第11話決意

 「待ってよ、アレクシス。一体、どこにむかっているの?」




 掴まれた手首に従うまま、クリスティーナはアレクシスの背に呼びかけた。先程から、何度も呼びかけるが、アレクシスが振り返る気配はない。クリスティーナは諦めて、アレクシスに大人しく付いていくことに決めた。


 二人は商業区を抜け、貴族の屋敷が建ち並ぶ区域を走っていた。邸を取り囲む長い庭塀を何度も通り過ぎ、住居群の中心の更に奥に入っていく。


 このまま真っ直ぐ行けば、行き着くところはひとつしかない。クリスティーナは戸惑いを浮かべて、アレクシスを見れば、その足は微塵の躊躇いもなく走り続ける。クリスティーナを決して離さぬかのように、手首を掴む指には力が入っており、クリスティーナを先導し続ける。


 やがて大きく開かれた鉄柵が見え、アレクシスが立ち止まった。両脇に控える兵士が方向を遮るように槍を構えたが、アレクシスがズボンのポケットから取り出したものを見せると、はっとして槍を元の位置に戻した。クリスティーナからは見えなかったが、それは王家の紋章を刻んだ装身具だった。


 兵士が開けた先を、アレクシスは走るのをやめて、歩き出した。


 クリスティーナはわけがわからないまま、引きずられるようにあとに続く。両脇を生け垣に挟まれた道は、何台もの馬車が通れるほど広い。子供の小さな歩幅でようやく渡ると、白い階段が現れ、十段ほど登った。左右には、腕を回しても少しも届かなさそうほど大きな柱が立っていた。見事な柱頭の彫刻に見惚れていると、アレクシスはその先の開かれた建物へと入っていく。両扉の左右には騎士が立っていたが、今度は見咎められることはなかった。


 建物の中もまた、驚きに満ち溢れていた。始めて見る大理石の床は、これまたクリスティーナの家とは比べられないほど広い廊下の足元を彩っている。壁は金糸模様の白い壁紙が貼られ、腰元から下は光沢のある装飾木材で覆われいた。気品ある中でも、どこかぬくもりも感じるのはそのせいだろう。いくつも扉を通り過ぎ、アレクシスはとうとう行き止まりの、今までで一番大きな扉の前で立ち止まった。


 左右に騎士が並んでいる。アレクシスは騎士に顔を向けた。




「父上はここか?」




 どうやらここが終着地のようだ。クリスティーナは早鐘を打つ自分の鼓動を感じた。


 騎士が口を開く。




「はい。中におられます」




「客人も一緒か?」




「いえ。今は宰相とお二人でおられます」




「なら構わないな。開けてくれ」




「はっ」




 騎士は短く答えると、ふたりがかりで左右から両扉を開いた。


 王都の中心、ここは間違いなく王宮だった。今そこに足を踏み入れ、クリスティーナが今立っている場所と交わされた会話で、この扉の先にいる人物が一体誰で、そしてアレクシスが何者なのか、その答えを導き出すため、クリスティーナの小さな頭は目まぐるしく動いた。


 けれど行き着いた答えは到底信じられず、クリスティーナは固まるしかなかった。






 アレクシスはそんなクリスティーナにかまわず、小さな手首を掴んだまま、部屋の中に足を踏み入れた。


 部屋の一番奥では、一段高い場所で父親が玉座に座っている。その隣には宰相が立っていた。父親はアレクシスに視線を向け、続いて息子に手を引かれる少年に気付くと、面白そうな顔つきになって、ふたりが近付いてくるのを眺めた。


 クリスティーナはだんだんと視界に大きく拡がる二人の姿を見て、ごくりと唾を鳴らした。大きな椅子に座る男性は、童話とは全然違う姿をしていた。本の中では立派な白い髭を蓄え、大きなお腹を抱え、杖を持っている王様だった。だが、この玉座の男性は随分若い。佇まいも恐そうでなく、人を惹き付ける雰囲気が滲み出ていた。クリスティーナが語彙豊かなら、男盛りの美丈夫と表現したかもしれない。髪色は非常にアレクシスと似ていた。


 王の傍らに佇む男性も同じくらい若かった。肩のあたりで長い髪を結び、右側に垂らしている。少し切れ長の目が怜悧な光を含み、相対した相手に緊張を走らせそうな雰囲気を纏っていた。


