【番外編】毎日が辛すぎるので、狂気の愛を振り撒く番を何とかしたいと思います。

神崎右京

第1話

 <夜>の復活とその死亡という<狼>史上でも歴史的な出来事から二週間――

 あの事件以降初めての族長会議が招集され、マシロは見慣れた千年樹のほとりの建造物の中の一室――族長会議が催されるいつもの部屋へと向かった。

「……あ!は、はじ、初めまして!」

 入室すると、ガタンッと音を立てて見慣れぬ男が緊張した面持ちで立ち上がる。鳶色の髪に紫水晶の瞳を持った、少し瘦せた<狼>だ。

(あたしに匂いはわからないけれど――たぶん、セッちゃんの血縁者、なんでしょうね)

 顔立ちや色素の発現の仕方に血縁らしきそれを感じ取る。セスナよりもだいぶ年若いその<狼>は、規格外の童顔というわけでもなければ、外見から察するに、ギリギリ成体になったばかり、という印象だ。

「セオドア=ラウンジールと言います。この度は、我がラウンジール家の者が恥ずべき失態を――」

「あぁ、いいわ。そういうのは、グレイに言って」

 冷たく言って、いつもの席に座る。どうやら予想は当たっていたようだ。

 セオドアと名乗った青年は戸惑うように目を泳がせ、視線を伏せる。

(……ちょ、ちょっと、そんなわかりやすく困った顔しないでよ……!)

 マシロまで軽く眼を泳がせ、冷や汗を流す。

(た、確かに、さっきのはちょっと……つ、冷たくあしらった様に、聞こえたかな……)

 そんなつもりはなかったのだが、己の発現を客観的に見て胸中で慌てる。

 決して、そんなつもりはない。彼の置かれている状況を思えば、開口一番謝罪を口に出したくなる気持ちもわかる。

 血統を大事にする黒狼の族長は、基本的に世襲制だ。ラウンジール家には宗家に子供たちがたくさんいることは勿論、分家もたくさんあるため、セスナがいなくなったとてすぐに後釜を探すことに不はなかったはずだが、身内の不始末のせいで、千年守ってきた<月飼い>たちのうち二つの集落を壊滅させた責は重い。しかも、双子の兄弟の入れ替わりを見抜くことが出来なかったことに加え、ずいぶん前から西の夜水晶を悪用されていたことまで加われば、もはやラウンジール家による世襲制そのものに異を唱える派閥が出てもおかしくない。事実、そうした揉め事があったと風の噂で聞いている。

 結局、結末としては、間を取って、血の薄い分家の中から優秀なものを選出し族長に任命。現況を生み出した宗家のみ事実上のお取りつぶしとなり解体。以降、かつての宗家の直系からは族長を輩出することを禁じられた。

 血統を重んじ、始祖の血を色濃く反映しているのは自分たちだという誇りを持つ黒狼たちにしてみれば、逆立ちしても敵わないからこそグレイに<狼>種族の長を任せているだけだ、という認識だ。グレイがいなくなれば、自分たちこそが<狼>を束ね、導くに相応しいと思っているものが多い。

 そんな中で、セスナが起こした<狼>種族そのものを滅ぼしかねない歴史上類を見ない謀反未遂は、彼らの自尊心を深く傷つけた。

 族長として選出されたセオドアは、黒狼の代表者だ。彼は、あくまであの事件はセスナ単独の行いであり、黒狼の総意ではないことを一族の共通認識であると代弁する者であると同時に、ともすれば他種族から危険因子とみなされ糾弾されかねない状況から一族を守らねばならぬ立場だ。初めましての挨拶から謝罪を口にし、他族長に許しを請いたくなる気持ちは十分によくわかる。

(別に、黒狼の動向とか、責任問題とか、ぶっちゃけ私もクロくんもきっとたいして気にしてないけど――)

