第壱部 第十一話 決死の追撃

最初に”それ”を視認したのは、朝倉軍の歩兵部隊だった。

騎兵が先頭に立って後方を気にせず進む速度重視の行軍において、必然的に歩兵は最後尾となる。

はるか前方を走る騎馬たちに必死に追いすがりながら、ふと1人の兵士が後ろを振り返り。目を見開いて、その場で立ち止まってしまった。


「おい、お前何してんだよ!…後ろ?……一体何があるって…」


釣られて振り返る、複数の歩兵たち。


そこで彼らは目にした。

数刻前に自分たちが通ってきた山の斜面に巻き起こる何かを。


それは、凄まじい量の砂塵。


“それ”を起こしているのが何であるのかはもはや明白だ。


「おい連絡係、今すぐ孝景様の本隊へお伝えしろ!」


その声にこちらを向いた連絡用の騎兵が、どうした、と問う前にその後ろの砂塵を見て事情を察し、血の気が引いた顔で前を向き直る。


「こ、後方から敵多数接近。おそらくこの先の山岳地帯で追いつかれると!」 



両軍の反応は、まったく真逆のものとなった。


「前方に敵歩兵を視認、おそらく朝倉の最後尾だ!ついに捉えたぞお前たち、もっと速度を上げろ!」

「傷も癒えていないのです、あまり無茶は…!」


しかしその声に反応することなく、輝虎は前を向いたまま馬の腹を蹴り、さらに馬速を上げた。

その有無を言わさぬ様子に、後ろを走る隊員たちも腹を括るしかなかった。


「…オオオッ、輝虎様から離されるな!喰らいついていくぞ白虎隊!」

「うおおおっ!」


輝虎を先頭に朝倉軍の背後へ迫っているのは、越後軍内で最強と名高い輝虎の直下兵、白虎隊1500。


彼らの持ち味の一つに、その圧倒的な速力が挙げられる。

これらは騎兵の最大の武器である機動力を大きく底上げすると同時に、今回のように単なる速さ比べとなった時には、まさしく天下に比肩するものなし。彼らの独壇場と言えるだろう。


日の出前には越後を発ち、それから一度の休息もなく走り続けた朝倉軍だったが、移動中も全体の陣形をなるべく崩すことのないように気遣いながら走っていたため、どうしても速度を落とさざるを得なかった。

