第弍部 第十四話 黄金世代

北条氏照。


彼の名は、戦国時代の中期から後期にかけて数多くの文献に登場する。

戦国の大天才、上杉謙信・武田信玄らの派手さに隠れてそこまで名は広まっていないものの、その勝負強さ、そして勇猛さは同世代の彼らに勝るとも劣らないものがある。


そんな若き才能と、戦国時代前期を彩った猛将の一人である真田信綱の対決。


世代交代を示せるか否か。


先手必勝。北条軍先鋒の将を倒して敵の出鼻を挫こうと自ら飛び込んだ真田信綱ではあったが、その狙いを読み切っていた氏照は。


「行くぞ、北条の若武者よ!!!」


「…オオオッッ!!!」


読み切った上で、それを正面から捩じ伏せた。


二人が交錯したまさにその瞬間。


勝負は、瞬き一つの間に決した。


目にも止まらぬ速さで繰り出された信綱の金色の槍ごと、氏照の矛が炸裂した。


「のっ、信綱さ——ギャアアアアっ!!」


「こいつら、まさかこの勢いのまま……!!」


後ろに控えていた彼の側近たちも、主君が討ち取られたことを認識する間も無く、濁流に飲みこまれる形で成す術なく散り。


北条氏照とその後ろに続く彼の直下兵「紫電」は、敵将を討ち取った勢いそのままに突き進んだ。

その様子は、敵部隊の中を文字通り割りながら進むといった凄まじい光景。


武田の誇る伝統の力を、新進気鋭の若き力が完膚なきまでに叩きのめしたそれは。


それはまさに、若き力の台頭を。


長尾影虎に始まり、北条氏照に武田信玄や織田信長ら——黄金世代の台頭を、天下に示す一撃であった。



まるで、そんな一刀と共鳴するかのように。

一人の若き才能が、死の淵から舞い戻ろうとしていた。


二日目の午前に致命傷とも言える重傷を負って戦線を離脱した、直江兼続である。


一時は心肺停止にまで陥った彼ではあったが、後方での上杉医師団の治療によってなんとか窮地を脱し、あとは意識さえ戻れば……というところまで持ち直していた。


「…兼続は戻れそうですか、冥闇先生」


重苦しい空気の中口を開いたのは、黒狼の副隊長を務める兼続の親友、橋本雄一郎。


そして眠り続ける兼続を挟んで彼の向かいに座るのは、東洋医学の第一人者として名高い上杉家お抱えの医師である冥闇。


冥闇は今まで何百人という上杉家の要人を治療し、東洋医学の本懐である根本医療に限らず、どちらかと言えば西洋的な対症医療も得意とする。


しかしそんな冥闇をもってしても、現在の兼続の状態を説明することはできなかった。


「…肉体的には、後はご本人の気力次第ではあります。それ以上のこと——なぜ目が覚めないのか、そこに関しては私からは何も言えません。……雄一郎さん。あなたに一つお聞きしたいことがあります」


「……なんでしょう」


そのただからぬ雰囲気に、さしもの雄一郎もゴクリと息を呑んだ。

先程までの優秀な医師としてではなく、冥闇の持つもう一つの顔。


研究者としての冥闇は、兼続の身体が持つ異常性に強烈に惹きつけられていた。


「兼続さんの回復力は”異常”の一言に尽きます。…副官のあなたなら、何か知っているのではないですか」


「…何か、とは?」


「…ここに運ばれてきた時、たしかにあれは致命傷でした。本来助かるようなものではなかった」


「ええ、ですからそれは先生の——」


「私が治療の準備を済ませて戻った頃には、すでに傷の端が繋がりかけていました。……ハッキリ申し上げて、アレは…人間のそれではない」


その言葉に特に驚いたような様子も見せず、雄一郎はゆっくりと答える。


「…冥闇先生。それが直江家です。…それ以上は、踏み込まない方がいい」



得てして、国主を守る”懐刀”の役割を果たす家柄とは特殊な血統を持つ。

直江家はその中でも特に異質であり、古くにはあの中臣鎌足や藤原不比等などが挙げられるほどの名門である。


兼続や彼の父・兼豊の持って生まれた軍略の才は間違いなくその血が関わっているだろう。


しかし彼らは、さらに強さを求めた。


それまで政界の中で野蛮だと遠ざけられてきた武闘派の家から特に規格外の武人を選りすぐり、直江家の才女に充てがうことで文武を併せ持つ人間を求め、”創り”続けた。


より強く、より賢く、よりタフな人間。


五百年に渡って名家の中で行われ続けたその禁断の品種改良は、ついに日の目を見る。


直江家の最高傑作にして、最大の汚点。


人間としての禁忌に踏み込んで得たその力は、全て主君を守るために。


直江兼続の身体は、目醒めるための最後の段階に入ろうとしていた。



ハッと目が覚め、辺りを見回すと。


そこには、よく見慣れた光景が広がっていた。


御靖城にほど近い、直江家の屋敷の自室。


なんだここは。俺はたしか、信濃に援軍として向かったはず。


よくよく自身の身体を見てみると、明らかに身体が小さいのだ。


まさかここは。


「…俺、死んだ……?」


走馬灯、もしくは天国か…?


いつもの鋭さはどこへやら、目を点にして全力の焦りを見せる兼続。


しかしそんな困惑は、次の瞬間には一気に吹き飛ばされた。


「…まだ寝てろ、与六。昨日熱が引いたばかりだろう」


聞き慣れたはずの、どことなく幼さが残るもハスキーな声が頭上から降ってくる。


そしてペシっと額をはたかれると、反射的にそちらを睨みつけた兼続は……その場で固まった。


与六とは、兼続の幼名である。


本来なら元服と共に名前を改めるところを、最期の戦場に赴く父・兼豊が彼に兼続の名を与えたのだ。


そして、それ以上に。


黒曜石のような漆黒の瞳が、兼続の両の目をしっかりと見返す。



「かっ……か、か、影虎様……!!?」































  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る