再会

第66話グレイスの忙しい日々

 ベランジェの補佐官に一気に出世したグレイスは、忙しい毎日を過ごしていた。


 ベランジェには他にも補佐官はいる。


 だがそれは皆、研究(・・)の補佐官なのだ。


 つまり事務仕事が出来る人材がベランジェの傍には今まで誰も居なかったと言う訳で……


 これまでベランジェ宛ての手紙を事務課で振り分けていた理由も、グレイスはここに来てやっと理解出来た。


「いやー、グレイスが来てから私の研究室は綺麗になったよねー」

 

 ベランジェがお茶を飲み飲み褒めてくれるが、グレイスは特別な事は何もしていない、普通に整理整頓しているだけだ。


 グレイスは決して飛び抜けた綺麗好きな訳でもなく、ましてや潔癖症でも無い。


 そう、これまでのベランジェの研究室がただ酷すぎたのだ。


 使った道具は使いっぱなし、読んだ本は積み上げっぱなし……


 グレイスじゃなくても、研究室を掃除をするべきだと百人中九十九人が思う所だろう。


 だがその百人中の残りの一人が集まっているのがこのベランジェの研究室なのだ。


 グレイスはふと、先日行った呪い課の事を考えてみた。


 呪い課はここよりは数段綺麗だった。


 いやマシだった……と表現するべきだろうか……


 そう、あれぐらいならば人が暮らすには耐えられる、ベランジェの研究室が酷すぎるだけだと、グレイスは片付ける先から散らかされる苛立ちに耐えながらも頑張っていた。



「ベランジェ様ー、今日はお風呂に入って下さいよー!」


 研究室内にあるベランジェの私室へとグレイスが声を掛けに行くと、ベランジェの部屋は酷い有り様になっていた。


 棚から物は全て崩れ落ち、衣類もあっちこっちに大量に散らばっている。


 昨日まではこんな汚い部屋では無かった。


 そう、仕事が終わりグレイスが自宅へと戻る前までは、多少散らかっていると言う程度だった。


 それが物取りでも入った後の様な有り様になっていることに、グレイスは冷や汗が流れた。


(まさか強盗?! そんな、いつの間に?!)


「ベランジェ様! ベランジェ様! ベランジェ様ーーー!!」


 グレイスは物を押し除け室内へと入って行く。


 足の踏み場も無い状態だが、それでもどうにか進んでいく。


 恐怖から心臓がバクバクと音を立てるが、今は自分の事などどうでも良かった。


 とにかくベランジェの安否確認をっ!


