ブラザーフッド

@Badguy

ブラザーフッド

──再会──




近年、その治安の良さと、最先端を行く商工業のビジネスによって大いに繁栄を見せる州域、キルシー。では、キルシー州の左隣に位置するエンテシア州も大変住みやすい環境だろう、そう思われるはずだ。しかし、実際はそうではない。

エンテシア州は驚くほどに治安の悪い地域だ。その要因に、キルシーは深く関わっている。

もともとキルシー州は、エンテシア州と揃って治安の悪さが世界でも有名な地域だった。そこでは窃盗や殺人は当たり前。警察官たちは休む暇もなくパトカーを走らせ続けた。

年々減っていく観光客とビジネスチャンス、一方増加していく犯罪件数。その事態を重く見た当時のキルシー州知事は、ある決断を下すのであった。それは、当時ごく少数しか存在しなかった賞金稼ぎ(犯罪者を個人、またはグループで捕獲し、警察に引き渡すことで得られる報酬によって生計をたてる者達)の待遇改善。 まとも機能しきらない警察機関に代わって、当時は国民から「胡散臭い奴ら」扱いをされていた賞金稼ぎに治安改善を委ねたのだ。すると、大幅な待遇改善によりキルシー州では賞金稼ぎが急増。犯罪者達はその数を一気に減らしていった。

犯罪者達はキルシー州に安地を失くした。だが、そんな彼らにもパラダイスはあった。そう、エンテシア州である。


「エンテシアは今でもキルシーのような対策は取ってないだろ?それにつけこんで移住する犯罪者が増え、結果としてこちらの治安がさらに悪くなったのさ」

ある場所へ向かって輸送トラックを走らせながら、ベラベラと鼻高げに州同士の関係について語る青年の名は、エドワード・サッチ。元は通称「黒髪」としてキルシー州では名の知れた賞金稼ぎだったが、犯罪件数の減少を理由に一ヶ月前にエンテシア州に活動の場を移した。

彼はかつての通称にもあるとおり、漆黒の短髪が特徴的な男なのだが、袖をまくった白いワイシャツ、そしてジーパンという変態的なファッションセンスも彼のチャームポイントの一つである。

彼は現在、土地の半分を荒野が占めるエンテシアでは珍しい繁華街にいる。そこでは眩いほどのネオンサインが街並みを照らしているが、その影ではやはり、暴力や闇の取引などが行われている。

「・・・・・・その話、昨日も聞いた気がするわ」

トラックの助手席に座るシピという女が、鬱陶し気に言った。彼女はサッチの稼業のいわゆるサポート役であり、このトラックで共に生活している。恋人などという特別な関係ではないが、二人の間には確かな絆があった。

「まあ、そんな話はいいのよ」

「そんな話だと!?」

「・・・・・・どうでもいいでしょ、一度聞いた話なんて」

シピがため息を吐くと、サッチは不思議そうな様子で首をかしげる。

「今日は何人捕まえたっけ?」

「えと、今日は調子が良かったから・・・・・・二人、だな」

サッチは満足気な表情をシピに見せたが、その一方でシピは落胆の姿勢を崩さない。

「・・・・・・そうよね。それで、このトラックはどこへ向かってるの?」

「『JB』」

その言葉を受けて、シピはまた大きなため息をついた。彼女がなぜそのような反応をするのかさっぱりなサッチは、少し怪訝な顔をして言った。

「なんか悪いかよ」

「悪いわよ、流石に三日連続は!!」

俯いた顔をくわっと広げ、シピはサッチに対して叫んだ。「JB」とは、キルシー州に本社を構える、「低価格」と「美味しい」をモットーとするファストフード店のことである。サッチはJBをお袋の味と呼ぶほど愛しているが、シピの方は彼に連れられて週に何度も通っていることから、とっくに飽きてしまっている。

「一日で二人捕まえられたのはラッキーだったよ。けどな、ここはキルシーじゃないんだぜ。高級レストランでお祝いをするには金が足りないんだよ」

「別にお祝いしよう、とは言ってないでしょ!私はただ、他のお店にしてほしいだけよ」

シピがそう言うとサッチは「わかったよ」とだけ言い、一度トラックを停車させてバッグから周辺の地図を取り出した。

「どこかいいとこねえかなぁ・・・・・・」

「え、なになに、ファミレスとかカレー屋さんとか探してくれてるの!?」

「いや、JB以外のバーガーチェーンを・・・・・・」

サッチが言い終えるより先に、シピはグローブボックスに頭を強く衝突させた。

「そう言うんじゃないでしょ!?」

シピは責めるような目つきでサッチを睨んだ。

「なんだよ、俺はお前のために・・・・・・!これ以上文句があるんなら、街で降ろしてやるから、どっか好きな店に行っちまいな」

「『これ以上』ってなによ」

頭を抱えながら、シピはサッチのハンバーガーへの執着心にツッコミをいれた。


最寄りのJBに到着すると、サッチはトラックから降車し、背伸びの最中のシピに近づいた。

「今夜の分な」

サッチは封筒から一枚のコインを取り出し、それをシピに渡した。

「た、たったの五ペイ!?ちょっと少なすぎじゃない?」

「アホか。俺の晩飯は基本五ペイ。それ以上出せるかよ」

ケチ臭い言葉を吐き捨てると、そのままシピから背を向けて、店の入り口に向かった。彼女の方は五ペイコインを、ただジーと見つめたまま立ち尽くしている。

言い忘れていたことを思い出し、サッチは歩みを止めて振り返る。

「あ、そうだ、一時間半後にここ集合だ。遅れたら置いてくからな」

それだけ言い残し、彼はシピに構うことなく入店する。店員の「いらっしゃいませ」が聞こえると、彼女は首を横に振って我を思い出す。

「たった五ペイでも、ここで食事をするよりかはずっとマシよ。それより、早くお店を探さなきゃ」

シピの呟きには力がこもっていた。彼女は駐車場を後にし、そのまま眩しいほどの光が照らす街並みへ躍り出た。


男は少し古い新聞を片手に、落ち着きのない様子で街を歩いた。まだ若く、背伸びをした服装が特徴的であった。

ここはエンテシア屈指の繁華街である。人混みは常に歩行者の行く手を阻んだ。それを嫌い、男は人の少ない薄暗い路地から回って行くことにした。

その路地をしばらく進むと、彼はスーツを着たマフィアと、ボロボロの服装をした女が麻薬の取引をしている現場に遭遇した。彼は舌打ちしてから言った。

「狭い路地に広がるな、どけよ」

マフィアはその言葉を聞いて、嬉しそうに男と向き合った。そして指をゴキゴキと鳴らした後、男に力強いパンチを繰り出した。

男はそれを避け、マフィアの股間に一発殴った。それを受けて、顔を驚きと痛みで広げながら、マフィアはその場にしゃがみ込んだ。立て続けに彼は後頭部に重い一撃を入れる。マフィアはそこで意識を失った。

うつ伏せに倒れた顔を男は持ち上げ、じっくりと見つめる。

「賞金首じゃねぇな・・・・・・」

男はそう言うとその手を離し、一連の出来事を目の当たりにし、震え上がる女に近づいた。

「ヒィッ!?」

「このトラック、近いうちに見なかったか?」

新聞に載ったトラックの写真を指しながら男は言った。女は震えながら頷く。

「そ、そ、そのトラックなら・・・毎晩、近くの、JBに・・・・・・」

「JB・・・・・・」

男はそう呟くと、周辺の地図を取り出し、一番近くのJBを探し始めた。それを好機と見て、女は悲鳴をあげながら走り去る。

「待ってろよ、サッチ」

決意に満ちた表情のまま、男は再度歩き始めた。


店内は学生とガラの悪いチンピラ、そして会社帰りのサラリーマンで賑わっていた。いつもの光景である。

サッチはまず、店員に注文をする前に空席を探した。そして何席か空いていることを確認すると、カウンターの前に立った。

「いらっしゃいませ」と愛想のいい笑顔を浮かべながら、店員が軽く頭を下げる。「ご注文はお決まりでしょうか」

するとサッチは困ったような顔をした。店員の言葉が、彼には急かされているように感じたからだ。

「そうだなー・・・・・・」サッチは腕を組み、じっとメニューを見つめながらしばらく考え込む。「じゃあ、贅沢チーズセットで。飲み物はコーラ」

「かしこまりました」

店員はにこやかな笑顔を絶やさず言った。よく訓練されてる、とサッチは思った。

「ご注文を確認致します。贅沢チーズセットをお一つ、お飲み物はコーラでよろしいでしょうか?」

店員が最後の確認に移った。それを聞いてサッチは、何かについて悩む様子を見せながら店の入り口を見つめた。

「やっぱチーズセット、もう一つ追加するよ。飲み物はグレープジュースでよろしく」

サッチの言葉を聞いて、店員は少し不思議そうな表情を浮かべながらも「かしこまりました」とだけ彼に告げた。


一人の女がフラフラとした歩みでJBに入店する。

サッチは二人用の席に座り、二つのチーズセットを自分の手前と、反対の席側に置いて何かを待っていた。そして、その何かが彼の目に映ったとき、ニヤリと笑って手を振ってみせた。

「こっちだ」とサッチは女に向かって言う。その呼びかけに気づいた女は、彼の座る席に小走りで向かった。

「やっぱり、来ると思ってたんだぜ、シピ」

サッチはニヤニヤといやらしい目つきでシピを煽った。その様子に、彼女は悔しさを噛み締めながら、サッチの反対側の席に座った。彼は手前の紙袋を開きながら言った。

「一人じゃ、やっぱ不安だろ。お前は俺がいないと店にすら入れないもんな」

「う、うるさいわね!五ペイじゃロクに食事もできないから、ここへ来ただけよ!」

そう言うと、シピはハンバーガーの包装を破りとって乱暴にかじりついた。

「ま、わかったんなら、今度からは大人しく俺についてくることだ」

「・・・・・・ハァ」

シピはため息を吐き、勝ち誇るサッチのドヤ顔から目を逸らした。


食事を済ませ、サッチはトレーに乗ったゴミを捨てようと席を立った。

彼はゴミ箱の前に立つと、トレーの半分をその中に入れ、ゴミを一気に落としていった。そして、全て落ちきったことを確認すると、サッチはトレーをゴミ箱の上に置き、パンパンと手を払ってシピのいる席に戻ろうとした。

そのとき、客の来店を告げるベルが、サッチの傍で鳴った。彼の視線は無意識に入り口の方へと吸い込まれていく。

その男は白いシャツに黒いノースリーブのジャケットを羽織り、下は茶色の長パンツを履いていた。そして、腰には手錠がいくつか提げられており、その男が賞金稼ぎであることがうかがえた。

「いらっしゃいませ」と気前のいい声で歓迎をする店員のことなどは無視して、その男はズカズカと前へ進んでいった。そして、サッチの手前で突然立ち止まると、力強い視線を彼に突き刺した。男の身長はサッチより十センチほど低く、下からグイっと見上げる形で彼を睨みつける。

「ど、どこかで会ったことがあるかな?」

男の異様な行動にサッチは戸惑った。今まで流したことのない汗が、自らのこめかみにゆっくりと流れていくのを、彼は不気味に感じていた。彼は二十歳という若さながらも、自分の人生経験には中々自信があった。しかし、その自信は今この瞬間で砕け散った。この、バーガーチェーンでの出来事の所為で。

「オレのこと、やっぱり知らないんだな」

視線を動かさず男は言った。その瞳に怒りを察知したので、サッチは男と距離を取るために後ろへ飛び退いた。

男の視線は刃物のように鋭く、また炎のように熱かった。男が自分に殺意を覚えているのだと、サッチは瞬時に理解した。

「物騒な目をしやがる。お前は一体何者なんだ?」

「オレは、お前がよく知っている男に近い者だ。いや、『近かった』か」

「俺がよく知ってる・・・・・・?」

サッチは目を細めて男の顔をジッと見つめた。

(俺の、側にいた・・・・・・?)

彼の頭に、自分が今まで関わってきた人間の顔が次々に浮かび上がっていく。しかし、どれも全く見当がつかないので、彼は直接男に尋ねることにした。

「側にいた人間なんて山ほどいる。そんな回りくどい言い方しねぇで、さっさと言ったらどうなんだ」

負けじと男を睨み返しながら、サッチは肩の力を抜いていく。彼の言葉を聞いた男は、表情にはっきりと怒りを表した。そして、震える右手の親指を立て、自らの顔を指して言った。

「オレは、ローランド・ティーチ!エドの弟だ!」

「ティー・・・チ・・・!?」

その言葉に、サッチは目を大きく見開いた。しばらくして、彼の口角は自然と上がっていく。

「ティーチの弟か!?」

サッチは嬉々とした様子で、ローランドと名乗る男に聞き返した。だが、ローランドの瞳は依然としてサッチを睨みつけていた。それに気づき、彼は歩み寄ろうとしたその足を止める。

「お前が・・・・・・!エドを見殺しにしたんだ!」

そう叫ぶと、ローランドはサッチに向かって思いきり殴りかかった。サッチは彼の奇襲に素早く反応し、その右手を左手で受け止める。

「ど、どうしたんだ!急に!」

怒りの込められた拳は、受け止められてもなお力を増し続けた。

「エドは死んだ!お前のせいだ!」

その言葉にサッチはハッとした。

脳裏にかつて共に旅をした男の声が響く。


「なにもかも、置いてきてしまった。でも、これで・・・・・・」


次の瞬間、ローランドは受け止められた右手の力をさらに加速させた。その出来事にサッチは若干反応が遅れたものの、左手を拳から離すことで上手く対応し、ひらりとローランドの右側に回り込む。すると、力を流されたローランドの身体は前倒れになり、彼の上半身はゴミ箱に突入していった。

「な、な、え!?」

そのとき、ローランドには状況が理解できなかった。彼は頭部をゴミ箱から抜き出し、困惑した様子でキョロキョロと周りを見渡した。

「俺がティーチを死なせたって?バカ言うなよな。あれは、アイツの意志だ、きっと・・・・・・」

見下す形で、サッチは頭にゴミを乗せたローランドに呟くような声量で言った。その浴びせられる視線が、僅かに揺れているようにローランドは感じた。彼は立ち上がり、頭のゴミを投げ捨ててから言った。

「オレと勝負しろ、サッチ!お前をブチのめすために、オレはこの二年間を費やしてきた!」

ローランドは姿勢を低くし、両拳を顔より前に突き出した。サッチのよく知る体術の構えだった。

「ティーチと同じ構えだ。俺も、あいつにしつこく教えられたな。やりにくくって、結局言うこと聞かなかったが」

サッチの様子は少し嬉しそうだった。

(言われてみれば、アイツと似てるな)

そして、同じ構えである。彼はティーチという男とローランドを重ねた。

「いいぜ、やろう。だが、ここではナシだ。客と店員が迷惑する。出な」

サッチはそう言うと、外に出るよう合図してから、スタスタと出口に向かって歩いていった。

「絶対に叩きのめしてやる」

そう呟いた後、ローランドも彼の背中を追った。


シピがゴミ箱へ向かっていると、なにやら窓際の方が騒がしいことに気づいた。彼女は急いでゴミを捨て、そこへ駆け寄る。

人混みを両手で押しのけ、窓ガラスから外を覗くと、その先に男二人が睨み合っているのが確認できた。

「あれは・・・・・・さ、サッチ!?」


「ボクの実家には、事故に遭って働けなくなった両親と、弟が一人いるんだ」

ある男が、十四歳のサッチ少年の隣に座り込みながら話した。ボコボコに腫れた顔を摩り、サッチはその男を一瞥する。

「なんだよ、急に」

「なんだか君を見ていると、その弟を思い出すんだ。もう久しく会っていないが、元気してるかな」

「・・・・・・俺が知るかよ」

サッチは、その男からプイッと顔を逸らす。

「・・・・・・名前は?」

顔の向きはそのままで、サッチは呟くような小さい声量で訊ねた。その質問を、嬉しそうな表情で男が答える。

「ロー、ローランド・ティーチっていうんだ」


指ぬきのレザーグローブをはめながら、サッチは周囲を確認する。今日は運のいいことに車の出入りが少ない。もっとも、この異様な光景を見れば店に入ろうとも思わないし、出ようともしないだろうが。

街から漏れだすネオンの光が、彼らの顔の半分を照らす。もう半分は店の照明が照らした。周囲の明かりはそれだけである。少し薄暗いが、決闘をするには申し分ない。

「ティーチはローって呼んでたか。呼びやすいからそう呼ぶぜ」

足首を軽く回すサッチが言った。すると、ローは一度怪訝な顔をしてから、ため息を吐いた。

「・・・・・・好きにしろよ」

ストレッチを終え、ローが先ほどの構えをとる。それを見て、サッチも自分の構えをとった。

ローのものとは違い、彼の構えは全体的に力を抜ききっていた。腕をふわふわさせ、両足は常に動かし続ける。カンフー映画から齧ったものだ。それを見て、ローが失笑する。

「遊びでやってるのか?」

「そいつは、試せばわかることだぜ」

サッチの余裕の笑みを、ローは嘲笑ととった。表情を怒りに染めあげ、サッチを睨みつける。

「行くぞッ!」

同時に、ローはサッチ目掛けて飛び出した。二人の間合いが一気に詰められる。しかし、サッチの方はその場から動こうとしない。足をトントンと動かしながら、その場で足踏みを繰り返している。

(いい的だな、サッチ!)

ローはサッチの顔面に、突進する勢いのまま殴りかかった。拳は的に向かって順調に進んでいる。避けられまい、と彼は油断していた。しかし、相手はサッチである。

サッチはローの性格を、店内で既に把握していた。頭に血が上りやすい性格のローが、宿敵を前に冷静な判断が出来るはずがない、そう読んでいた。そして彼の予想通り、先ほどと同じ手段で攻撃を繰り出した。となれば、彼にとって攻撃を躱すことなど造作のないことだ。

自身の顔面に向かって真っ直ぐ飛んで来る拳を、サッチは直前で身体を捻って躱した。さらに、命中したことを確信するローの背後に足を滑らすようなステップで回り込み、もう一度構え直した。攻撃を躱されて体勢が怪しくなったローが、驚きの表情で後方を振り向く。その様子を見て、サッチは口元をニヤつかせながら彼に手招いてみせる。

「や、ヤロォッ!」

ローは構え直そうともせず、再度間合いを詰めた。今度は当たるまで続けるつもりでサッチに何度も殴りかかる。だが、サッチの方はその連撃をいとも容易く対処していく。彼の攻撃はまさに暖簾に腕押しといった感じだった。

(なんでだ!?なんで当たらないんだ!)

力任せに振り回す拳が、次第に自身の呼吸を荒げさせる。ローは攻撃が当たらないことへのもどかしさから、苛立ちを感じていた。

「クソォ!」

その叫びは、ローのパンチを自然と力ませた。それを見切ったサッチはその攻撃を上手く躱し、突き出された右腕を右手で掴んだ。それに続けて、ローの突進する方向に掴んだ腕を引っ張りつつ、自身の片足を相手の足にかけた。すると不思議なことに彼の身体はふわっと宙を舞い、仰向けの状態でゆっくりと地面に落下していった。それにより困惑と痛みが彼を襲う。

「グァッ!?」

地面に背中が衝突した瞬間、ローの視界は真っ白になり、思い出したかのように息苦しくなる。

しばらくして、ローの視界は正常に戻った。色を取り戻してから最初に目にした光景は、サッチが自身の顔を覗き込んでいる様子だった。

「ッ!?」

「相手してみてわかったぜ、ロー。お前、ティーチの構えが飾りになってる。見様見真似なんだろうが、それでも構えるならその意味を理解することだ」

サッチはローに手を差し伸べながら言った。するとローはそれを拒み、自分で跳ね起きてから言った。

「さ、サッチ、お前!お前は、まだ本気を出していないだろ!?」

何度か言葉が途切れたのは、彼の呼吸が荒いためである。サッチは驚いた、というより呆れた。今ので自分との実力差を教えてやったつもりだったのだが、ローはまだ続きをしようというのである。

サッチの表情に気づき、ローはさらに声を荒げる。

「オレは諦めないぞ!貴様を倒すまでは、絶対に!」

「お前じゃ無理だぜ。根性だけでどうにかなるほど、近い実力差じゃないんだからよ」

「だったら、それを証明して見せろよ!」

吐き出す息に言葉をのせるようにして、ローは夜の街に叫んだ。それを聞いたサッチは、一度ため息を吐いた後、彼に向かって再度構えてみせる。

「連れが不機嫌になる前に、終わらせてもらうぜ」

その瞬間、抜けたようなサッチの顔つきが一気に引き締まり、声は一層低くなったようだった。ローはその様子に驚き、自身の身体に戦慄を覚えた。サッチに促されるように、彼は足が震えるのを必死に抑えながら構え直す。

「フッ!」

サッチは短く息を吐き出すと同時に、ローとの距離を縮めた。その素速い接近に、ローの反応は置き去りにされた。

「しまっ・・・・・・!」

真っ直ぐとした姿勢で、サッチは両拳を交互に突き出す。ローの顔面を正確に狙った鋭い拳が、一発二発と飛んでいった。

「グッ!」

ローは苦しげな声をあげた。それに構わず、サッチは次々と顔面、胸部、腹部に殴打を繰り返す。そこには反撃どころか、攻撃を対処する隙もなかった。

(ま、マズい!やられてしまう!)

そこでローは咄嗟に、サッチとの間合いを潰すべく、相手にクリンチした。こうすることでサッチは攻撃動作をとりにくくなるはず、と彼は刹那の間に考えたのだ。だが、サッチの前では彼の思惑は通用しない。両手を組み、それを頭上に振り上げると、一気に彼の背中目掛けて振り下ろす。

「グアァ!?」

一撃を乗せられたローの身体が、抱きついたままの姿勢で沈み込む。すかさず、サッチが彼の腹部に膝蹴りをいれると、彼の身体はサッチの前方へ吹き飛んでいった。

(う、嘘だ!オレが負けるなんて、そんなこと!)

フラフラな足つきで立ち上がろうとするローの瞳は、向かってくるサッチへの恐怖に染まっていた。

サッチはローが立ち上がったのを確認すると、拳に力を溜めた。それに反応したローは咄嗟に両手で顔面をカバーする。

「あ?」

突然、ローの側頭部に強い衝撃が走る。彼は何が起こったのかさっぱりわからなかった。大きな耳鳴りがした後、視界が大きく揺れ始め、次第に強い吐き気を催していった。そして、自力で立つことも出来なくなり、彼は膝から崩れ落ちる。

「ッ!ァ、ェ?」

ローの困惑は言葉にならなかった。最後に彼は白目を剥き、うつ伏せに倒れていった。

サッチから繰り出されたのは、パンチではない。

「・・・・・・ハイキックはやり過ぎたか」

キープしたままの姿勢をゆっくりと戻しながら、サッチは呟いた。


シピはその闘いの最初から最後までを全て見ていた。

窓ガラスに張り付くようにして現場を見ていたギャラリー達は、サッチの綺麗な姿勢から繰り出された蹴りに興味があったようだが、シピの意識は、サッチとやり合っていた男の方にあった。

「賞金首じゃないわよね・・・・・・?昼に写真付きリストを確認したけど、あんなのいなかったわ」

シピは目を凝らして、うつ伏せに倒れる男の横顔を確認する。だが、やはり見覚えはなかった。

「誰なんだろ」と、一人呟いていると、彼女は背後に影をつくる存在を察知した。

「もう行くぞ、シピ」

その声にシピは驚き、急いで後方を振り向く。サッチだった。シピは先ほどまで周囲にいた人々が、みんな彼を怖れて離れて行くのを見た。

「さ、サッチィ・・・・・・!お店の近くでケンカしないでって何度も言ってるでしょ!」

「ケンカじゃねぇよ。まったく、そんな野蛮を俺がするとでも思うか?」

「してるでしょ、いつも!」

シピの甲高い怒鳴り声に、サッチは顔をしかめながら反論した。

しばらく二人で口論した後、シピは荒い息のまま窓ガラスの向こうに横たわる男に目を向けた。サッチの視線も彼女と同じ先にあった。

「あの子、賞金首、じゃないわよね?やっぱり、ただのケンカ?」

「・・・・・・。詳しいことはトラックで話そう。いくらなんでもあのままじゃ、あいつ風邪引いちまうよ」

言い終えると同時に、サッチは店の出口へ向かった。シピも小走りでその背中を追う。

先ほどの賑わいは何処へ行ったのか。店内は凍りついたように静まりかえっていた。顔を真っ青にした店員が独り、呟くように言った。

「ま、またお越し、下さい・・・・・・?」

店員の心中は述べるまでもないだろう。


ローの身体を抱き上げ、彼のものよりひと回り大きな背中で背負いこむと、サッチはその身体を荷台に放り込んだ。すると、シピがサッチから渡されたローの身体を、自身の寝袋に入れる。

「これで風邪を引くことはないだろう」

「私の寝袋無くなっちゃったけど」

荷台から飛び降りながらシピは言った。それを耳にして、サッチは苦笑する。

「残念だが、今夜は隣だな」

サッチがシピの肩を励ますようにポンッと叩いた。運転席に向かう彼の背中を見つめながら、シピは呟く。

「・・・・・・別に、いいけど」


サッチのトラックには大きな荷台がついている。そこは一時的に賞金首を捕らえておく場所だけでなく、二人の生活の必需品と食料の保管、シピの就寝場所としての役割を担っている。今夜はその役割を、ローによって一つ失った訳だ。


一晩格安で駐車できるスペースにサッチ達は到着すると、二人はシートベルトを外して外に出た。そして、荷台に乗り込み、灯りをつけて二人は歯ブラシを手に取る。

そのまま歯を磨くこと三分。サッチはバケツを取り出して、その中に口に含んだものを吐き捨てた。

「ん・・・・・・」

サッチがシピにも吐き捨てるように促す。バケツを向けられたシピは嫌な顔をしながらも、同じように彼の持つバケツに吐き捨てる。

「慣れてきたじゃないか」

口の周りを真っ白にしたサッチが、からかうように笑う。

「う、うるさいわね・・・・・・」

シピは恥ずかしそうに言った。その顔は薄暗い灯りの中でもわかるほど、真っ赤に染まっていた。


二人は運転席に戻り、荷台から持ってきたサッチの寝袋を広げた。それを肩までかけると、簡単な毛布になる。

「・・・・・・やっぱり寝づらい」

共有している毛布を自分の方に引っ張りながら、シピは呟いた。

「リクライニングできねぇもんなぁ。俺は毎日こうやって寝てんだぜ?」

引っ張られる毛布を引っ張り返しながら、サッチは苦笑した。

「サッチ取りすぎ!私にも少しは頂戴よ!」

「バカ言え!お前が八割奪ってんだろうが!」

狭い車内で布団の奪い合いが始まる。その騒ぎは車内から漏れ、夜道を歩く通行人の耳に届くほどであった。


どこからか聞こえる騒ぎ声に目を覚ますと、ローは自分の身がJBとは別の場所に移されていることに気付いた。彼はその場から跳び起き、身体中のどこも拘束されていないことを確認する。

「クソッ!何処なんだここは!」

ローは、頭痛の響く頭を抱えながら呟いた。一度立ち上がって周囲を見渡してみる。すると、ここは何かの荷台であることがわかった。

(身体はどこも拘束されてないみたいだ。状況確認のために、一旦外に出てみるか)

彼は、この荷台に出口の存在を確認した。そこへ歩み寄ろうとしたそのとき、

「あなたはこういうの慣れてるでしょ!少しは私に譲りなさいよ!」

「そんなに寝袋が欲しけりゃな!アイツんとこ行って、二人で寝てろ!」

突然、背後から聞き覚えのある声がしたのでローはギョッとし、背中を丸めながら後方へ振り返る。

「この声は、サッチ・・・・・・!?」


時刻は既に二十二時を経過していた。本来ならば、この時間帯には翌日に備えて両者とも就寝しているのだが、今夜は少し違うようである。

綱引きの結果、結局半分で分け合うことにした毛布を肩までかけ直しながら、シピは先ほど後回しにされた話を思い出していた。彼女は荷台側を一瞥してから言った。

「ねぇ、サッチ。その、あの子のことなんだけど」

なぜあのような事態になったのか。シピは気になって夜も眠れなさそうだった。

「あ、ああ。そうだったな・・・・・・」

そのときサッチは、JBでの会話をすっかり忘れていた。彼はシピに、その件はトラックで話すという約束をしていたのだ。

 サッチは、視線を夜空に点々と浮かぶ星々に視線を向けたまま口を開いた。

「あいつの名前は、ローランド・ティーチ。俺が昔、世話になった男の弟だ。そんで、あれはケンカじゃない。あいつが俺に果し合いを望んできたから、それに応じただけさ。俺としても、あいつの実力を見てみたかったからな」

 静かな口調であった。彼は、シピの相槌を待たずに続けた。

「あいつと顔を合わせたのは今日が二度目なんだ。随分と雰囲気が変わってたもんだから、パッと見気づかなかった。そんで驚いたぜ。兄貴と違って血の気がやけに多いんだからさ」

 サッチは愉快といった感じで話した。瞳を輝かせ、夢中になって唇を動かした。そんな様子の彼を見て、シピの口元からも微笑みがこぼれた。だが、それだけ言い終えたとき、突然彼の表情は深いブルーに染まった。

「大丈夫?」

 突然の様子の変化を察知したシピが、彼を心配して尋ねる。すると彼は、彼女を一瞥しながら頷いた後、また視線をどこか遠いところへ戻した。

「あいつ、ローについてもう一つ知っていることがある」

「え?」

「ローは、俺を恨んでる。しかも相当な」

 二人の間に沈黙が生まれる。サッチは気分によって、シピは困惑によって。

「な、なんでよ。なんでサッチを恨むの?」

 シピの声は震えていた。サッチは一層低くなった声でその質問に答えた。

「それはきっと、俺があいつの兄貴を助けてやれなかったからだろう」

 それを聞いてシピはハッとし、表情をサッチから隠すように俯いた。聞いてはいけなかった、と彼女は咄嗟に思ったのだ。だが、サッチは続けた。この話を自分にも言い聞かせるかのように。

「エドワード・ティーチ。俺の恩人、そしてローの兄貴の名前だ。今から六年前、俺が十四のときのことだ。俺は孤独だった。母親は俺が九つのときに他に男を作って出て行った、親父はろくでなしだった、だから家を出た。身寄りなんてあるはずもない。俺は薄暗く、寂れた街で一人だった。そんなある日、俺はティーチと出会った」

 サッチの口から言葉が淡々と飛び出す。今隣に座る人物が、シピにはまるで別人のように思えた。彼女の知る彼は、能天気で皮肉屋のはずなのだ。こんなに繊細で、鋭い雰囲気を放つサッチを、彼女はかつて見たことがなかった。

「それから数年の間、ずっと孤独だった俺の隣にはティーチがいてくれた。あいつは賞金稼ぎで、よく俺に面倒な仕事を手伝わせたっけな。それでも・・・・・・嬉しかったよ。自分に兄弟がいたらこんな感じなのかなって、思ってた。初めて自分を理解してくれる人に出会えた、そう思ったんだ」彼は一呼吸置いてから続けた。「ティーチと出会って四年後の、ある日のことだ。俺はいつものようにあいつの仕事を手伝っていた。その日のターゲットは麻薬商人。グループが相手だったが、そんなものはその四年の間で何度も乗り越えてきた。『今回も上手くいく』、そんないい加減な確信を俺は持っていたんだ」


「だが、そんな甘い考えとは真逆の事態が発生した。グループと交戦中のときだ。迷子か、あるいは連続して鳴り響く銃声に興味を惹かれたか、突然現場に一人の子供が現れた」

 運転席から漏れ出す声を、ローは興奮した様子で盗み聞きしていた。

「・・・・・・グループの一人が、その子供を狙った。理由はわからない、だが確かに銃口はそいつの方へ向いていた。俺は動けなかった。頭の中が真っ白になって、今自分がどんな状況に身を置いているのかすらわからなくなったんだ。そんなときだった、俺の側からティーチの気配が消えたのは」

(なんだ・・・・・・!このイヤな胸騒ぎは!)

