことを察して、バートが謝るも、すぐに鍵のほうに意識をとられてしまった。
それ以上、詮索することも躊躇われて、口を噤んだ。
(いたずら? じゃああれはいたずらだったんだ。騎士がまさか口付けするわけないし、あれはきっと違う別物だったんだ。それにしても、変ないたずらだったな)
クリスティーナはそれ以上考えるのをやめ、無事に騎士の洗礼を終えたことをひとり喜んだ。
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