第弍部 第十六話 嵐の前の静けさ

「のお影虎よ、お主これからどうするつもりじゃ」


上田城へと至る道中、長尾影虎と馬を並べて走っていた上杉憲政は突然こう切り出した。


聞き返さずともその意味は分かる。

そもそも影虎は表向きには、越後を乗っ取るために謀反を起こして誅殺されたことになっている。


そして、輝虎本人が死亡しているという前提の上に成り立っていたその五年に及ぶ成り代わりは、当の輝虎が伊達政宗となって生き永らえていたことが発覚した時点で、これ以上続けるのは無理があるだろう。


ここで、影虎の前には二つの選択肢がある。

一つは再び名を変え、成り代わりの事実そのものを無くしてこのまま越後の国主を続ける道。


そしてもう一つは、本来の正当な後継ぎである輝虎に国主としての地位を譲り、自分は大罪人として断罪される道だ。


「……心のどこかで、輝虎がもし生きていたなら、越後を譲ることも考えていました。…あいつは俺よりもずっと才能があって、人の心を掴むのが上手い。…天才でしたから」


「…影虎…」


それは紛れもなく、天才・長尾輝虎の弟として生まれ、その背中を追い続けた影虎の本心からの言葉だ。


だがしかし。


今の彼はもう、単なる天才の弟ではない。


今の影虎には、絶対的な存在たる兄を失ってなお5年にわたって、自らの才覚を頼りに越後を守ってきた自負がある。 


「…ですが、今日会って確信しました。狂気に堕ちた輝虎に、越後を渡すわけにはいかない。……憲政様。輝虎との決着は、私に付けさせてください」


「しかし影虎よ、もしお主が敗れれば越後は…」


「安心してください、憲政様。…周りがどう思っていたのかは知りませんが……今までだって一度も、あのバカに剣技で負けたことはありませんから」



兼続の復活とともに、上杉軍右翼は本営の許可を待たずして信濃中央部へと移動を開始した。


他の戦線の戦況など、ましてや武田信玄率いる精兵部隊の参戦による左翼前線の大幅な後退など分からない状況下で、兼続と義銘のこの判断は最終的に、この大戦の行方を大きく左右するものとなる。



そして日付は変わり、三日目。


上杉軍左翼は長尾輝虎、表向きには伊達政宗率いる伊達軍と武田軍精兵部隊による山地攻めが始まり、両軍の主力である騎馬隊が活かし辛い攻城戦が主なこの戦場はしばしの膠着が見込まれる。


そして右翼、ここは織田軍が未だ後方から動こうとしないこともあり、もともと右翼に入っていた越後軍に変わり上杉軍の西方部隊が警戒線を敷くという形でこちらも膠着状態に陥った。


それならばやはり、この戦いの均衡が破られるとすれば、武田軍四万強と上杉正規軍による中央軍の戦場となる。


しかし武田軍中央は、これまでの火を噴くような苛烈な攻めを展開していた二日間とは打って変わって消極的な姿勢で三日目に入り、そのまま自分たちから仕掛けることはしなかった。


それもそのはず。

三国同盟側からすれば輝虎の伊達軍が主攻であり、彼らが上田城までの道程に存在する三つの山城を落とし切ってから一気に猛攻をかけ、右翼側との両輪で上杉軍を殲滅するというのがシナリオである。


それ故自分達から動く必要などなく、逆に相対する上杉軍中央が同軍左翼に向けて援軍を送ることがないよう、目を光らせておけばよかった。


つまり彼らの中で、この三日目から数日の間は”消化試合”のような認識であったのである。


しかしここの戦術の仕掛け合い・読み合いに関しては、やはり兵法家としての顔も持つ上杉憲政に、というよりも彼の戦術を叩き込まれた中央軍の指揮官たちに軍配が上がった。


二日目の終わりに武田軍の精兵五千が離脱したことを知った彼らは、すぐさまこの戦いの主戦場が上杉軍左翼となったことを悟り、敵中央軍の明日以降の動きについて予測を立てた。


やはり流石と言うべきか、それは、武田軍中央が描いていた三日目以降の展望と概ね同じものであった。


そして、本来敵の攻撃に対し守勢に回るはずの彼らは。


この三日目に序盤から攻撃陣形を取り、なんと武田軍騎馬隊に対して討って出たのだった。


まさか守る側の上杉軍が自分たちから攻めてくるなどと考えもしなかった武田軍に対し、上杉憲政が自ら考案した対騎馬用の集団戦術”石嵐”で仕掛けた上杉軍は、武田軍の主攻を担う騎馬大隊をその標的とし、またこれを散々に討った。