 心音が自身の耳に届くほど、ローの心拍数は急速に上がっていった。

「あいつは、銃弾から子供を庇って撃たれちまった。今でもはっきり覚えている。あいつの広い背中が真っ赤に染まり、ゆっくりと倒れていく光景を。それからしばらくのことは覚えていない。俺が意識を取り戻した頃には、相手方は全員死んじまってた。・・・・・・ティーチは急所を撃たれていた。俺はティーチから溢れ出る血を必死に止めようとした。それが無駄なことだとは分かっていたのに。あいつは最後に、血に濡れた俺の手を握ってから言った。『あとは任せた』って」

 彼の脳裏に、ある男の言葉が蘇る。

『いつかお前にも会わせたいよ。きっと、お前も気に入ってくれると思うんだ』

「・・・・・・エド。なんで、あんなヤツを」

 ローの目には水滴が浮かんでいた。それは怒りからでもあり、悔しさからでもあった。そんな感情を自力でコントロールできるほど、彼はまだ成熟していないのである。

「お前がいなくなってから、ずっと独りだ」

 彼はそう呟くと、力が抜けたように硬い荷台にしゃがみ込んだ。そして拳に力を溜め、荷台を一度殴りつけてから、彼は独りで静かに涙を流し続けた。


「そんなことが・・・・・・」

 久しく息を吐き出したシピの口は、動揺がはっきりと表れるほどに震えていた。サッチはそんな彼女を一瞥してから言った。

「・・・・・・そのとき、俺は確信したんだ。ティーチは金のためじゃない、弱者を守るために戦っていたんだ、ってな。俺はあいつに救われ、あいつに使命を託されてしまった」

 彼は右手を真上に掲げ、その様子をじっくりと眺めた。かつて深紅に塗れたその手は、現在綺麗な肌色を取り戻している。

「だが、俺にそんな覚悟はねぇ。俺にとって賞金稼ぎとは、誰かを守るための手段じゃない。あくまでも自分を生かすための術でしかないんだ」サッチは掲げた右手を力強く握りしめ、溢れんばかりの感情を抑えつけるように歯を食いしばった。「俺は、この生き方しか知らない。それが賞金稼ぎを続けている理由だ。他人の為に命を捨てられるほど、俺はデキた人間じゃねぇ。ティーチの意思を継がないし、継げない。生きる為に命を懸ける、俺はそんだけの奴なのさ」

 シピは、彼から送られてきた視線に卑下の色を感じとった。彼女は知らなかった。エドワード・サッチという男が、辛い宿命の下

に生きていることに。だが、サッチも知らなかった。シピという女が、自覚のない良心によって救われたことに。

「そんなことないわ」

 シピはそう言って優しく微笑んだ。するとサッチの視線が、ゆっくりと彼女の笑顔に吸い込まれていく。

「・・・・・・え?」

「サッチはきっと、多くの人を救ってきてる。自覚がないだけでね。ティーチさんがあなたに役目を任せたのは、あなたならやってくれると思ったからよ」

「そんなこと・・・・・・」

「お金の為だっていいじゃない。結果的に誰かの救いになれば、それで。ティーチさんもきっと喜んでくれるわ。それに・・・・・・」サッチの右手の上に、シピがそっと両手を置く。「私だって、救ってくれたじゃない」

彼女の両手の温もりを感じながら、彼は彼女と出会った日のことを思い出していた。二人の出会いは、まさに波乱万丈といった感じだった。その中で彼らは固い絆を築き、今こうして互いを支え合っている。

 彼が再度彼女を一瞥すると、彼女も再度ニコリと笑ってみせる。その笑顔に励まされたのか、彼は一度俯いた後、ゆっくりと顔を上げて小さな笑みを返した。

「・・・・・・全く。お前には敵わねぇな、シピ」


 翌朝、しつこく鳴り響く七時のアラームにシピは目を覚ました。彼女は抜けきっていない疲れと、肩の痛みを感じながら伸びをする。

(・・・・・・やっぱりダメね)

 シピの全身を気怠さが襲う。それに負けぬよう、彼女は両頬をパチンと叩き、自分を奮い立たせる。

 彼女がふと左隣に目を移すと、サッチが間抜けな表情で熟睡しているのが確認できた。

「こんなシートで、よくそんなに眠れるわよね・・・・・・」

 シートの固さを確認しながら、彼女は呆れ気味に呟いた。

「サッチィ、起きてぇ。もう七時よー」

 一体何のためのアラームなのか。サッチは、七時のお告げがされても一向に目を覚まそうとしない。仕方なくシピは、彼の肩を何度か叩いてみた。しかし、中々起きる気配がしなかったので、痺れを切らした彼女が容赦ない一撃を彼の肩に叩き込む。すると一撃を受けたサッチが、不機嫌な様子でゆっくりと目を開いていく。

「・・・・・・やめろって。まだ七時じゃねぇか」

「『もう』七時よ、全く。『ニュース』始まっちゃうよ?」

「あー・・・・・・お前一人で確認しといてくれ」

「そうやって毎朝、毎朝・・・・・・。私がいないとロクに起きれやしないんだから」

 シピは、サッチが包まっている掛け布団を強引に剥ぎ取った。すると彼が、大きなくしゃみを彼女に披露する。

「わかったよ、チクショー」

 そう呟くとサッチは、寝袋を収めてドアを開けた。外は朝の鋭い風が、二人を刺すように吹いていた。

 二人は荷台に回り、少しばかり高い足場に足をかける。サッチがよじ登った先で一番最初に見に入ったものは、ローの姿だった。

「よお、まだいたのか。俺はてっきり、もういなくなってるもんだとばかり思ってたんだが」

「何処へもいくものかよ。まだオレとの決着がついていないだろう?」

「ついたじゃねぇかよ。俺はあのアホ面を一生忘れねぇぜ、多分」

「う、うるさい!とにかくだ、勝負の続きといかせてもらうぞ、サッチ!」

 ローが狭い荷台の中で昨夜の構えをしてみせる。サッチは、彼を拘束しなかった意味を考えながら、奥に置いてあるラジオの方へ歩み寄る。

「それはいいからよ。少しの間静かにしててくれないか?俺たちはこれから、大事な仕事をしなきゃなんだぜ」

「俺たち?」

 ローが首を傾げていると、その目の前をスタイルのいい美女が横切ったので驚いた。彼は口を縦にがっぽりと開け、心を激しく狼狽させていた。

(あ、あれが、昨日アイツと話していた女性!?あ、あり得ない!そんな、不釣合いな!)

 それを背後にサッチとシピは、ラジオをあるダイヤルに合わせ、座ってしばらく待機した。そして腕の時計が十分をさしたときのことである。

「ABCニュースの時間です。昨日午後・・・・・・」

 淡々とした口調で男性キャスターが、原稿を読み始める。これが先ほどシピが言っていた『ニュース』なのだ。毎朝七時十分に放送され、エンテシア内で起こった事件や、賞金首の情報などを紹介するローカルラジオ番組で、サッチとシピは毎朝このラジオを聴きながら一日の支度をするのが日課だ。

「・・・・・・ケイズ市のジョージ銀行が、武装した十五名のグループに襲撃され九名が死亡、二十名が負傷し、女性一名が拉致され、およそ百万ペイが盗まれました。犯人たちは未だ逃走中です」

 事件のあった市名が耳に入ると、両者はお互いに顔を合わせた。

「ケイズ市って・・・・・・」

 シピがサッチに確認を促す。彼はそれを受けて急いでウエストポーチから地図を取り出し、ケイズ市の名前を探した。

「・・・・・・ここからだと少しかかるが、行けない距離ではないな」

 念のためサッチは、ペンを取り出して地図に記されたケイズ市をマークする。それを終えると彼は腰に手を当て、ため息を吐きながら呟く。

「しかし、大事件だな、これは」

「ええ・・・・・・。それにしても酷いわ」

 シピはサッチの呟きに同意し、気の毒そうな表情で頷いた。

「この事件に関して、警察は犯人を指名手配しており、情報提供に五百ペイ、犯人の逮捕一名につき二千ペイの賞金を懸けたことが発表されています」

 その瞬間、その場にいた3人は目を皿にして驚いた。

「一人につき二千ペイ!?」

 サッチは握っていたペンを落とし、シピはバランスを崩して背後に倒れてしまった。

「ず、随分と太っ腹じゃないか」

「一人につき二千ペイだから・・・・・・全員捕まえたら三万ペイ・・・・・・!?」

「一時期のキルシー並だぜ、こいつは」

 これは、今までを考えればあり得ないことであった。エンテシアは賞金稼ぎの待遇が未だ改善されていない状態である。例えばサッチがエンテシア内で捕まえた最高額の賞金首は、千ペイの連続殺人鬼だった。その額の二倍も一人につき支払われるとなれば、彼らからすれば逃す手はない、筈なのだ。

「早速ジョージ銀行に行って詳しい情報を仕入れましょ!それで・・・・・・」

 言いかけたところでシピは、サッチがどことなく浮かない表情をしていることに気づいた。

「どうしたの?」

「・・・・・・いいニュースではあるし、興奮もしてるさ。けどな、正直言って十五人も独りで相手するのは不安だ。俺の自信も、流石に人間の域を出ちゃいない」

「じゃあ賞金を諦めるの?」

「・・・・・・」

 シピの言葉を受けてサッチは、しばらく黙った後、音声を切ってラジオから背を向けた。

「死んじまったら、賞金も手に入らない」

「あっ・・・・・・」

 彼女はハッとした。そして、一拍開けてから言った。

「そ、そうね、サッチには死んで欲しくないし・・・・・・」

 死という単語にシピは弱かった。彼女は昨夜聞いたティーチの件を思い出し、やるせなくなって俯いた。

「ま、協力者がいりゃ、俺もやる気になるんだがよ?」

 突然サッチは、ある方角を見つめながら明るい調子で言った。その声に反応してシピは顔を上げ、彼の視線をなぞる。その方角の先にいたのは、

「ロー、手伝う気はないか?」

 ローはギョッとし、肩を跳ねさせてから動揺を混ぜた強い口調で言った。

「は、ハッ!なんでお前なんかをオレが手伝わなければいけないんだ?」

「お前も賞金稼ぎなんだろ?だったら金は欲しい筈だ。山分けといこうじゃねぇか」

「バカ言うな!オレは、お前の役に立つようなことは絶対にしない!」

「そうか・・・・・・」

声の調子は暗めであったが、サッチの表情にはまだ彼に切り札があることが表れていた。

「それなら勝負の続きといこう。相手は十五人、奇数だ。より多く逮捕した方が勝ち、それでどうだ」

 サッチはすらりとさせた立っ端から見下すように、挑発的な視線をローに投げつけた。それを受けてローは、一度鼻を鳴らし、腕を組みながらサッチを睨み返す。

「・・・・・・勝負、か。いいだろう。その勝負、のってやる!」

 両者の視線がぶつかり合い、激しい火花が散っている。その様を中立の立場から見ていて、シピは思った。

(単純なのかな?)


 朝支度の最中、黙々と作業に取り掛かるサッチは背後で、一人の男がしつこく女を口説くのを聞いていた。

「それならシピさん、今夜もしお暇なら、一緒にご飯でもどうですか?」

「え、ええと・・・・・・」

 ローのこれでもかというほどの押しにシピは弱り、サッチに「助けろ」のサインを送った。それに気づいたサッチは、呆れた様子でため息を吐いてから言った。

「おい、ロー。お前シピにちょっかい出してる暇があったら、さっさと支度を済ませやがれ」

「お前に言われるまでもない。支度など既に済んでいるさ」

「お、おおう。そんなら・・・・・・ご自由に」

 そう言うとサッチは作業に戻った。するとシピが「諦めるな」のサインを送った。

「そんなことよりシピさん」

「うぇ!?な、なに?」

「今夜の食事の件ですが、どうしましょうか。シピさんの希望を聞かせてください」

「ええ・・・・・・わ、私はそのー・・・・・・サッチとJBで食べる約束があるから、その・・・・・・」

「JB?ああ、あの豚の餌場みたいな場所ですか。あんなところより、オレならいい場所を紹介出来る」

 ローがさらに攻めのペースを上げる。支度を終えたサッチが、その様子をニヤニヤしながら眺めていた。

「驚いたぜ、ロー。お前、女相手にはスゲー下に出るんだな」

「・・・・・・別にいいだろ。お前には関係ない」

「あーはいはい、すまなかったな。そういう女たらしなところは、兄貴に似てるって思っただけさ」

 サッチがさりげなく呟いたその言葉に不意を突かれ、ローは雷にでも打たれたかのように目を見開いた。その様子を見て、サッチが微笑んでみせる。

 彼は立ち上がるとウエストポーチを腰に下げ、荷台の出口に向かった。

「言っとくが、その女は大変だぜ?わがままで言うこと聞かねぇし、ビビリで何かと反発してくるし。・・・・・・まあ、それでも別に構わねぇってんなら、どうぞ好きにすればいいさ」

 サッチは、それだけ告げると荷台から飛び降りた。その後ろ姿を見て、我に返ったローがシピを一瞥する。すると彼女は頬膨らませ、いかにも不機嫌といった感じでローを睨んでいた。

「え、えっと、シピさん?」

「ごめんなさい今夜は空いてないわ」


 彼らはジョージ銀行付近のコインパーキングに到着すると、下車して再度三人で顔を合わせた。

「確認しとくぜ。俺はジョージ銀行へ行って警察から事件の詳細と防犯カメラの映像記録を貰ってくる。そんで、シピとローがこの近辺で聞き込み調査を行う。十二時になったら一度ここに集合だ。それでいいな?」

「構わないわ」

 やる気満々といった感じでシピは頷いた。しかし、ローの方はサッチの問いかけには応じず、ギロリとさせた視線をサッチに突き刺していた。

「・・・・・・OK。そんじゃ、始めるとするか」

 サッチがそう宣告すると、二手に分かれての調査が開始した。


 聞き込み調査を開始して暫く経過した頃のことである。シピとローは、思うように成果が得られず、頭を抱えていた。

「なかなか上手くいかないものね」

 シピは、手帳に書いた数少ない事柄を凝視しながら言った。するとローが、彼女の手を引っ張りながら指をさす。

「それなら、すぐそこのカフェで休憩しませんか?」

「え?わあ、素敵」

 ローが指した先には、小洒落たカフェテリアが佇んでいた。それは女としての直感を刺激するものであり、シピは見事に食いつく姿勢を見せた。彼の狙いは上手く的を射ていたといえる。しかし、彼女の理性は全滅しない。今やるべきことを瞬時に脳内で整理し、優先順位をつけていく。すると、彼の誘いは後回しでも良いという結論に至った。

 惜しい気持ちはありつつも現状を考え、彼女は断ることにした。

「でも、まだメモもこんな感じだし・・・・・・」

 彼女はローに手帳を渡した。彼はそれをサラッと流し見してから、すぐ彼女に返して言った。

「行き詰まった時こそ休憩は大事です。お代はオレが出しますから」

 ローがニコリと爽やかに笑って見せる。彼は、逃すかと言わんばかりに追い打ちをかけた。すると暫く考える素振りを見せた後、シピはその提案を受け入れた。

「じゃあ、ご馳走して貰おうかな」

 申し訳なさそうに笑うシピを見て、ローは彼女に見えないように小さくガッツポーズをした。


 警戒色のテープを乗り越え、一人の警察官が小走りでこちらに向かってくる。彼は額から流れた汗を拭い、息を荒げたままサッチにビデオテープと資料を手渡した。

「はいこれ。少ないですけど、これで頑張ってください」

「悪いな、無理言って」

 渡された資料を確認しながらサッチがそう言うと、警察官は手を横に振ってそれを否定する。

「いえ、我々としても、早くこの事件を片付けたい限りですから」

「・・・・・・アンタを見ていると、エンテシアの警察も捨てたもんじゃねぇなって思うよ」

 サッチが資料から目を移しながら微笑みかける。すると、その警察官は照れ笑いをした後、すぐに走り去ってしまった。

「さて、あいつらは上手くやれてんのかな」


 見る者に清楚な印象を与える若い店員が、きっちりとした動作で二人の前にコーヒーを出す。

「お待たせしました」

 ぺこりと頭を下げ、スタスタとその場を去る。その動作ひとつひとつにシピは見惚れていた。

「あのー、シピさん」

 ローは、瞳を輝かせながら店員を見つめる彼女を不思議に思いながら呼びかける。すると我に返ったシピが、肩をビクッとさせて慌てる様子を見せた。

「な、なに?」

「コーヒー、冷めちゃいますよ?」

「ああ、うん、そうね」

 シピはコーヒーカップを手に取り、火傷しないよう息を吹きかけてから、ゆっくりと飲んでみる。

「美味しい・・・・・・」

「よかった」

 ローは笑った。その笑顔が、反応への嬉しさからなのか、それとも安堵からなのかは彼自身にもわからない。

「ここは本当に素敵な場所ね。・・・・・・私、こういう場所は初めてだから、ついワクワクしちゃって」

「おや、そうなんですか?」

「うん。ほら、サッチって、こういう場所にわざわざ行こうとはしないから」

「なるほど、連れの問題ですか」

 納得の様子でローが頷いて見せる。「なるほど、確かにあのようなガサツな男には、洒落た店など到底似合うまい」と彼は思った。

「ロー君って、女の子の気持ちがわかるのね。素晴らしいわ。サッチにも見習ってもらいたいくらいね」

 その言葉にそれ以上の意味はなかったが、ローの脳裏では「素敵な人。私と結婚して」という余計な言葉が付け加えられていた。そこで彼は、勝利の確信が生まれていたのだ。しかし、シピの次の言葉は、その確信を打ち砕くものであった。彼女はコーヒーを半分ほど減らしたカップを受け皿に置き、一度周囲を見渡してから言った。

「ねぇ、ロー君」

「はい、なんでしょう」

「私が今日あなたの提案を受けたのは、なにも『コーヒーが飲みたかった』ってだけじゃないのよ」

「・・・・・・それは、どういうことですか?」

「あなたに、お願いしたいことがあるの」

 シピの口調は妙に落ち着いていた。「お願い」というのがローには分からなかった。「お付き合いの申し出だろうか?」と、頭の中で推測した彼は、姿勢を正して次の言葉を待つ。

「こんなこと、言うべきかは迷ったんだけど、言わせてもらうね」

「・・・・・・はい」

「あなたに、もうサッチを恨んで欲しくないの」

「・・・・・・え?」

 その言葉は、彼の予想とは全く別のものであった。彼は驚いた、というより戸惑った。

「い、今なんと・・・・・・」

「もう、サッチを恨まないであげて」

 その言葉を耳にし、胸の内から湧き上がる感情を、彼は抑えることができなかった。

「・・・・・・シピさん、オレは、その願いを聞いてあげられないかもしれない」

 ローは辛そうな顔をしながら、震えた声で言った。

「あなたの気持ちもわかるわ。私も昨日、あなたのお兄さんがどれだけ素晴らしい人だったかは彼の口から聞いたもの。あなたも、その優しさに触れてきたのよね」

「・・・・・・」

「だけどね、あなたがサッチを恨んだって、ティーチさんが帰ってくる訳じゃない。そんな復讐心に意味なんてないわ。あなたにもわかるでしょう?」

 グサグサと胸に刺さるシピの言葉は、ローから返す言葉を奪った。それら全てが彼の胸に引っかかるからだ。だが、彼はそれを認めたくなかった。

「・・・・・・違う!」

 一体何が違うのかは彼自身にもわからなかった。ただ、彼の中の焦りが、それを否定しろと命令したのだ。

「認めてもいいの。そうすればきっと、あなたも楽になれる。だから・・・・・・」

「違う!」

 強く否定する言葉を叫びながら、ローは立ち上がった。するとシピは、申し訳なさそうに笑ってみせ、それによりローは我に帰る。ゆっくりと腰を下ろしながら彼は謝罪した。

「すみません・・・・・・」

「・・・・・・私の方もごめんなさい。でも、ティーチさんはきっと、あなたとサッチが仲良くしてる方が嬉しいと思うな。だって、あの人にとってあなたたちは、とても大切な弟だもの」

「・・・・・・アイツは」

 ローは拳を強く握り、得体の知れぬ感情をシピに晒さぬよう俯いた。

「私ね、ちょっと前までは孤独だったの」

「・・・・・・え?」

「両親に自由を取り上げられ、誰にも理解してもらえず、ずっと言われるがままに生きてきた。ヴァネッサ、それが私の本当の名前」呼吸を置かず、シピは続けた。「私はその名前を呼ばれるのが囚人みたいで嫌だった。まるで冷たい鉄の檻にでも閉じ込められたような気分さえした。でも、そんな檻からサッチは私を救い出してくれた。私に、シピという名前をくれたの。嬉しかった。受けてきた優しさのなかで、何よりも」

 シピの口調は大変穏やかであった。胸に手を当て、静かに目を閉じれば、サッチと過ごしてきた一日一日が容易に思い出される。

「私は、今この日々が大切なの。新しいことに触れて、感動するこの日々が」

「・・・・・・」

「サッチはね、あなたの思うような悪い人じゃないよ。まあ、確かに捻くれ者で、ちょっぴり意地悪なところもあるけどね」

 シピは笑った。ローは俯いた顔をゆっくりと上げていく。すると彼女の中で最も輝き、美しい笑顔が彼の瞳に映った。

「・・・・・・まさか、シピさんは・・・・・・」

 気づいてしまったローの言葉は、最後まで声にならなかった。しかし、その箇所を彼の震えと声の調子から自分の中で補完すると、シピは言った。

「・・・・・・まだ分からない、この感情が何を表すのか。でも今は、一緒にいたいって、そう思うの」

 コーヒーを飲み干し、シピは軽やかな調子で席を立ち上がった。

「だって私たち、最高のパートナーだもの」

 

(サッチ・・・・・・お前は)

 彼は二度の敗北を味わったようであった。


 ついに約束の十二時がやってきた。三人は先ほどのコインパーキングに集まり、荷台に乗り込んで自分たちの成果を見せ合うことにした。

「それじゃ、まずは俺からだぜ」

 どさっと豪快に座り込み、サッチが二人にビデオテープと資料を渡す。生憎サッチたちはビデオデッキを持っていなかったので、ビデオの内容は確認出来なかった。シピは、受け取った薄い資料をペラペラとめくってみる。

「『現在判明している実行犯は、監視カメラにて撮影されたマルコ・ギュールのみ』ね。しかも行方が知れない状況だし」

「そいつ一人でもわかっただけマシさ。それすら掴めてなかったら、もうお手上げだぜ」

 両手を挙げ、ブラブラしながらサッチが言った。その後もシピは、目ぼしい情報を探してみるが、それ以外には見つけることが出来なかった。

「まあ、沢山把握できてれば、今頃警察が捕まえてるでしょうね」

「ああ。そっちの方はどうなんだ?」

 サッチのその言葉にシピたちはギョッとした。彼女は暫く頭を抱えてから、恐る恐るといった感じで手帳を渡した。

「これなんだけど」

 サッチは受け取ったメモの内容を確認する。そこにはやはり、大した情報も記されてなく、空白だらけのページがサッチの笑いを誘った。

「わ、私たちも頑張ったんだからね!?ね、ロー君!」

「え?あ、ああ!一分も休むことなく聞いて回ったんだぞ!」

 まあ、それは嘘であるが。サッチは自分の側に手帳を置いてから言った。

「まあ仕方ないか。こんだけ情報が少なけりゃ、通行人に聞いたってたかが知れてる。・・・・・・なら、すこし頼ってみるか」

「え?」

 シピとローは、二人してサッチの顔を見た。

「情報屋って知ってるか?まあ、正確には情報解析屋だが。先ほどキルシーで世話になった情報屋から、エンテシアに移転したという連絡があってな。久しく顔も合わせてないし、挨拶がてらに情報の解析を依頼してみる」

「な、なんだァ、その胡散臭い業者は」

 眉間にシワを寄せながらローが訊ねる。するとサッチはビデオテープを手にとり、それを2人に見せるようにしてから答える。

「大丈夫、頼れる味方さ、あれは。たったこれだけの情報でも、上手く解析して教えてくれる。お前たちも、きっと驚くぜ」

 そう語るサッチの様子は、なぜだかウキウキしていた。それを見た二人は、腑に落ちない感じを見せつつも、今は藁にもすがりたい状況なので、黙って彼についていくことにした。


 彼らがいたコインパーキングから離れて数十分の所に、それは佇んでいた。繁華街から離れ、警察の目も少し弱まったこの地区は、貧困層の住宅地になっている。そこには整備の整った建築物などはなく、薄汚れ、寂れた街並みがサッチ一行の印象に残った。彼らは、情報屋に伝えられた番地に向かって、のそのそと歩いている途中である。

「なんか、こう言うのもなんだけど、賞金首が身を隠すにはうってつけの場所ね」

 物珍しく思ったのか、シピがキョロキョロと街並みを見渡している。するとサッチは、そんな彼女を一瞥してから言った。

「ここら辺は今までノータッチだったな。時間があったら、少し賞金首探してみるか」

「『時間があったら』とか、今のうちから言うなよ」

 ローは呑気なことを言うサッチに呆れ気味な様子だった。彼は情報屋というのが如何なものなのか、全く想像が出来ていない。どの程度の実力で、どの手段で、どのくらいの時間を要するのか。そしてなにより信用に値するのか、彼にはまだ分からないでいた。それはシピも同じである。

「本当に我々はついていくべきなんでしょうか」

 ローがサッチに聞こえぬよう、小さな声でシピに問いかける。

「まあ、サッチが信頼してるくらいだから大丈夫・・・・・・かも?」

 首を傾げ、自信なさ気にシピは返した。すると前を歩くサッチが急停止したので、彼女は彼の背中に顔面を強くぶつけた。

「あっぷ!」

「お、おい!いきなり止まるなよ!」

 痛がるシピの肩を持ちながら、ローがサッチに対して怒鳴り声をあげる。

「ああ、すまんすまん。鼻血は出てないか?」

「・・・・・・出てないけど、ホラ」

 両手で覆った鼻をサッチに見せる。彼女の鼻頭は真っ赤になって、目には涙が浮かんでいた。

「どうして急に止まったりなんかしたんだ?」

 ローが疑問に思ってサッチに問う。するとサッチは、正面に指を指しながら言った。

「そりゃ、ここが目的地だからだぜ」

 彼が指した先には、地下へ通じる階段が設けられていた。その少し先に見えるドアは、薄暗いせいもあって不気味に見える。

「ひ、ひえ〜・・・・・・」

 シピの口から、今時どこへ行っても聞く機会のない声が漏れ出す。彼女とローは、その先に進むことを躊躇した。だがサッチは、そんな二人のことなどお構い無しといった感じで、ズカズカと前に進んでいく。

「あっ!お、おい、待てよ!」

 慌てた様子で、ローはサッチの背中を追う。するとシピも、ローに連れるように石の階段を駆け下っていった。


 重い鉄扉を開けると、眩い明かりが間から漏れだす。サッチは目蓋を細めながら、奥へ進んで行く。

「ソフィー、いるかー」

 応答を求めるサッチに気づくと、ソフィーと呼ばれる女が奥から出てきた。

「あら、サッチじゃない。久しぶりね」

「そうだな。俺がキルシーを出て以来か。元気そうで何よりだよ」

 早速サッチは側にあったソファーに腰を掛ける。シピとローも、恐る恐るといった感じで事務所の中へ入ってきた。外の雰囲気とは違い、明るく、綺麗に整頓された部屋がそこにはあった。

「な、なんか、想像と違うね」

 そう驚くシピの口は、中々に塞がらなかった。ソフィーは、キョロキョロと事務所内を見渡す二人を見つけ、笑顔で声をかける。

「はじめまして、私はソフィー・ドーナット。あなたたちが、サッチの言ってたお友達ね」

 二人はビクッとして姿勢を正し、声が発せられた方へ顔を向ける。するとローはさらに驚いた。なぜなら、胸のデカい綺麗なお姉さんが、彼に向かってニコリと微笑みかけたからである。彼はその笑顔によって、ここが情報屋の事務所であることを忘れた。

「紹介するよ。こっちがシピ。俺の仕事を手伝ってくれてる」

 サッチがシピを示しながら話す。するとシピはムッとした。彼女は彼の口調が、先ほどと比べて明らかに変化していることに気づいたからだ。

「あら、可愛い娘じゃない。サッチったら幸せ者ねー」

「いやー、そんなことないさ」

 照れくさそうにサッチは笑った。そんな彼を、シピは強烈な視線で睨みつける。サッチは気づかなかったが、ローはその眼光に気づき、一人で静かに震えた。

「そんでこっちが、ティーチの弟のローランドだ。兄貴とは違って頑固な坊やだね」

サッチは次にローを紹介する。ソフィーは柔らかく、温かい瞳でローの姿を眺めてみた。

「・・・・・・ティーチの弟君ね。確かに目の当たりが、どことなくあの人に似ている気がするわ」

嬉しそうにソフィーは話した。サッチもそれに同意し、彼女に対して頷いてみせる。するとシピがサッチに近づき、耳元で囁く。

「ちょっと!私たちは別に長話をしに来たんじゃないんでしょ?さっさと本題に入りなさいよ!」

「あっ、そう言えばそうだったな」

 目的を思い出したサッチがソフィーに近づき、手に持った資料とビデオテープ、そして空白ばかりの手帳を渡す。

「これは?」

「今日は君に解析の依頼をしに来たんだ。今朝のニュース、見ただろ?」

「ええ、昨日の銀行襲撃のニュースでしょう?それに関連した依頼?」

「ああ。俺たちはその犯人を追ってるんだが、行方が知れないで困っているんだ。そこで君の力を借りたい。引き受けてくれるか?」

 サッチは、ソフィーの右手を両手で包んで懇願した。それを見たシピが、鬼の形相で殺意に満ちたオーラをサッチに対して放ちだす。それでも彼は気づかず、ソフィーの右手を触り続ける。しかし、ソフィーの方はそれに気づき、苦笑を浮かべながらサッチの両手を離した。

「ま、まあ、困ってる依頼人を放ってはおけないわ。私で良ければ、その依頼引き受けるけど?」

「本当か!すごく助かるよ!」

「じゃあ、早速作業に移るから、コーヒーでも飲んでゆっくりしててね」

 そう告げると、ソフィーはサッチから手渡された物品を持って奥の部屋へ消えていった。

 サッチはうっとりした様子のまま、すぐ側にあったサーバーからコーヒーを淹れる。

「随分と楽しそうだったわね」

 ソファーに座ったシピが、不機嫌そうに頬杖をついている。だがサッチには、その理由がわからなかった。

「スタイル抜群のレディと話すのが、楽しくない訳がないだろ?」

「・・・・・・あっそ」


 ソフィーが解析を始めて二十分ほど経過した。その頃サッチたちは、各々別のことをして時間を潰していた。サッチはコーヒーを飲みながら賞金の使い道を考え、シピはボーッとしながら女性向け雑誌を読み、ローは先ほどのカフェでの会話を思い出す。

(あなたに、もうサッチを恨んで欲しくないの)

「・・・・・・」

 ローはサッチの顔をジーっと見つめながら、その言葉を頭の中で何度もリピートする。するとサッチはなぜかそれには気づき、首を傾げる。

「なんだ?俺の顔に何かついてんのか?」

「・・・・・・別に」

 プイッと顔を逸らすローに対して、サッチはため息を吐いた。

「しょうがない奴だな、お前も」

 呆れた様子でサッチが本日十杯目のコーヒーを飲み干そうとしたそのとき、奥からソフィーが紙の綴りを持って出てきた。

「解析、終わったわ」

 彼女はサッチのもとへ歩み寄り、解析の結果をまとめた紙を渡す。するとシピとローがサッチの側へ移動し、その紙を覗き見ようとする。

「本当にやったのか・・・・・・?」

 ローは目を見開きながら驚いた。そんな彼を一瞥してから、ソフィーは言った。

「これでも時間がかかった方なのよ。本当はもっと早く済むのだけれど、何分にも判明している情報が少な過ぎてね」

「いや、十分に早いんだが・・・・・・」

 呟いた後、ローはサッチが手に持っている解析結果に目を移した。

「これは、本当に信用していい情報なのか?」

「大丈夫だと思うぜ。俺が今までソフィーを頼ってきて、一度も失敗したことなんてないからな」

「・・・・・・そうか。それで、どうだったんだ?」

「グループの行方がわかった。ついでにあいつらの顔もな」

 そう言うとサッチは、解析結果が記された紙をローに渡した。

「・・・・・・おいおい、ここからかなり近いじゃないか」

「ああ。どうやらシピの言う通りだったようだ。フフ・・・・・・これで賞金首を探す必要もなくなった」

 サッチは立ち上がり、軽く伸びをして出発の準備をする。

「これだけの情報、一体どうやって調べたんですか?」

 興味津々といった感じで、シピがソフィーに尋ねる。シピは、ソフィーの技術があれば、今後の活動に大いに役立つと考えたからだ。すると、ソフィーがニコリと笑ってから言った。

「知りたい?」

「知りたいです!」

 瞳を輝かせながら、グイッとソフィーに詰め寄る。ソフィーは微笑んだ後、シピの目の前で両手の人差し指を交差させ、ばってんをつくってみせる。

「だーめ。営業秘密よ」

「そ、そうですか。そうですよね・・・・・・」

 がっくりといった感じで、シピが肩を落とす。そんな彼女の肩をポンと叩きながら、ソフィーは言った。

「サッチのため、でしょう?」

「え?」

「彼の助けになりたくて、解析の方法が知りたかったのではなくて?」

「えーと・・・・・・まあ、そうなんですけど・・・・・・」

 シピはソフィーから視線を逸らしながら答えた。その視線を逃さぬよう顔を近づけ、ソフィーは言った。

「この技術はあげられないわ。けどね、あなたにも『あなたにしか出来ないこと』がきっとあるはずよ。それでサッチを支えてあげればいいじゃない」

「で、でも・・・・・・」

「大丈夫、いつも彼の側にいるあなたなら、それに気づくことができるはずよ」

 優しく微笑み、励ますようにソフィーは言った。するとシピが、瞳を潤ませながら天使の顔をまじまじと見つめる。

「そ、ソフィーさん・・・・・・!私、頑張ります!」

「おーい、シピィ。もう出発しようぜー」

 出口に立つサッチが、大声でシピの名を呼ぶ。彼女はそんな彼を一瞥してから返事をした。

「あ、うん。それじゃソフィーさん、私たちはこれで」

 シピはペコリとお辞儀をした後、急いでサッチとローのもとへ向かう。その後ろ姿を見つめながら、ソフィーは独り呟いた。

「あなたは本当に幸せ者だわ、サッチ」


 賞金首のアジトへ向けて出発しようとする3人を、ソフィーは出口まで見送ることにした。

 サッチは封筒を取り出しながら彼女に言った。

「気を遣わせて報酬の話をするのが遅れてしまったな。幾ら払えばいい?」

「千ペイね。一応だけど保証もあるから、解析の結果に間違いがあれば相談して頂戴。支払いの時期については、今回のターゲットにつけておいてあげるわ。しっかり頑張って来てね」

「助かるよ。丁度今確認したところ、五百ペイしか入ってなかったからな」

 封筒の中身を見せ、サッチが苦笑してみせると、それにつられてソフィーも微笑みを漏らす。

「それじゃあ、いい結果が聞けることを期待してるわね」

「ああ、楽しみにしておいてくれ」

 その言葉を確認し、ソフィーは事務所へ戻りながら、背後の三人に手を振って見せる。サッチは目の前から去っていく彼女の尻を、いやらしい目つきでジーッと見つめていた。その背後でシピとローが、ニヤニヤと意地悪な目つきで囁き合った。

「・・・・・・サッチって、エッチだったんだ」

「エロワード・エッチだな。これは」


 サッチとローはトラックの荷台に乗り込み、腰のホルダーに拳銃を一丁、替えのマガジン四つを携行し、それから手の平サイズの応急キットを提げた。サッチの表情には真剣の二文字が書かれており、先ほどまでの浮かれた顔つきの人物はそこにいなかった。それを見て、ローも「いよいよか」と覚悟を決める。

「準備は万端だな」

「ああ」

 サッチの問いかけに、ローは静かに応じた。彼は立ち上がり、荷台から降りようと出口へ向かう。

「ちょっと待ちな」

 突然サッチがローを呼び止める。するとローは、呆れた顔をしながら振り返る。

「どうしたんだ」

「今回は勝負ということだったな。お前にとっちゃ、そこが今回の件で何よりも重要かもしれん。けどな、決して無茶はするな。お前には、その傾向がある」

「・・・・・・」

 ローは立ち止まり、背中でサッチの言葉を受け止める。サッチはその背中に、さらに言葉を投げつける。

「いいか。俺の言うことだと思って蔑ろにするんじゃないぞ。本当に死ぬぜ」

「・・・・・・どうしてお前は、オレに対してそう煩く言うんだ?」

 ローの口調は落ち着いていた。昨日はあれほどサッチを前にして興奮してみせたのに、なぜだか今はそのような激しい感情が沸いてこないのである。

 サッチはゆっくりと立ち上がり、その質問に答える。

「経験の話だ。俺は一人、そうやって無茶をして死んだ奴を知っている。誰だかわかるか?」

「・・・・・・エドのことを、言っているのか」

「ああ。お前は兄貴と同じ轍を踏むなよ。例え今回の勝負でお前が負けても、生きてれば、生きてさえいれば、俺は何度だって挑戦を受けてやる。だが、もしお前が死んじまったら・・・・・・」

