第4話 走る

メールが来てる。



最初、サクラは戸惑った。アジアの知らない小さな国からきた、送信先を間違えた言語も読めないメールに。



英語で返すと、送信先を間違えたこと、自分は小説家を貧しい国で目指していることを知った。



翻訳の次の仕事が来ていたので、パソコンを起動させると、またその青年からメールがきていた。



また、間違えたのかと思うと「Dear, SAKURA」とサクラ宛てだ。


母国語と英語を混ぜたメールは、短い。





「僕はクテ・グテ・ジョンです。25歳です。小説を書いています。あなたは日本人だと分かります。僕は小説家になるために、頑張っています。あなたに僕の小説を読んでもらいたい」



最後には、ありがとう、と日本語が添えてあった。



失恋後に利害関係もない、知らないアジアの国からのメールは、必死で、健気で、純粋だった。




下手な恋愛をするよりも、仕事と異文化交流に没頭していた方が楽かもしれない、シェアハウスをしているイラストレーターの由美に、合コンのキャンセルを伝えた。




「ええっ?大丈夫なの?私もよく知らない国だよ?日本人だから金目当ての嘘じゃない?」

いつもは、穏やかな由美が珍しく難色を示した。



「そんな、感じでもないんだよね・・・」

ポツリとサクラが言うと、由美はしょうがないなあと顔をした。結婚まで考えていた彼との別れは、想像以上にサクラに影を落としていてらしい。



「何か、危なそうだったら、私にも相談してね。おやすみ」

由美はそう言うと、自分の部屋に入って行った。



自分の翻訳の仕事も二本、短編だが抱えている。国際翻訳辞典を見ても最低限の言語と例文しかない。



パソコンの前で、途方に暮れていたら出版社で英語は当たりで、言語好きの編集者がいる。旦那様が日本在住のアメリカ人なのだ。



安田叶多(かなた)さん42歳で、よく仕事に行き詰まると飲みに行ってくれる。


曜日を見たら、打ち合わせは明日の午後だ。とりあえず話だけでもしてみようか。サクラは、軽い気持ちで思った。



正直、結婚までお互い考えていた彼氏との別れは辛いを越えていた。切り出さしてきたのは向こうだった。


「君は、翻訳家で仕事の時間もサラリーマンの僕とは違うし、同じ生活をするのも難しいと思う。子供も欲しいけど、こんな2人じゃ無理だろう・・・」

つらつらと結婚を出来ない話を並べられだが、ふられたのだ。30になって。


この人とは、何年付き合っていたんだっけ?ペラペラと言い訳を前にする彼を見ながらサクラの視界が歪んだ。



「泣かせるつもりじゃない。実は僕も仕事でいろいろあって、結婚する自信がないんだ」

その言葉で、サクラは自分が泣いている事に気がついた。



あれから、由美に合コンや婚活パーティーに誘われるも愛想笑いが苦痛になり、独りで生きていくのも悪くないと思い、仕事に力をいれた。



特に趣味もなく、買い物か本屋めぐりをする毎日に、知らないアジアの国からメールが来た。



編集者の犬飼さんとの部屋は、いつも出版社の最上階の部屋だ。



42歳にして編集長でもある犬飼叶多(かなた)だが、サクラが翻訳家としてデビューし右も左も分からない時に、編集者としても駆け出しだった犬飼さんは、よくサクラを助けてくれた。



男勝りでサバサバとしている、女性の表と裏があまりない・・・ない人だが。


「どこの国?これ?サクラちゃん、騙されてんじゃない?」

言いたい事は、はっきり言う女性だ。


私服でも、よそいぎを着ているサクラだが犬飼さんはブランドのスーツをビシリと着ている。



部屋は白とブラウンを基調にしていて、落ち着いて、デスクにはアメリカ人の旦那さんとツーショットで写った写真が置いてある。


「まずは、ジョンさんの小説読んでみないと分からないわあ!」

がはは!と犬飼さんが笑う。


ジョンさん・・・名前が長くて正直サクラには、どれが苗字か名前か分からないのを、犬飼さんらしく、面倒でジョンになった。



「新しい翻訳の仕事も2本あるんだから、そのメール私に送って。サクラちゃん無理しないでよ?」

犬飼さんのおおらかな笑顔に見送られて、サクラは出版社を出た。



気がつくと普段はあまり交流のない父親からメールが何通もきていた。



「お母さんが倒れた。以上はないが、検査入院」

相当、慌てたのか「異常」が「以上」になっている。


見ると出版社から、電車で2駅だ。昔から体の強い方ではない母親だったが、何だか胸騒ぎがした。



気がついたら、サクラは近くの駅まで走り出していた。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る