しかし、やはりタダでやられる武田軍ではない。


半ば一方的になりつつあった三日目の中央軍の戦況に待ったをかけるようにして、真田幸村は彼の私兵隊「玉槍」五百騎を率いて上杉軍に突撃を仕掛けた。

そして混戦のどさくさに紛れて、幸村は現場指揮をしていた上杉将、その中でもただ一人前に出過ぎていた上杉重政を討ち取ったのである。


上杉軍中央に入った将として剛柔のうち柔の役割を担っていた重政の損失は、上杉側にとってもかなりの痛手となった。


しかしそうは言っても、防衛戦だと本来持て余してしまう騎馬戦力をふんだんに投入して行われた上杉側の攻勢は、大いに成果を上げたと言っていい。


結果的に武田軍中央はこの日、その主力となる騎馬大隊のうち4割ほどを失ってしまったのである。


総括して中央軍のこの三日目は、互いに痛み分けという形で日没を迎えた。


そして三日目も終わろうかとしていた深夜に、武田軍はその半数以上が上杉軍中央との戦線から離れ、本国の甲斐へと蜻蛉返りしていった。


それは無論、背後で大軍を興して甲斐攻めを始めた今川・北条軍に対処するためである。


二万五千ほどの武田軍が夜の闇に紛れて一斉に後退を始め、上杉軍はそれを追うことはしなかった。


が、しかし。

真田幸村とそれに付き従う十人の臣下たち、のちに真田十勇士と称される猛者たちの姿がその中に無いことを知る者は、武田軍の中にさえほとんどいなかった。



そしてこの三日目、上杉軍本営では。

右翼から最短距離で駆けてきた早馬によって、ついにあの”凶報”がもたらされた。


「……伝者よ、今…なんと申した…」


あまりの衝撃に呆然とする本陣の将校たちに向けて、同じく大粒の涙を流しながら、その伝者は叫ぶように言う。


「ハ……う、右翼にて織田軍迎撃に当たった暴雷騎兵団からの報告です……!うぐっ、…う……」


「…その次だ、もう一度申せ……そんな、バカな…誤報に決まって…っ!」


「…ふぐっ……よ、義道様、討ち死に……右翼にて討ち死にでございます……!!」


影虎の右腕にして越後国第一将であり、上杉軍とも長らく共同戦線を組んできた歴戦の剛将。


北畠義道討ち死にの報せである。


本営の中でこの報せにもっとも動揺を見せたのは、やはり影虎であった。


兼続に次いでの長期間、側近として彼に仕えていた義道に対し、影虎は武将としても人間としても心の底から信を置いていた。


だからこそ、織田軍一万五千に対し越後軍九千という数的不利を背負う戦場を、義道に任せることができたのである。


その全幅の信頼が殊更、影虎の心を大きく打った。


「…影虎よ、儂も義道には大いに助けられた。お主の気持ちは分かるつもりじゃ。しかし今は…」


「ええ、分かっています。…右翼に、すぐに全軍で上田城まで来るよう伝令を」


「ハッ……右翼ですが、こちらの判断を待たずして、全軍で既にこちらに向かってきているようです」


その言葉に、影虎を含め本営将校たちの間でざわめきが起こる。


「なっ、なに!?右翼め、我々に判断を仰ぐことなく独断で動いたというのか!」


「しかしこれは逆に助かったぞ!ここから右翼に早馬を出しても、最短で半日以上かかってしまうからな」


その言葉に、憲政も頷きながら応える。


「その通りじゃ。そのおかげでこちらは、右翼を含めた軍略を一日以上巻きで展開できる。…しかし義道を失ったというのに、右翼のこの判断の速さはなんじゃ…」


「……右翼にはまだ、直江兼続、そして北畠義銘という二将がいます。彼らは年齢こそ若いですが、その才は同世代の将らと比べても抜きん出ている」


「…そうか。長尾の懐刀に、義道の倅か」


「ええ。…それでは、先程決めた配置に付くよう全軍に号令を出しましょう。…明日、こちらから戦局を動かす一手を打ちます」





















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