 そこでサッチは言葉を詰まらせた。自分が柄にもないことを言おうとしたことに気づいたからだ。彼はローに、自らの弱い一面を見せたくなかった。

「・・・・・・そん時は、『俺の勝ち』だぜ」

 サッチは微笑を浮かべながら言った。するとローが振り返り、その冗談に反応を示す。

「何だそれは・・・・・・」

 ローは笑いを懸命に我慢した。その様子につられ、サッチも徐々に口角が釣り上がり始める。そしてお互いの堪える顔が、お互いの目におかしく映ったとき、両者は同時に噴き出し、大きな笑い声をあげた。

 その声は助手席に座るシピの耳にも届いた。彼女は嬉しそうに呟く。

「天国から、二人を見守ってあげてください、ティーチさん」


 サッチの笑いには照れ隠しもあったのかもしれない。彼は笑うのと同時に、口を滑らせなかったことを安心していたからだ。しかし、ローは知っていた。サッチの普段の振る舞いの裏には、脆くて繊細な心が存在していることを。


 二人が荷台から降り、運転席に向かおうとすると、その前をシピが両手を後ろで組んで待っていた。

「準備、出来たみたいね」

「ああ。もう向かうとするよ。悪りぃが、荷台の方に移動してくれるか?」

 サッチがそう言うとシピは頷き、小走りで去っていった。それを確認した後、サッチとローは座席に上がり、シートベルトを締めてからトラックを発車させた。


 目的地まではさほど遠くない。短い時間ではあったが、サッチとローは移動時間中に、今回の勝負に関してのルールを確認することにした。

「今回のターゲットは十五人だから、順調に進めば勝敗が発生する。最終的に無力化した人数の多い方が勝ちだぜ」

「殺しはアウトだったな?」

「ああ。一応今回のターゲットについては発砲許可がおりてはいるが、殺しちまったら賞金がパーになる。銃は使ってもいいが、急所は避けろよな」

「難しいもんだ。相手は十五人、しかも殺さないよう加減しろと言われたらな」

 ローは座席に深く掛け直しながら呟いた。その呟きにサッチは同意し、深く頷いてみせる。

「ああ。それと盗まれた百万ペイについてだが、もし発見しても手は出すなよ?」

「ハッ・・・・・・!まさか、お前にそんなことを注意されるとはな?」

「バカ言え。俺はコソ泥じゃなくて賞金稼ぎだぜ?欲しいのはクリーンな金だけだ」

 ローの嘲笑にサッチはムッとした。彼は「絶対に負かしてやる」と、ローは「絶対に勝ってやる」と心に決め、残りの時間を静かに過ごした。


 ソフィーによる解析結果が示したとおりに道を進むと、その先には小規模の廃ビルが佇んでいた。外壁にはツタやコケがビッシリと生茂り、敷地内にはゴミや壊れた机などが散らばっている。周囲は山に囲まれており、警察が捜査に手こずるのもうなずける。

 サッチたちは敷地内の少し手前にトラックを停車させると、音をたてないようにドアを開き、そのままトラックから下車する。無線を荷台にいるシピに繋げ、反応があるとサッチは言った。

「こちらサッチ。聞こえるか?」

「こちらシピ。聞こえるよ。どうぞ」

「今から目的地の廃ビルに向かう。無線はいつでも応じられるようにな」

「了解。・・・・・・そうそう、グループに拉致された女性のことなんだけど。もし無事でいたら、助けてあげて欲しいの。どうぞ」

「あー・・・・・・そういや、そうだったなぁ」

「・・・・・・あなたねぇ。まあ、いいわ。賞金には関係ないけど、よろしくね。どうぞ」

「了解。それじゃ、たっぷり稼いでくるから楽しみにしとけよ。切るぜ」

 そう告げると、サッチはシピとの無線を切断した。すると隣に立つローが、不思議な顔をして言った。

「荷台にいるんだから、直接話せばいいじゃないか」

「まあな。けど、無線ってなんだかワクワクするから、つい触りたくなっちゃうんだよな」

「・・・・・・そうか」

 子供のようなことを言うサッチに、ローは呆れた様子で返した。


 周囲を常に警戒しながら、二人はグループが潜む廃ビルに向かった。入り口の前に立つとサッチがドアノブに触れ、ローに視線を送る。その合図にローが頷いてみせると、勢いよくそのドアを開け、二人して内部に飛び込む。

 ビルの内部は埃っぽく、薄暗い空間であった。破れた窓ガラスの破片や、壊れていたり、錆びていたりする机や椅子がそこかしこに散らばっている。その時点では人の気配を感じなかったので、ローは内部の荒れた様子を物珍しそうに拝見していた。そんな彼を一瞥してから、サッチは極小の声量で言った。

「気を抜くなよ」

「わ、わかってる!」

 ローは若干ムキになって返した。そんな彼をクスクス笑いながらサッチが進んでいると、再び扉に直面する。

 サッチは、その扉越しに人間の気配を察知した。

「・・・・・・いるぜ、向こうにな」

「・・・・・・!」

「さて、一気に開けるか、そっと開けるか」

「じゃあ、そっと・・・・・・」

「それがいいな」

 ローが言い終えるより先に、サッチはドアを派手に蹴破った。周囲の埃がその衝撃によって激しく舞い散り、二人の視界を遮る。

(何のための確認だよ・・・・・・)

 彼の大雑把さに呆れ、ローが大きなため息を吐く。視界が晴れてくると、二人はその先に突っ立った男の存在を一名確認した。

「いよいよお出ましだぜ」

 サッチは顔をニヤつかせながら、一人呟いた。


 男はドアを蹴破る音に気づき、驚いた顔で振り返る。そこには自分の見知らぬ男が二人立ち、自身をギラギラとした目つきで睨んでいた。

「だ、誰だ、お前ら!」

 男が後退りながらサッチたちに問う。二人はその質問には答えず、男に近づき、キツい視線をそのままに彼の顔立ちを確認する。

 次の瞬間、ローの脳裏に警察から受け取った資料に貼り付けられていた顔写真がフラッシュバックした。

(ま、間違いない!コイツはマルコ・ギュールだ!)

 実を言うと彼は、この瞬間までソフィーの解析結果には半信半疑であった。その正確さが、今彼の中で証明されたのだ。

 ローが解析結果が正しかったことに驚いている一方、サッチは特に表情を動かすことなく、ズリズリと引き退るマルコとの間合いをゆっくりと詰めていった。

「マルコ・ギュールだな」

威圧的な態度と低めのトーンでサッチは確認した。するとその言葉が引き金となって、マルコは腰に納めていたナイフを引き抜いた。

「け、警察か!それとも賞金稼ぎか!?俺たちを捕まえに来たんだろ!」

「ご名答だぜ」

 そう言うとサッチは、マルコのナイフを蹴り上げ、すかさず鳩尾に足刀蹴りをたたき込む。するとマルコの身体が、苦しげな声と共に吹き飛び、数メートル先の壁面に叩きつけられた。

 サッチは蹴り上げ、宙を舞ったナイフをキャッチし、その切先を壁にもたれたマルコの眉間に向ける。

「テメェには感謝してるんだぜ。おかげで、潜伏先を知ることができた」

「・・・・・・お、お前ら、俺たちを何だと思ってやがる!こんなことして、タダで済むと思うなよ!」

 このような状況に身を置かれても、いまだ強気な発言をするマルコの姿を見て、サッチは腹の奥底から笑いがこみ上げてくるのを感じた。そうして突きつけたナイフを前方に進め、紅色の玉を作ってから言った。

「もちろん、賞金首にしか見えてねぇよ。なんたってお前らは、賞金をかけられるような罪を犯したんだからな。だが安心しな。お仲間たちも一緒に刑務所へ送ってやるぜ」

 サッチは後方へナイフを投げ捨てた。そして、そのまま気絶させようと拳を振り上げたそのとき、

「グェァァァア!?」

 突然、マルコの姿がサッチの視界から消え去る。その代わりに映るのは、ローのブーツだった。

「よし、これで星一つだな」

 どちゃりと落下音がする背後で、ローはガッツポーズをしてみせた。そんな彼に対して呆れる様子を見せながらサッチは言った。

「お前さ、横取りとかプライドってもんがねぇの?」

「はぁ?グズグズする方が悪いんじゃないのか?」

「・・・・・・後悔すんなよな」

 マルコの意識の有無を確認するサッチが、恨めしそうな顔をする。一方ローは、満足そうに笑っていた。


 上層階へと続く階段を発見し、サッチがローに手招いて見せる。彼らは腰に提げた銃を抜き、いつでも撃てる態勢で進むことにした。

「銃は撃ったことあるか?」

「・・・・・・あるさ。賞金首を的にな」

「そいつは心強い」

 サッチは正面から視線を逸らさない。物音を立てぬようにゆっくりと歩き、小声でコミュニケーションをとった。

 暫く進み続け、二人の目前に開きっぱなしのドアが現れると、サッチがそっと顔を出し、奥を覗き込む。内部はオフィスのようになっており、このビルはかつて中小企業の事業に用いられていたことが想像できる。見たところオフィスには七名近くの賞金首がおり、下の階で仲間が滅多打ちにされたことには気づかず、楽しく仲間内で談笑しているようだった。

(空気を濁すようで悪いなぁ)

 と、心の中では唱えつつも、サッチの口角は意地悪く上がっていた。彼は背後のローに視線で合図を送る。それを受けたローがサッチに近づき、耳を傾ける。

「中には七人。オフィス用の机がある。そいつを遮蔽物として利用しろ」

「ああ」

「先手を取る。突入は俺に合わせろ」

 サッチは再び顔を覗かせ、中の様子を伺う。一方ローは、サッチのピタリとも動かぬ背中だけを凝視し、彼の突入を待った。

 人差し指でトントンと脚を打ち、タイミングを計る。そうして、グループの意識が一つになったことを確認したと同時にサッチは飛び出し、付近にあった机に身を隠した。しかし、その行動の素早さはローの想像を遥かに超えており、彼は呆気にとられ、行動に出るのが遅れてしまった。慌ててサッチの後を追うも、音をたててしまい、それをグループに聞かれてしまう。

 サッチは隣に潜り込んできたローに、鋭い眼光を突き刺した。

(おいおい、絶対ェ聞かれたろ今の)

(お、お前が突然過ぎるのがいけないんだろ!?)

(チッ、なんでもかんでも人のせいにしやがって。こうなりゃ仕方ねぇ。そっち任せたぜ)

 机にもたれかかり、一つ深呼吸してから、サッチはローのいない右側へ銃を構える。それに合わせて、ローも同じようにサッチのいない左側に銃を構えた。

「お、おい!なんか音がしたぞ!」

「お前ら確認してこい!」

 上の者に指示され、相手グループの下っ端らしき二人が、得体の知れぬ物音の正体を確認するため、サッチたちのもとへ近づいていく。彼らはコツコツと響く複数人の足音に意識を集中させる。

 それはローにとって、あまりにも大き過ぎる緊張であった。渇いた口内を潤すため唾をゴクリと呑み込む。額から流れる汗の冷たさを、彼は全身で感じながら銃を力強く握りなおした。

 少しずつ、並ぶ足音が間近に迫ってくる。そして遂に、向かってくる男たちが、彼らを捕捉する直前にまで迫ってきた。

(もう少しだ・・・・・・。あともう少し、引きつける)

 サッチは心の中で自分に言い聞かせた。

 ジリジリと追い詰められていく気分であった。そして、男たちの目に彼らの姿が映ったそのとき、

「今だ!」

 掛け声とともに、サッチとローは左右に飛び出し、迫ってきた男たちの肩を拳銃で撃ち抜いた。各々の撃ち抜いた男たちが、その痛みでしゃがみ込むと、サッチは顔面への蹴りで、ローは腹部への殴打でテイクダウンする。

 奥にいる人物らが驚き、慄きながらも戦闘態勢にはいる。そんな彼らにサッチが手招きして見せると、三人が素手のまま向かって来た。先頭にいた男が、ダッシュの勢いに身を任せ、サッチに殴りかかる。彼はその攻撃を、相手の腕の内側に左腕を入れることで受け流し、態勢を崩す。前のめりに倒れこむ相手の顔面に頭突きをいれ、痛みで怯んだ顎を拳で思いきり突き上げた。

「喰らえやァ!」

 そう叫びながら、サッチの右側に回り込んだ男が力任せにフックを繰り出す。それに反応したサッチが素早く屈み込み、フックを避けてみせる。するとその攻撃は、サッチの左側に回り込んだ男の頬に直撃し、そのまま顎を砕いてしまった。痛みで涙を流しながら悶える仲間を困惑した表情で見ている男の股間を、サッチは屈み込んだままの姿勢で殴ってやる。それに続けて立ち上がり、くの字に曲がる男の頭を両手で掴んで膝蹴りをいれた。ゴロッと倒れる男の存在を背後で感じながら、サッチは顎を砕かれた男の腹部に右足を体重をかけながら押込み、ローに近づく男の方へ吹き飛ばす。それによって、ローへ襲いかかろうとしている男に吹き飛ばされた身体が直撃し、頭を床にぶつけ、そのまま伸びてしまった。

 今の流れで五人を戦闘不能にしたサッチが、余裕な笑みを浮かべながらローを煽る。

「順調かい?」

「チッ!まあまあな!」

 遮蔽物に身を隠し、一対一で銃撃戦を展開するローの表情は、激しい焦りを見せていた。彼は向かい側からこちらを覗く男の拳銃を的にした。呼吸を整え、慎重に狙った後、銃口から鉛を放つ。その弾丸は的確に相手の得物へ命中した。男の後方へ拳銃が弾け飛んでいくのを見て、ローの顔がパッと明るくなる。

(やった!)

 しかし、ローの思うよりサッチは優しくはなかった。彼は相手の拳銃が弾かれたことを確認するや否や、机を乗り越え、一瞬で相手との間合いを詰める。そして、先ほどのお返しと言わんばかりに見せつけながら、サッチはその男に飛び蹴りをお見舞いした。

「こいつで星は六、か。やれやれ、このままじゃ俺の圧勝だな」

「・・・・・・」

 ローは不服といった様子でサッチを睨んだ。そんな彼にサッチは言った。

「横取り上等ってのは、お前の言葉だぜ?」

「・・・・・・クソッ。わかってるさ」

 苛立ちから机を殴り、ローがそっぽを向く。そんな彼の背中をサッチが叩いた。

「もう半分片付いた。気さえ抜かなけりゃ、このままご褒美へありつけるぜ」

 落ち着いた口調であった。ローはサッチの手を肩から払い除けながら、先ほどから胸にあった疑問をぶつける。

「お前は朝、『独りは不安』と言ったな。だが今のオレには、お前がそんな弱音を吐くようなヤツには見えない。なあ、オレをここへ連れてきた本当の目的はなんだ?」

 それを受けたサッチが、少しの間を空けた後、ローに対して微笑んでみせる。

「俺だって怖気付くこともあるさ。お前がいれば、多少は気も楽になると思ったんだ。・・・・・・でもこいつは、お前の聞きたい答えじゃないな?」

 ローは頷いてみせる。それを確認したサッチは、長いため息を吐いてから言った。

「もう一度、一緒に賞金稼ぎをしたかった」

「・・・・・・は?」

「なにもかも勝手な都合さ、俺の」

 サッチは呟くように言うと、スタスタと歩き始めた。ローにはサッチの言葉の意味が理解できなかったが、これ以上考えても仕方がないことを悟り、心の隅に片付けた。


 彼らが二階の調査をしている最中のことである。突然、階段の方から大量の足音が聞こえだした。その音が聞こえるや否や、サッチたちは再び身を隠す。

(こうなることは予測できた。銃声がしてりゃあな)

(後は、さっきと同じように相手を処理するだけ、か)

 サッチとローは思考を整理する。失敗のイメージはそれほど浮かばなかった。マガジンを替え、万全の状態で臨む。

 しかし、相手の足音は途端に聞こえなくなってしまった。不思議に思い、サッチが遮蔽物から顔を覗かせる。すると、階段の方からこちらへ丸いボールのようなものが投げ込まれたのを確認した。

(あれは・・・・・・)

 サッチは瞼を細め、その球体の正体を探る。

 それは、サッチたちの近くに落下した。次の瞬間、彼は顔面を蒼白にさせて叫ぶ。

「グレネードだ!」

 サッチはローの襟を掴み、遮蔽物から飛び出す。すると数秒後に爆発が起き、熱風が身体を煽った。伏せる彼らの側に、バラバラの破片になった机や、破れた窓ガラスなどが落ちてくる。咄嗟の判断のおかげでなんとか事なきを得たサッチは、隣に伏せるローの安否を確認する。

「おい、無事か!返事をしろ!」

「あ、ああ・・・・・・なんとかな」

 心臓をバクバクにさせたローが、荒い呼吸のまま答える。

 すると、階段に隠れていた連中が一斉に突入を始め、サッチたちに向けて発砲を開始する。二人は、まだ無事であった机に身を隠し、銃声を側で聞きながら呼吸を整える。

「チッ!殺意マシマシじゃねぇかよ!」

「どうする!?」

「・・・・・・どうするったって、やるしかねぇさ!逃げ場もねぇ!」

 そう言うとサッチは、机から顔を覗かせて、こちらに発砲を続ける男たちに対して反撃を開始する。しかし、先ほどと違って男たちは、上手く遮蔽物を利用しており、思うようにサッチの弾丸が命中しない。そのことで、サッチは強い焦燥感に駆られた。そうしているうちに、相手グループの一人が放った弾丸が、サッチの頬をかすめる。彼はそこで、自分たちが今、ジリジリと追い詰められていることに気づいたのだ。

 真っ白になった頭で、この状況を打開する策を考える。

(やるしかない、か・・・・・・!)

 サッチは腹を決め、隣で発砲を続けるローに向かって言い放った。

「なあ、ロー」

「チッ!こんなときになんだ!」

「俺が陽動する。お前は、そこから落ち着いて相手を狙うんだ。いいな」

「は?お、おい、待──」

 ローが止めるより先に、サッチは机から飛び出し、大胆に敵の姿を狙っていく。

「お、おい!戻れ、サッチ!」

 顔を真っ青にさせ、ローがサッチに呼びかける。が、彼の訴えは、必死なサッチの耳には届かない。

「・・・・・・ッ!あー・・・・・・クソッ!」

 言葉が通じないことを悟ると、やむを得ないといった感じで、ローはサッチの指示に従うことにした。彼は一度深呼吸をし、気持ちを落ち着かせ、じっくりと敵に向かって照準を合わせる。

 すると、ローの放った弾丸が相手の腹部に命中した。男は苦しげな声をあげた後にその場に倒れこむ。

「・・・・・・よし!」

 サッチの方も上手く肩に命中させ、敵を一人戦闘不能にしてやる。彼の頭の中では、順調に事が進んでいた。彼の中だけでは。


 ローの背筋に、イヤな予感が走る。彼はふと、サッチの方を向いた。すると、サッチの死角から、彼を狙っている男の姿が目に入った。

 それに未だ気づかず、夢中でサッチは応戦している。一方、男の方は銃口を正確にサッチへ向けていた。男が引き金に指をかける。

 それから、ローは遅い時の中を過ごした。何かが思い出される、彼の脳裏で。

「・・・・・・サッチ!」


 バァン!


 同じ銃声が連続して発生する空間の中で、その音だけははっきりと他とは違う響き方をした。

 目の前で血を流し、倒れゆく男の姿を、彼は唖然とした様子で見ていた。

 その身体を抱き抱え、言った。

「なにやってんだ・・・・・・ロー」

 ローは肩を撃たれ、顔面を蒼白にさせている。その様子にサッチは、ひどく動揺した。

 苦痛に顔を歪ませながら、ローはサッチを狙った男の方向を指す。それを受けて、サッチはすぐさまそちらへ照準を合わせ、躊躇なく発砲する。すると、その弾が相手の引き金を引く指に命中し、骨を折り、肉を弾き飛ばした。

 男がその痛みに悶絶し、悲鳴を上げ、床をのたうちまわる。その隙に、サッチはローを引っ張って遮蔽物の陰に隠れた。

 彼は腰のポーチから救急包帯を取り出し、ローの肩から脇にかけてをギュッと縛る。続けてローのシャツを破り取り、それを患部に押し当てた。

「バカ野郎!無茶するなって言っただろ!」

 そう叫ぶサッチの声には必死さが表れていた。そんな彼の胸ぐらを掴みながら、震える声でローが言い返す。

「・・・・・・お前が・・・・・・お前が、人に言えたことか!?」

 ローはギロリと目を剥き、荒い呼吸のまま訴えた。するとサッチはハッとして、胸元を掴むローの手を払う。

 陽動といって飛び出した、あの行動。自分では、この状況を打開する為に必要なものだとばかり考えていた。だが、それは自身の言う無茶であった。彼は自分が人に言えたことではないことに気づいたのだ。

「・・・・・・なぜ俺を庇った。俺が憎いんじゃないのか」

 彼は静かな口調でローに問う。その質問に、ローは空虚な灰色の天井を見つめながら答えた。

「憎いさ・・・・・・本当に、憎い・・・・・・。だけど」彼は呼吸を整え、一層声を震わせながら続ける。「お前が死ねば、シピさんが・・・・・・悲しむ・・・・・・。彼女にとって、お前は・・・・・・」

「・・・・・・!」

「・・・・・・したたかな夢をみせる、パートナーだからだ・・・・・・。彼女が、そう言った・・・・・・綺麗な笑顔で・・・・・・。オレは、それを・・・・・・」

 そう告げたローは、力を抜いて緊張を解いた。サッチがボーッとした様子で呟く。

「シピが、俺を・・・・・・?」

 そんな空気に水をさすように、相手グループが再び発砲を開始する。それに気づいたサッチは我に帰り、押さえた布をローに渡してから言った。

「こいつを押さえてろ!いいか、絶対に死ぬんじゃねぇぞ!」

続けてサッチは無線機を取り出し、シピに繋ぐ。僅か数秒で応じたシピが、呑気な様子で言った。

「どうかしたの?」

「シピか!?今すぐ救急車を要請してくれ。急げ、今すぐだ!」

「え?ちょ、ちょっと・・・・・・」

 戸惑うシピを待たず、サッチはブツリと無線を切断する。再び銃を構えながら、彼は呟いた。

「全く・・・・・・!バカなところも似られちゃ、お前も可哀想だよ、ティーチ!」

 自分の隣から離れていくサッチの後ろ姿を見て、ローは思った。

(エド・・・・・・。なんとなく、なんとなくだけど、わかった気がするよ。お前が、アイツを選んだ理由が)


 ローの側から体勢を低くして飛び出し、サッチは別の遮蔽物に移った。

(・・・・・・クソッ!ローから意識を離すために場所を移してはみたが、俺には何ひとつ策はねぇ!・・・・・・何か使えるもんはねぇか、何か・・・・・・)

 彼は、部屋に絶え間なく響き続ける銃声を聴きながら、首を左右に必死で振り回す。少しでもいい。この状況を打開する助けになるのなら、それでよかった。


 ふと、サッチの瞳に、苦しげに横たわる男の姿が映った。脂汗を流し、血が流れる腹部を押さえながら、いびきのように聴き心地の悪い喚き声を上げる男の腰には、グレネードが一つ提げられていた。

(こいつだ!)

 サッチは素早く男に近づき、グレネードを奪い取る。そして、男たちから発せられる銃声から、彼らのおおよその位置を探ると、ピンを抜き、遮蔽物から放り投げる。

 それは、男たちの側へ転がっていった。それに反応した男たちは、すぐに目と耳を塞ぎ、今にも炸裂しそうなグレネードから離れる。

 咄嗟の対応により、辛うじて爆風と生成破片をやり過ごしたグループ、そのうちの一人が悔しげに舌打ちをした。

「クソッ!姑息なマネしやがって!」

 怒りに顔を歪ませながら、男たちがサッチを探し始める。しかし、見渡した限りではサッチの姿はどこにも見当たらない。遮蔽物に隠れているのか、それとも逃げたのか。男たちがサッチを探そうと歩み始めたそのとき、

「グ、アッ・・・・・・!」

 どこかで苦しげな声が響いた。彼らは慌ててその方向を向く。見ると、そこには泡を吹き、白目を剥いて倒れている仲間がいた。

「な、なんだ!?」

 男たちが困惑していると、その横を俊足の影が過ぎった。グループの一人がその影を目で追い、首を動かす。するとその先で、何者かの固い拳が彼の顔面を迎えていた。

「ブッ!」

 サッチの拳は男の鼻を折り、顔面を凹ませた。するとその場にいた二人の男たちが、同時にサッチに向けて銃口を向ける。それに対してサッチは、一番近くにいた男の拳銃を蹴り上げ背後に回り、首に腕を回して自らの身体を隠す。銃口を向けるもう一人の男が、躊躇いの姿勢を見せたと同時にサッチは、男の脇腹に狙いを定め、無情の様子で発砲する。それを受けた男が倒れ込んだことを確認すると、彼は盾にした男の脚に一発の弾丸を撃ち込んだ。

「て、テメェ、よくも!」

 鼻を折られた男が目に涙を溜め、鼻血を抑えながら叫ぶ。

(オトし損ねたか・・・・・・!)

 焦る気持ちを表情に表し、サッチが急いで男に向かって拳銃を構える。しかし、彼が引き金に指をかけるよりも早く、男の握る拳銃が音速の火を吹いた。それに反応した彼は咄嗟に身を退く。続けて体勢を低くしたまま接近し、居合の要領で男の拳銃を蹴り上げた。

 男が苦しげな表情を見せつつ、後ろに一歩退く。それに合わせてサッチも前方に踏込み、一撃KOを狙った左フックを繰り出した。しかし、男はそのフックをスウェーで躱し、即座に反撃を仕掛ける。体勢を崩したサッチが、その攻撃から身を守ろうとするも、男の拳が彼の右手に命中し、愛用の拳銃が後方へ吹き飛んでしまった。その様子を確認した男が、彼へと更なる追撃を繰り出す。彼はそれを左腕で受け流すと、男の身体を突き飛ばして体勢を整えた。

「・・・・・・最後は殴り合いってか?上等だ!」

 そう言うと、サッチは男との間合いを一気に詰めた。

 フェイントのフックを繰り出し相手の防御を誘うと、サッチは相手の右脚にローキックを仕掛けた。それに対して、男は彼のキックを後方へ退くことで躱す。蹴りを外したサッチはその勢いを用いてクルッと半回転し、生まれた隙をフォローする。するとここぞとばかりに男がサッチの背後を、数発の拳で狙った。サッチはその連撃を両手と上半身を上手く使い、受け流したり、躱したりしながらやり過ごす。しばらくして、背後で発生する緩やかな拳の存在を察知すると、それを手のひらで受け止め、逃さないようにしてから相手の腹部に強烈な背後蹴りを叩き込む。

 衝撃により吹き飛んでいく男の身体は、その先にあった机に鈍い音をたてながら衝突する。叩きつけられた男は、側で(恐らく先ほどのグレネードの爆発で発生した)鋭い金属の棒の存在を確認すると、それを拾い上げ、サッチに対して構えてみせる。

 武器を手にし、不敵な笑みを浮かべる男。一方、その自信を警戒するサッチ。両者の距離がジリジリと詰められていく。

 先に動き出したのは男の方だった。棒を振り上げ、サッチの頂点目掛けて思い切り振り下ろす。その攻撃を身体を捻ねることで回避すると、サッチの隣にあった机が怪音をたてながら醜く潰れていく。攻撃が避けられたことを確認した男が、すかさず棒を水平に振る。その追い討ちを、サッチは体勢を低くして紙一重のところで躱した。だが、追撃はそこで止まらない。男は左肘を振り上げ、棒を避けたサッチの背中を狙った。

「グォオ!?」

 強い衝撃を受け、床に叩きつけられるサッチ。彼に止めを刺すため、男に握られた金属は徐々に天を仰いでいく。そして、男の頭上に現れた先端が、雷の如くサッチの後頭部に降り注ごうとしたそのとき、


 バキィ!


 埃塗れの床に亀裂が走る。サッチは直前に、男の攻撃を前転で回避していた。

「なっ!?」

 サッチの回避に驚く男が、慌ててサッチへ飛びかかる。それに対してサッチは、手元に立てられていたパイプ椅子を手に取り、男の顔面目掛けて投げつけた。反応が遅れ、避け損ねた男の鼻に、パイプ椅子が打ち当たる。間髪を入れず、サッチは男との間合いを詰め、跳ね返った椅子をキャッチし、右に左に殴りつける。それに耐えかねた男が、咄嗟に棒を振りまわす。しかし、既に男はサッチの手玉の中にいた。

 彼は自らの頬に迫る棒を、打点より高くジャンプすることで回避した。スカイダイビングのニュートラルポジションのように跳ね上がったサッチは、その両手でパイプ椅子の脚を持ち、大きく振り上げる。驚いた顔で天を仰ぐ男の顔面目掛け、彼は重力と腕力を用いて椅子の座面を叩きつけた。

 男の脳天に強い衝撃が走ると同時に、座面が天高く跳ね上がる。床に落下したサッチが痛みに顔を歪めながらも、ゆっくりと立ち上がる。一方、男は脳へのダメージによって目を回しながらふらついていた。それを好機と見て、サッチは男の腹部、顎、頬、急所、そして鼻目掛けて拳を乱暴に振り回し、最後に男の側頭部に自慢のハイキックをお見舞いした。

「・・・・・・グェッ!」

 醜く顔を潰し、轢かれたカエルのような声をあげて男は倒れた。

「ハァ、ハァ・・・・・・!」

 キープした姿勢をもとに戻し、サッチは荒い呼吸のまま吹き飛ばされた拳銃と、ネクタイを拾うことにした。そして、彼が拳銃をホルダーに収め、ネクタイを首元に締め直した、そのとき、

「・・・・・・!?」

 突然、サッチの側で何者かが走り去る足音が聞こえた。彼には呼吸を整える暇など与えられなかった。即座に彼は、その足音を追跡する。

(三階に上がっている・・・・・・!?逃すか!)

 上階へと階段を駆け上るサッチが、心の中でそう叫ぶ。階段を上り終え、廊下を走る人影を捕捉すると、さらに速度を上げる。

 その人影は何やら立派な扉の部屋へ入っていった。拳銃を構え、乱暴に閉められた扉を、ゆっくりと開けて先を覗いていく。するとそこでは、先程ローを撃った男と、先日グループに拉致された女らしき人物が、両者共に恐怖で顔を引きつらせていた。

(シピの言ってた女か・・・・・・!?)

 女は口にガムテープを貼られており、両手首を背後で縛られている。両足は揃えて固定されており、独りでは移動することはおろか、立ち上がることすらも困難なようであった。

 サッチは扉を開け放ち、構えた銃口を男へ向ける。すると男は、女の髪を引っ張り、ナイフの切っ先を彼女の首元に突きつけて叫んだ。

「おいテメェ、銃を捨てろ!じゃないとこの女を殺すぞ!」

 その様子にサッチは呆れた。彼は依然男に銃口を向けたままで言った。

「おいおい、冗談だろ。俺は警察じゃないんだぜ?女一人死のうが関係ない。金が手に入りゃな」

 ニヤリと不敵な笑みを浮かべ、サッチが一歩踏み出す。それに対して男は、女の首元に切っ先を当て、自らの意思を示した。

「ほ、ほ、本当に、どうなっても知らんぞ!俺だってな!昨日何人も殺したんだよ!今更どうってことはねぇんだよ!」

 女の首筋から鮮血が滴る。彼女は目に涙を浮かべ、必死に抵抗する。すると男が、暴れる彼女を黙らせるために頬に膝蹴りを入れてやる。

「このクソ女ァ!死にたきゃ殺してるよ!こんな風にな!」

 男が女の首に刃を押し当てる。サッチはそこで引き金に指をかけ、発砲の準備をする。

(そうさ、俺はヒーローなんかじゃない。シピには悪いが、救えないんだ、俺には)

 サッチが瞼を細め、自分に言い聞かせる。そのときだった、


(そんなことないわ)

「・・・・・・!?」

 刹那、サッチの脳裏にシピの言葉が思い起こされる。彼は構えの姿勢を保ったまま、その先の言葉を浮かべていく。

(サッチはきっと、多くの人を救ってきてる。自覚がないだけでね)

 冷たく、鋭い雰囲気を放つサッチを、シピの温もりが覆う。彼は瞳を閉じ、ゆっくりと銃口を下ろしていった。

(私だって、救ってくれたじゃない)


「・・・・・・待ちな」

 サッチは男に対してそう言うと拳銃を床に置き、両手を上げてみせた。男はそれを確認すると嬉しそうに笑みを浮かべ、女の足を固定する縄を切り裂いた。女を立ち上がらせ、男は彼女の首元に切っ先を突きつけたままでサッチに恐る恐る近づいていく。彼はピクリともせず、ただ静かに、男の行動を見つめていた。やがてナイフの切っ先が、女の首元を離れ、サッチの方へ向いていく。男は狂気に満ちた表情で言った。

「死ねやオラァ!」

 女を突き飛ばし、切っ先を真っ直ぐに突き出す。


「あ?」

 男の瞳に赤いようで白い粒が複数映りこむ。その粒の正体が自らの歯であることに気づいた頃には既に、彼の視界は大きく揺れ始めていた。激痛が顎を襲い、飛び出さんばかりの眼球で状況を探った。

「バババッ・・・・・・!?」

 サッチが突き上げた拳を振りきると、男の身体がふわりと宙を舞う。その光景は、側で様子を見守っていた女の網膜に強く焼きついた。

 ゆっくりと落下していく男は最後に、サッチの冷たい視線を見た。その直後、落下の衝撃が男を襲い、彼は意識を失う。

 瀕死の男を見下しながら、サッチは言った。

「クズ野郎が。キルシーの賞金稼ぎ、黒髪サッチを舐めるなよ」


 赤いランプが点滅し、サイレンの音が大きく鳴り響く。だが、そんなことを気にしていられるほど、シピの心は穏やかではなかった。

(サッチ、ロー君、どうか無事で・・・・・・!)