 マシロは事件の渦中にいた。何なら、一連の事件の真の首謀者――セスナを唆し、<夜>を復活させるように導いたのは彼女の姉だ。だが、グレイは事件が終わった後、シュサの罪を問うことなく、<狼>種族に害をなさない限りは不干渉を貫くと明言して好きにさせた。シュサが一連の事件に関わっていた事実は闇に葬られ、今は赤狼の群れで、十年前の襲撃から奇跡的に生還していた、というテイで普通に暮らしている。多少怪しむ者がいたとしても、彼女のことだ、彼女が使役出来る黒狼の戒でよしなに操って記憶を操作していることだろう。

 そういうわけで、マシロ自身にも探られて痛い腹がある。黒狼を――セスナのみを責めるつもりはなかった。

(クロくんに至っては、本気で興味なさそうだしね)

 ふと視線を向けると、そこには歴代最強と謳われる灰狼が、いつもの席で固く瞳を閉じて寝息を立てている。隣には、ナツメがいつものように人形のような笑みを浮かべて無言で座っていた。

「――――……」

 しん――と、場にとんでもなく重い沈黙がおとずれる。

(ぅぅぅ……気まずい……)

 緊張した面持ちのまま、ぐっと蒼い顔でうつむくセオドアを横目でちらりと視界に入れてから、マシロは冷や汗を流す。きっと、彼はクロエが来た時も同様に開口一番謝罪を口にして、あの三白眼にじろりと睨まれ――あれは彼の素なので決して悪意があるわけではないのだが、初対面であれば機嫌悪く「黙れ」と言外に示されたようにしか見えなかっただろう――同じように気まずい沈黙がこの場を支配しただろうことは想像に難くない。しかも、クロエのことだ、すぐに眠りの世界へと旅立っていっただろう。そうなれば、何を話しかけてもニコリ、と人形の笑みしか返さないおかしな女しかこの場にはいなくなることになる。セオドアのいたたまれなさは想像するだけで胸に痛い。

 ただ、それがわかっていてもマシロにはどうすることも出来ない。

 何故なら――

(だっ――だってあたし、すごい人見知りだし――!)

 冷たくあしらった様に思われる言葉も、ピクリと動かない表情も、緊張によるものだ。何か言わなきゃ、場を和ませてあげなきゃ、と思えば思うほどに空回り、何を言っていいかわからなくなってくる。ここにシュサがいれば可笑しそうに揶揄されるだろうが、今はそれすら恋しい。

「……マシロ」

「…………え?」

「あっ……あたしの名前よっ!マシロ・アールデルス!赤狼の族長!」

「あ、は、はい!よ、よよよよろしくお願いします!」

 憮然とした顔で急に始まった自己紹介に呆けた後、セオドアは慌てて自分も頭を下げる。

「ど、どうせクロくん、自己紹介してないでしょっ……」

「く、クロくん……?」

「あれ!灰狼の族長!――クロエ・ディール!」

「は、ははははい!」

「隣は、その番のナツメ!」

「は、はい!よ、よろしくお願いします!ナツメさん!」

 何やら怒ったように語気荒く言うマシロに、同じく緊張した面持ちのまま声を張り上げて、ひとまず起きているナツメに頭を下げる。ナツメはいつものようにニコリ、と人形のような完璧な笑顔で軽く頷いた。

「……ぁ。人形じゃないんですね……」

 ぽつり、と小声で告げられた言葉は、緊張と気まずさの極限で脳みそが限界だったために生み出された仮説だったのだろう。ナツメの造られたような美しい造形と相まって、その突拍子もない仮説を立てたくなる気持ちはわからないでもない、とマシロは胸中で同意する。……人見知り故、そんなことはうまく口に出せなかったが。

「あ、あの……族長会議には、番を伴って参加するもの……なん、ですか?」

「まさか。あんなのクロくんだけよ。あれはちょっと特殊。――貴方、東の鎖国の話、知らないの?」

 おずおずと口を開いたセオドアに、再び冷たく感じられるような切り返ししかできず、心の中で反省する。そんなマシロの様子には気づかず、セオドアは驚いたようにぱちり、と紫水晶の目を瞬いた。

「え?……あ、ち、知識としては知っていますが……でも、無事に族長は番を造ることが出来て、その話は解決したんじゃ――」

「まぁ、そうね。表面的な問題は全部解決したわ。――結果として、一瞬たりとも離れたがらない狂気のカップルが出来上がったけど」

「――――狂気……」

 呆然とセオドアは口の中で呟き、視線を前方へと投げる。唯我独尊を絵にかいたようだと言われる戦闘狂の灰狼と、人形にしか見えないその番。――それは確かに、狂気のカップルと呼ばれるにふさわしいかもしれない。