 アレクシスは父親の前に進み出た。クリスティーナが隣に立つのを待って、口を開いた。




「父上、この者を俺の従者にします!!」




 アレクシスの言葉を聞いたクリスティーナは目を見開いた。思わず耳を疑い、アレクシスを凝視する。アレクシスは真剣な眼差しで上を向いていた。


 王は少しだけ目を見開いた。




「ふむ、従者か」




「いつか俺にも必要になるなら、この者が良いのです。クリスを俺の従者にすると認めてください!」




 かつてない息子の嘆願に、王は隣に立つクリスティーナに目を向けた。




「クリスか。家名は何と言う」




 自分の人生において今の今まで、遥か頭上に位置していた人物に声をかけられたせいで、緊張のあまりクリスティーナの全身から汗がふき出した。




「は、はい。クリスティ――いえ、クリス・エメットと申します」




「エメットか。当主の名は? そなたくらいの年齢なら、父か祖父のどちらかだろうが」




「父です。デクスター・エメットと申します」




「爵位は?」




「子爵です」




 矢継ぎ早にされる質問に、クリスティーナは慌てて答える。




「デクスター・エメットか」




 アルバートは顎に手をやった。隣に立つ宰相に目を向ける。宰相、レイノは少し考える振りをして、首を振った。




「聞いたことがない名前ですね。宮廷には出仕していないのでしょう。おそらく、領地経営だけで生活しているのではないでしょうか」




 アルバートはおもむろに口を開いた。




「――特に問題はないようだな」




「ええ。今の宮廷にいる有力貴族たちの均衡には何の影響もしないでしょう。――ちなみに、領地を伺っても?」




 レイノがアルバートから視線を外し、クリスティーナを見やる。突如向けられた視線に、クリスティーナは再び慌てた。




「ダナン、ダナン地方の南と伺っています」




 すぐに視線は外され、レイノはアルバートに向き直る。




「特にこれといった産出物も、王家との繋がりもないですし、反対する理由はありません」




 レイノの断言を聞いて、アレクシスはぱっと顔を輝かせた。




「それじゃあ――」




「そうだな。あとはそこにいるクリスの意志なだけのようだ。――どうだ、クリス。アレクシスの従者になるか」




 王の立場なら有無を言わさず従わせることもできる。アルバートがそれを行使しないのは、彼の人徳ゆえだった。それ以外にも、アレクシスがこの部屋で初めて口にした言葉に、クリスティーナが驚くのを逃さず見ていたからだ。


 そして、ここまで何が何やらわからず、嵐に振り回される小舟の気分だったクリスティーナは、突如自分の意見を尋ねられ、大いに戸惑った。


 三対の目線が注がれる。クリスティーナは、縮こまって、アレクシスの顔をちらりと見た。隣に立つアレクシスの、期待に輝く顔を見た途端、己の中に渦巻く不安や混乱、罪悪といった負の感情がさらわれていった。自分に信頼を寄せてくれた初めての友人のそばにいたい、広い世界を知りたい、ただその想いを胸に、クリスティーナの心は決まった。




「喜んで、お受けしたいと思います」




「クリス!」




 アレクシスは喜んで、クリスティーナの肩を抱きしめた。二人の頭上から声がかかる。




「アレクシスは主としてクリスに恥じぬ行いを。クリスはアレクシスを支え、助け、忠義を尽くすように。お互い精進せよ」




「はいっ!!」




 二人の声が重なって、顔を見合わせた。くすりと笑って、王に向かって一緒に頭を下げた。 


 そんな二人を見下ろして、アルバートは満足気に口の端をあげた。




(どうやら問題はこれで、収まったようだ)




 父親の顔に戻っているアルバートに、レイノは呆れたように嘆息するも、続いてつられるように微笑んだ。 


 その後、アレクシスがクリスティーナを馬車で送り届けると名乗り出たが、クリスティーナは首を降って固辞した。


 一国の王子に送られるほど、クリスティーナの神経は太くない。


 代わりにアレクシスは王宮の入り口まで送ってくれた。普段は馬車が行き交う砂利道を踏みしめながら、アレクシスが口を開く。




「なあ、父上の手前、クリスを従者にすると言ったけど、俺は本当は友達になってほしいんだ。主とか従者とか抜きで、そばにいてほしい」




 クリスティーナは初めて、アレクシスの本当の心の声に触れた気がして微笑んだ。




「わかってるよ。僕もそう思って、返事したんだ」




 アレクシスはちょっと目を見開いて、照れたように笑った。




「そうか。なら、いいんだ。じゃあ、俺たちは今日から本当の友達だな」




「うん!」




 クリスティーナは笑顔で答えると、アレクシスも満面な笑顔を返してくれた。


 門の入り口まで来ると、クリスティーナは立ち止まった。




「それじゃあ、ありがとう。ここまで送ってくれて」




「ああ――。それじゃあ、またな」




「またね」




 クリスティーナは手を降って別れた。


 また会える言葉をかわすのは、不思議な気分だった。




(今日は本当はお別れを言うつもりだったのに) 




 狭い世界に戻るクリスティーナを、アレクシスは逆に広い世界へと手をひいて連れ出してくれた。この感謝をどう返していけば良いのだろうか。


 偽りの性で、これから大変なことや危険なことが待ち受けているだろう。だからこそ、この身をかけて、アレクシスに仕えるのが自分のできる精一杯の誠意ではないだろうか。


 クリスティーナはひとり頷いた。




(そうだよ。わたしを従者にしてくれたご恩のために、アレクシスに一生懸命仕えよう。たとえ、この道に何があったとしても、最期までアレクシスの側でお仕えしよう)




 それが自分にできる唯一の方法だ。クリスティーナは固く決意して両の拳を握りしめた。

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