 先ほどの無線、シピにはまるで状況が把握できなかった。それを伝えるサッチは非常に焦っており、尚且つ詳細を説明するほどの時間もなかった。ただ、「救急車を呼べ」とだけ伝えられたシピはやはり、最悪の事態を想像してしまうのだ。

「怪我人だ!急いで担架を持ってこい!」

 一人の救急隊員が奥の方からそう叫ぶと、救急車の近くにいた隊員が急いで担架を取り出し、ビルの方へ走っていく。


 寂れたビルの奥から、のろりのろりと歩く人影が映る。隊員たちは急いで近寄り、怪我人の人数を確認する。

「怪我人は?」

「・・・・・・ああ、こいつと、あと一人。俺は大丈夫だ。もう、くたくただけどな」

 肩を貸しながら歩くサッチが、手元のローと、その後ろをついてくる女を示した。それを聞いた隊員たちが、ローと女の身体を、テキパキとした手際で担架に乗せ始める。

 ローは、その様子を見守るサッチに呼びかけた。

「サッチ・・・・・・」

「安心しな、全員ボコしてやったさ。あとはあいつらの身柄を警察に引き渡すだけだ」

 担架に乗せられたローの肩を励ますように叩き、サッチは言った。すると、ローが安心したように小さな笑みを浮かべる。

「そう、か・・・・・・」

「・・・・・・」

 二人のやりとりから間を空けず、隊員たちがローを乗せた担架を持って立ち上がる。救急車へ連れて行かれる彼に向けて、サッチは最後にこう言った。

「待ってるぜ」

 そのとき、彼からはローの様子を見ることができなかった。だが、彼は知っていた。その言葉を受けたローが、穏やかに笑っていたことを。

 それからサッチは、発車した救急車が自らの視界から消え去るまで、視線を逸らさずにいた。

「大丈夫なの?ロー君は」

 シピがサッチの隣へと並びながら、心配そうに言った。すると彼は、道の先を見つめる彼女に微笑みかける。

「ああ。なんとか急所は避けてたみたいだし、すぐによくなるだろうさ」

「・・・・・・そう、よかった」

 彼女は安心したようにホッと息を吐く。サッチはそんな彼女を見ていると、ある気持ちが胸の奥から湧き起こってくるのを感じた。そして徐々に、その気持ちを伝えることが彼女のパートナーとしての義務に思えてきたので、彼は腹を括って呼びかける。

「し、シピ」

「ん?どうしたの?」

「そのー・・・・・・えーっとー・・・・・・まあ、なんだ?こういうのは俺の柄じゃないんだが、まあ一応?お前に伝えておきたいことがある」

「・・・・・・なに?」

「い、いつも、ありがとな。・・・・・・そんだけだ」

 声は小さく、非常に聞き取りづらいものではあったが、その気持ちは確かにシピに伝わった。が、それを素直に受け取るほど、シピも優しくはない。

「ふーん、それだけ?」

「・・・・・・は?」

「もっとあるんじゃない?感謝を伝えるならさ」

「・・・・・・」

 肩を落とし、サッチは落胆の視線をシピに送った。せっかく勇気を出して伝えたのに、こんな結末では彼も報われない。

「柄でもないことするもんじゃねえな」

 猛烈な羞恥心により痒くなった後頭部をポリポリと掻きながら、サッチはトラックへと向かう。

「私の方こそ、ありがとね、サッチ」

 彼女はサッチに聞こえぬよう、十分距離が離れたことを確認してから、呟くようにそう言った。


「ねぇサッチ、起きて!ニュース始まるよ!」

 そう言って、シピが運転席のドアを乱暴に叩く。彼女のモーニングコールは、今朝も変わらず騒がしい。サッチは、そんな彼女のことなどお構いなしといったかんじで、一度開いた目を再度閉じる。すると彼女は、スペアキーを用いて運転席のドアを開ける。

「サッチィ・・・・・・!いい加減に起きないと・・・・・・」

 シピはサッチの入った寝袋を頭上へ持ち上げ、彼を無理矢理外へと引き摺り出す。その高さと、微妙に震える彼女の腕が、サッチを恐怖へと誘う。

「わ、わかった!出る出る出る出る出るから!寝袋から出るから、取り敢えずおろせ!」


「ABCニュースの時間です」

 朝からお疲れ気味のサッチとシピが、むすっとした様子でラジオに耳を傾けている。

「お前のせいで、今身体がダルいんだが?」

「奇遇ね。私もよ」

 そんな風に憎まれ口を叩き合っていると、キャスターの口から気になる話題が飛び出した。

「昨日午後、ジョージ銀行強盗事件の犯人十五名が、エンテシア州のバウンティハンター(賞金稼ぎの正式名称)によって拘束され、警察に身柄が引き渡されました」

 そこで二人は顔を見合わせた。

「これって・・・・・・」

「・・・・・・俺のことだな」


 それから一週間の時が経過した。

 口座に振り込まれていた多額の賞金。その一部を持って、彼らはソフィーのもとへ向かっていた。依頼料のツケを払うためである。

 シピは移動中、ある疑問をサッチにぶつけた。

「・・・・・・そういえば盗まれた百万ペイって、どこへ行っちゃったのかしらね?」

「おいおい、この前のラジオでも言ってたろ?まだそいつの行方がわからないって。警察が、今それを聞き出してる」

「サッチも探してみたんでしょ?」

「まあな。けど、あそこには一ペイどころか、金にまつわる情報なんざ一つも転がってなかったぜ」

「ふーん・・・・・・」

 やはり腑に落ちないのか、彼女は得体の知れない事象の発生を心配しているようである。そんな彼女の肩を叩きながらサッチは言った。

「ま、これからのことは警察に任しときゃいいさ。賞金稼ぎの仕事は、賞金首を捕まえることだろ?俺たちはこれ以上干渉しない方が、警察も楽なんじゃねぇか?」

「・・・・・・それもそうね」

 そんな会話を交わしているときだった、後方から聴き慣れないエンジン音を吹かし、派手なフォルムのバイクがトラックへ近づいてきたのは。

「な、なんだ?えらく近づいて来るぞ、このバイク」

「え?ほんとだ。それに、ほら・・・・・・」

 シピはバイクを指し、サッチに注目を促した。するとバイクの運転手が、運転中にも関わらずヘルメットを外し、その風体を彼らに見せつける。

「あ!」

 サッチらが目を見開き、大声をあげた。

「ローじゃねぇか!」

「・・・・・・負けたままではシャクだからな。さあ、オレと勝負だサッチ!今日こそ勝たせてもらうぞ!」

 ローの口調は強めではあったが、口元はニヤリと笑っていた。するとサッチがため息を吐き、呆れた様子で呟く。

「やれやれ。面倒くさい奴に絡まれちまったもんだ」


「生きていれば、何度だって挑戦を受ける」

 その言葉に後悔の念を抱くことを、この時のサッチはまだ知らない。


 雲ひとつなく、綺麗に晴れ渡る空。繁華街を離れている為、辺りを見渡せばエンテシアらしい赤茶色に乾いた大地が、道行く者たちの網膜に刻まれる。

 彼らの進む道は決して平坦ではない。時にその凹凸が、彼らを苦しめることになるだろう。

 だが、彼らは独りではない。傍には降り注ぐ苦しみを共有できる仲間がいる。そのことを胸に留め、黒髪サッチは今日も賞金稼ぎに勤しむのであった。

「まあ、せっかく賞金も手に入ったし、この固いシートも替えるか」

「そうね。お尻が痛いのもヤだし」

──エドワード・ハードガイ──




そのニュースは、国中を震撼させた。


 近年のキルシー州の急成長は、賞金稼ぎの急増に、諸会社の優れたビジネスモデルが合わさった結果だと言われている。この二つはキルシー州の経済状況を好転させた立役者として挙げられ、人々の間で大きな話題となった。

 フォスター社は、キルシー州を本拠地として運営されている貿易会社である。その名を聞いて、知らぬと答える者はなかろう。世界でも指折りの貿易規模を誇るフォスター社は、キルシー州の経済成長において大変大きな功績を残しており、今も尚、州のみならず、国の経済を支える一本の柱として数えられている。そんなフォスター社だが、後述の事件をきっかけに大きく揺らぐこととなる。

 つい先日のことである。フォスター社の社長、リチャード・フォスターとその夫人が、新たな交易路開拓のため訪れたエンテシアにて交通事故に遭遇し、両名が死亡する事態が発生した。これを機にキルシー州は、一時的なパニック状態に陥ったが、リチャードの弟、ロバートが間もなく後任社長として就任し、現場を上手くまとめ上げたため、経済的な被害は最小限に止まった。

 これにて事態は収束したかのように思えた。しかし、事件の裏では、今尚暗い影が不気味に蠢いているのであった。




「お嬢様!頭をお下げください!」

「・・・・・・ッ!」

 黒いボディを派手にギラつかせた高級車が、その様相を大きく揺らしながら、モーターウェイを目にもとまらぬ速さで移動する。車体の所々には穴が空いており、何らかの外傷が加えられたことが伺えた。初老の執事らしき男と十歳ほどの少女は、後部座席で頭を強く抑えながら、手足の震えを感じていた。

 ブォォォォン!!

 背後に迫る轟音は、猛烈な勢いを纏い、二人に襲いかかった。執事が、用心深くリアガラスから顔を覗かせる。

「ヒィッ!?」

 数台の車が、男たちを乗せた車に後続している。「ヤツら」だった。助手席に座る者が機関銃を手に取り、窓を開けて上半身を乗り出した。

「クソォッ!」

 助手席の男は、後続車に向かって銃を乱射する。その弾丸は一台のタイヤやフロントガラスに着弾し、返り血で車内の様子を隠した。

 発砲を続けながら、助手席の男が運転手に尋ねる。

「これでは埒があかない!一旦モーターウェイを抜けるか!?」

「ダメだ!しばらくは抜けられそうにない!」

「こっちの弾ももうすぐ尽きる・・・・・・!このままではヤツらに捕まるぞ!」

「ど、どうにか残りで凌いでくれ!」

「やってるよ!」

 怒号のようなやりとりは、必死さの現れである。その様子に怯える少女に執事は言った。

「あなたは、この争いに巻き込まれるべきではなかった・・・・・・。ですが、どうか、お父様とお母様をお恨みなさらないでください・・・・・・!」

「・・・・・・」

 その懇願を受け止める暇も与えず、運転手が悲鳴をあげた。

「う、うわぁ!?」

「どうしたんだ!」

「ま、前から車が!」

「な・・・・・・!?」

 助手席の男が驚愕すると同時に、前方の車が高級車に接触した。

 

 その瞬間、四人の身体が僅かに宙に浮いた。強い衝撃と共に空中で分解を始める車の部品を、少女は遅い時の中で静かに見つめ続けた。




「昨日の午後八時頃、M5モーターウェイにて、マフィアと抗争中の自動車が、道路を逆行する自動車と正面衝突する事故が発生しました。警察によると・・・・・・」

 淡々と原稿を音読するニュースキャスターに対して、サッチは退屈そうに呟いた。

「朝からこのニュースばっかだなぁ」

「でも、結構大変なニュースじゃない?マフィアと抗争・・・・・・なんて」

「金にならなきゃ、どれも同じだよ」

 サッチは手前のコーヒーを啜りながら、モニターから視線を逸らした。

 現在、彼らはカフェにて朝食をとっている。ハムエッグを口にするシピが、本日の予定を確認する。

「この食事が終わったら、好きな場所へ行ってもいいのよね?」

「ああ。今日くらいは、それぞれの休暇を楽しむとしよう」

「トラックも借りていい?」

「・・・・・・それはいいが

、あんまり遠くへは行くなよ。十八時にここ集合だからな?」

 サッチはそう言って、ポケットからトラックの鍵を取り出し、彼女に渡した。

 先日、シピは大型車の免許を取得した。免許取得は彼女からの提案であり、サッチも運転手が増えると楽だろうという考えから承諾した。早く大型車の運転に慣れたいシピは、暇を見つけては、こうしてトラックの運転をしている。流石に、本日は練習の用途とは違うようだが。

「ああ・・・・・・!どこへ行こうかなぁ」

「・・・・・・」

 昼のプランを画策しながらうっとりするシピに、サッチは沈黙のまま鈍い視線を送り続けた。


 その後、サッチは期待していたアクション映画を鑑賞した。映画は彼の少ない趣味の一つだった。ティーチに初めて連れてこられた時から、月に一度は必ず映画を観ることにしている。

 鑑賞を終えたサッチは、満足気に映画館を後にした。余韻に浸りながら、次の予定を考える。

(ちょうど昼頃か・・・・・・。飯でも食って、ネクタイ探しでもするか)

 彼はのんびりとした足つきで、気持ちの良い日差しを仰ぎながら、街路を歩いていく。


 人混みをかき分け、全速力で疾走する二つの影。呼吸を大きく乱すその様子は、のどかな時間を過ごす街並みに異色に映った。

「ハァ・・・・・・!ハァ・・・・・・!」

「・・・・・・!」


 昼飯のあてはなかった。そういう時に普段なら迷わずJBを選択するのだが、今日は珍しくそんな気分ではない。しかし、彼には時間が潤沢にあるため、こうしてゆっくりと飯屋を探すことができる。たまには気分で決めてみるのも良いもんだ、とサッチは思った。

 繁華街を行く彼の正面には、右の曲がり角があった。街路はまっすぐにも続いているのだが、少し外れてみようと、右折することにした。

 その時、目前に怪し気なフードを被る男が現れ、サッチの視界を塞いだ。声をあげる間もなく、彼らの間に強い衝撃が奔る。

「グァッ!?」

「ゲェッ!?」

 両者は背後に倒れ込んだ。強く打ちつけた尻を摩りながら、サッチが呟く。

「痛てて・・・・・・」

「も、申し訳ございません!では、私たちはこれで・・・・・・」

 酷く慌てた様子の男が頭を下げながら、急いでその場を立ち去ろうとする。しかし、男は急に何かを思い出したようにハッとした表情を見せると、振り返るサッチの顔をまじまじと見つめた。

「失礼ですが、あなた、エドワード・サッチ氏ではありませんか・・・・・・?」

「・・・・・・ん?あ、ああ、そうだけど」

 男は遠くを見渡し、何かを確認するとサッチの手を取り、立ち上がらせながら走り出した。

「失礼!」

「んぁ!?」

 突然引っ張られる右手に身体が置き去りにされてしまい、サッチは上体を逸らした。そして、連れていかれるがままに足を動かしながら言った。

「ちょちょちょっと待て!いきなり何すんだよ!」

 男はその訴えには応じなかった。慌ただしさの間に沈黙のある、奇妙な空間であった。その沈黙から、サッチは頻りに響くもう一つの足音を聞いた。小さな子供のものである。

「・・・・・・」

 その子供は、不規則な呼吸をしながら、男の左手を握っていた。そんな異様な光景から、サッチは微塵も状況を把握できなかった。

 男は人気の少ない狭い道を曲がり、ある程度進んだ後、足を止めた。

「お、おい、放しやがれ!なんなんだ、あんた!人にぶつかってくるわ、俺を引っ張り回すわ、俺のこと知ってるわ!わけわかんねぇぜ!」

 握られた手を振り解きながら、サッチは叫んだ。すると、男がそのことについて謝罪した。

「突然のご無礼、誠に申し訳ございませんでした。ですが、いかんせん急を要する状況ですので。ご容赦頂きたい」

「・・・・・・仰々しくなくたっていい。そんなことより、なんで俺の名前を知ってる?こっちじゃ、まだ名も知られてないんだぜ?」

「その白いワイシャツ、そしてジーパンを履いた黒髪短髪の男性といえば、サッチ様の他ならないでしょう。エンテシアの知人から、あなたのことはよくお伺いしました。なんでも、腕利きの賞金稼ぎだとか?」

「・・・・・・ま、まあな」

 急に褒められると、サッチは照れざるを得なかった。男の方は「その服装私服なんですね」とは(気にはなっていたが)聞こうとはしなかった。

「そ、そんで、俺をここまで連れてきた理由はなんだ?」

「・・・・・・」

 男は暫くの沈黙を置いた後、頭を下げてから言った。

「あなたに、私たちの護衛を任せたいのです」

「護衛?用心棒ってことか」

「はい・・・・・・」

 フードに覆われた男の後頭部に視線を向けながら、サッチはうなじに手をやった。

「・・・・・・生憎だが、今日は稼業の方は休みなんだ。必要な道具も持ってねぇ。悪りぃが力になれそうにないぜ」

 サッチは男に全身を広げて見せた。そこには、普段携帯している拳銃や弾丸はない。あるのは無線機のみで、用心棒の依頼をこなすには、やや心許なかった。

「それでも構いません。報酬も用意しております」

 報酬をチラつかせられると、依頼を受けるか受けないかは別として、それを聞かずにはいられないのが賞金稼ぎである。

「へぇ、いくら?」

「振り込みは後日になりますが、十万ペイほど・・・・・・」

 それを聞いて、サッチは噴き出した。そんな高額な数字がポンと提示されれば、驚くのも無理はないだろう。

「引き受けて頂けますでしょうか・・・・・・?」

「・・・・・・」サッチは渋い顔でため息を吐いた。「・・・・・・あんたが俺に用心棒を頼みたいのはわかった。大いにわかった。・・・・・・それじゃ、その理由を聞かせろよ」

「い、今は、そんなことを話している場合ではありません。先程言いましたように、急を要するのです」

 男がサッチの要求を拒むと、彼は鋭い視線で突き刺してから言った。

「こういうのは互いの信頼関係の上にあるべきじゃないか?さっきから話を聞いてると、あんたら怪しすぎだぜ。俺によろしく頼むってんなら、そっちの都合を聞かせねぇと、筋違いってもんだぜ」

「そ、それは・・・・・・」

 眉間に皺を寄せる男は、サッチが意外にも用心深い男であることを知らなかった。サッチは物事をはっきりと相手に伝えるタイプであり、慎重な性格は彼自身の過去に起因している。つまり、護衛程度であれば金額をチラつかせることで依頼することができるという、男の算段は大いに誤っていた。

 男が対応に困っていたその時、


 バァン!


 突然、破裂音のようなものが空間を切り裂き、サッチたちの背筋を凍らせた。驚愕のあまり、言葉を失ったその表情で、音の発生源を捕捉する。

「ヤツらだ・・・・・・」

 男は乾いた声を漏らした。その視線の先には、拳銃を構えた男五人が、冷酷な雰囲気を纏って立っていた。

 フードを被った男は少女を連れ、一目散に逃げ去ろうとする。その時、再び銃声が、左右の壁と壁を反射しあって響いた。

「グッ!」

 少女を連れた男に放たれた弾丸が命中し、その場へゆっくりと倒れ込んでいく。その様子を見ていたサッチが、鋭い視線で銃を構える者たちを睨みつけた。

「や、野郎!」

 サッチは低い姿勢で飛び出し、男たちへ接近を試みた。すると銃口が一点に集まり、彼を迎え撃とうとする。ある程度的が近づくと、指をかけられた引き金に、一斉に力が加えられた。そのタイミングを上手く測っていたサッチは、両足を前に移動させ、スライディングのかたちで弾丸を回避すると、その勢いのまま相手の足元に接近し、右手で足を引っ張って転倒させる。すぐさま体勢を立て直し、地面に伏した男の後頭部を強く踏みつける。そして流れるように手から放された拳銃を拾い上げると、奥に立つ二人の右肩と胴部に向けて発砲した。すると短い悲鳴をあげながら、男たちが後方へ吹き飛んでいく。その様子に驚く隙も与えず、サッチはすぐさま手前の男との間合いを縮め、拳銃を蹴り上げて男の背後に回った。

 少し離れて構える男が、サッチを狙い、発砲する。その弾丸は仲間の胸部に着弾し、即死させた。それに戸惑う男の脚目掛け、サッチも発砲する。命中した男は、猛烈な痛みに耐えきれず、多量の血を流しながら失神した。

「・・・・・・!?」

 驚くほど手際良く敵を処理するサッチに、少女は目を皿にして驚いた。サッチは一度深い息を吐くと、死んだ男の服を破り取り、太腿の側部を押さえるフード男に近づいていった。

「見せてみろ。・・・・・・ちょいと腿が裂けてるが、動脈は無事そうだな。大したことねぇぜ。こいつを押さえてろ」

 そう言って男に布を渡すと、サッチはその場にしゃがみ込んだ。

「・・・・・・ありがとうございます。噂以上のお方です。あなたがいなければ、どうなっていたことか・・・・・・」

「今は礼を聞きたいんじゃないんだぜ。あそこで倒れてるあいつらは何なのか。そして、あんたらは何者なのか。それを教えやがれ」

「・・・・・・あまり余裕はありませんが、あなたをここまで巻き込んでしまった以上、話さぬ訳にはいきますまい」

「おう」

 サッチが返事をすると、男は自分のフードと少女のフードを脱がせてから言った。

「このお方は、キルシーを本拠地とする、フォスター社の御令嬢、キーラ様でございます。私はその執事です」

 それを聞いて、サッチは驚いた。食い気味に執事を名乗る男に訊き返す。

「キルシーのフォスターって・・・・・・。あの貿易会社のフォスターか!?」

「左様でございます」

「お、おいおいマジかよ。そういうの疎い俺でも知ってるぜ。なんでも、ここ数年のキルシーを支えてきた立役者なんだってな?」

「左様でございます」

「この前、交通事故で社長が死んだって話じゃないか。どうして・・・・・・」

「・・・・・・」

 サッチの口から不謹慎な言葉が飛び出すと、執事は急に黙ってしまった。それに気づいたサッチは、申し訳なさそうに失言を詫びた。

「す、すまねぇ。勢いに任せて変なこと言っちまったな、俺」

「・・・・・・そうではありません」

「え?」

「社長と夫人は、交通事故で亡くなってなどいないのです」

「・・・・・・はい?」

 サッチの頭上に疑問符が浮かぶ。執事は先程の言葉に付け加えるように言った。

「お二方は、先程の輩たちの属する、『香華(シャンファ)』と呼ばれるマフィア組織に暗殺されたのです」

 三人の間に沈黙が奔る。サッチは訳がわからなくなって、キーラと執事の顔を交互に覗いた。しかし、その表情から嘘は読み取れなかったので、彼はますます混乱した。

「ど、どういうことだよ。殺されたって・・・・・・。じゃあ、この前のニュースは嘘だって言うのか?」

「・・・・・・はい、嘘でございます。あれは、我々フォスター社が仕組んだ偽装事故です」

「なぜだ。何の思惑があって、そんなことを・・・・・・」

「それは・・・・・・」執事は静かにキーラの方を一瞥し、言った。「フォスター社の前社長、リチャード様の遺した遺産を守るためでございます」

「遺産・・・・・・?」

「はい。それは膨大な額を秘めた、フォスター社の命運を左右する遺産・・・・・・。その存在は、一部の者にしか認知されておりません」

「・・・・・・そんなこと俺に教えてもいいのかよ?」

 サッチがそう尋ねると、執事は苦虫を噛み潰したような表情で言った。

「仕方ありません。あなたの協力を得るためですから」

「・・・・・・そっか」

「とにかく、その遺産は何としても死守すべきトップシークレットなのです。しかし、その存在がどういった経緯かは存じませんが、件の香華に知られてしまった。奴らは、それを狙って・・・・・・」

「・・・・・・殺しちまった訳だ」

 執事が言葉を詰まらせると、サッチは冷たい口調でそれを補った。すると、執事がゆっくりと頷いてみせる。

「はい。ですが、その遺産にはロックがかかっているのです。解除するパスワードを知っているのは、リチャード様亡き今、ただ一人・・・・・・」隣の少女の背中に触れ、執事が続けた。「お嬢様のみなのです」

 背後を触られた少女は、ビクッと驚いたように肩を跳ねさせた。サッチはそんな彼女を一瞥してから言った。

「なるほど。なんとなく話が読めてきたぜ。そのしゃんふぁ?ってのがフォスターの遺産を狙って社長を殺したはいいが、肝心のお目当てに鍵がかかってて、それを解除するためにこのガキのケツを狙ってるって訳だ」

「おおかた、その通りでございます」

「ふーん。それで?」

「現時刻から二時間後、キルシー側の州境検問所付近にフォスター社の後任社長、ロバート様の警護部隊が到着します。実は昨日のモーターウェイでの事件をきっかけに、今日から三日ほど、エンテシアは他州からの来訪者の受け入れを拒否するようです。ですが、エンテシアからキルシーへの移動は規制されておりません。ですから、サッチ様には、お嬢様の警護をしつつ、そこへ向かって頂きたいのです」

 それを聞いて、サッチは腑に落ちない様子を顔に表しながら言った。

「・・・・・・さっきから思ってたんだが、警察に協力を仰げないのか?連中なら、天下のフォスターの頼みとあれば喜んで引き受けると思うんだが」

「・・・・・・それは出来ません。警察も、リチャード様と夫人の死因が暗殺だとは知りません。もし、我々がお嬢様の保護を要請すれば、遺産の件が明るみになる恐れがあります。香華に知られたくらいですから、いずれはそうなるでしょうが、せめてキーラ様の身柄がロバート様に渡るまでは、それを阻止したいのです」

「注文が多い!」

 サッチは怪訝な顔で言った。すると執事は、困った様子で言った。

「そう仰らないでくださいませ。この脚では、お嬢様をロバート様の下まで送り届けることは難しいかと・・・・・・。今はサッチ様、あなただけが頼りなのです」

 座ったままの姿勢で、執事は再度頭を下げた。サッチはそれを見て、微妙な表情を崩さずにため息を吐いた。

「・・・・・・ここまで巻き込まれちまったんだから、今更断る訳にもいかねぇよ・・・・・・。まったく、困った爺さんだぜ」

「それでは・・・・・・!」

「ただし!報酬の方は十万ペイきっちりと支払って貰うぜ!それだけは絶対に妥協しねぇ」

 執事の言葉を遮るようにサッチは言った。

「かしこまりました。では・・・・・・」

「・・・・・・」

 最後にじっとりとした視線を執事に向けると、サッチは地面に散らばった型の同じ弾倉を拾い集め、それをポケットに入れる。

「・・・・・・そんじゃ、行くぜ」

 キーラの手を引っ張り、サッチは執事に背を向けて歩き出す。その背中に期待の眼差しを向ける執事は、キーラの不安気に振り向く様子に気がつくことはなかった。


 サッチとキーラは表通りに出た。連中に追われている以上、人目につくことは避けたかったが、それを厭わないと成せないことがあった。

 車道のそばに立ち、とある車種を見つけると、サッチは手を振った。

「めんどくせぇことやんなくても、タクシー乗りゃあ十分だぜ」

 彼はタクシーを停め、手前のドアを開けた。するとキーラが、顔面を蒼白にさせて首を横に振るので、彼は不審に思った。

「どうした?乗りな」

「・・・・・・」

「・・・・・・ああもう。お嬢さんときたら、エスコートされないと車にも乗れないのかい?」

 キーラの手を引っ張り、彼はシートに座った。自分のと彼女のシートベルトを締めると、彼は運転手に伝えた。

「キルシーとの州境検問所までよろしく」

「・・・・・・それでしたらお客さん、先に駄賃を頂かないと」

 運転手の声は低く、妙にボソボソとしていた。それを何の気にも留めず、サッチは言った。

「ありゃ?珍しいな。先払い式のタクシーなんて。いいぜ、いくらだ?」

「それは・・・・・・」

 すると運転手は、ニヤリと口元を上げ、ホルダーから拳銃を取り出し、それをサッチに突きつけた。

「ええ!?」

「二度も引っかかるか、この馬鹿が!」

 撃鉄を起こし、引き金が引かれる。サッチはその直前に、自分とキーラの頭を下げ、命中を回避する。

「あ、危ねぇだろうが!このアホ!」

 運転席の座席を後方から蹴りあげ、相手が怯んだ隙にサッチは隣のシートベルトを外して下車を促した。

「早く降りろ!巻き込み喰らいたくなけりゃな!」

 向けられた拳銃を抑えながら、サッチはキーラに叫んだ。すると彼女は、慌てた様子でタクシーから飛び出していった。それに合わせ、サッチも転がるように路面に這い出る。そして流れるように彼女の身体を拾い上げると、彼は人混みをかき分けるようにして走りだした。

「なるほどな!お前はもうこの手には乗ってたって訳だ。これでツーアウトってんなら、次はねぇな!」

 生きた心地のしない心情とは裏腹に、心臓の鼓動は激しく高鳴っていた。サッチに抱えられたキーラも、同じ様子であった。

「逃すかァ!」

 キーラを狙う運転手は、アクセルを全開でタクシーを発車させる。道路は休日なのも影響してか、多少混んでいたが、彼はスピードを加速させ続けた。その結果車と車が接触しても構うことはない。彼は獲物さえ手に入ればそれでいいのだ。

「ゲッ!?」

「・・・・・・!?」

 サッチたちは勢いを増しながら接近してくる背後の存在を確認し、さらに足を速めた。生身の全速力と渋滞気味の道路を走るタクシー、速力はおおよそイーブンといったところか。しかし、サッチの体力も無限ではない。いつかは尽きることを考慮すると、タクシーの方が大いに有利といえる。

「チッ!動くんじゃねぇ!」

 運転手は拳銃を取り出し、歩道を走るサッチを狙った。

「あ、あのバカ!なにを・・・・・・」

 サッチがそう言い終えるより先に、運転手は引き金を引いていた。辺りに銃声が鳴り響く。

「グゥ・・・・・・!」

 弾丸はサッチとタクシーの間に立っていた男に命中した。その光景に、周囲が悲鳴をあげる。

「・・・・・・手は選ばねぇってか」

 その呟きに被せるように、再び銃口が火を噴いた。それを機に歩道の人口密度は、あっという間に空白を覚える。車道を走る車群も、タクシーを避けるようにして道幅を作った。

 頭を低くした人々の横を、サッチが走り抜けていく。その間も運転手の発砲は繰り返された。しかし、ある時運転手の拳銃は突然弾切れを起こす。

「チッ!こうなりゃ・・・・・・」

 運転手はタクシーの向きをサッチたちの方へ向けると、勢いを緩めず加速させる。

「な・・・・・・!?」

「ウォラァァア!」

 雄叫びと共にサッチに突進を繰り出すタクシー。凄まじいスピードで彼に迫っていく。

「クッ!」

 サッチは足にブレーキをかけ、その踏ん張りの反動を使って後方へ宙返りした。するとタクシーがサッチの目前を横切り、そのままロードサイドの理髪店に派手な音をたてて突っ込んでいった。

「・・・・・・」

 サッチは運転手の必死さに大いに戦慄した。それだけ命を懸ける価値を、この少女は持っているのだろうか。

 いずれにせよ、このまま足を止めておくのはマズい。そう感じたサッチは、タクシーを乗り越え、人通りの少ない場所を探すことにした。


「どうしたのサッチ?」

 シピはサッチからの無線に緊張感のない声で応答した。

「シピ。突然で悪いが、プリムローズ広場へトラックを寄越してくれ」

「え、え?どうしたの突然」

「・・・・・・詳しいことは後で話す。とにかく頼んだぜ。それじゃ」

 突然連絡を寄越しては、ブツリと切断するサッチの様子に、シピはなんらかの異変を感じた。

「どうしたんだろう・・・・・・」

 心配気に呟くと、彼女は現在地のショッピングモールを後にするべく、ベンチから立ち上がり、駐車場へ向かうのだった。


 シピへ連絡を済ませたサッチは、胸に手を当てて短く息を吐いた。

「お前さ、ずっとあんなのに付き纏われてんのか?よく身が持つなぁ」

「・・・・・・」

「・・・・・・」

 彼女からの応答がないことを確認すると、サッチは気恥ずかし気に後頭部を一掻きした。

「ま、もう少しの辛抱だぜ。それまでいい子にしててな」

 サッチが再びキーラを抱き上げようとした、その時、

「いたぞ!」

 背後に響く、怒号のような声。サッチはその正体を確かめることなく走りだした。

「さあ、おいでなすった!」


 倒れたゴミ箱を飛び越え、サッチは走り続けた。背後には銃を携えた男十数人。彼らはサッチに振り返る隙も与えなかった。

 男たちの一人が足を止め、拳銃を腰から抜いた。そしてサッチに狙いを定め、数発発砲する。


 ヒュン!


「ひぃ!」耳元で空を裂く音を聞くと、サッチは震えあがった。「そりゃないぜ!こっちはそれどころじゃないってのに!」

 彼が現状にぼやいていると、目前を数人の男たちが立ち塞がった。その目は鋭くギラついており、直感で香華のメンバーであることがわかった。

「やべっ!」

 後方に追手、前方に追手。道幅は狭く、左右には塀があり、彼は完全に囲まれてしまった。その時、男たちは勝利を確信した。しかし、そこで大人しく捕まるほど、サッチも甘い男ではない。

「捕まってな」

 静かにキーラにそう伝えるや否や、サッチは塀に向かって駆け出し、垂直の側面を足で蹴り上げ、片手を使って塀を飛び越えた。

「な!?」

「ガキ背負った身のこなしじゃねぇぞ!?」

 男たちは激しく動揺した。だが、その一人がサッチを追うために塀をよじ登ろうとすると、我に返ったようにみんな塀へ駆け寄った。


 再び表通りに出たサッチを、今度は派手な色をした車が迎えていた。運転手の手に握られているのは、硬質なサブマシンガンだ。

「またかよ!」

 サッチはそれを確認すると、即座に後方へ方向転換し、凄まじい連続性で放たれる弾丸を回避するべく物陰に身を隠した。そして一度キーラから手を離し、ポケットに携えた拳銃を抜き取る。

「フゥ・・・・・・」

 一度息を吐き、自分を落ち着かせると、素早く障害物から上半身を覗かせ、即座に的に狙いを定めて発砲する。

「アギャッ!」

 弾丸を受けた男の中指は、衝撃によって肉が千切れ、後方へと飛んでいった。

「よし・・・・・・!」

 サッチは小さくガッツした。そんなことをしているうちに、背後に響く足音が徐々に迫りつつあった。

 彼は急いでキーラを抱え直し、中指の飛んだ男の方へ走り出した。車を飛び越え、道路を横断していく。


 黒色のフォルムをギンギンにギラつかせたバイク。その車体に跨がるライダーは、派手にエンジンを振動させながら、信号が切り替わるのを待っていた。

(・・・・・・ここの治安が悪いのは今に始まったことじゃない。だが、最近は特にその傾向が強まったように感じる)

 そんなふうにライダーが案ずるのは、ここ最近で立て続けに大きなニュースが発信されているためだ。彼はそれらに、何か「裏の存在」のような物を感じていた。

「・・・・・・お前も、この違和感を感じているか?サッチ」

 彼が胸の突っかかりを気にしているうちに、信号は青へと切り替わった。それを確認した彼は、アクセルを捻り、バイクを発進させる。

「・・・・・・!」

 何気なく車道を走っていたその時、ライダーの目が、ある「もの」を捉えた。ニヤリと口元を上げ、ライダーは右手にかける力を一層加えた。


「ハァ・・・・・・!ヒィ・・・・・・!フゥ・・・・・・!」

 体力に自信のあるサッチだが、こうも延々と付き纏われると、流石に疲れの色を見せ始めた。それに加えて、少女を抱えているのである。全身に迸る汗は、真っ白なシャツをびしょびしょに濡らしだす。

「・・・・・・あ、あいつら、し、しつこ過ぎ、だ、ぜ」

 言葉は不規則に途切れ、彼の余裕の無さをよく表していた。

「・・・・・・」

 キーラは追っ手の数を確認しようと、後方へ振り返った。そこにいたのは、彼女の想像を軽く超える人数。彼女は驚いて、肩を跳ねさせた。

「・・・・・・正直、その反応だけで、だいたい、想像、つくぜ」

 サッチはキーラの反応にうんざりした。

 その時、突如左から、彼の横顔に向けて加速する存在が現れた。彼は急いでその正体を確認する。

「あ、ありゃあ・・・・・・!」

 見ると、そこには先程のタクシーが、思い切り顔を凹ませながら、車線を無視して走っていた。狙うはキーラの身柄、そしてサッチの命。それだけだった。

「死ねやぁ!」

 運転手はさらに右足を踏み込んだ。もう既に、ペダルは限界にまで踏み込まれているというのに。タクシーは順調に的に向かっていた。が、その時、


 ブォォォォン!