 すると、寝室から居間に掛けての扉付近に倒れているベランジェを見つけた。


 それも真っ赤な血を流して……


「ベランジェ様! そ、そんな! 死なないで! ベランジェ様! しっかりして下さい!」


 グレイスは半泣きになりながらベランジェを抱き起こす。


 ベランジェにはまだ温もりがあり、まるで寝ているかの様だった。


「ベランジェ様! 起きて下さい! お願いです! 片付けは僕が全てやります。お風呂だって三日に一度でいい! だからお願いです、ベランジェ様、死なないでーーー!」

「ふぇえ? グレイスー、今言った事本当?」

「本当です! 約束します! だからお願いです、ベランジェ様、死なないで下さい!」

「うん、分かったー、私は死なないよー」


 そう言うとベランジェはムクリと起き上がり、ふぁーと大きなあくびをした。


 グレイスが血だと思っていた物はどうやらトマトジュースだったようで、ジュースの空き瓶が近くに転がっていた。


 ベランジェは昨夜寝る前に大好物のトマトジュースを飲んだらしい。


 だか途中で眠気に襲われ、そのまま床で寝てしまった……というのが事の顛末だ。


 なんて紛らわしい事を! と、グレイスはガックリと肩を落とした。


「昨日さー、王様に研究所辞めるって言って来たんだー」

「えっ?!」

「だってセラニーナ様……いや、ニーナ様の所に行くって約束しただろう、だから荷造りしようと思ったんだけど、魔法袋が見つからなくてさー」

「に、荷造り……?」

「うん。グレイスー、約束したからねー、荷造りも手伝ってねー」


 グレイスは数分前の自分を恨んだ。


 もっと冷静に判断するべきだったと自分で自分を殴りたいぐらいだった。


 結局今日のグレイスの仕事は魔法袋を探し、荷造りをし、部屋を片付けると言う三点セットになった。


 ベランジェ様の片付け音痴は、一生治らないだろうとグレイスにはよーく理解出来た。




 だが、実はグレイスの本当に忙しい毎日はこれからが始まりだった……




 そう、次の日、城へと出勤して来たグレイスは四人の男性に囲まれた。


 一人は研究所の所長で、グレイスも顔見知りになった相手だ。


 そしてもう一人はニーナ・ベンダーからの葉書を届けに来た司祭だ。


 朝から何故? と思ったが、もしかしてベランジェ様に用事かな? と何となく納得できた。


 そして後二人は良く知らない人物だったが、服装から見るに騎士だというのは事は分かった。


 そんな四人が何故自分を囲むのか、グレイスには全く理解出来なかった。


「貴方がベランジェ様の補佐官様ですね!」


 騎士の男性にグレイスはガシッと腕を掴まれた。


 力強い握り方に思わず「ひっ!」と声が漏れる。


 だが男性はそんな些細な事など気にする事もなく、暑苦しい顔をグレイスに近づけて来た。


「お願いです! 貴方のお力で説得して下さい!」

「はぁ? へっ? せ、説得?」


 驚くグレイスに今度は研究所の所長が鼻息荒く話し掛けて来た。


 こちらも顔が近い。


「こちらもだ! ベランジェ様を説得出来るのは君だけだ!」

「へっ? ええっ?」

「大聖女であるシェリル様も貴方の言う事ならば考えを変えてくれる筈です! グレイス様、どうか我々大聖女神殿にお慈悲をお願い致します!」

「ふぇ? えええっ?!」


 驚くグレイスを騎士の一人がぎゅっと抱きしめる。


 これがクラリッサならば喜ぶところだが、朝練後の騎士など暑苦しいだけ。


 せめてシャワーを浴びてからにしてよっ!


 とグレイスはそんな事を咄嗟に考えて居た。


「貴方達、最初に声を掛けたのは私達騎士団の者だ。クラリッサ様とアルホンヌ様の説得を彼には一番にやって貰うぞ!」

「何ー! 彼は研究室の補佐官だぞ、こっちが先だ!」

「いいえ、立場的には大聖女様が優先です!」


 グレイスを囲みやいのやいのと騒ぎだした四人に、グレイスは驚くしかなかった。


 どうやらベランジェを含め、ニーナから葉書を受け取った四人は、仕事を辞めると言ったらしい。


 国の重要人物が急に居なくなる。


 それはこれ程の大騒ぎになる様だった。


「グリグリ、おはようー」

「チュルリ、チャオさん!」


 背の高いチャオが四人の男性に囲まれているグレイスを、ヒョイっと助け出した。


 四人は「あ!」と声を上げ、グレイスの腕を引っ張ろうとした、だがチャオの言葉で押し黙る事になる。


「あー、俺ら呪い課なんだよねー」


 そう、呪い課は国王承認の花形課、手を出せば大変な問題になる事は想像がつく。


 それに下手に呪いを掛けられても困る。


 四人はチュルリとチャオを前にし渋々離れて行ったが、あの顔を見る限りグレイスに説得を頼む事を諦めた訳ではない様だった。


「グリグリー、大丈夫ー?」

「……う、うん、チュルリ、チャオさん、ありがとう……本当に助かったよ……」


 二人に助け出されなかったらどうなっていたか……


 グレイスは自分の体を抱きしめ、ゾッとする気持ちを抑えた。


 すると、チュルリとチャオが顔を見合わせたあと、グレイスに話し掛けてきた。


 それもひっそりと……


「実はさー、俺達もベランジェ様について行く予定なんだー」

「えっ?」

「この様子を見るとグレグレも一緒に来た方がいいんじゃないかなー?」


 それは確かにとグレイスは思った。


 たぶん彼らはまた押しかけてくるだろう。


 ベランジェがいなくなったとしても、グレイスの所へ来ては呼び戻せと言って来そうだった。


 だけど折角王城の仕事に就く事が出来た。それを捨てるのはグレイスには勇気のいる事だった。


 果たしてグレイスはどうするのか、カルロからの連絡が入るまでに決まる事を祈ろう。

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