「鎖国してまで生み出したナツメを番にするときは、かなり無理矢理で本人の意思も完全に無視だったらしくて、数か月単位でクロくんの家に監禁されて出してもらえなかったんですって。ナツメの家族も灰狼も、誰もナツメの姿を見ることはなかったらしいわ。――で、次に彼女が人前に姿を現したとき以来、何があったのかは怖くて聞けないけど、ナツメはあんな感じよ。クロくん以外の誰かと会話してるのを聞いたことないわ。……まぁ安心して。そのうち、ちょっとした目の動きとか微かな表情とかで何となく何が言いたいかはわかるようになるから。悪い子じゃないし。……気にしたら負けよ」

「は、はぁ……」

「あと――そういう訳だから、あの二人、人目も憚らず所かまわずイチャイチャするから」

「えっっっ!!?」

「普通の番の五倍くらいイチャイチャするから。キスもそれ以上も関係なく」

「それ以上も!!!?」

「心を強く持ってね。間違いなく砂を吐きたくなるか、泣きたくなるかどっちかだと思うから」

 ごくり、とセオドアが驚いた顔のまま生唾を飲み込む。

「……ま。さすがに、会議が始まったらナツメは別室で待機するわ。機密事項もあるし、そこまでの公私混同はさすがにグレイが許さないから」

「そ、そうなんですね」

 族長会議が始まるまでの少しの間すら離れたがらない、というだけで十分常軌を逸した公私混同だと思うが――千年樹のほとりはどの<狼>の縄張りにも属さない上に、始祖が眠る神域に近しい場所であるため、一般の<狼>たちは近づくことすら許されない――セオドアはそれ以上何も言うことは出来なかった。数か月の監禁の結果出来上がったカップル像という、狂気に満ちた逸話に、若輩者のセオドアごときが口を気軽に挟めるはずもない。

 セオドアはごほん、とわざとらしく咳払いをして仕切り直し、話題を変える。

「えぇと――グレイさんって、どういう方なんですか?」

「え?」

「その……彼の伝説としか思えないような逸話はたくさん聞いているのですが――あまりに現実離れした話ばかりで、いまいち信じられないことも多くて――」

「あぁ……まぁ、確かに、気持ちはわかるわ」

 マシロはかつて自分も同じように彼に憧れを持っていた時代を思い出し、鼻の頭に皺を造る。

「そうね。驚くことに、おそらく貴方が聞いてる逸話は、ほとんど全部が真実よ」

「えっ……!?」

「大戦中の逸話も、大戦後の千年の逸話も。あたしもびっくりしたけど――気になるなら、本人に聞いてみれば?こっちが拍子抜けするくらい本当にしれっと、自慢する風でもなく謙遜することもなく、懐かしい出来事、っていう感じで教えてくれるわよ」

「な――……」

「基本、おじいちゃんなのよ。身体能力も頭の回転も抜群に良い、ね。あたしや貴方くらいの若い<狼>なんか、何を言っても優しい瞳で『若いな』って感じで見られるだけだから。仮に若輩の<狼>に生意気なことを言われたって、気分を害すようなこともないし。族長のあたしたちはなおのこと、ね。族長会議の場は、<狼>の長としてではなく、白狼の長として出席している、って昔グレイが言ってたわ。だから、驚くくらい対等な立場として扱ってくれるわよ」

「す……すごいですね……」

 きらきらと、セオドアの瞳が期待に輝く。グレイの完璧超人としての噂は、<狼>種族であれば誰でも聞いたことがあるはずだ。きっと彼も、そんな逸話をたくさん耳にし、マシロのように彼を崇める<狼>の一人なのだろう。

「あ――でも、一つだけ例外があって――」

 マシロが、思い出したように口を開くのと――

 ガチャッ

「……ふむ。早いな、お前たち」

 噂の主が部屋に姿を現すのは、同時だった。

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