 轟音を響かせながら、タクシーの正面をバイクが塞いだ。

「!?」

(と、止まれねぇ!)

 咄嗟の反応でブレーキを踏み込んでみても、このスピードでは接触は免れない。そこで運転手はハンドルを素早く左に倒し、フロントの向きを切り替えた。すると、寸でのところでバイクとの接触を回避し、運転手はホッと息を吐く。だがそれも束の間、次の瞬間、車内に強い衝撃が奔った。

「ウッ!?」

 その衝撃を加えるのは、彼が方向転換した先に待ち受けていた、大型トレーラーという怪物だ。タクシーはその勢いに呑まれ、空中で分解しながら、後方へと吹き飛んでいく。サッチは、その様子を唖然と見つめていた。

「・・・・・・」

 驚きで言葉を失ったサッチの横顔を見つめながら、ライダーは言った。

「探したぜ、サッチ」

「・・・・・・その声は、ロー!?」

 その声を聞き、ローは静かにヘルメットを脱いでみせた。

「オレがここにいるってことが、どういう・・・・・・」

「悪りぃ、今それどころじゃねぇんだ。じゃあな!」

 するとサッチは、慌てた様子を見せながら、ローの横を素通りして行った。ローは急いで振り返り、その背中を視線で追った。

「・・・・・・!?おい、待・・・・・・」

 ローがそう要求するよりも早く、その横を大勢の男たちがすり抜けて行く。

 何事もなかったかのように置いてけぼりにされた彼は、その一連の出来事から一切状況が把握出来なかった。

「・・・・・・」

 彼は、困惑から暫く硬直した後、事の真相を聞き出すべく、急いでバイクの正面を切り替え、発車させた。


 サッチが表通りを走っていると、その真横に再び轟音が現れる。

「おい!あの大群はなんなんだ!」

「ば、馬鹿野郎!テメェの相手をしてる暇はねぇって言ってるだろ!」

「それは聞いたが・・・・・・。・・・・・・その女の子はどうした?」

 ローは、サッチの腕に抱えられた少女を見つけて言った。するとサッチは、鬱陶しそうな表情でそれに答える。

「詳しいことは話せねぇよ!とっとと失せや・・・・・・」

 サッチがそう言いかけたその時、彼の瞳に逞しいバイクの姿が目に映った。

 ギラギラと黒光りしたボディ、太くて巨大なマフラー。二人乗りも可能。馬力もそこそこありそうだ。

 サッチは立ち止まり、急にキーラを地面に下ろしだした。それを確認したローは、不思議に思ってバイクを減速させる。

「・・・・・・どうしたんだ?」

 素っ頓狂な様子のローは、サッチの鋭く飢えた視線に何の危機感も抱いていなかった。サッチは今、渇望の獣と化しているというのに。

「どけっ!」

「ンギャッ!」

 ローの身体を蹴り飛ばすと、サッチはバイクとヘルメットを器用にキャッチする。そのヘルメットをキーラの頭に被せると、つまみ上げるようにしてバイクの座席に乗せてやった。


 ブォォォォン!


「・・・・・・」

 続くかたちで座席に跨ったサッチは、アクセルを力強く捻り、バイクを急発進させた。地面に伏せられたローが、痛みで顔を歪ませながら、身体を起こして叫んだ。

「ま、待て、サッチィッ!


お前免許持ってんのかァー!」


 サッチは、爽快な風を仰ぎながら、背後に響く魂の叫びに呟くように応えた。

「・・・・・・ペーパーだけどな」


 無線で支持された通りに、プリムローズ広場へ急ぐシピは、えも言われぬ不安感に駆り立てられていた。

(詳しいことは後で話す)

 その言葉が、サッチの焦りを表していた。一刻を争う事態が、彼の身に起こっているに違いなかった。

「んも〜、なんなのよ〜!」

 シピは、混み気味の交通状況に苛立ちながら呟いた。


 大きな唸り声をあげるバイクは、それに続く複数台の車両から逃れるべく、全力でアクセルが捻られていた。

「・・・・・・!」

 サッチは一切スピードを落とすことなく、前方の車両とガードレールの隙間をすり抜けてやる。いくら肝の据わった彼でも、それを行うには勇気が必要だった。

(こ、怖え〜!)

 風を受けていても汗をかくのは、彼の心情が穏やかではないためだろう。だが、相手は自動車である。バイクのように器用に小回りをきかせることなど出来ないだろうと、サッチは自分を落ち着かせた。しかし、相手は目的の為なら命すら惜しまない集団だ。そんな彼の予想など、簡単に覆すほどの度量を持っているのだ。

 一度遠ざかった筈のエンジン音が、再び近づいてくる。サッチは気になり、後方を確認した。

「ウゲッ!?」

 サッチが声を漏らしたのは、およそ車の動きとは呼べない動きを、車がしていたためである。彼は香華が、自動車の多少の傷くらいは厭わないことを知っていたが、まさかガードレールにタイヤを乗り上げさせ、僅かな隙間を縫ってくるとは思わなかった。そんな命知らずな行動が、たまらなく恐ろしかったのだ。

 車両は大分傷ついたものの、前方のバイクを追うには問題なかった。その助手席に乗った男が、窓から身を乗り出し、拳銃を構えてサッチを狙ってやる。

 銃声が鳴った後、バイクのボディが弾丸を掠める音が、サッチの耳に届いた。

「・・・・・・ッァ!?」彼は顔を引き攣らせて叫んだ。「クソォ!せっかくの休日だってのに、テメェらのせいで台無しだぜ!」

 拳銃こそあるが、サッチはバイクを制御しながら、後方の敵に応戦するような器用な真似はできない。意識を敵に集中させれば、前方の様子を伺えなくなり、衝突事故を起こす。しかし、この状況が暫く継続すれば、いずれは敵の攻撃に被弾してしまう。現状は八方塞がりと言った感じだった。これを打開するには、新たな選択肢を見つける以外に手はない。

(畜生!どうすりゃいいんだ!)

 事態を案じ、焦燥していたその時、空間を切り裂く高音が、機械的なペースで辺りに鳴り響いた。

「マジ、かよ・・・・・・!?」

 サッチは二百メートル先の光景に目を疑った。そこには、赤いランプをいきいきと点滅させる踏切警報器の姿があったのだ。遮断機は既に降りており、後は電車が通り過ぎるのを待つだけだが、その「待つ」行為が、サッチにとっては致命的な問題であった。彼は必死で右左折できるポイントを探したが、運の悪いことに踏切までの間では見つからなかった。追跡されている以上、引き返すこともできない。そんな打開策を考えているうちに、踏切までの距離は残り百メートルにまで迫っていた。

(万事休す、か・・・・・・!?)

 サッチの瞳は、既に諦めの色を示していた。しかし、悪運は彼を見放してはいなかった。

(あれは・・・・・・)

 彼は数十メートル先に、リア部分が滑らかな斜面をした車両を発見した。見たところ高級車であるが、彼はそれを見て、強烈なひらめきを覚えた。

「・・・・・・目を瞑ってな。ちょっと怖えかもだぜ!」

 そう言うとサッチは、速力をそのままに、前方の車両に向けて舵を切った。車両は遮断機に行く手を阻まれ停車している。そこへ、サッチのバイクが急接近していく。

「・・・・・・!」

 バイクが高級車と接触する寸でのところで、サッチは前輪を一瞬持ち上げ、車のリア部分にタイヤを乗せてやる。すると坂のような形状を伝い、高速のバイクが鋭い角度で宙へと放たれた。高度はみるみると上昇し、通過する列車を真下に見下ろすところで、縦にくるりと一回転する。見事に線路を飛び越えたバイクは、前輪から向かいの車道へ着地した。すると強い衝撃が二人を襲う。

「ガッ!」

「・・・・・・!」

「・・・・・・う、上手くいった、か」

 サッチは額に浮かぶ冷や汗を拭うと、再びバイクのアクセルを握った。プリムローズ広場へは、あと少しである。


 傷だらけのバイクを駐車場に停車させ、鍵を抜くと、サッチはローに向けて無線を送った。

「もしもーし」

「もしもーし♪じゃないだろ!バイクを奪うなんて!状況を詳しく説明しろ!」

「あー・・・・・・。今は、そんなことをしてる時間はないんだぜ。それよりバイクのことなんだが・・・・・・」

「ああ?」

「結構傷つけちゃったぜ」

「・・・・・・え、エドワード・サッチィッ!!」

「だぁいじょうぶ、大丈夫。色々済んだら、修理代ぐらい出してやるさ。あ、キーはシート下の収納スペースに入れとくぜ。そんじゃ」

「お、おい!待・・・・・・」

 ローの要求を待たず、サッチはぶつりと無線を切断し、それから間を開けず、今度はシピに向けて送信した。

「シピ、広場の駐車場に着いたんだが、トラックが見当たらない。今どこだ?」

「ごめん・・・・・・もう少しかかるかも。今日はやたら道路が混んでて・・・・・・」

「・・・・・・そうか。了解、ここで待ってる。気をつけて来な。それじゃ」

 サッチはシピとの通信を終えると、キーラの方を向いて言った。

「悪りぃが、迎えまでもう少しかかるそうだ。・・・・・・でも安心しな。追っ手は今のところ見当たらないし、もし来ても、また追っ払ってやるさ。」

「・・・・・・」

 キーラは黙り、元気をなくした様子で俯いた。それに気づいたサッチは、彼女と目線を合わせるべく、その場へしゃがみ込み、下から見上げるように視線を送った。

「どうした?気分が悪いのか?」

「・・・・・・」

 その質問に彼女は、口頭では応じなかった。数秒後、小さく可愛らしい腹の虫が、彼女の代わりに質問に答えた。

「・・・・・・!」

「・・・・・・ハハッ、そうか!腹が減ったんだな?」

「・・・・・・」

 キーラは赤面しながらも、小さく縦に頷いて見せた。するとサッチは立ち上がり、腹を押さえて言った。

「そういや、俺も昼飯はまだだったな。逃げるのに必死過ぎて、すっかり忘れてたぜ」

「・・・・・・」

「何かこの辺にあったかなぁ・・・・・・」サッチがしばらく辺りを見渡していると、とある屋台が目に入った。「そうだ!なぁ、いいもん食わしてやるよ」

 するとサッチは、キーラの手を引っ張り、その屋台に向かって歩いていった。

「おっちゃん!ホットドッグとコーラを二つ!」

「あいよ!まいどあり!」

 そのやりとりは、お互い慣れたものであった。サッチは屋台で飯を済ませることも少なくはないので、こういった気さくな注文の仕方を知っているのだ。一方キーラは、これまでフランクな商売現場に立ち会ったことがなかったので、ひどく困惑した。

「・・・・・・?」

「そんな心配すんなって。こういう飯も、お嬢様だって案外気にいるもんだぜ」

 サッチがそのような確信を持つのは、シピと出会ったときのことを思い出したためだ。彼女は今でこそファーストフードは食傷気味だが、初めて口にした時は感動の言葉を漏らした。その出来事が、サッチの自信に繋がっているのだ。


 二人は出来たてのホットドッグとコーラを受け取ると、日陰の覆う、人気の少ない場所へと身を移した。ベンチなどはなかったので、近くの階段に腰を下ろす。

「ほら、熱いうちに食いな」

「・・・・・・」

 キーラはホットドッグを受け取ると、まじまじと自分に向いたソーセージの先を見つめた。

「ありゃ、まさかホットドッグを食うのも初めてなのか?」

「・・・・・・」

 静かに頷く彼女に、サッチは食べ方の手本を見せてやる。

「こうして、口を大きく広げて・・・・・・グワっとかぶりつく!」彼はホットドッグを口に頬張り、しばらく咀嚼する。「・・・・・・どうだ?簡単だろ?」

 それを見て、キーラも同じようにかぶりついた。すると、ソーセージの肉汁が口の中に広がり、ケチャップとマスタードのマイルドな酸味と辛味が、鼻を抜けるような旨みに加わって、見事な多重奏を演出した。

「・・・・・・結構イケるだろ?」

 瞳を輝かせる彼女の横顔に、サッチは問いかけた。しかし、彼女はその問いには答えず、黙々と目の前の食事に集中している。それを見てサッチは、微笑みを浮かべながら小さく息を吐いた。


 食事を終えた彼らは、その場でシピからの到着を知らせる連絡を待っていた。特にやることもなかったので、サッチは先ほどから胸に抱えていた疑問をキーラにぶつけた。

「なぁ。どうしてずっと黙ってるんだ?」

「・・・・・・」

「・・・・・・ああ、いや、別に悪いと思ってる訳じゃねぇんだ。でも、それだと色々と不便じゃねぇか?思ったことは口にした方が、なんでも上手くいくと思うんだよ」

 サッチの言葉を受け、キーラは黙りつつ遠くへ視線を投げた。その沈黙がしばらく続いたので、彼は質問を変えることにした。

「両親は好きか?」

「・・・・・・」

 少し躊躇する仕草を見せた後、キーラは首を横に振った。するとサッチは、意外といった表情を見せたが、すぐに納得してみせた。

「・・・・・・そっか。そうだよな。お前をこんなことに巻き込んだのは、親だもんな。嫌いにもなるか」

「・・・・・・」

「・・・・・・喋らないのは、大人への不信感からか?」

「・・・・・・?」

「自分を利用し、そして自分を狙う大人たちを、信じたくないんだろ?」

 サッチの口調は、まるでキーラの心を見透かしているようだった。それに彼女は驚き、困惑した。彼とは出会って間もない筈だが、不思議とその視線に、他人とは思えないほど似たものを感じたのだ。まるで見えない力に動かされるように、彼女は首を上下してみせた。

「・・・・・・そうか。その気持ち、なんとなく分かるよ」サッチはキーラに微笑みかけて言った。「俺もさ。お前とはちと環境は違うが、俺も大人のことが大嫌いだった。・・・・・・ずっと、誰も信じないで生きていくつもりだった。ある男に出逢うまでは」

「・・・・・・」

「そいつは、それまで孤独だった俺に手を差し伸べてくれた。俺に、生きる術を教えてくれたんだ。それから俺は、少しずつ人を信頼するようになった。孤独に生きることの辛さを、幸せを通じて知ってしまったから」

 サッチは立ち上がり、手の平をキーラの頭の上に置いた。すると彼女は、不思議そうにサッチの表情を見上げる。

「お前もいつか出逢えるといいな。その、『信頼できる大人』ってやつに」

 温かい笑顔から発せられた励ましは、強かな鼓動をもって、キーラの胸に響いた。すると彼女はサッチから視線を逸らし、口を小さく開閉させた。

「・・・・・・ぁ、ぁ、ぅ」

 彼女の口から漏れた声は、言葉の形をしていなかった。あまりにも声量がなかったので、風の音にかき消されてサッチの耳には届かなかった。自らの思念に遮られ、伝わらない想い。彼女はそんな自分に落胆し、俯いた。そして現れる、束の間の沈黙。それを切り裂くように、サッチの無線から呼び出し音が鳴り響く。シピからだった。

「・・・・・・ああ、俺だ。・・・・・・そうか。わかった、すぐに向かう。・・・・・・ああ、それじゃ」

 サッチはシピとの連絡を終えると、キーラの満腹そうに腹を押さえる仕草を見た。すると彼は、思いつきをそのまま口に出した。

「そうだ!ほらよ」

「・・・・・・?」

「流石に食ったばっかで走るのはキツいだろ?おぶってやるぜ」

「・・・・・・!」

 恥ずかし気に首を横に振るキーラの頬は、赤く染まっていた。そんな彼女の反応を寄せ付けぬように、サッチが背中を見せつける。

「いいって、いいって。もう抱っこはしたんだし、遠慮すんなよ」

「・・・・・・」

 そこまで言うなら、といった感じで、キーラはサッチの背中に歩み寄った。背中に体温を感じると、サッチは彼女を担ぎつつ立ち上がり、駐車場へ向かって走りだす。

「・・・・・・!」

 背中から、サッチの心臓の鼓動が伝わってくる。それが妙にエドワード・サッチという男の命を意識させ、恥ずかしい気持ちにさせたが、なぜか嫌な気はせず、むしろ安らぎに似た感覚を覚えた。

「・・・・・・」

 不思議な感覚であった。今日初めて出会った筈のこの男に、「特別な何か」を感じるのだ。それと向き合うことは少々怖かったが、どうしても瞳を逸らすことができなかった。


 サッチのトラックは、輸送と名のつくだけあって中々大きく、幾台も並んだ駐車場の中でもよく目立った。二人はそれに近寄り、運転席のドアを軽くノックする。するとドアが開き、シピが顔を覗かせる。

「すまねぇな、いきなり呼び出したりなんかして」

「それは別に構わないんだけど・・・・・・。あの、なんていうか、その女の子、どうしたの?」

 シピは首を傾げて言った。するとサッチは、彼女に協力を仰ぐには、事の次第を述べる必要があると考え、事情を簡潔に説明することにした。

「実は・・・・・・」


「ふーん、なるほどね。まあとにかく、その子をキルシーまで連れて行けばいいのよね?」

「話が早くて助かる。お前には、キルシーまでの運転を頼みたい。俺は荷台に隠れつつ、この子の護衛に専念するぜ」

「でも、まさかタクシーすらロクに使えないなんて・・・・・・。大変だったね、サッチ」

「もう満身創痍さ。ホラ、早く行こうぜ。もうすぐ引き取り手も到着する頃だ」

「ええ」

 シピが頷いたことを確認すると、サッチとキーラは荷台の方へ回り込み、最奥まで身を移した。すると、サッチは無線を取り出し、シピに合図を送る。それを受け、彼女はエンジンをかけ、トラックを発車させた。


 三人を乗せたトラックは、州境検問所へ到着した。道中では特に何事も起きず、あっさりと進んだので彼らは拍子抜けした。しかし、当然と言えば当然である。サッチとキーラの隠れる荷台はバン型で、外から内部の様子が視認できないようになっていた。流石の香華にも見つけられよう筈がない。

 シピは検問所の窓口前でトラックを停めると、許可書を片手に下車し、窓口の方へ歩み寄る。

「あのー・・・・・・。キルシーの方へ行きたいんですけど・・・・・・」

 彼女の声は小さく、強ばったものであった。それを聞いた役人は、新聞から目を移しながら気怠げに言った。

「それなら許可書を」

「は、はい・・・・・・!」

 シピから許可書を受け取り、役人がサラリと目を通す。そして十秒もしないうちにそれを返し、彼女に言った。

「このまま通っていいと言いたいところだが、ちょっと確認することがある。実は昨日の事件のせいで、エンテシアは入州規制が発生しちまってな。一度通っちまったら、しばらくエンテシアへは帰れないが、それでも通るか?」

「はい、大丈夫です」

「よし、通りな」

 それだけ伝えると、役人は再び視線を新聞の方に戻した。シピは運転席に戻り、トラックをキルシーに向けて発車させた。


「・・・・・・」

「検問所を超えたか・・・・・・。いよいよだな」

 荷台に揺らされながら、サッチとキーラは隣り合わせに座っていた。二人とも、その表情には疲れと安堵の様子が見てとれる。

「なんだか久しぶりだったぜ、こうしてガチめの命の危機を感じたのは。だけどまあ、この後莫大な報酬を受け取れると思えば、意外と悪くない仕事だったかもな」

「・・・・・・」

「お前ともこれでお別れだな。元気で暮らせよ」

 サッチは優しく微笑みながら言った。するとキーラは、照れたように頬を赤く染め、ゆっくりと頷いた。


 シピが一本道の道路を走っていると、前方に二台の警察車両が停車しているのを確認した。彼らがトラックを停めるように指示を送ったので、彼女はその前で減速する。

「どうかしたんですか?」

 素っ頓狂な様子でシピが顔を出すと、警察官らしき男たちが申し訳なさそうに言った。

「いやぁ、すみませんね。実は昨日の件で、上からエンテシアからの来訪者を徹底的に調べろとの指示を受けたもので・・・・・・。失礼ですが、車両の内部を点検させていただきます」

「え?でも、さっき検問所を通過したんですけど・・・・・・。特別そういったことは聞かされませんでしたよ?」

「検問所と警察は業務を分担しています。それでは」

「あ、あっ!ちょっと!」

 シピの制止を振り切るように、複数の警察官が運転席に群がりだした。鍵がかかってドアが開かないので、彼らは窓ガラスから車内の様子を観察する。しかし、特に異常が見つからなかったので、彼らは運転席を離れ、次の標的に向かって歩き出した。

「あわわわ・・・・・・!ど、どうしよ・・・・・・」


「・・・・・・停まったな。何かあったのか?」

「・・・・・・」

 突然の停車を不審に思ったサッチは、彼女に無線を送信した。

「おい、どうしたんだ、いきなり停めたりなんかして」

「サ、サッチ、実は警察の捜査が始まって・・・・・・」

「検問所を超えたのにか?」

「う、うん」

 その返事に、サッチの胸はさらにざわつきを覚えた。

(なんか引っかかるな)

 そんなふうにサッチが思考していると、シピが慌てたように言った。

「あ!今そっちに行くわ!」

「なに?わかった。何かあったら、すぐにトラックを発車させろ。それじゃ」

 サッチは無線を切断すると、ギラギラとした鋭い目つきで、荷台の入り口を睨みつける。その時、荷台の幕が不自然に揺れた。誰かがこちらへ来ようとしているのだ。彼はキーラの身を寄せ、その時を待った。幕が今、開かれる。

「・・・・・・」

 警察の格好をした男一人が、無言で荷台に乗り上がり、ズカズカとサッチの前に歩み寄る。額に汗を垂らしたサッチが、目つきはそのままで言った。

「あんたらには悪いが、ここには怪しげなモンは一切ねぇぜ?」

「お気遣い、恐れ入りますが、もう見つけてしまいました。その、『怪しげなモノ』」

「そうかい、それはよかった。それはそうと、しばらく見ないうちにキルシーの警察も面構えが変わったな。・・・・・・まるで、『悪人だ』」

 口元を不気味にニヤつかせた男二人が、その空間の中で沈黙を作った。空気は張り詰め、凍ったようにピシャリと、外部を寄せ付けない凄みを放った。

「・・・・・・」

「・・・・・・」

「・・・・・・ッ!」

「・・・・・・ッ!」


 バァン!


 狭い空間の中で、鈍い破裂音のようなものが響いた。それと同時に体勢を崩す、男の影。その手には口から煙を漏らす、拳銃の姿があった。

「アギャ・・・・・・!」

 男は短い悲鳴をあげながら、仰向けに倒れていった。横腹からは、弾創のために血が流れている。

 サッチは弾丸の掠めた頬を腕で拭うと、キーラを置いて、男の身体を外に向かって蹴り出しながら、入り口に向かった。


 その音は、運転席のシピの耳にも届いた。

「う、うそ!?銃声!?」


 荷台から落とされた仲間の苦しみ喘ぐ姿に、男たちは酷く困惑したが、すぐに身構え、幕の先のサッチとの戦闘に備える。サッチは幕を開くと、荷台から転がるようにして飛び出し、一番手前の男の右手に向けて発砲した。放たれた弾丸が命中したことを確認すると、地面を転がりながら移動し、また一人に接近する。そのまま仰向けの体制で、彼は手前と奥の男の右腕と左脚を狙い、引き金を引いた。

「グワッ!?」

「ガッ!?」

 弾丸を受けた男たちが、痛みで後方に吹き飛び、そのまま地面に伏せる。

 サッチは運転席に向かって叫んだ。

「早く車を出せ!こいつら警察じゃねぇぜ!」

 それを聞いたシピは、半ばパニックになりつつ、エンジンをかけた。

「うぇ!?わ、わかった!」

 彼女はアクセルを思い切り踏み倒し、可能な限り加速させた。サッチは荷台に飛び乗り、幕を全開にして、後方の様子を伺った。すると乾いた岩陰から、十台を超えた車両が出現し、猛スピードでトラックに接近を試みる。

「待ち伏せか!?・・・・・・畜生!」

 サッチはそう叫びつつ、拳銃を構え、先頭の車のタイヤに向けて発砲する。着弾すると、その車は左右に大きく揺れ、やがて道を外れていった。しかし、一台退けたところで状況は一向に変わらない。その奥には、沢山の後続車の影があった。

「・・・・・・キリがねぇ」

 サッチは歯を食いしばりながら、続々と現れる追跡車を拳銃で迎撃し続ける。しかし、彼の放った弾丸が、ある時的を外し、トラックの左側部への侵入を許してしまった。

「・・・・・・!」

 慌てて荷台から乗り出し、その車を狙撃しようとするも、後続の車両の搭乗者がサッチに向けて発砲することでそれを阻止する。放たれた弾丸は彼の目前の空を切り、荷台に小さな穴を開けた。

「チィッ!」

 サッチはすぐに体勢を戻し、先程自分を狙った男に照準を合わせると、引き金を引こうとした。しかしその直前、トラックを強い衝撃が襲う。側部に回り込んだ車両が、トラックに対して体当たりをかましたのだ。それによりサッチは、弾丸を的から大きく外してしまう。

 ハンドルにしがみつくようにして、シピは衝撃をやり過ごした。揺れが収まると、彼女は姿勢を戻し、力の加えられた方向に視線を移す。その先には、こちらに向けて照準を合わせる、男の姿があった。

「キャア!?」

 彼女の悲鳴は、荷台のサッチの耳にも届いた。

「シピ!?」

 その呼びかけには、焦りの感情が表れていた。彼女の身に何かが起ころうとしている。サッチは、それを瞬時に理解したのだ。彼は急いで後続の先頭車両の対処を試みる。しかし、引き金を引いてみても、弾は発射されない。彼は状況に対する焦りから、発砲した回数を勘定に入れていなかったのだ。

(弾切れ!?)

 急いで替えのマガジンを取り出し装填するも、彼の表情が依然変わることはなかった。

「間に合え・・・・・・!」

 サッチが装填を完了し、再び銃を構えたその時、辺りに銃声が響いた。放ったのはサッチでも、手前の搭乗者でもない。

「し、シピ・・・・・・!?」

 愕然とした様子でサッチが呟く。彼は先程の悲鳴と銃声から、彼女が撃たれたのだと悟った。目の前の現実が受け入れられないと、彼は目を見開いたままで俯いた。しかし、それでは奇妙である。彼女が死んだのであれば、トラックは運転不能の筈だ。しかし、一向に減速の気配はない。それに気づいた彼は、「どういうことだ」と頭を混乱させた。

「えらく大変なのに巻き込まれてるじゃないか、サッチ」

 そのキザな物言いには聞き覚えがあった。声が聞こえたと同時に、側部に回り込んでいた車が徐々に減速していき、後続車の前方を塞いで衝突する。続けて、何者かの喚き声が上がった。サッチは顔をあげ、目前の光景を見渡してみる。そこには、傷まみれのバイクに跨る、一人のライダーがいた。

「ロー!?」

「事情知ってそうなヤツを適当に捕まえて、色々聞き出したよ。まったく、お前の勝手さときたら・・・・・・うんざりするな」

「・・・・・・助けに来たのか?」

「勘違いするな。お前が死んだらコイツの修理代を請求できない、それだけだ!」

 そういうとローはバイクを減速させ、追っ手の意識を分散させるようにがむしゃらに発砲していった。するとサッチも、負けじと的に照準を合わせる。

「せっかく来たんだ!犬死じゃカッコ悪いぜ!?」

「安心しろ、その気はない!」

 ローは小回りの効くバイクで場を荒らす。そこへサッチの精密な射撃が合わさり、追っ手を少しずつ引き剥がしていく。お互い不本意ではあるが、彼らのコンビネーションは絶妙だった。


 ローの加勢により、敵の勢いも弱まりつつあった。このまま逃げきれるか、とサッチが期待したその時、

「・・・・・・」

 彼は悔しげに歯を食いしばった。手持ちの弾が少ないことに気づいたのだ。まさかこのような事態に巻き込まれるとは思っていなかったため、余剰分は用意していなかった。

 サッチはローの方を一瞥した。ヘルメットで隠れてよく見えないが、おそらく彼も同じような表情をしている。もう手持ちは少ない筈だ。

(残弾数はマガジン一個分・・・・・・。こいつだけで、とても相手を追い払いきれるとは思えない)


 サッチが事態を悲観する中、シピは前方に何か「不思議なもの」を見つけていた。

「あ、あれは・・・・・・?」

 瞼を細め、対象を凝視する。それは集団であった。妙に硬質的な車両が数台と、その周りに黒いスーツとサングラスを着用した男たちが、道を塞ぐように広がっている。

「うわっ!?」

 シピは目を見開き、声をあげて驚いた。それは集団の各々の手に、機関銃が握られていたためだ。背後を尾ける香華の増援だと、彼女の直感が告げる。

 それを見るや否や、彼女は戸惑った。後方には追っ手、そして行手を武装集団が阻んでいる。道を外れれば、舗装などされていない荒野がトラックを迎えた。しかし、前後が塞がれている以上、他の選択肢は残されていなかった。

(もうこれしか・・・・・・)

 彼女は道路脇の方向を一瞥する。エンテシアの道路など比較にならないほどの凹凸が、目の前に広がっている。腹を決め、彼女がハンドルをきろうとした時のことであった。

 後方で銃声が鳴り響く。それと同時に、トラックの制御が急に効かなくなった。

「え・・・・・・!?」


 サッチが応戦している途中、突然トラックが傾き、右に引っ張られだした。彼はすぐにその不具合の正体に気がついた。

「パンクか!?」

 このトラックは後輪駆動である。駆動部分に穴を空けられれば、途端に制御が厳しくなる。その弱点に、敵の弾丸が着弾したということか。

「・・・・・・!?」

 最悪の事態はまだ続く。なんとサッチの拳銃が弾切れを起こしたのだ。替えの弾丸はもうない。彼は既に、事態に抗う術をなくしたということだ。

「こんなときに・・・・・・!」

 弾切れの事実は、その後を走る、ローや相手方にも伝わったようだった。それまでスピードを落として様子を伺っていた追跡者たちが、一斉に車を加速させだした。

「マズい!」

 この事態に危機感を覚えたローは、手持ち少ない弾丸を撃ち続け、必死に敵に向かってアピールしてみせる。それを疎んだ敵の先頭車両が、彼のバイクに接近し、体当たりを試みる。

 高速で近づいてくる鉄塊を、彼は追い払うように発砲し続ける。しかし、相手と衝突する寸前、ローの拳銃はホールドオープンという状態になった。「弾切れ」の合図である。

「なっ・・・・・・!?」

 彼が状況を把握する間も与えず、敵の車両が自分のバイクと接触した。数メートル吹き飛んだ後、転倒するバイクを見て、サッチは青ざめた表情を広げるようにして叫んだ。

「ロー!」

 しかし、ローのことを心配してばかりではいられない。追跡者は、もう目と鼻の先のところまで来ているのだ。だが、最悪の状況が重なるサッチの身の上に、もう残された手はなかった。

(万事休すか・・・・・・!?)

 サッチが瞼を閉じ、全ての匙を投げようとしたその時、


 ダダダダダダッ!


 それは複数の機関銃の銃声であった。直後、後方の車両が大きな音を上げて大破する。

「!?」

 サッチは驚いた。しかしその間にも、その銃声はあがり続ける。

「こいつは・・・・・・!?」

 目の前で香華のメンバーが蜂の巣にされていく。沸き上がる悲鳴と鉄の弾ける音、そして遂には爆発まで発生するこの現場に、彼は強い困惑を覚えた。

(何が起きて・・・・・・)

 さらに驚くべきことに、この銃撃の対象にこのトラックは含まれていないようなのだ。ひとまず助かったと考えて良いのだろうか。しかし、そう決めるのは早計な気もする。そんなふうに考えていると、あっという間に銃声は鳴り止んだ。

 目の前に広がる血の海。負傷者と死傷者、そしてバラバラとなった車の部品が入り混じり、地獄の様相を呈している。

「一体、誰の仕業だ・・・・・・?」

 パニックを起こしたサッチには、何一つ検討がつかなかった。冷静であれば想像がつくだろう。香華だけを狙う、機関銃を携えた部隊、それは、

「!?」

 何者かの車が、こちらへ向かって来る音がする。サッチは咄嗟に身構えながら、荷台から飛び降り、その正体を探った。

(ゴツい車に、SP風の男ども・・・・・・。・・・・・・なるほどな。やっと理解したぜ)

 彼はそれを見て安堵した。どうやら、助かったと結論づけてもよさそうだった。


「・・・・・・」

 頭を抑え、必死に身を隠すシピは、銃声が鳴り止んだことを確認すると、少しずつ頭を上げ、外の様子を伺った。

「・・・・・・う、うわ!?」

 外を覗けば、こちらへ向けて機関銃をぶっ放してきた集団が、今度はトラックに向かって接近してくるのだ。

「も、もう嫌ぁ!」

 シピは再び頭を下げ、うんざりしたようにそう叫んだ。


 先程吹き飛ばされ、ぐったりとしたローの方へ近づきながら、サッチは叫んだ。

「ロー!おい、返事をしろ!」

 身体を抱き抱え、肩を揺すぶってやる。すると苦しそうに唸った後、右目を少し開けて彼は言った。

「・・・・・・生きてるよ」

「・・・・・・咄嗟に吹き飛ぶ方へハンドルを倒して、衝撃を逃したか。まったく、なんてヤローだ」

「こんくらい、なんてことない・・・・・・!バイクの修理も、お前持ちだしな・・・・・・?」

 ローは身体をふらふらとさせながら、ひとりでにゆっくりと立ち上がった。その様子を見て、サッチは言った。

「今それを言うか」

 黙っていれば喜んで弁償したところだが、それをいちいち本人に確認するところが憎たらしいとサッチは思った。


 それからしばらくして、彼らは近くに停車した硬質な車の方へ歩み寄った。SP風の男たちは、満身創痍な二人を前にしても、特に表情を動かすことはなかった。機械的な口調で彼らに訊ねる。

「エドワード・サッチ様ですね?話は伺っております」

「・・・・・・そういうあんたらは、フォスターんとこの用心棒だな?さっきは助かったぜ。・・・・・・けどまあ、元はと言えば、俺をこんなことに巻き込んだのはそっちだがよ」

 サッチは、疲れきった表情を見せながら言った。しかし用心棒たちは、彼に気遣う様子も見せず、いきなり本題へ入る。

「では、早速ですがキーラ様の御身を、こちらへ」

 男の一人がそう言うと、サッチは小さく頷き、荷台へ向かった。


 その様子を恐る恐る見ていたシピは、疑問に思った。

「あれ?もしかして、この人たち・・・・・・」

 彼女は隠れるのを止め、シートベルトを外してトラックを下車した。


 荷台に乗り上がると、耳を塞ぎ、小さく縮こまったキーラの姿があった。サッチは彼女の方へ歩み寄り、肩を優しく叩いてから言った。

「終わったぜ、キーラ」

「・・・・・・!?」

 彼女は肩を一度跳ねさせた後、ゆっくりとサッチの表情を覗く。

「迎えが来たんだ。さ、行こうぜ」

 優しく差し伸べられた手を見て、彼女は戸惑った様子で俯いた。それを不思議に思ったサッチは、彼女に向かって言った。

「・・・・・・?どうしたんだ?」

「・・・・・・」

 その疑問を聞いて、彼女は顔を上げ、首を横に振った。

「ああ?・・・・・・行きたくないのか?」

「・・・・・・!」

 彼女は再度首を横に振る。その様子にサッチは戸惑った。しかし、彼女と過ごした短くも長大な時間が、その答えを教えてくれた。

「もしかして・・・・・・おんぶでもして欲しいのか?」

「・・・・・・」

 その問いに、彼女は静かに首を上下させた。まさか当たっているとは思わなかったので、サッチは一瞬驚いた後、大きな声をあげて笑った。

「アッハッハッハ!・・・・・・なんだか、お前のこと少し分かってきた気がするぜ」サッチは立ち上がり、彼女の方へ背中を向けた。「ほらよ、御所望の特等席だぜ、お嬢さん?」

「・・・・・・」

 彼女は申し訳なさそうに、サッチの広い背中に身を預ける。

 心臓の鼓動、温かい体温。その一つ一つが、キーラにとって特別なものとなっていた。

「・・・・・・」

 自分の身体がサッチと一つとなり、またいつも通りの「居場所」へと向かう。


 サッチは用心棒の前に歩み寄ると、キーラを背中から下ろして言った。

「ほら、お望みのキーラ様だぜ」

 その言い方に、シピは内心激怒した。

(何よその扱い!大富豪のお嬢様よ!?私のときとはレベルが違うのよ!?なんかいちゃもんつけられたらどうすんのよ!)

 しかし、用心棒たちは別に気にする様子もなくキーラを迎え、シピの心配は杞憂に終わった。

「はい、確かにキーラ様に間違いありません」

「そうかい。そんならコレ、うちの口座だ。報酬、忘れんなよ?」

 サッチから紙切れを受け取ると、用心棒はそれを胸ポケットにしまい、言った。

「かしこまりました。社長には伝えておきます」

「頼んだぜ」

「それでは、私たちはこれで失礼します」

 無愛想なやりとりを済ませると、一度会釈をした後、用心棒たちはキーラを連れ、車へ向かって歩き出した。彼女が惜しむようにサッチを振り返ると、彼は優しく微笑みながら手を振ってやる。

「じゃあな、キーラ」

 たったその一言が、暗闇に反響する様にキーラの心に繰り返された。そして胸の内の衝動を掻きたて、彼女の足を自然と止めさせる。

「どうかされましたか?」

 用心棒は素っ頓狂な口調でキーラに訊ねる。すると彼女は拳を堅く握りしめ、覚悟を決めた表情で走り出した。

「!?」

 その場にいた全員が、目の前に広がる光景に驚愕した。キーラがサッチの下へ走っている。それは誰も想像つかないことであった。

「キーラ・・・・・・!?」

 サッチ本人も愕然といった感じで、それを見守っていた。彼の手前でキーラが立ち止まる。走った距離はそう長くはなかったが、それでも彼女は息を荒げていた。

「どうしたんだ、戻ってきたりして」

 姿勢を低くし、視線を合わせるようにしてから、サッチはキーラに言った。すると彼女は、荒い呼吸を整え、まっすぐにサッチの目を見つめた。

「・・・・・・ぁ、あの・・・・・・」

「・・・・・・!」

 その時、サッチは初めてキーラの声を認識した。しかし、彼に驚く時間も与えず、キーラは続けた。

「・・・・・・ホットドッグ、美味しかった!・・・・・・ありがとう、サッチ・・・・・・」

 声の抑揚は随分と拙かったが、その言葉はサッチの心に強く響いた。

「あ、ああ・・・・・・」

 言葉を詰まらせたため、サッチは吐息に感嘆をのせることしかできなかった。自分の胸中を伝え終えると、キーラは迎えの車に向かって走りだした。その間、彼女が再び振り返ることはなかった。

 小さな背中に背負われた、大きな運命。その後ろ姿から、サッチは視線を逸らすことができなかった。


 キーラを乗せた車が、三人から遠ざかっていく。そして視界から消え去ると、シピは深いため息を吐いた。

「ハァー・・・・・・。とにかく一件落着って感じ?」

「みたいですね」

 ローは疲労を顔に表しながら言った。するとサッチが、二人の肩を持ちながら今後について語った。

「つっても、しばらくはエンテシアには帰れないし、トラックもバイクもあの様だけどな」

 親指で示された先には、パンクしたトラックと、大破寸前のバイクが転がっている。シピがその様子を見て、今やるべきことを整理する。

「とりあえず業者に連絡して・・・・・・そこからタクシー呼んで・・・・・・。トラックもないことだし、キルシーに留まるなら、ホテルも必要ね」

「それとサッチ・・・・・・アレ、どうする?」

 ローの視線の先には、香華のメンバーたちが転がっていた。見たところ死傷者も多いみたいだが、まだ息のある者もいる。

「香華か・・・・・・。ひとまず警察を呼ぶとしよう。マフィア同士の抗争があったってな。俺たちはそこへ巻き込まれた一般市民というていでいく。これ以上、奴らとは関わりたくねぇからな」

「同感だな」

 苦笑を浮かべながら、ローは頷いた。

「という訳でシピ、警察の方に連絡よろしく。俺はまだ生きてる奴の手当てにまわる」

「はいはい」

 シピの返事を確認すると、サッチは荷台に上がり応急キットを取り出して、香華の連中の下へ向かった。その後を、ローが追う。


 そこへ近づいた途端、強烈な鉄分の臭いが鼻を襲った。

「・・・・・・!」

 ローは露骨に表情を曇らせ、鼻をつまんだ。しかしサッチの方は、慣れているのか気にしていないのか、構わないといった感じで先へ進んでいく。

「なぁ、どうして助けたりするんだ?コイツらはオレたちを殺そうとしたんだぞ」

 治療のためにしゃがみ込んだサッチを見下ろすようにして、ローは言った。するとサッチが、キットから止血用の道具を取り出し、作業に取り掛かりながらその問いに答えた。

「こいつらは凶悪な犯罪者だ。もしかしたら、首に賞金が懸かっているかもしれねぇ。そんで、戦闘不能にした奴は現場にはいない。この場合、警察に通報した奴が賞金を受け取れることになってるんだ。でも、死んじまったらそいつもパァだろ?俺を散々苦しめたんだ。せめて端金だけでも頂戴するぜ」

 とことん下衆な下心を、サッチは自慢気に語った。彼は腹部の止血を完了させると、今度は腕の処置に移行しようとした。その時、あることに気づいた。

「そういえばこいつら、みんな同じ手袋してんな」

「・・・・・・本当だ」

「・・・・・・」

 突然、サッチは遠くへ視線を投げながら沈黙を置いた。

「どうした?」

「・・・・・・いや、なんか見たことある気がしてな」

「既視感だと?」

「ああ。なんだっけなぁ・・・・・・」サッチは手を止め、その手袋をじっと見つめた。「・・・・・・」

「お、おい、どうした?」

 サッチが突然手袋を脱がせ始めたので、ローは困惑した。しかし、その戸惑いを気にも留めず、サッチは黙々と手袋を脱がしていく。すると健康的な色をした手の平が、空を仰いだ。

 その時、突如胸騒ぎがサッチを襲った。額から汗が流れ始め、目が泳ぎ始める。

「・・・・・・」

「サッチ・・・・・・?」

 サッチの胸騒ぎは、ローにも伝播し、周囲に異様な空気が流れる。そんななか、サッチは握った手の平をゆっくりと返した。

「・・・・・・!?」


 脳裏を、かつての記憶が駆け巡る。そのフラッシュバックを通じて、サッチは既視感の正体を掴むことに成功する。

「・・・・・・ッ!」

彼は突然狂ったように周囲に転がった身体の手袋を脱がせ始め、手の甲を順に確認していった。

「おい、本当になんなんださっきから!一人で勝手に進めやがって!」

 ローは青ざめたサッチの表情と、張り詰めた呼吸を不気味に思い、悲鳴をあげた。するとサッチが、ローに香華たちの手の甲を見せてやった。そこには、薔薇の花と棘を絡みつかせたタトゥーが彫られてある。タトゥーには一片の違いもなく、全員同じ形で同じ箇所にあった。

「・・・・・・同じだ」

「は?」

「二年前、ティーチを殺した奴らのものと、同じだ・・・・・・!」

「・・・・・・」

「・・・・・・」

「は?」


 あれから一週間が経過した。銀行を後にするサッチとシピが、拙い足つきで肩を落としながら歩いている。

「・・・・・・生きた心地がしねぇ」

「まさか諸々の弁償だけで、十万ペイが軽く吹き飛ぶなんてね。ほんと、やってくれたわね、サッチ」

「いや、待てよ!そりゃローのバイクの弁償はしょうがねぇとしてもよ!なんで俺が負傷者の治療費と車や床屋の修繕費をもたなきゃいけねぇんだよ!やったの俺じゃねぇだろ!」

「・・・・・・あなたが請求し易かったんでしょ。あーあ、今回の件で残ったのは、香華の賞金だけ・・・・・・」

 彼女がそう言うと、二人の間に冷たい風が吹いた。

「・・・・・・まあ、終わったことをいつまでも気にしててもしょうがねぇよな。今夜はパーっとやって忘れようぜ?ローの野郎でも誘ってさ」

 サッチの口からその名前が飛び出した時、シピは心配そうに表情を曇らせた。

「あれから、ロー君来なくなったね」

「・・・・・・そうだな。まあ、それはそれで気楽でいいんだけどな」

「一度連絡してみたんでしょ?」

「ああ、少し話してもみたよ。・・・・・・けど、いつもの調子ではなかったな」

「どうかしたのかしら・・・・・・」

 シピの呟きは、無知故のものである。彼は知ってしまったのだ、香華というマフィア組織が、兄を殺した張本人であることを。

(オレはヤツらを許さない・・・・・・!)

 これは先日の会話で、ローの口から飛び出した言葉である。彼は今、どこかで香華のことを嗅ぎ回っているに違いない。

「・・・・・・」

「来てくれるかな・・・・・・?」

「分かんねぇけど、とにかく誘ってみようぜ?案外、お前の方から連絡すれば来るかもよ?」

 サッチの心情は、決して明るいものではなかったが、シピに自分の気持ちを悟られないよう、小言を言って誤魔化した。

「ちょっと、やめてよ」

「ハハッ、悪りぃ悪りぃ」


 少しずつ、彼らの日常が崩れつつある。それは「兆し」であった。

 事態は既に動き出している。問題は彼らがその「兆し」に気づくのが遅すぎた、という点だ。

 その時が来れば、何も抱えずに笑うことなどできなくなる。もう遅すぎた。遅すぎたのだ。

──二人の夜があけるまで──




ソラーレは、エンテシアに門を構える西洋料理店である。決して高級店とは言えなかったが、コストパフォーマンスに優れた料理を提供することで知られ、店内は常に若者で賑わっている。

 サッチとシピ、そしてローは、先日の件の鬱憤を晴らすため、ソラーレに集まり、会食を開いていた。

「ん、マナーがなってないわよ?サッチ」

「いいじゃねぇか。飯くらい好きに食わせろよ」

 スパゲッティをフォークに巻き付けず、そのまま口に入れ込むサッチにシピが注意すると、彼は怪訝そうにそれを嫌った。

「普段から道具を使わない食事ばかりしてるからよ。ねぇ、よかったら、私が教えてあげようか?」

「いいって、いいって!ルールとかマナーとか、そういう堅苦しいの、嫌いなんだ」

「それじゃダメでしょ?この先偉い人と食事することになったら、どうするの?」

「だぁー!鬱陶しい!お前は俺のオカンか!?」

 そのやりとりを前にしても、ローは特にリアクションを起こすことなく、目の前のスパゲッティを頬張り続ける。それを一瞥し、シピは彼に謝罪した。

「ごめんね。せっかく来てくれたのにサッチがやかましくて」

「お前からも言ってくれ!この妖怪オカンによ!」

「誰がオカンですって?」

 シピはサッチの頬に手を伸ばし、ありったけの力で引っ張ってやる。

「あだだだだだ!スマン!スマンって!」

 サッチが瞳に涙を浮かべながら、手足をジタバタさせる。するとローが、にこりと笑顔を作りながら、初めて会話に参加した。

「別に、大丈夫です。コイツがうるさいのは、もう慣れてますから」

「なんだと」

「本当のことだろ?」

 サッチに対し、軽口を叩いてローは平然を装った。しかし、その様子が普段とは調子が違うことを、シピは見抜いていた。

「・・・・・・でも、なんだか久しぶりだね、ロー君。最後に会ったの、たった一週間前なのに」

「はい。最近は、少し用事ができてしまって・・・・・・。ご心配をおかけしたなら謝ります」

「ううん、気にしないで。・・・・・・そっか、忙しくなったのね。それならいいのよ。・・・・・・でも、何かあったら、いつでも相談してくれていいからね?」

「・・・・・・はい」

 その返事に、シピはやはり違和感を覚えた。普段の彼なら、ここで口説き文句の一つでも言うところだが、今日はちっともその気配がない。自分には言えない事情なのだと、彼女は静かに悟った。

「・・・・・・」

 サッチはそのやりとりを、黙って傍観し続けた。彼は、ローがこんなふうに変わってしまった理由を知っているため、そっけない返事の裏に隠された感情を読み取ることができた。


「私、ちょっとお手洗い行ってくるね」

 席を立ち上がり、シピは彼らにそう伝えた。ローは、テーブルから離れていく彼女の後ろ姿を見つめながら言った。

「・・・・・・言ってないのか?」

「ああ?何をだ?」

 サッチが口に物を頬張りながら訊き返す。

「オレが今、香華を探しているということだ」

「・・・・・・シピは知らなくていいことだ。あいつに変な心配をさせたくない。お前もそうだろ?」

「・・・・・・ああ」

 静かに頷くローの表情からは、安堵の様子が見てとれた。それを見て、サッチは椅子に深く腰を掛け直す。

「つっても、やっぱテメェは変わらねぇな。ティーチのことになると、すぐにカッとなっちまう。ずっと前に俺の下へ来た時も、そんなふうに闘争心が剥き出しだった」

「・・・・・・お前は」

「あ?」

「お前は許せなくないのか、エドを殺したヤツらを・・・・・・!」

 拳を堅く握りしめ、ローは怒りに声を震わせた。

「・・・・・・やめろ、こんなところで」

「どうなんだ!」

 今度は言葉を強め、責めるように追撃する。それに困ったサッチが、後頭部を一掻きし、ローから視線を逸らす。

「・・・・・・俺は」

 サッチが次の言葉を言いかけた時のことである。

「キャーッ!」

 奥で女性の悲鳴が響く。サッチとローはそれに気づくや否や、すぐに席から立ち上がり、周囲を見渡した。

「なんだ!?」

「・・・・・・!?」


 ガシャァァアン!!


 直後、既視感のあるスポーツ用多目的車が、店のガラスを突き破り、堂々と入店してきた。サッチたちを含めた客はみんな驚き、騒然とする。

「おい、あれ・・・・・・!」

 サッチが車を指しながら、ローに確認を促そうとしたその時、車のドアが開き、五人の男たちが一斉に飛び出した。その手には、各々多様な銃器が抱えられている。

「・・・・・・!伏せろ!」

 その物騒な様相に素早く反応したサッチは、ローの頭を手で抑え、テーブルに身を隠すように屈み込んだ。すると、すぐに五つの銃声に混じった悲鳴が周囲に響き渡り、あっという間に辺りを硝煙が包み込んでいった。

「サッチ!こいつらはまさか!」

 この急で無茶苦茶な事態は、ローの直感を刺激した。しかし、状況を深く整理する時間は、彼らにはない。

「今はそんな話後だ!拳銃は持ってるか!?」

「ああ!一応な!」

「オーケー!切り抜けるぜ!」

 そう言うとサッチは、手前のテーブルクロスをサッと引き、それをくしゃくしゃに丸めると、テーブルの右側に投げた。これにより襲撃者の意識を逸らしつつ、彼は反対側から低い姿勢で飛び出していく。

 後追いの形で、襲撃者の視線がクロスからサッチに移り変わる頃には、彼は既に柱に身を隠していた。その障害物を、幾つもの弾丸が削っていく。

 ローはテーブルの影から顔を出し、襲撃者たちの視線が柱に集まっていることを確認すると、落ち着いた様子で狙いを定め、引き金を引いた。その弾丸を受けた男は、大袈裟な悲鳴を上げながら後方へ倒れていった。続けて、隣の男も同様に倒れ込む。

 残りの襲撃者たちがその様子に動揺を隠せないでいると、それに気づいたサッチも柱から身体を覗かせ、男二人の腹部に弾丸を撃ち込んだ。自分以外の仲間があっという間に撃たれ、驚きで顔を引き攣らせた男は、その直後、同時に二発の弾を受けた。男は最後に、二つの銃口から漏れ出す硝煙を見た。

「・・・・・・」

 サッチとローは、周囲が狂騒するなか、沈黙の確認をとった。

「やったな」

「・・・・・・ああ」

 銃をホルダーに納め、ホッと息を吐く。辺りを見渡すと、死傷者と負傷者、そしてそれらを心配する者たちが店内に散らばっている。サッチは無事の者を一人捕まえて言った。

「おい、警察と救急車を呼んでくれ。急がないと手遅れになるぜ」

「は、はい」

 客の一人が頷いたことを確認すると、サッチは急いで群がりの下へ駆け寄った。

「どいてくれ」

 彼は人混みを掻き分け、床に横たわる男の容態を確認する。男の胸とその周囲は、弾丸が命中していた。

「・・・・・・ダメだ。死んでる」

 死亡が判ると、サッチはすぐにその場を離れ、また次の負傷者の下へ急いだ。背後では、死んだ者と近しかった者たちが慟哭をあげている。現場では、阿鼻叫喚の渦が巻いていた。

「・・・・・・生きてるな。ロー、綺麗な布を持ってこい。まだ間に合う」

 サッチは生存の確認ができた客の治療のため、ローに指示をだした。彼は頷き、周囲を探してまわった。


 数分後、警察とその特殊部隊、そして救急車が現場に駆けつけた。救急隊が、負傷者を手早く担架に乗せ、救急車へと連れ込んでいく。その作業が完了すると、警察が荒れ果てた店内へ入ってくる。

「随分と荒れているな、これは」

 辺りを見回しながら、特殊部隊に属する長身の男が静かに呟いた。彼は警察の流入を茫然と見つめるサッチとローを見つけると、小さく笑った。

「・・・・・・フッ、なるほど、やはりそういうことか」すると男は、サッチとローに近づき、その高い立っ端を見せつける。「すまないが、君たちは賞金稼ぎのエドワード・サッチ君とローランド・ティーチ君で間違いないな?」

「・・・・・・誰だ、あんた。俺たちのこと知ってるみたいだが」

 サッチは警戒する様にそう言い放った。

「おっと失礼、俺の名前はブライアン・ブルーム。この特殊部隊の指揮官を務める者だ。よろしく」

 ブルームがサッチに向けて、手を差し伸べる。

「・・・・・・悪りぃが、あんたとよろしくやるには何もかも整理がついていないんだ。飯食ってたら突然襲われて、それが片付いたらあんたみたいな謎のおっさんに絡まれる。まったく、冗談じゃねぇぜ」

「・・・・・・無理もないか」

「どうして俺たちを知ってる?まずはそこを話して貰おうじゃねぇか」

「・・・・・・我々警察は、現在とある問題を抱えていてね。それに君たちが関係しているんだ。俺はそこで知ったまでだよ」

 あまり勘繰られるのは心外といった感じだった。しかし、その説明にサッチたちが納得したように頷くと、すぐに表情を晴らして言った。

「しかし、見事だったそうじゃないか。あっという間に五人の敵を戦闘不能にするなんて。俺たちに連絡をくれた子も大層驚いてたよ」

「そのことだが、あんたの言う「敵」について、警察は何か知ってんのか。なあ、話してくれたっていいだろ?」

 サッチは食い気味にブルームの話に乗っかった。するとブルームは頭を抱え、深く息を吐いた。

「そうだな、君たちには話さなくてはいけない。俺はもとより、そのつもりで来たんだからな」

「?」

「単刀直入に言おう。先程君たちを襲った奴らは、香華と呼ばれるマフィア組織の者だ」

 その言葉を聞いて、サッチとローが驚くことはなかった。勘づく材料が、ありったけ用意されていたためだ。

「香華、か・・・・・・」

「ッ・・・・・・!」

 サッチは自らの確信に頷き、ローは沸き上がる怒りに拳を握りしめた。

「なんだ、知ってるような口ぶりだな」

「知ってるよう、じゃなくて知ってるんだぜ」

「そうか。それで、なぜこの店を襲ったかだが・・・・・・」ブルームは一拍沈黙を置いてから言った。「ここに、君たちがいたからだ」

 再び静寂が三人に訪れる。それから少しして、ローが口を開いた。

「どういうことだ?」

「・・・・・・香華にとって、君たちは邪魔者ということさ。だから、この際始末したいそうだ」

 その時、サッチとローの身体に戦慄が走った。狙われる理由なら身に覚えがあった。

「警察に渡った資料を読んでみると、君たちは相当香華の恨みを買っているそうだ。詳しいことは何も記載されていなかったが」

「・・・・・・」

「今日、俺はそれを伝えたくてここへ来た。なんにせよ、このままでは君たちの命が危ない」

 ブルームは腕を組み、二人の顔を交互に見ていった。それぞれが違う面持ちをしている。その面々を見つめながら、彼は続けた。

「香華は今、エンテシアの至るところで君たちを探している。あの規模だ、どんなに隠れていても、いずれ見つかるだろう。そこで、君たちにはこれを預ける」

 ポケットから小さなバッチのような物を取り出し、二人に渡した。

「これは?」

「こいつは発信機。真ん中のボタンを押すと、すぐに我々が駆けつける。もし香華と遭遇したら頼ってみてくれ。それと・・・・・・」ブルームは一度息を吐き、胸ポケットから一枚の写真を取り出して続けた。「これを見てくれ」

 そこには、いかついガタイをした、スキンヘッドの大男が写っていた。年齢は四十代くらいだろうか。顔はそこまで老けてはいなかったが、表情の発する威圧的なオーラが、貫禄に姿を変え、男に宿っている。

「・・・・・・誰だ?このおっさん」

「こいつはリン・ダミン。香華のボスと見られている男だ。いいか?こいつと出会ったら、すぐに逃げろ」

「なぜだ?」

 緊張感を放つブルームの口調に、サッチが反応した。

「この男が危険だからさ。いくら君たちといえど、相手にできるような男じゃない」

「・・・・・・わかった」

 サッチはその忠告を素直に受け止めるように頷いた。するとブルームが、満足気な顔をして頷き返す。

「君たち市民の命を守るのが我々の役目だからな。二人とも、くれぐれも注意してくれたまえよ。それじゃ、もう用は済んだし、俺はここで失礼する」

 二人を背後にブルームは手を振り、ソラーレを後にした。その後ろ姿を見つめながら、サッチは言った。

「白々しいな、まったく」


 ブルームは帰還するため、警察車両に乗車した。そこで先に腰を掛けていた隊員の一人が、彼を待っていたように話しかけた。

「上手く渡せました?」

「・・・・・・どうかな。渡しはしたが、エドワード・サッチの方は気づいていたかもしれない」

「それじゃ困るでしょう?」

「まあな。だが、俺は元々この作戦には期待していないよ。誰が堂々と発信機を渡すなんて考えるよ、まったく」

「しかし彼らが香華に狙われているんですから、それを利用しない手はありません」

 隊員は笑った。すると、それにつられるようにブルームも口角をあげる。

「『市民をダシにマフィアを誘き出す』か・・・・・・。マスコミにでも知られたら大変だな」

「アジトの所在地がわからない以上、仕方ありません。今香華を止めておかないと・・・・・・。手がつけられなくなってからでは遅いですから」

「ああ、その通りだ」


 突然の喧騒に恐怖を覚え、個室トイレに閉じこもっていたシピは、その後サッチたちと合流し、事の次第を聞かされた。

「・・・・・・本当なの?」

「ああ。これからしばらくは、好きに街中を歩くことも出来なさそうだ」

「これからどうするの?」

 シピからの問いに、サッチは無線機を取り出しながら応えた。

「ダメ元だが、ソフィーに連絡してみる」

「・・・・・・まさか、ソフィーさんの事務所で匿ってもらう気!?ダメよ!あの人を危険なことに巻き込むなんて!」

「だからダメ元って言ってるだろ。しょうがねぇんだ。あそこへはそう遠くないし、身を隠すのには丁度いい。それに・・・・・・」サッチはシピの目を見つめた。「俺たちがダメだとしても、せめてお前だけでも面倒見て貰いたいんだ。お前まで、危険な目に晒すわけにはいかない」

「・・・・・・サッチ」

 そんなふうに言われると、シピは強くでれなかった。ごく稀に顔を覗かせる、真剣な眼差しのサッチ。彼女はその圧から、顔を背けることしか出来なかった。

「・・・・・・」

 二人の会話を傍観していたローは、拳を堅く握りしめ、胸の底から湧き上がる感情を押さえ込んだ。


 黒いフードを深く被った男とシピが、トラックから下車し、「ある場所」へと歩みを進める。

「トラック、大丈夫かなぁ・・・・・・」

 心配そうに駐車場を振り返るシピは、呟くようにそう言った。

「大丈夫さ。香華の奴らも追うのに必死で写真なんて撮ってないだろうし、似たトラックなんていくらでもあるだろ?あれじゃ、俺たちの居場所なんか特定できないさ」

「うーん、そうだけど・・・・・・」

「それよりも急ごうぜ。あんまりモタモタしてる暇はねぇ」

 黒フード男は突然走り出し、シピとの距離を離した。

「あ!待ってよ、サ・・・・・・じゃない!ええと・・・・・・とにかく待って〜!」


 硬く、重苦しい雰囲気を放つ扉。それを三回ノックした後、黒フードはドアノブに手をかけた。

「・・・・・・いらっしゃい、サッチ。そしてシピさん」

 扉を開いたすぐ先で、ソフィーが二人を迎える。

「ソフィー・・・・・・」

「お久しぶりです、ソフィーさん」

 サッチとシピが、ひょっこりと扉から顔を覗かせる。フードを脱ぎ、彼は申し訳なさそうに視線を送りながら言った。

「ごめんな、突然無理言って」

「いいのよ。私だって、あなたたちの役に立ちたいもの」

「だけど、今回はそんな生優しいもんじゃない。下手すれば命の危険だってある。その時は・・・・・・」

「サッチ」ソフィーはサッチの言葉を遮った。「私、絶対に見捨てたりしないわ。ティーチが救った命だもの。絶対に・・・・・・」

「・・・・・・そうか。嬉しいよ、俺」

 サッチの微笑みは、心から溢れたものだった。


「そういえば、ロー君は?一緒に来たんじゃないの?」

 二人以外に来客がいないことに気づくと、ソフィーは不思議そうに言った。

「あいつなら自分のバイクで来るみたいだ」

「・・・・・・そういえば、ロー君バイク変えてたね」

 シピは思ったことをそのまま口に出した。

「ああ。この前あんだけズタボロにされたんで、もう修理するより買い変えた方が安かったみたいだ。車種も色も違うし、運転中はそう簡単に見つからないだろうぜ」

 そんなふうに会話を交わしていると、外からエンジンの振動音が聞こえた。

「噂をすれば、てか」


 サッチとシピ、そしてローはソフィーに招かれ、事務所の奥の部屋へたどり着いた。

「ごめんね。突然のことだから物置部屋ぐらいしか用意出来なくて」

「いや、助かるよ。ありがとな」

「狭い部屋だけど、好きに使っていいからね」

 そう言うと、ソフィーは部屋を後にしようとした。その背中に、サッチが語りかける。

「ソフィー。・・・・・・この借りは、必ず返すからな」

「・・・・・・そう。なら、楽しみにしてるわね」

 彼女は振り返り、嬉しそうにサッチに伝えると、すぐに仕事部屋へ戻っていった。

 辺りを見渡せば、椅子にタンスにベッド、そして山積みの段ボールが、端に寄せられて収納されているのが確認できる。サッチは側にあったソファーに深く腰を掛け、リラックスの体勢をとった。

「フー・・・・・・。やっと落ち着けるな」

「・・・・・・そうね。今日のところは休みましょう。私も疲れちゃった。先のことは、また明日考えればいいわ」

 ベッドに腰を沈めながら、吐き出す息に声を乗せるようにしてシピが言った。

 サッチはふと、部屋の片隅に立つローの方を一瞥した。その目は、どこか遠い景色を映している。

「おい、どうしたんだよ、ロー。お前も少しはゆっくりしたらどうだ。それかあれか?シピと同じ部屋だからって緊張してんのか?」

「・・・・・・ちょっと、サッチぃ?」

 彼の茶化した物言いに、シピは不満気に頬を膨らませた。しかし、ローの方はそれを無視するように沈黙のままである。

「・・・・・・ロー?」

 反応がなかったので、今度は強めに彼の名を呼んだ。それに気づいた彼は、ハッとしたようにサッチの顔を覗いた。

「なんだ?」

「さっきの話、聞いてたか?」

「え?ああ、すまん、聞いてなかった」

「・・・・・・あんまり気張り過ぎんなよ」

「・・・・・・わかってる」

 ローはサッチから視線を逸らし、暗い調子でそう応えた。


 夜は更け、ローが暗闇の中で身体を起こす。彼は立ち上がり、サッチとシピの寝顔を順に見ていった。

「・・・・・・」

 心の中で、得体の知れない強い念が渦巻く。

(これでいいんだ。これで・・・・・・)

 彼は部屋を後にし、仕事中のソフィーの前を横切った。それに気づいた彼女は、眼鏡を外しながら言った。

「どこへ行くの?」

 その問いに、ローは視線だけを移して応じた。

「ソフィーさん。少し、夜風にあたりたいんです」

「・・・・・・あなた、狙われている身なんでしょう?そんな軽率なこと、ダメに決まってるじゃない。それに・・・・・・」ソフィーは腰元を一瞥する。「身体を涼めるのに、銃が必要かしら?」

「・・・・・・」

 核心を突かれたローだったが、強かな表情は崩れなかった。そこに、ソフィーは絶対的な「覚悟」を感じる。彼女がその意思の固さに驚いていると、横から違う声が飛び出した。

「復讐へ行くつもりか?」

 サッチは暗がりで腕を組み、鋭い視線をローに突き刺していた。するとローは、ゆっくりと彼の方へ顔を向け、静かに頷いた。

「・・・・・・ああ、そうだ」

「復讐・・・・・・?」

 その単語に、ソフィーは頭上に疑問符を浮かべた。するとローが、サッチから視線を逸らさずに言った。

「二年前、兄は殺されました。香華の手によって」

「・・・・・・!?」

「・・・・・・オレは、ヤツらを許さない!オレからエドを奪ったヤツらを!必ず報いをくれてやる!」

 強い口調でローは言った。かなり興奮した様子である。それとは対照的に、サッチは落ち着いた表情を崩さなかった。

「香華はそう甘いもんじゃねぇ。テメェも知ってんだろ?死ぬつもりか?」

「・・・・・・」


 一連の会話を、シピは盗み聞きしていた。彼女は、ローの言葉に強い衝撃を覚える。

「香華が、ティーチさんを・・・・・・!?」

「・・・・・・オレは、ヤツらを許さない!オレからエドを奪ったヤツらを!必ず報いをくれてやる!」

 攻撃的な言葉を並べるローの様子に、シピは今日の会話を思い出した。

(最近は、少し用事ができてしまって・・・・・・)

 その言葉の意味を理解した。加えて、生気を失ったあの目、あの口調。彼女はサッチとローが再会したばかりの頃を思い出した。あの頃よりも、雰囲気は殺気立っているが。

「香華はそう甘いもんじゃねぇ。テメェも知ってんだろ?死ぬつもりか?」

 冷たく突き刺すような口調で、奥のサッチが言った。それにシピは同調した。彼女も香華の恐ろしさを目の当たりにした一人だからだ。

(ロー君を止めないと・・・・・・!)

 シピは使命感に駆られ、廊下の隅から飛び出した。


「ダメよ、ロー君・・・・・・」

「・・・・・・!?シピさん・・・・・・!」

 不意を突かれたような表情で、ローは声のする方へ顔を向けた。

「サッチの言う通り、香華は危険だわ。あのサッチですら、手に負えないのよ。あなただって・・・・・・」

「分かってます、そんなこと」

 聞きたくないといった感じで、ローは言葉を遮った。するとサッチが、相変わらずの口調で彼に言った。

「この発信機、これが何のために渡されたか、お前は知ってるか?」

「・・・・・・」

「・・・・・・警察はな、俺たちを利用して香華を誘きだそうとしているんだ」サッチは取り出した発信機をポケットに入れた。「大切な市民を守るってんなら、どこか安全な場所で匿っちまえば済む話だ。それをせず、わざわざ発信機を渡すってことは、奴らが俺たちの位置情報を欲しがってるってことだ。香華に狙われている、俺たちの」

「ということは」

「あいつらにとっても、香華は目障りってこった。だが、手を打とうにもアジトの位置が掴めない。場所さえ判れば、本格的に潰しにかかるんだろうがな」

「・・・・・・それまで待てということか」

「・・・・・・俺は、お前がわざわざ出なくても、いずれ警察が全て解決すると考えている。奴らに意思と数さえあれば、不可能ではない筈だぜ」

 サッチとロー、二人の視線が激しくぶつかり合う。

「・・・・・・さっき聞きそびれたな」

「何をだ」

「お前は、香華をどう思っている?」

 静かな会話であった。しかしその底には、どす黒く感情が沸き立っている。

「・・・・・・俺もさ。俺も香華のことは許せない。お前の気持ち、わかるんだ」

「・・・・・・」

「・・・・・・だが、そこに命を賭すほどじゃない。ロー、俺はお前ほど憎めない」

 その言葉がサッチの口から飛び出すと、彼らの間に沈黙が訪れる。冷たい空気が、四人の肌を撫でた。

「・・・・・・オレは違う。オレは、必ずヤツらに罪を償わせる・・・・・・!そのためなら、命だって惜しまない」

「そうか。・・・・・・行くんなら行け。忠告はしたぜ」

 サッチは、覚悟を口にしたローに、突き放すように言った。するとシピが、困惑を漏らした。

「サッチ、どういうこと!?ロー君を止めるんじゃないの!?」

「俺はあいつを止めるつもりなんてない。ただ、覚悟を確認しただけだ」

「覚悟って・・・・・・覚悟って何!?このまま外に出れば、ロー君死んじゃうかもしれないんだよ!?なんで?サッチだって、ロー君に死んで欲しくないでしょ?だったら・・・・・・」

「あいつの目を見ろ」

 サッチは突然、シピにそう促した。それを受けて、彼女は興奮した気持ちを抑え、ローの瞳を覗いてみる。そこには、吸い込まれそうなほどの力強さと儚さがあった。

「・・・・・・」

「・・・・・・なぁ、お前は命を捨てても成したいもの、護りたいものはあるか?」

「・・・・・・そんなの、わからないよ」

「あいつはそれを見つけちまったのさ。だったら、それを尊重してやりてぇ。・・・・・・命の理由は、一辺倒じゃない。死んでいないことが、生きているということじゃない。このまま香華のことなんか忘れて、生きていくことなんかできないんだぜ、あいつはよ」

 サッチはローに視線を送った。するとローはそれを受け取り、入り口へ向かって歩き出した。その後ろ姿を見つめていると、ローは呟くように告げた。

「ありがとう、サッチ」

 そして彼は闇の中へ消えていった。三人だけの空間を静寂が包み込む。サッチは堅く閉ざされた入り口をしばらく見続けた後、無言で部屋へ戻っていった。

「・・・・・・」

 ソフィーは唇を噛みながら、悔しげに俯いている。彼女はサッチの言い分を受け止めているのだろうか。

(わからない・・・・・・。そんなに黙られたら、私・・・・・・!)

 その時、サッチもローもソフィーも、まるで住む世界が違っているかのように思えた。事実、サッチの言葉の意味を理解していないのはシピのみである。


(私はロー君のように怒れないし、サッチやソフィーさんのように理解できない。私だけが・・・・・・。三人にあって、私だけが持たない『過去』・・・・・・)


 シピは彼らとの間に、ティーチという絶対的な「帷」を感じた。


 部屋へ戻り、サッチはソファーに横向けで寝転がった。

「・・・・・・」

 視線の先にライダースジャケットとヘルメットが置かれている。サッチは立ち上がり、その上着を手に取った。

「・・・・・・お前の相棒だろ。置いてってどうすんだ」

 上着のポケットから出てきた鍵を見つめながら、サッチは一人で呟いた。


 夜の街を歩くローは、次第に強まっていく何者かの視線を感じていた。しかし、彼が臆することはない。

(もっとだ・・・・・・。もっとオレについてこい)

 気配の強まりは、標的の数が徐々に増えている証拠だ。彼はさらに歩く、眩いネオン光を浴びながら。

「・・・・・・」

 ある時、ローは立ち止まった。街行く人々は、そんな彼のことなど気にせず通り過ぎていく。彼は瞼を閉じ、静かに「感じた」。

「・・・・・・!」

 突然、彼は走り出した。人混みを掻き分け、速力を緩めず、ただひたすらに走った。

 彼は階段を駆け降り、川沿いの広場へ辿り着いた。すると彼は足を止め、背後の存在を意識する。

「追い詰めたぞ、ローランド・ティーチ」

 五人の男たちの一人が、背中を向けるローに対して拳銃を向けながら言った。ローはゆっくりと振り返り、その正体を確認する。

「・・・・・・香華のヤツらだな?」

 それは静かな口調だった。すると、男が首を上下させてやる。

「ああ、大人しく観念する気になったか?」

「・・・・・・」

 ローはただ沈黙し、男の目を凝視した。その時、男が引き金に指をかける。

「死ね」

 そう短く言葉を述べた瞬間であった、男の大腿部に小さな穴が空いたのは。その直後、鈍い破裂音が辺りに響いた。

「なっ・・・・・・」

 緩やかに倒れ込む男を見て、仲間の一人が目を見開いた。その男の胸部を、鋭い弾丸が襲う。

「クソッ!」

 機関銃の銃口が、ローを捉える。それに気づいた彼は、地面を強く蹴り、筒先から身体を逸らした。そのまま、連続的に放たれる弾丸を回避しながら、他の男に接近していく。近づかれた男は、咄嗟に拳銃を突きつけて追い払おうとするが、彼の素早い動きについていけず、腕を掴まれ、流れるように背後を奪われてしまう。

「しまった!」

 盾のようにされた男は、思わず失態を口から漏らした。この流れるような動きは、サッチの戦い方を参考にして生まれたものであった。もっとも、彼ほど成熟した動作ではないが。

 仲間が人質のようにされたことで、機関銃男が発砲を躊躇っていると、ローはその隙を突くように男を狙った。男の肩から血が流れるのを確認し、彼はあと一人に向けて照準を合わせる。するとその男が、こちらへ向けて既に銃口を向けていたので、彼は咄嗟に抱えた身体に身を隠した。直後、銃声がローの耳に届いた。短い悲鳴の後、盾にした男の力が抜けていく。ローはその身体を、先程発砲した男の方へ投げ飛ばす。男はそれを腕で払い、ローを捕捉しようとする。すると、その目と鼻の先に銃口を向けるローの姿が現れた。

「!?」

 男は咄嗟に身体を屈め、音速の鉛を回避した。その際、放たれた弾丸が彼の握っていた銃に命中し、後方へ吹き飛ばしてしまう。

(貰った・・・・・・!)

 ローは勝利を確信するとともに、再び男に銃口を向けた。しかし、男は彼の手を両手で掴み、そのまま身体を捻りながら銃口を下に向けさせ、ローの手から放させた。続けて、男は落ちた拳銃を川に向かって蹴落としてやる。それから、ローの顔に向けて肘鉄を繰り出し、容赦なくダメージを与えていく。

 顔面に攻撃を受けたローは大きく怯み、数歩後退する。すると踵が宙に浮く感覚を覚えた。彼は今、背を川に向け、追い詰められているのだ。

 男がローに対してフックを仕掛ける。その拳をスウェーで躱し、続けて繰り出されたローキックを、膝を高く上げて脛部分で受けた。

 再び、男はローの顔面を狙って右拳を飛ばした。するとローは、男の右腕の内側に左腕を潜らせ、パンチの挙動を反らす。それに続けて、男の左顎に鋭いフックをお見舞いした。

 足を運び、川沿いから脱出すると、男との間合いを一気に詰める。ローはまず、左手で男の顔面にストレートを繰り出した。直線的に加速するパンチを受けるため、男は両手で顔面を覆い隠す。しかし、ローの本命は顔面ではなかった。彼は素早くその手を引くと、男の股間に体重を乗せた押し蹴りを叩き込む。

 男が大きく前傾姿勢になると、それをチャンスと見て、ローは一気に詰め寄る。最初はアッパーで脳を揺さぶり、そこにフックで追撃を加える。すると男の足はぐらつき、川に背を預けてしまった。すかさず、ローは男の鳩尾に強烈なボディーブローを打ち込んだ。

 衝撃を受けた身体が、ゆっくりと宙を舞い、そのまま川へ沈んでいく。それを確認し、ローは地面に落ちた拳銃を拾いあげる。

 男が水面から顔を出すと、ローはその拳銃を向けて言った。

「貴様らのアジトはどこだ。答えろ」

 しかし、男は今にも溺れそうで答えることが出来なかった。舌打ちした後、今度はすぐ側に倒れている者に聞くことにした。

「おい、どうなんだ、聞かせろよ。オレがわざわざ顔を出してやるんだ。探す手間も省けるだろう」

 ローが苦しげに喘ぐ男に言い聞かせた、その時、


「その必要はない」


 突然、ローの背後から鈍く、低い声がした。

「・・・・・・!?」

 彼は驚き、急いで振り返る。その顔面を、巨大な拳が迎えた。

「グッ!?」

 強い衝撃が加わり、ローの身体が後方へと吹き飛んでいく。それと同時に、不意を突かれたからか、彼はせっかく拾った拳銃を手放してしまう。数メートル転がった後、彼は急いで顔を上げ、声の主人を確認する。

「やあ・・・・・・ローランド。会いたかったぞ」

「・・・・・・!」

 初対面の筈だったが、ローはその顔を知っていた。その精悍な顔つき、はちきれんばかりに張った筋肉、そして二メートル近くあるであろう巨大な立っ端。その大男は、

「リン、ダミン・・・・・・!?」

 ダミンは小さく頷き、不気味な笑みを浮かべた。

「早速で悪いがローランド・・・・・・君には死んでもらう」一つ呼吸を置き、ダミンは続けた。「君は・・・・・・俺たちの計画を邪魔し過ぎた。始まりはそう・・・・・・ジョージ銀行の件だ。まあ・・・・・・あの時使った奴らは適当な拾いものだし・・・・・・金は入ったから構わんがね」

「・・・・・・なに?」

「先月の武器の取り引きだって・・・・・・君が邪魔をしなければ上手くいってた。それまた先月のも・・・・・・。極めつけは・・・・・・フォスターの令嬢の件だ。部下が危険を犯して誘拐しようとしたのに・・・・・・やはり君は邪魔をした」

「何を言ってるんだ!」

「君は・・・・・・俺にとって大きな癌ということだよ」

 ダミンは冷酷な口調でそう告げた。

「・・・・・・オレがこれまで解決してきた事件の多くは、貴様の仕業ということか?」

「だから・・・・・・そう言ってるだろう」

「・・・・・・」拳を堅く握りしめ、ローは言った。「エドワード・ティーチという名を知っているか?」

「エドワード・ティーチ・・・・・・か。懐かしい響きだ。我々がまだキルシーで活動していた頃・・・・・・彼も散々妨害してくれたな。二年前・・・・・・部下が殺したみたいだが・・・・・・」

 その時ダミンは、ローの方を一瞥した。彼は鋭い怒気を纏っており、全身を力ませ、身体を小刻みに震わせている。

「・・・・・・ああ・・・・・・そうか。彼は君の・・・・・・」

 全てを察したダミンはニタリと口元を上げた。するとローは、獣のような雄叫びをあげながらダミンに接近していく。腕が伸びきる間合いに踏み込んだと同時に、彼はダミンに対して拳を突き出した。確かな手応えが腕を伝わり、ローに届く。だが、

「甘いな・・・・・・しかし」

 拳を易々と掌で受け止め、ダミンは首をゆっくりと横に振った。するとローは、もう片方の手で空いた脇腹にブローを繰り出した。しかし、その攻撃も腕を掴まれ、阻止される。

「殺意か・・・・・・。一流なのはそれだけだ。その程度で・・・・・・俺の前に立とうなど」

 ダミンは瞳を大きく開き、軽く首を引いた後、ローの顔面に鈍く重い頭突きを叩き込んだ。それを受けたローの鼻から、真っ赤な血が勢いよく流れ出す。あまりの衝撃に、彼はくるりと目を回した。しかし、それだけでは終わらない。ダミンは脚を持ち上げ、そのまま彼の腹に踵を打ち込んだ。

「グガァッ!?」

「おこがましくはないかね?」

 数歩先の地面に伏せるローを見下ろしながら、ダミンは言った。ローの口から、血と混ざり、ピンク色をした胃液が溢れる。だが、ローの目から闘志は失われていない。再び立ち上がり、今度は相手のリーチを計りながら、ジリジリと間合いを詰めていく。

「シッ!」

 ローが左足でスピンキックを繰り出したので、ダミンはそれを潜るように回避する。そこへ回転の勢いを用い、ローは裏拳で頬を狙った。しかし、本命の攻撃も一歩間合いを退くことでダミンに回避され、彼は苦し紛れに左拳を突き出す。するとダミンは身体を捻り、攻撃を躱すと、彼の腕をがっしりと掴み、一本背負いの要領で反対側へ投げ伏せた。

「フン!」

「ガッ!?」

 強い衝撃がローを襲う。続けて、ダミンは彼の首元を片手で掴み上げ、そのまま地面に打ちつける。仰向けの状態で倒れる彼の上に、馬乗りのかたちで跨がると、ダミンは大きな拳で左右交互に顔面を殴りつける。

「・・・・・・!」

 ローは、自分の視界がぼやけ始めているのを感じた。馬乗りされては、自由に動くこともできず、彼は比較的自由な両手で相手の攻撃を躱すしかなかった。しかし、ダミンは彼の必死の抵抗など、容易に対処してみせる。思い切り左手を振りかぶり、彼の頬めがけて思い切りフックを叩き込んだ。

 鈍く、強烈な音が響いた後、ローの視界が一瞬色を失った。ダミンは最後の一押しというように右手を振り上げる。

 その時、ローの目は僅かに正常を取り戻した。先程のパンチで顔の向きが変わったので、彼の視界には空ではなく、地面を映っている。

「・・・・・・」

 ローのぼやけた視線は、その先に銀色で鋭利な形をした物体を捉えた。すると彼は、物体に向かって素早く手を伸ばし、それを手に入れる。そして、今にも自分を殴りつけようとしているダミンに対し、弧を描くように振り回した。

「!?」

 ダミンは危険を察知すると、軽やかな身のこなしで後方へ飛び退く。それに連れ、ローがふらふらとした足つきでゆっくりと立ち上がった。

「フッ、運の良い」

 そう鼻で笑うダミンの視線の先には、恐らく部下の物だったであろうナイフがある。ローはその不敵な笑みに、ゆっくりとナイフの切先を向け、飛び出した。しかし、ローの傷ついた身体では、俊敏に動く対象にはついていけず、結局攻撃は躱されてしまう。そして、弱った手の平からナイフを奪われると、それを腹部に突き刺された。

「ァッ・・・・・・!」

 猛烈な激痛がローを襲う。彼は数歩後退った後、小さく蹲ってしまった。

「エドワード・ティーチの弟ともあろう者が・・・・・・不甲斐ない」

 ローにとどめを刺すべく、ダミンは相手に背を向け、部下の落とした拳銃を拾いに歩きだした。するとその背後から、やけくそに地面を踏みつける足音が聞こえたので、彼は咄嗟に振り返る。

「ダミンッ・・・・・・!」

「・・・・・・!」

 ローはナイフを振りかぶり、ダミンに突きつける。その切先は、順調にダミンの喉に向かっていた。しかし、寸でのところで彼は、ナイフの刃を素手で握りしめ、力を加えて刀身をへし折った。

「・・・・・・ッ!?」

「諦めの・・・・・・悪い!」

 握っている刀身を、ダミンは再びローに突き刺した。だが、ローは自らの気力でその痛みを踏ん張り、再度ダミンに対して攻撃を仕掛ける。彼の攻撃が、ダミンの腹に直撃する。

「・・・・・・?」

 なんてことないといった感じで首を鳴らし、ダミンはローにボディブローを叩き込んだ。それを受けた彼は、痛みに身体を沈ませながらも、両手はダミンの腰を掴んでいた。底知れぬ闘志をダミンは感じたが、それを否定するように彼に刺さった刃を足で蹴り、さらに押し込んだ。

「ッ」

 まともに声も発せなくなったローが、開いた傷口を押さえながら必死に踏ん張ろうとする。しかし、それも後方に倒れていく身体をなんとか送り足で支えているといった感じで、意思とは真逆に、ずるずると背後の水流に近づいていく。その様子を見たダミンは、足元の拳銃を拾い、銃口を彼の眉間に向けた。

「ツァイチェン(さようなら)・・・・・・ローランド」

 ダミンが引き金に指をかける。その時、引き寄せられるように後退するローは、背後の川に足を踏み外し、水流に片足を飲み込まれてしまった。彼は大きく体勢を崩し、そのまま背中から倒れていく。

「・・・・・・」

「・・・・・・!」

 逃すかといった感じで、ダミンは急いで引き金に力を加えた。すると鋭い銃声が高鳴り、そこへドボンと、重い物体が水中に沈む音が続いた。彼は拳銃を下ろし、流れ行くローの身体を見て呟いた。

「やはり・・・・・・運の良い」


 ダミンは地面に転がり、苦しみ喘ぐ部下の下へ歩み寄った。

「ぼ、ボスぅ・・・・・・!面目、ありません・・・・・・」

 部下の男は傷口を手で押さえながら、掠れた声で言った。すると、ダミンはその場に姿勢を低くし、男に言い聞かせるようにゆっくりとした口調で言った。

「傷が痛むか?」

「は、はい」

「・・・・・・そうか。わかった」

 ダミンは深い息を吐き、右手に握った拳銃を取り出して言った。

「今・・・・・・楽にしてやる」


 複数の死体が血の海を作る中、男は一人、川の流れを聞きながら、三日月の薄明かりを仰いでいた。


 翌日、狭い部屋で二人きりのサッチとシピは、一言も会話を交わすことなく、ただ静かにそれぞれの時間を過ごしていた。

「・・・・・・」

「・・・・・・」

 ソファーに寝転び、適当な雑誌を読むサッチ。そして、ベッドの上に小さく座り込むシピ。両者とも神妙な面持ちである。

 一方、ソフィーは二人の部屋から少し離れた場所で、いつものように仕事をこなしていた。


 ドンドンドン!


 突然、何者かによって、事務所の扉が騒々しく叩かれた。するとソフィーは、作業を中断し、「香華がサッチを狙ってきたのでは」と警戒しながら、恐る恐る入り口に向かっていった。ドアアイを覗き、来客の正体を確認する。

「・・・・・・警察?それに、これって・・・・・・」

 彼女は相手が香華ではないことを確認すると、ゆっくりと扉を開いた。

「どなたですか?」

「失礼、私はエンテシア州警察特殊部隊の指揮官を務める、ブライアン・ブルームという者です。早速ですが、本日はとある要件があってこちらへ伺わせていただきました」

「・・・・・・要件ですか?」

 強ばった表情のままそう訊き返す。すると背後から、のそのそとした足音が聞こえた。

「俺の客だ」

 サッチがブルームの前に顔を出すと、ソフィーは驚いたように彼の顔を見上げた。満足気な様子で頷いた後、ブルームは言った。

「お忙しい中対応してくださり、ありがとうございました。ここからは、我々だけで結構ですので」

「安心してくれ、怪しい奴らじゃない。・・・・・・多分だけどな」

 そう語るサッチの視線は、ブルームの瞳から一切離れなかった。ソフィーは、心配気にサッチを見つめながら、事務所の奥へと戻っていった。

「良い潜伏先を見つけたな、サッチ君」

「・・・・・・発信機を辿らなきゃ、一生見つかることはなかっただろうな」

「フッ・・・・・・そうかもしれん」皮肉を聞き、ブルームは小さく笑った。「ここは・・・・・・何かの事務所か?」

「・・・・・・まあ、そんなところだ」

「へぇ、興味深いな」

 口先だけの軽い返事が、ブルームの口から飛び出す。サッチは後頭部を軽く掻き、一つ呼吸を置いた後、話を切り出す。

「要件はなんだ」

「今日は君に、良いニュースと悪いニュースを持ってきたんだ。どちらから聞きたい?」

 ブルームがそう言うと、サッチは面倒くさいという感情を、包み隠さずに表情に現した。

「・・・・・・じゃあ、悪いニュースから」

「うむ。実は君の友達のティーチ君のことなんだが・・・・・・」

「・・・・・・」

「昨晩、パンナ川の下流付近で、意識不明の状態で発見された。血も随分流してたそうだ」

「・・・・・・そうか」

 静かに、サッチは頷いた。

「同じく、パンナ川沿いの広場で香華のメンバーと思われる者たちの遺体が見つかった。抗争の形跡も。・・・・・・これらの関係性は拭えないだろう。なんだって彼が、そんな無謀なマネをしたかは知らんがね」

「・・・・・・良いニュースは?」

 サッチは動揺を見せぬまま、すぐに次の話を切り出した。その反応に、ブルームは少しばかり驚いた。仲間が大変なことになっているというのに、この男は眉一つ動かさずにいるのだ。焦ったり、心配するくらいの反応を期待していたブルームは、それが意外に思えたのだ。

「なんだ、結構冷たいな。友達なんだろ?」

「・・・・・・俺はあいつに忠告した。こうなる確信があったからだ。それでも、あいつは行くことを望んだ。・・・・・・今更心配なんてしないさ」

「・・・・・・そうか。それで、良いニュースだが」一つ咳払いした後、ブルームは続けた。「君のその居候生活も、すぐ終わるかもしれないよ」

 それを聞き、サッチは落ち着いた様子で言った。

「・・・・・・香華共の居場所が判ったんだな」

「・・・・・・やはり、気づいていたか。全く、察しのいい奴だ君は。ご存知のとおり、俺が君たちに発信機を渡したのは、香華の居場所を知るためだ。元は君たちをエサに奴らを誘きだし、そこからアジトの所在地を掴むって算段だったんだが、それらを全て、ティーチ君がやってくれた」

「どうやって?」

「香華と抗争中、隙を見てメンバーの一人に発信機を仕込んだんだろう。それに気づかず、わざわざアジトまで持ち込んでくれたんだ」

「じゃ、あとは潰すだけか」

 サッチがニヤリと口元を上げると、それに応じてブルームも笑ってみせる。

「ああ、そうだ。作戦開始は本日の午後。それを過ぎれば、君はもう自由だ。だから、それまで決して外には出るな。伝えたいことはそれだけだ」

「・・・・・・最後くらいは、警察らしいこと言うじゃねぇか」

「フッ、そう言って貰えて光栄だな。それじゃ、俺はこれで」

 それだけ言い残すと、ブルームはサッチに背を向け、事務所を後にした。その後ろ姿が視界から消え去るまで、彼は黙って薄暗い入り口から空を見上げていた。


 サッチはブルームを見送ると、扉を閉め、ゆっくりと振り返った。するとその先には、シピとソフィーが険しい顔つきで彼を見つめていた。彼は微笑みを浮かべると、彼女たちの方へ歩み寄って言った。

「話、聞いてたんだな」

「・・・・・・ええ」

 答えづらそうに、ソフィーは顔をしかめた。するとサッチは、ポケットから発信機を取り出して言った。

「ソフィー、君に仕事を頼みたい」

「・・・・・・なに?」

「この発信機を逆探知して、警察側の情報システムにアクセスして欲しい」

「・・・・・・何が目的なの?」

「香華のアジトの場所を知りたい」

 サッチがそう言うと、ソフィーは視線を逸らし、小さく声を震わせた。

「・・・・・・できないわ、そんなこと」

「いや、君ならできる筈だ。頼む」

「・・・・・・」

 彼女は唇を噛み、ただひたすらに黙りこくった。すると隣に立っていたシピが、静かに言った。

「・・・・・・どうして?どうしてサッチまで行こうとするの?ロー君がどうなったか、知ってるんでしょ?」

「ああ」

「サッチ、昨日言ってたじゃない。復讐なんかより、命の方が惜しいって。もう数時間後には、警察がどうにかしてくれる。わざわざあなたが危険を冒す必要なんてないよ」

「心配すんなって、俺は・・・・・・」

「心配するよ!」シピはサッチの言葉を、声を荒げて遮った。「自分で言ったことじゃない・・・・・・!だったら責任とってよ!責任とって側にいてよ!」

「・・・・・・」

「私から、離れていかないでよ・・・・・・!」

 シピはサッチに近づくと、その広い胸に身体を預けた。瞳から小さく溢れ出した涙が、彼のシャツを濡らしていく。

「・・・・・・俺の言ったことに嘘はない。本当に、命懸けで復讐をするつもりなんてないさ。ただ・・・・・・」シピの瞳に溜まった涙を拭い、サッチは続けた。「せめて見届けたいんだ。俺からティーチを奪った奴らの、最後を」

 決意に満ちた声と表情は、強かにそれを見上げるシピとソフィーに降り注いだ。そして、シピの頭に右手を乗せ、優しく撫でてやる。

「大丈夫、ヤバくなったら本気で逃げるからよ!俺の生命力、舐めちゃいけねぇぜ?」

 サッチは表情を綻ばせ、敢えて明るい口調でそう言った。

「本当にそれだけ?」

 ソフィーが疑うような目つきでサッチを見つめた。するとサッチは、ゆっくりと首を上下させ、その視線に応えた。

「ああ、それだけだ」

「・・・・・・」

 そのまましばらく視線を交わした後、ソフィーはサッチに向かって手を差し伸ばした。彼がその手のひらを見つめていると、彼女は指先をさらに突き出した。

「渡して、発信機」

「・・・・・・ありがとう」

「・・・・・・そのかわり、依頼料はいつもの十倍だからね」

「ええ!?」

 破格の値段を突きつけられるサッチは、顔を存分に広げて驚愕した。ソフィーは、そんな彼を見て、ため息を吐きながら言った。

「払えないでしょ?」

「い、いつか払うさ。その時までのツケってことで・・・・・・」

「・・・・・・そう、これはツケよ。だから、必ず生きて帰って私に返しなさい。依頼する以上、あなたにはその義務があるわ」

「・・・・・・ああ、約束する」

 サッチが頷いてみせると、ソフィーは呆れつつも柔和な表情を見せ、発信機を持ったまま奥の仕事部屋へ向かった。その後ろ姿を見届けた後、サッチは先ほどからピタリとも動かない、シピの頭上を見下ろした。

「なあ、いつまでそうしているつもりだ?」

「・・・・・・ごめん、サッチ。私、やっぱり賛成できない」

 その言葉を聞き、サッチは仕事部屋の扉を見つめながら言った。

「ソフィーだって同じさ。だけど、それでも俺に協力してくれるのは・・・・・・やっぱり、彼女の心の中にもティーチがいるからだろうな」

「・・・・・・いいね、みんな。羨ましいわ、そんな風に『過去』が道を示してくれて」シピはサッチの身体を強く抱き寄せた。「私には、みんなのような『過去』がない。私にあるのは、『今』この瞬間だけ・・・・・・。サッチ、あなただけなの」

「・・・・・・そうか」

「・・・・・・だから、どうしても行くというのなら、私にも約束して。・・・・・・お願い」

 シピの肩は、小さく震えていた。その肩を優しく持ち、サッチは安心させるように言った。

「必ず、またお前の下へ戻ってくる。そして道を示し続けるさ。これからも、ずっと」

「・・・・・・うん」

 密着させた身体を離し、シピはサッチに向けて微笑んだ。するとサッチもそれを返し、そのまま二人は、しばらくの間視線を交わし続けた。


 一時間後、部屋の扉が叩かれ、サッチからの返事を待たずに開かれる。ソフィーは、一枚の紙切れを片手に、サッチの前に歩み寄ると、それを差し出した。

「これ、香華のアジトの所在地よ。少し時間がかかってしまってごめんなさい」

「ああ、ありがとう」

 紙切れを受け取ると、サッチはサラッと内容を流し見した。

「・・・・・・オーケー。それじゃ、準備の方始めるか」


 サッチはいつもの服装に着替え、革のグローブを手にはめた。そして、ホルスターに拳銃を、弾丸などの諸々のセットをホルダーにおさめ、棚の上に置かれた「とある物」を手に取る。

「・・・・・・」手のひらのそれを静かに見つめ、サッチは呟いた。「バイク、借りるぜ、ロー」

 手に乗った鍵を堅く握り、拳をつくる。サッチは、隣に置いてあったヘルメットを被り、ローのジャケットを羽織ると、そのまま外へ向かって歩き出した。


 硬質な形をした輸送トラック数台が、縦にピシリと列をつくり、道路を騒々しく走り去っていく。トラックが道端に停車すると、その車内から特殊部隊員十数名が一気に降車し、狭い路地で素早く陣形を整え、指揮官の指示を待った。

「・・・・・・」

 ブルームはアサルトライフルを携え、隊の先頭に立つと、ゴーのサインを隊員にだす。すると、隊員たちは足音を揃えるように前方に移動を開始した。

 鋼鉄製の重苦しいゲートに突き当たると、隊員の一人がエンジンカッターを持ち、人が潜れる分だけの穴をあけていく。型を切り抜くと、それを蹴破り、鉄扉にぽっかりと風穴が開通した。そこから、隊員たちは一斉に突入を開始する。香華のアジトは、巨大なガレージが広い広場に数棟隣設するように形成されており、一見すると工場のようにも見えた。

「見つからない訳だな、こりゃ」


 香華の一人が、門が破られたことに気づき、大声で叫んだ。

「て、敵襲だっ!」

 突然面相を変える仲間に、周囲が慌てふためいていると、ぞろぞろと武装した集団が侵入しだした。香華のメンバーたちが、懐に納めた拳銃を取り出そうと手を伸ばす。その隙に、特殊部隊員の発する冷酷な弾丸が、メンバーたちの全身を蜂の巣に変貌させる。


 椅子に深く腰をかけ、高級な酒を楽しむダミンの耳に、アジト外の騒ぎが届いた。

「・・・・・・!なんだ!」

 彼は慌てた様子で腰を起こした。すると、身体中を汗で濡らした部下の一人が、荒い呼吸のまま事態の説明に駆けつけた。

「ぼ、ボス!敵襲です!」

「敵襲・・・・・・!?どこの奴らだ?」

「・・・・・・警察です!警察が、俺たちを潰しに・・・・・・!」

「・・・・・・!」

 ダミンは酒の入ったグラスを落とし、酒を周辺にぶち撒ける。急いで窓に駆け寄り、ブラインドから外の様子を伺った。

「クソ!どうやってここを・・・・・・!」

 広場に陣取る特殊部隊を目にし、ダミンは事態を嘆いた。常人よりも戦闘能力がずば抜けている彼も、流石に制圧のスペシャリストが相手となれば臆するようだった。しかし、そうなるのも必然である。彼はこの事態を避けるために、アジトの所在地を最高機密としてきたのだから。


 ブルームは、銃を構える隊員たちの間に立ち、拡声器を手に取った。

「ここは既に包囲されている。大人しく投降しろ。諸君らも死にたくはあるまい」

 投降を促す彼の声は、香華のメンバーの各々の耳に届いた。


 説明に駆けつけた部下の名を呼び、ダミンは耳打ちした。

「裏から車を出せ」

「で、では、他の連中は?」

「俺が脱出するまで・・・・・・警察の足止めをさせろ!」


 サッチはメモに記された場所へ向け、バイクを走らせていた。

「あそこか・・・・・・」

 彼は前方百メートル先に、警察の輸送トラックを確認した。そこへ近づけば近づくほど、周囲に漏れた銃声が大きく聞こえるようになる。既に戦いが始まっていることが、容易に想像できた。

 アジトに到着すると、サッチは包囲する警察官たちの側にバイクを停車させる。

「・・・・・・」

 彼はバイクに跨ったまま、アジトを見つめた。そして、甲高く鳴り響く銃声を聞きながら、様々な想いを馳せる。

 これが、自分の青春に終止符を打った男たちの終止符。そう思うと、彼の胸の内で複雑な感情が巻き起こった。

「終わり、か・・・・・・」


 ブルームが呼びかけを行なっている最中のことであった。香華のメンバーの一人が、アジト内から姿を現し、突然隊員に向かって機関銃を発砲し始める。急いで隊員たちは、その男に銃口を向け、数発の弾丸を全身に撃ち込んだ。

「・・・・・・なるほど?屈服する気は毛頭ない、か。ならば・・・・・・」

 静かに微笑を浮かべ、ブルームは隊員にサインをだした。すると、隊員たちが三つのチームに分かれ、それぞれの棟へ突入を開始する。

 その後、三つの隊は香華のメンバーたちを順調に制圧していった。彼らはアジトの一部屋一部屋を、隈なく捜索していく。それからしばらくして、ブルームの隊が首領の部屋を発見した。ブルームは固唾を呑み、ドアのロックにライフルを突きつける。

(ここに、ダミンが・・・・・・)

 完璧な武装、複数の仲間がこちらについているとはいえ、ダミンを相手にするのは中々勇気のいる事であった。それだけ、ブルームはダミンの危険性を理解しているのだ。「万が一」、そう感じてしまうほどに。

 しかし、いつまでもこうしている訳にはいかない。彼は腹を決め、突きつけたライフルの引き金を引き、それから間を開けず、ドアを思い切り蹴破った。

 ブルームが素早く室内に侵入すると、隊員たちも彼に続き、陣形を整え、ダミンとの交戦に身構えた。しかし、

「・・・・・・!?」ブルームは当たりを見渡した。「いない・・・・・・!?」

 急いで無線機を取り出し、他の隊との連絡を試みる。


 強烈なモーター音を放ちながら発車する高級車。その座席にはダミンが、焦燥感に駆られた表情で座っている。

「クソ・・・・・・!どうしていつも・・・・・・俺の計画は・・・・・・!」

 悔しげにそう嘆きながら、ダミンは堅く拳を握った。

 彼を乗せた車は、徐々に加速しながら、アジトの裏口へと向かっている。

「・・・・・・おい・・・・・・もっとスピードを上げろ」

 車の運転手に、ダミンは強い口調で指示した。すると運転手は、額に大粒の汗を浮かべながら、さらにペダルを踏み込んだ。


 先ほどまで絶え間なく発せられていた銃声がぴたりと止んだ。サッチはその耳で、静寂を感じとる。

「・・・・・・」

 香華が制圧されたのだと悟ると、彼はバイクの向きを変え、ソフィーの事務所へと帰ろうとした。

「お、おい!」

 突然、背後で注意を促す声がしたので、サッチは振り返った。

「げ、ゲートが・・・・・・!ゲートが開くぞ!」

 その警察官は慌てた様子でそう叫んだ。見ると、確かに巨大な鉄扉が、ギギギと聞き心地の悪い音をたてながら開放し始めている。

「・・・・・・!?」

 サッチを含む周囲の人々は、その様子に釘付けにされた。そして、ゲートがある程度開放すると、今度は高速で迫りつつあるモーター音が、彼らの耳に届いた。

「うわぁ!?」

 警察官の一人が、悲鳴をあげ、腰を抜かす。その視線の先には、ブレーキを知らない鉄塊があった。


 バギィ!!


 複数の警察官たちが、ゲートから飛び出してきた車を避けられず、接触してしまう。そのまま身体を吹き飛ばし、車は走り去ろうとする。

「マジかよ・・・・・・!」

 目の前に広がる光景に、サッチは戦慄を覚えた。その間にも車は、スピードを緩めず走り続ける。

「お、追え!逃すな!」

 アジトを包囲していた警察官の一人がそう叫ぶと、彼らは続々と警察車両に乗り込み始める。しかし、香華の車は、そんな彼らを待ってはくれない。

 サッチは、自分の方へ接近しつつある車を、唖然とした様子で見つめていた。

「・・・・・・!」

 車がサッチの目前を横切る。その刹那、彼は見た。座席に座る、ダミンの姿を。横顔であったが間違いない。男は、確実に昨日写真で見た大男だ。

 それを見た途端、サッチの身体は、頭で考えるよりも先に動き始めていた。急いでバイクのエンジンをかけ、発車させる。

「野郎・・・・・・逃さねぇぜ!」

 サッチはホルスターから拳銃を取り出し、左手で構えた。「それだけ」、シピとソフィーに交わした約束は、彼の頭からすっかり消え失せていた。


 ブルームは頭を抱えていた。あれから二つの隊と連絡を交わしたが、どの隊もダミンの姿を確認していないのだ。

(留守、だったか・・・・・・?クソ!タイミングの良い!)

 そんな苛立ちを隠せないダミンの下へ、部下から連絡が届いた。

「ああ、俺だ。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・何!?追え!絶対に逃すな!」


 ダミンを乗せた車は、公道を行く他車との間をぐねぐねと縫いながら、加速を緩めず走り続けていた。背後からサイレンは聞こえない。

(逃げ切れるか・・・・・・!?)

 僅かな期待を抱きつつ、ダミンはバックウィンドウを確認した。するとそこには、同じく危険運転を繰り返し、こちらへ接近しつつあるバイクの姿があった。

「・・・・・・!?」

 バイクに見覚えはなかったが、ライダーの雰囲気と、その左手に握られている物に、ダミンの危険信号が反応した。

(・・・・・・銃だと!?コイツは・・・・・・俺を狙っている!?)

 彼の直感は正しかった。後方のライダーは自車との距離を縮めるや否や、こちらへ向けて発砲を開始した。

「舐め腐りおって!」

 懐から拳銃を取り出し、ダミンはバックウィンドウを撃ち破った。そして覗いた場所から、バイクの攻撃に負けじと応戦する。しかし、その抵抗も虚しく散る。次の瞬間、ライダーの放った弾丸が、運転手の肩を貫いてしまった。

「グェッ!」

 被弾した運転手は大きな悲鳴をあげ、その場にぐったりとなった。それによりコントロールを失った車が、スピードはそのままに、道路沿いの建物の壁面に衝突する。

「ぬおぉ!?」

 ダミンはシートに激しく叩きつけられ、全身に強烈な痛みを覚える。しかし、彼には悠長に痛みに喘いでいる時間はない。

「・・・・・・ぐぅっ!」

 歯を食いしばり、サイドのドアを蹴破って外に這い出た。その先で、ライダーが拳銃を構えて彼を迎えていた。

「貴様!」

 ダミンは急いで立ち上がり、拳銃をライダーに向けようとする。しかし、彼が引き金を引くよりも先に、相手の弾丸が自らの獲物に命中し、後方へ大きく弾き飛ばしてしまった。

「くっ!」

「抵抗するな。大人しくしてりゃ・・・・・・まあ、タマに一発撃ち込むくらいで勘弁してやる」

 冷酷な口調でライダーが言った。するとダミンが、額に脂汗を浮かべながら、彼をギロリと睨みつける。

「・・・・・・調子に乗るなァッ!」

「!?」

 ダミンはライダーに対して、目にも留まらぬ速さで飛び出し、拳銃を構える彼の両手を豪快に蹴り上げた。

 空高く、ライダーの拳銃が舞い上がる。彼は、得物が草むらに落下する音を背後で聞きながら言った。

「・・・・・・丁度いい。ずっとテメェのことは、この手でぶん殴ってやりてぇって、思ってたんだぜ」

「何者だ・・・・・・貴様は!?」

 顔面を蒼白に染めたダミンが、悲鳴をあげるようにそう叫んだ。するとライダーは、ヘルメットとライダースジャケットをその場に脱ぎ捨て、彼に対して素顔を晒した。

「・・・・・・!エドワード・・・・・・サッチ・・・・・・!?」

 ダミンは驚きのあまり、言葉を詰まらせた。しかし、すぐに敵意の眼差しでサッチを睨みつけ、威嚇する。

「今は・・・・・・貴様の相手をしている場合ではない!そこをどけ!」

「お呼びじゃなかったか。だが、俺の方はテメェに用があるんだぜ」

「・・・・・・なに?」

「借りがあるのさ俺は、テメェに。一つはエドワード・ティーチの分」サッチはダミンの方へ一歩一歩近づいていく。「もう一つは・・・・・・ローランド・ティーチの分だ!」

 間合いに入り込むや否や、彼はダミンにハイキックを繰り出した。

「チッ!」

 咄嗟に身を屈めることで、ダミンは攻撃を回避する。彼は数歩後方へ退がりながら、崩れた体勢を整えた。そして拳を作り、怒りに震わせる

「この俺に・・・・・・敵うとでも思うか!」

 ダミンは、追い討ちのために詰め寄ったサッチの顔面に向かって、拳を突き出した。すると、サッチは身体を捻り、拳を寸でのところで躱すと、そのままボディーブローをダミンの横腹に叩き込んだ。

 鋭い打撃を受けたダミンが、苦しげに背を丸める。それを隙と見て、サッチは相手の側頭部に殴打を喰らわせようとした。しかし、ダミンは彼の拳を、命中寸前で受け止め、ギロリと睨みをきかせた視線を突き刺した。そして、そのまま巨大な拳を彼の顔面に向けて飛ばす。

「ウガッ!?」

 サッチの身体が、鈍い音をたてながら、後方へ吹き飛んでいく。その背中が、地面に接触すると、ダミンは彼を見下すように言い放った。

「口ほどにもない」

 視線の先のサッチは、ピクリとも動かず、完全に気を失っているようだった。それを見て、ダミンは一瞬、このまま息の根を止めることも考えたが、今は一秒でも惜しまれる事態であるため、気にせず先を急ぐことにした。そして、逃走のために走り出したその時、彼の肩が背後から何者かによって強く引っ張られた。突然の出来事に反応できず、彼は目前に現れた拳を、ただ迎えることしか出来なかった。

「グッ!」

 そのパンチは、ダミンの鼻に命中し、骨をぐしゃりとへし折った。彼の鼻から、血がぼたぼたと流れ出る。サッチは、強烈な痛みに鼻を押さえる彼を見て、口元をニヤつかせた。

「さっきの言葉、そのまま返すぜ」

「え・・・・・・エドワード・・・・・・サッチィ・・・・・・!」

 声の震えは、ダミンの怒りを表していた。彼は飛び出し、サッチとの間合いを一気に詰めると、右フックを繰り出す。その攻撃を、サッチは彼の右腕の内側に腕を入れることで受け止める。するとダミンは、サッチの脚を蹴り、相手が怯んだところで鳩尾にストレートを突き出した。

 彼の攻撃はまだ終わらない。強い衝撃を腹に受けたことで、悶えるサッチの頬を、彼は思い切り殴りつける。そして、とどめの一撃と言わんばかりに腕を強く引くと、大きく弧を描きながら、サッチの顎を捉えるように拳を繰り出した。しかし、サッチはその軌道を、苦痛に喘ぎながらも、強かな目つきで伺っていた。自らに迫り来る腕を掻い潜ると、そのままの勢いを用いて回転し、回転の勢いを用いてダミンの側頭部目掛けて踵を蹴りだした。

 ダミンはサッチのキックを、かろうじて腕で受け止めた。しかし、腕と密着したその耳で、彼はミシリと嫌な音を聞いた。

(重い・・・・・・!?)

 力を押し込まれ、倒れつつある上半身を、彼は数歩の送り足で支えた。その足運びに合わせるように、サッチは数歩間合いを詰めながら、右拳を振りかざした。

(復讐に命を賭せない・・・・・・。俺はたしかにそう言った。今もそう思ってる。だが・・・・・・)彼は昂る感情を拳に乗せた。(こいつは今、俺の拳の届く先に!)

 突き出した拳は、まっすぐにダミンの方へ向かっていた。しかし、ダミンは手のひらを前に掲げ、それを急所に達する前に止める。

「・・・・・・!」

「・・・・・・」

 ダミンは余裕の表情をサッチに見せた。だが、サッチはお構いなしといった感じで、彼の脚に回し蹴りを仕掛ける。

 意識外からの攻撃に、ダミンは回避し損ね、サッチの蹴りがクリーンヒットした。

「グッ!?」

 脚部に奔る鋭い一撃にダミンが怯むと、サッチは改めて相手の頬に向かって、強烈なフックを繰り出した。

(届く先に・・・・・・!)


 バッッッキィイ!!


 その音は甲高く、そして鈍いものであった。間違いなく、最高に決定力のある一撃であった。だが、それをまともに喰らっても尚、ダミンは倒れない。彼は口内から溢れ出る血液を拭おうともせず、歯を食いしばりながら、自らの拳を握りしめる。

「ぬうぅん!」


 ドッッッゴォオ!!


 今度はサッチが、ダミンの攻撃を頬に受けた。想像を軽く絶する衝撃に、サッチはくるりと目を回し、足をふらつかせた。続けて、ダミンが彼の腹に、蹴りを押し込んでやる。

 サッチは数メートル後退った後、膝をついた。一撃の威力が、自分と相手とでは違いすぎる。しかし、引き下がる訳にはいかなかった。腹を押さえながら、彼はダミンの様子を伺う。

(・・・・・・)

 口元の出血は大したものであった。息も若干荒れているだろうか。しかし、総合的なダメージ量では、ダミンに相当分があった。ただ、そうだとしても、今後は手数で勝てばいいだけのこと。

 サッチは震える脚に鞭を打って立ち上がり、ダミンと視線を交わした。両者の眼光は、見つめられれば点火してしまうほど鋭いものであった。両者の熱い敵意が、瞳に宿っているのだ。

「・・・・・・」

「・・・・・・」

 二人はお互いから視線を逸らさず、ゆっくりと横へ歩きながら間合いを測り合った。両者の間に、静寂が訪れる。聞こえるのは、互いの足音のみ。

 睨み合い、攻撃の機会を伺う。




「・・・・・・!」

「・・・・・・!」

 まるで二人にしか聞こえないゴングでも鳴ったかのように、両者は同時に飛び出した。今、第二ラウンドの幕があがる。


 サッチはダミンとの距離が、脚技の圏内に達するや否や、素早い挙動でローキックを繰り出し、直撃の反動を用いて、そのまま腹部にも攻撃を仕掛けた。キックを二発連続で喰らうも、ダミンは怯むことなく拳を振り回した。それを器用に回避すると、サッチはスピンキックを彼の側頭部目掛けて蹴りだした。

 しかし、サッチのキックは、ダミンに出掛かりを掴まれたことで無効化される。そのまま流れるように、彼はサッチの脚を持ち上げ、強靭な腕力で身体ごと振り回すと、硬質な地面に思い切り打ちつけた。

「ッハ!?」

 地面に叩きつけられたサッチは、背中から衝撃を受けたのにも関わらず、胸に強い圧迫を感じた。だが、悠長に苦しんでいる暇はない。相手が次の行動へ移る前に、彼は自身の右脚を掴む手を、左足で踏みつけるようにして無理矢理引き剥がした。そして、側頭部付近に手をつき、跳ね起きることで体勢を整え、ダミンに対して拳を突き出した。

 一撃、二撃と繰り出される打撃を、ダミンはスウェーとガードでやり過ごす。しかし、サッチの本命はそこではない。彼は二撃目が止められたと同時に、右足を相手の顎目掛けて蹴り上げた。

 苦しげな声をあげ、よろめくダミンの後頭部を掴み、サッチは相手の顔面に対して、重い膝蹴りを叩き込む。そして、再度喰らわせようと、膝を引いたその時、ダミンは彼の腕を握り潰す勢いで掴み、自身の頭を持ち上げた。続けて後方へ思い切り引くと、その照り輝く自慢の頭を、相手の鼻に強烈な勢いで打ち込んだ。

 サッチはまるで、鋼鉄製のハンマーで殴られた気分だった。意識がぐらつき、両膝をその場についてしまう。するとダミンは、彼の背後に回り、細長い首を両腕で力強く締めつけた。

「・・・・・・ッ〜!」

 声にならない悲鳴を、サッチの苦閲の表情が叫んだ。それをよしと見て、ダミンは腕の力をさらに加える。

(舐、めるな、よッ・・・・・・!)

 サッチは首を引き、最低限の呼吸を確保すると、片手でダミンの腕を引き離し、もう一方の手で相手の股間を力強く打ちまくる。

「ぬぉぉうお!?」

 急所を襲う猛烈な刺激に、ダミンは驚愕と悲鳴の混ざった声をあげた。その隙にサッチは、彼の腕から脱出し、咳をしつつ呼吸を整えた。

 ダミンは、歯を食いしばりながら痛みを必死に堪えている。

 両者はゆっくりと立ち上がり、荒い息のまま歩を前に進めた。サッチがストレートを繰り出すと、ダミンは身を屈めてそれを回避し、低い体勢のまま、ボディーブローを喰らわせようとした。しかし、サッチは彼の拳が最大まで加速する直前、相手の腕部を脚部で受け止め、横に払った。続けて、再度拳を顔面に向けて振りかざし、相手のガードを誘った。

 ダミンが自分の思惑通りに顔を覆うや否や、サッチはローキックで牽制した後、その流れでサイドキックを彼の腹部に叩き込む。続けて、腰を丸めながら、ずるずると引き退る彼に向かって、サッチは助走をつけ、そのまま高く跳び上がった。その際サッチは、脚を胸の方へ引き寄せ、足の底が相手に向くように身体を横へ傾ける。そして、ジャンプの高度が相手の顔面の高さにまで達した時、サッチは縮めた脚部を瞬時に伸ばし切り、的を思い切り踏みつけた。

「ブッッッ!!」

 ドロップキックをまともに受け、ダミンの口内に血が充満した。しかし、彼はどんなにダメージを受けても、何としても倒れまいとする強い意思で、上半身を逸らしつつ足を踏ん張ってみせる。

 その光景は、サッチにとって非常に不気味であった。まるで、地に足が根付いているかのようにも感じた。ただ、相手も相当弱っている筈。その確信を胸に、彼は急いで地面から起き上がり、相手に走り寄りながら、とどめのハイキックを仕掛けようとした。しかし、彼がキックの体勢に移行すると同時に、ダミンは口内に溜まった血液を彼の両目に向けて噴き飛ばし、視界を遮った。

「ぬわッ!?」

 サッチの視界が真っ赤に染まり、相手を見失う。その隙にダミンは、彼の頬に対して、強烈な一撃を叩き込む。

 しかし幸運なことに、ダミンの一撃はサッチにとって致命的なものにはならなかった。視界を奪われた瞬間、彼は自らに迫りくる拳の存在を敵の足音で察知し、咄嗟に顔面を反らしていたからだ。

 そして、サッチの視界が正常を取り戻す。彼は急いでダミンの姿を探した。だが、先程居た筈の正面に、敵の姿はなかった。

「!?」

 突然、サッチは背後からダミンに抱きつかれた。そのまま、持ち上げられるように上方向へ力が加えられる。

 ダミンはサッチを、後方へ反り投げるつもりだった。しかし、サッチは腰を下に落とし、地面から足を離そうとしない。それを見て、ダミンは何としても地面に叩きつけようと、さらに腕にかける力を加えた。

「ググググググッ・・・・・・!」

「ハァ・・・・・・!ハァ・・・・・・!ハァー・・・・・・アアッ!」

 サッチは、この状態が続けば投げられると悟ると、肘で相手の顎を殴った。すると、自らを抱える力が弱まったのを感じたので、彼はその調子で殴打し続ける。そして、完全に力が抜け切ったことを確認すると、彼はダミンの腕から抜け出し、そのまま背後に回った。

「・・・・・・ッ!」

 するとサッチは、ダミンと同じように相手の腰に手を回し、身体を持ち上げた。

「ウオォォォォォォオッ!!」雄叫びをあげ、力を振り絞る。「ラァッ!!」


 グシャァァアンッ!!


 ダミンの身体がある程度まで持ち上がったその時、サッチは身体を大きく反らし、相手の身体を、頭部から思い切り地面に叩きつけた。

「ァッッッッッ!?!?」

 凄まじい衝撃が、ダミンの後頭部を襲う。彼は今、自分がどんな状態であるか全くわからなかった。彼はただ一つ、頭部に奔る猛烈な熱のみを感じていた。


 夕日が半身を照らす中、サッチは足をよろめかせながら立ち上がった。その視線の先には、大の字で空を仰ぐダミンの姿があった。

「・・・・・・」

 サッチは静かに、ただ静かに、目の前に広がるそれだけを見つめていた。すると突然、ダミンが苦しげに唸り声をあげた。

「うぁ・・・・・・ぁ・・・・・・あ」

 地に手をつき、身体を起こし始める。そして、足をついてゆっくりと立ち上がった。

「・・・・・・」

 その様子を見つめるサッチの目は、穏やかでもあり、激しくもあった。

 ダミンは立ち上がったものの、サッチを攻撃しようとはしなかった。相変わらず目は上を向いており、腕はぷらんと下に垂れている。意識があるのかないのか、そこから把握することはできなかった。

「・・・・・・」

 サッチはダミンに向かって歩を進めた。そして、大木のように風にそよぐダミンを、正面に捉える。

「・・・・・・!ハァッ!」

 鋭く、そして重いハイキックが、ダミンの側頭部を襲った。周囲に甲高い音が鳴り響く。

「ぁ・・・・・・」

 ダミンは最後に、小さく、短い唸り声をあげると、そのまま膝から崩れ落ちるように倒れていった。

「・・・・・・クズ野郎が。キルシーの賞金稼ぎ、そして、エドワード・ティーチの唯一の相棒、黒髪サッチを舐めるなよ」


 パトカーのサイレン音が聞こえる。アジトから逃げ出したダミンを、警察が追ってきたのだろう。

 陽は沈み、空には既に星々が浮かんでいた。サッチは夜空を仰ぎ、静かに呟いた。

「ティーチ・・・・・・。俺、帰るよ・・・・・・みんなの待つ場所へ・・・・・・」

 すると彼は、ゆっくりと沈んでいった。微笑みを絶やさず、安らかに。


 目を覚ますと、見知らぬ白い天井が、網膜に飛び込んできた。彼はぼーっとそれを見つめる。

「・・・・・・?」

 何がどうなっているのか、全く理解できなかった。自分は今、どこにいるのだろうか。なぜ天井を見上げているのか。

 瞬きは、次第に回数を増していった。

「お目覚めかい、サッチ君」

 突然、隣から自分の名を呼ばれたので、サッチは驚きのあまり、横になっていたベッドから身体を飛び起こした。すると、胸部付近に強い痛みが奔る。

「イッテテ!?」

「あーあ、もう少し落ち着かないと。肋折ってんだからよ」

 男はやれやれといった感じで、首を横に振った。痛みに顔をしかめながら、サッチは声の主を確認する。

「あ、あんたは・・・・・・」

「ブルームだ。寝ぼけて忘れちまってたか?」

 ブルームはサッチを揶揄うようにそう言った。

「ここは・・・・・・病院か?どうして・・・・・・」

 サッチは辺りを見渡しながら、不思議そうに言った。

「・・・・・・それは俺が訊きたいね。なんで君は、あの時あの場所へいた?俺はアジトの場所なんて教えなかった筈だが?」

「アジト?」

「・・・・・・君がダミンをどうしたか、覚えているか?」

「俺が、ダミンを・・・・・・?」

 その名を呟いた瞬間、サッチは全てを思い出した。表情をハッとさせ、肩を跳ねさせる。すると再び、折れた肋骨がサッチを苦しめる。

「そうか・・・・・・!そうだったな。全部思い出したよ」

 サッチが肋を押さえている様子を見て、ブルームは一つ大きなため息を吐き、「しょうがない奴」と言わんばかりの表情で言った。

「・・・・・・まあ、君もこんな状態だし、細かいことはよしとするか。それに、結果的に助けられたのは我々だしな。君がいなけりゃ、ダミンをまずまずと逃すところだった。感謝してるよ」

「いいさ。個人的な感情で動いたまでだからな。俺の方こそ、あんたの忠告を無視して悪かった」

 サッチは微笑みを浮かべながら、頭を下げた。するとブルームは、彼に微笑み返しながら言った。

「頭のダミンと、その部下どもを捕らえたことで、香華は無事壊滅した。これで、君も晴れて自由の身だ」

「フッ・・・・・・どうかな?今回のことで、また誰かの恨みを買っちまったかも」

「その時は、また返り討ちにしちまえばいいさ」

「・・・・・・そうだな」

 首を上下させ、サッチは小さく笑った。ダミンは彼の返事を確認すると、椅子から立ち上がって伸びをした。

「さて、仕事も残ってるし、俺はそろそろ帰るとするか」

「・・・・・・その前に一つ訊いていいか?」

「ん?どうした」

 サッチが真剣な表情で視線を送ってきたので、ブルームは上に伸ばした腕を静かに下ろした。

「ローは・・・・・・ローランドはどうなった?」

「なんだ、気になるのか?」

 茶化すようにブルームは言った。しかし、サッチの目の色は依然変わらない。

「・・・・・・」

「・・・・・・ティーチ君なら大丈夫。無事手術も成功したみたいだ。かなりギリギリだったみたいだけどな」

「・・・・・・そうか」

 ローの存命を知り、サッチは緊張した表情を綻ばせる。するとブルームは、ニヤリと口元を浮かせながら、病室の入り口へ向かった。

「訊きたい事はそれだけか?」

「ああ、これだけだ。もう帰っていいぜ」

「・・・・・・生意気なァ」小憎そうな口調とは裏腹に、ブルームの顔は朗らかであった。「それじゃあな、サッチ君。元気で暮らせよ」

「へっ・・・・・・。あばよ、ブライアン・ブルーム」


 ブルームが部屋を後にしてからしばらくして、再び病室の扉が開いた。サッチは、窓辺から入り口の方へと視線を移す。

「おう、シピじゃねぇか」

「シピじゃねぇか、じゃないわよ・・・・・・まったく。ソフィーさんとの約束破って大怪我した挙句、三日も意識を失うなんて・・・・・・」

 部屋へ入室してきたシピは、早々に呆れた口調で言った。

「別にいいだろ?こうして生きてるんだから」

「そういう問題じゃないの。ソフィーさん、すごく怒ってたよ?」

「ゲッ!?マジかよ・・・・・・どれくらい?」

「そりゃもう、カンカンに」

 シピは頭の上で角をつくり、サッチを怖がらせる。すると彼は、顔面を蒼白にさせて言った。

「う、嘘だろ・・・・・・!これがきっかけで依頼料百倍とか言われたら・・・・・・ほ、本格的にヤベェぞ!」

「・・・・・・ふふ」

「・・・・・・?」

「冗談よ、冗談。私もソフィーさんも、そこまで怒ってはいないわ」

 パートナーの怯える表情が可笑しく、シピは笑いを堪えることができなかった。

「な、なんだ冗談かよ・・・・・・!」

 サッチは胸に手を当て、ホッと息を吐く。その様子を見て、シピは小さく微笑む。その表情には、一点の曇りもなかった。


 その後も二人は、当たり障りのない会話を交わし続けた。

「昨日ブルームさんが事務所に来てね、色々聞かせてくれたの。香華の件、もう大丈夫らしいね」

「ああ。これでやっと、肩の凝りもとれる」

 せいせいするといった感じで、サッチは肩に手を当てながら、首を左右に曲げた。

「ここ数日、なにかと大変だったけど、うまく収まってよかったわ」

「・・・・・・そうだな」

 シピの言葉に同意するように、サッチは微笑んでみせた。そんなふうに時間を過ごしていると、院内のスピーカーから面会の終了時間を知らせる音声が放送された。

「いけない、もうこんな時間・・・・・・!」シピは表情をハッとさせて、帰りの支度を始めた。「ごめん、私もう帰るね」

「おうよ、気をつけてな。ソフィーにもよろしく言っといてくれ」

「うん。それじゃ、またね!」

 慌ただしい様子で、シピが部屋を走り去っていく。扉がピシャリと閉まり切ると、サッチはゆっくりと身体をベッドに倒していく。

「フゥー・・・・・・」

 彼は深く息を吐き、白い天井を仰ぎながら、静かに目を瞑った。


 病室のすぐ側にある待合用ソファーに腰を掛ける、一人の女。シピは、その女の方へ歩み寄りながら、静かに言った。

「帰りましょうか、ソフィーさん」

「・・・・・・ええ」


 病院から出ると、辺りはすっかり暗くなっていた。街灯に照らされながら、二人は帰路につく。

「それにしてもよかったんですか?サッチと会わなくて。せっかく来たんだから、少しくらい話してみても・・・・・・」

「・・・・・・今日は、ちょっと勇気が出なくて」

「勇気?」

 ソフィーの言葉に、シピは首を傾げた。すると暗い調子で、ソフィーが付け足した。

「私、サッチに会うのが、今だけはちょっと恐いの」

「え?ど、どうしてですか?」

「・・・・・・彼の目が」ソフィーは立ち止まり、声を震わせて続けた。「彼の目が、ティーチに似てきているから・・・・・・」

「・・・・・・え?」

「その目でティーチと同じ『もの』を『見てしまった』ら・・・・・・そう考えると恐いの」

「ソフィーさん・・・・・・」

 俯くソフィーを見て、シピは居たたまれない気持ちになった。しかし、ソフィーはすぐに顔を上げ、彼女を安心させるように微笑みを浮かべて言った。

「ごめんなさい。ちょっと考え過ぎよね、私」

「・・・・・・」

「でもね、シピさん。一つだけ、確かなことがあるわ」ソフィーは、シピの目を真っ直ぐ見つめながら続けた。「サッチと過ごす時間は永遠ではないわ。いつか必ず終わりがくる。・・・・・・だから、大切にしなきゃダメよ」

 そう言うと彼女は、シピの方へ歩み寄り、優しく抱きしめた。シピはその温もりを感じながら、静かに抱き返す。

「・・・・・・私、あなたが羨ましい」

「・・・・・・私もです、ソフィーさん」


 サッチの退院まで、あまり時間はかからなかった。彼の怪我は、元々治療に時間を用するものではないためだ。しかし、これで稼業を再開できる・・・・・・とはいかず、しばらくは安静に生活しなければならない。退屈な日々が続くが、少なくとも病室で寝ているよりはマシだった。

 退院日当日、彼は病院の手前で、シピに迎えられた。

「よう、待たせちまったな」

「・・・・・・遅い」


 それから彼らは、カフェで寛いだり、ソフィーの事務所へ挨拶に行ったり、JBで夕食を摂ったりして時間を過ごした。一通りやることを済ませると、彼らはトラックを駐車場に停め、就寝の支度を始める。

「明日はローのとこに見舞いでも行くか?お前が来れば、あいつも喜ぶだろうし」

 歯磨き粉で口の周りを真っ白にしたサッチが、明日の予定を提案する。

「いいわね。じゃあ、お見舞い品も探さないとね」

「ああ」

 彼は水を口に含み、うがいをするとそれをバケツの中に吐き出した。口元をタオルで拭い、寝袋を持って運転席に向かう。

「今日は疲れたからな。俺はもう寝るぜ」

「うん、おやすみなさい」

 シピは荷台から去るサッチに、軽く手を振った。そして間を空けず、彼女も自らの寝袋に入り、一日の疲れを感じながら目を瞑った。


「おーい、起きろー」

 サッチは間の抜けた声をかけながら、寝ているシピの身体を揺すった。すると怪訝そうに唸り声をあげながら、彼女が目を覚ます。

「んー、どうしたのよ、こんな朝早くに・・・・・・」

「ちょっと見せたいもんがあってよ。悪いが、ついてきてくれ」

「見せたいものって・・・・・・今、何時だかわかってる?」

 時計を見せながら、彼女は言った。

「だから、今じゃないと見れないんだぜ」

「・・・・・・?」


 サッチはシピを連れて、ある小高い丘に登った。シピは、彼がこんな場所へ連れてきた意図をイマイチ掴めず、キョロキョロと辺りを不思議そうに見渡した。

「こっちだ」

 そう言うとサッチは、彼女に向かって手招いてみせた。見ると、そこには街を見下ろす展望台があった。

「ねぇ、サッチ、ここって・・・・・・」

「まあ、見てな。ほら」

「・・・・・・?」

 シピは、サッチの指の先をなぞり、視線を正面に移した。すると彼女の網膜に、温かい陽光が飛び込んでくる。

「うわぁ、朝焼け・・・・・・!綺麗・・・・・・」

「そうだろ?俺が入院中のとき、看護師の姉ちゃんが勧めてくれたんだ。なんでも、ここで朝日を浴びた二人は、永遠に強い絆で結ばれるらしいぜ」

 鼻高気にそう語るサッチは、手すりに腕を乗せながら、のんびりと街を見下ろしていた。

 シピは、展望台のすぐ傍に、ロケーションに関する情報を記載した看板を見つけたので、そちらに目を移した。看板には「愛慕の丘」と書かれており、この場所が恋愛スポットであることが確認できた。赤面させつつ、物言いたげな目で、彼女はそれを見つめ続けた。

「いいもんだな」

「え?」

 突然サッチが感動を漏らしたので、シピは咄嗟に訊き返した。彼の視線から、その賛辞の対象を悟ると、シピも頷いてみせる。

「うん、凄く綺麗」


「俺さ、今回の件でわかったことがあるんだ」

 シピの横顔を見つめながら、サッチは静かに言った。首を傾げ、シピは彼の視線を仰いだ。

「気づいたこと?」

「大したことじゃないぜ?だが・・・・・・みんな、それぞれ「俺」に求める「俺」は違うんだなって」サッチは視線を下ろし、それに続けた。「今まで考えたことなかったんだ、そういうこと。自分の生きたいように生きられたら、それで満足だった。でも今は、向けられた期待に応えたいって、そう思ってる」

「・・・・・・そう」

「やっと理解できた気がするんだ、ティーチの『あとは任せた』って言葉の意味が。フッ・・・・・・俺、あいつに似てきてんのかな?」

 その言葉を聞いて、シピはハッとした。脳裏にソフィーの言葉が蘇る。

(その目でティーチと同じ『もの』を『見てしまった』ら・・・・・・)

(恐い・・・・・・!)

 シピは心の中で静かに怯えた。そんな彼女の様子には気づかず、サッチは朝日に背を向けて言った。

「さて、もう十分眺めたことだし、そろそろ帰るとしようか。なぁ、シピ?」

「・・・・・・いかないで」

 呟くように小さな声量で彼女は言った。しかし対象の耳には届かず、サッチはそのままスタスタと歩き去ろうとしている。すると彼女は、彼の手を握り、強引に引き止めた。

「・・・・・・?なんだ?」

「私を置いて、いかないで・・・・・・」

「・・・・・・おいおい、どうしたんだよ、ホントに」

 サッチが困惑していると、シピは吐き出す息に想いを乗せるようにして言った。

「ソフィーさんも言ってたわ・・・・・・。あなたの目が、ティーチさんに似てきているって。だから、恐いの・・・・・・」次第に、シピの声と肩が震えだす。「あなたが、私の前からいなくなってしまう、そう思うだけで、私・・・・・・」

 彼女は泣きだした。手放してしまわないように、サッチの手を強く握りしめながら。

「シピ・・・・・・」

 真剣な表情で、サッチはその名を呼んだ。

「・・・・・・」

「なーに言ってんだよ」

 微笑みを浮かべ、サッチは彼女の手を引きながら走りだした。

「・・・・・・!?」

 突然引っ張られたことで、シピは前傾姿勢になった。しかし、彼女のことなどお構いなしといった感じで、サッチはスピードを上げていく。

「さ、サッチ!?」

「心配しなくても、どこへでも連れていくさ。それが、お前の求める『俺』なんだからな」

 彼は振り返り、眩しいほどの視線をシピに向けた。すると彼女は、当たる風に涙を任せながら、小さく笑い返した。

「・・・・・・うん!」

 降り注ぐ日差しは、まるで祝福するかの様に二人を照らした。


(見てるか、ティーチ。俺が昔、お前を必要としたように、俺は今、シピに必要とされている。そうやって繋げていきたいんだ、ローもソフィーも巻き込んで・・・・・・お前の優しさを)




 昼時に賑わう繁華街の、少々入り組んだ裏路地に、バラバラとした足音が響く。

「ハァ・・・・・・!ハァ・・・・・・!」

 エンテシア州立拘置所から脱走した二人の男たちは、猛烈な勢いで迫り来る「影」から全速力で逃走していた。

「クソッ!なんで諦めねぇんだ!」

 二人の男のうち、片方が背後を振り返りながら事態を嘆いた。もう片方は、疲労からか顔をぐしゃぐしゃに歪めている。

「こうなったら、二手に分かれてやり過ごすしかねぇ!お前は左へ行け!」

 左右に分かれた通り道を発見すると、饒舌な方の男が叫んだ。すると無口な方の男が、静かに頷いてみせる。彼らは手筈通り二手に分かれ、追跡者の対処を試みた。


 無口は汗をダラダラと流しながら、豊満に肉づいた腹を揺らした。彼の視線の先にあるのは、眩く照り輝く大通りへの出口。それを見て、彼はラストスパートと言わんばかりに両足を素早く動かした。そんな彼の正面に、あの「影」が現れる。

「ウヒッ!?」

 悲鳴をあげたと同時に、何者かの拳が、彼の顔面を砕いた。どしんと音を立てて倒れる男を横目に、「影」は呟いた。

「こっちは片付いた。そっちも絶対に逃すなよな、サッチ」


「グェアッ!」

 苦しげに声を漏らしながら、後方へ吹き飛ぶ男を見て、「影」は呟く。

「まったくよ。雑魚相手に随分と時間かけちまったぜ」

「て、テメェ、ナニモンだ!オレをコケにしやがって!」

 男の激昂に、「影」はチラリと視線を送ることで応える。

「ん?知りたいか?」

 振り返り、ニヤつかせた口元を男に見せつける。「影」は深く息を吸うと、親指で自らを指して言った。


「俺の名前は、エドワード・サッチ。賞金稼ぎだ」

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ブラザーフッド @Badguy

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