しかしそんな朝倉軍とは違い、本隊は一応連れてきてはいるもののそれらを半ば無視して先を急いできた白虎隊は、その時間のアドバンテージすらも覆したのだ。


そして、現在。


「ッッ、……蹴散らせえ!!!」

「と、止めろお!!」


開戦から五日目の昼、輝虎を先頭とした白虎隊1500と朝倉軍歩兵団5000が激突した。

この時点で孝景から歩兵団に下されていた命令はたった一つ、「一刻でいいから輝虎の足を止めて時間を稼げ」というその一つのみだ。

孝景からすれば、歩兵団が輝虎の足を止めればその分先に布陣する時間ができ,さらに策を練る時間もできる。

言ってしまえば、後続の歩兵たちはそのための捨て石にすぎないのだ。

無論彼らとしても、あの”天才”輝虎が率いる白虎隊を自分たちで倒せるなどとは思っていない。

孝景からの命令を忠実に守る歩兵団の布陣は、最初にぶつかる最後尾に盾兵を何重にも配置。

その後ろから槍隊が突き刺し、さらに後方から弓隊が雨を降らせるという、対騎馬へのお手本のような基本戦術。


しかしただ刻を稼ぐだけなら、奇を衒わってはいけないというのが戦歴の長い彼らの知恵だ。


そう、たしかに最善だ。

普通の敵を相手にする上では、この判断は紛れもない最善手である。


が、しかし。


白虎隊は、そして何よりそれを率いる輝虎は。

普通の敵、ではない。


「突っ込んでくるあの男が輝虎だ、盾兵絡め取れ!奴は手負いだ、止まったところを確実に仕留めろ!」

「てっ、輝虎様!あまり突っ込まれては……!」


指揮官のその声に、前列の盾兵たちが一斉に輝虎に向き直って構える。


「バカめ、手負いの単騎で我らを突破できるとでも思ったか!やはり若いなあ輝虎!」


そう言って意気込む歩兵たち。が、次の瞬間には。


「……邪魔だ」


真っ先に飛び込んできた輝虎がひとたび矛を振るうと、幾重にも重ねられた盾の防陣は粉々に打ち砕かれた。

呆気に取られた現場の指揮官がハッと我に帰るまでの間にも、輝虎は盾兵たちを軽々と蹴散らしていき。

今やその後ろに控える槍兵たちに届く勢いで、彼は敵軍の中を進んでいった。


「お、おい歩兵隊!修復急げ!これ以上中に入られては……ギャアアアッ!」

「ま、まずいぞ……もう盾兵たちが…!」


ついに輝虎が槍兵の塊に到達する。盾兵は完全に前だけを向いている輝虎に対して、背後からの攻撃を仕掛けるか前方の破損部分を修復するか逡巡し。


その一瞬の思考の隙間を縫って、破壊された部分を修復する間もなく白虎隊がなだれ込んだ。


混乱により乱れた敵の防陣を内側から食い破りながら、一切速度を落とすことなく尚も進み続ける白虎隊の姿は。

それに立ち向かおうとする歩兵たちの戦意すらも、完全に叩き折ってしまうほど圧倒的なものだった。


そうして、輝虎たち白虎隊が朝倉歩兵団と交戦した時間わずかに5分程度。


結果的に、孝景が目論んだ歩兵団による足止めほぼほぼ叶わず。

賀岳城の手前にある山岳地帯、高野堂峠にて、2人は相見えるのである。



最後の決戦の舞台となるのは、心臓破りといわれる難所・高野堂峠。


元越中領と越前領の国境に存在する過酷な山岳地帯に存在し、急勾配な獣道を抜けると一転して広大な台地が広がり、そこから真後ろに森に囲まれた絶壁がそびえ立つ。

本来は通行人はおろか、山伏ですら避けて通るような険地である。


この危険地帯を、孝景は敢えて決戦の地に選んだ。


向かってくる敵からこちらの布陣は急勾配の斜面により見えず、背後からの急襲など仕掛けるだけ自殺行為の高野堂峠。

自分たちも自ら袋小路に追い込まれると言うデメリットこそあるものの、こと迎撃というその一つに絞ることができれば、これ以上に優秀な場所はない

「孝景様、各隊配置につきました。……しかし本当にこの布陣でよろしいのでしょうか」


惣兵衛の言葉に孝景は頷き、立ち上がって答える。


「ふっ…案ずるな、惣兵衛。儂には数十年に渡る戦場での経験がある。いくら奴に才能があると言えど、輝虎なぞの青二才に負ける儂ではないわ」

「恐れながら、孝景様。……実際に奴の戦いを目の前にして実感しましたが…アレは、人間ではありません」


ほう、と孝景は目を見張った。長い付き合いで惣兵衛のことはよく知っている。


この男は、こういう時に決して誇張はしない男だ。


それ故に、右腕として全幅の信頼を置いている。その惣兵衛をして、ここまで言わせる男がいるとは。


「そうか、やはりそれほどの男か」

「ええ、間違いなく……おや殿、今日は久方ぶりにとても楽しそうでいらっしゃる」


言われて気づく。自分でも知らず知らずのうちに、口角が上がってしまっていた。


「ああ、やはり楽しいぞ。強き漢との殺し合いは。儂はこれより楽しいことを知らんからな!ガハハハハッ!!」


そんな孝景の様子に、惣兵衛も思わず笑いが込み上げてくる。

気持ちがいいほど”武人”だ、このお方は。

和やかな空気の2人だったが、物見からの報告ですぐに現実へと引き戻された。


「報告!歩兵団は壊滅し、敵騎馬隊が麓付近まで迫っているとのこと!……は、旗には虎の文字があったと!」


虎の文字。まさか。


「そんな、バカな……誤報でしょう。輝虎は腹部に銃弾が貫通していました。間違いなく致命傷、運が良くても数日は起き上がれないはず…後方で指揮を取るならまだしも……よもや馬で駆け、戦うなどできるわけが…」


さしもの惣兵衛も、これには度肝を抜かれた。が、主の孝景はこれにも動じることはなく。まるで、輝虎が出てくることがわかってきたような様子で腕を組む。


「殿は、分かっていらっしゃったのですね」

「もちろんな。……ここで来るのが、長尾輝虎だろうて」


心なしかしみじみとした口調でそう言うと、孝景は兜を深く被り直した。無数の傷が刻まれた、鬼の顔が模された鎧兜。


「鬼武者、朝倉孝景。再び貴方様が刀を振るう姿を見られるとは…今日は、なんと良い日なのでしょうか」

「またこれを付ける日が来るとは、儂も思ってもおらんかったわ!だがなあ…」


そこで一度言葉を切った孝景は、刀を天高く振り上げ。


「儂の40年を超える戦歴の締め、最後の大舞台はここじゃあ!朝倉のもののふどもよ、貴様らの後ろには常に儂がいる!越後の虎を、必ず打ち砕くぞお!!」


「「オオオオオオオオオオオッ!!!!」」


地を震わせるほどの、士気の爆発。その熱気は当然、すでに勾配に差し掛かっていた輝虎たち白虎隊の元へも。


「輝虎様、奴ら相当に士気を…!」


そう来ることは分かっている。そしてこの後、奴らがどう動くのかも。

全ては計算のうちだ。


孝景、お前の敗因は。


俺を敵に回したことだ。


「……お前たち、あれに当てられるなよ。既に分かっているとは思うが…昼までだ。やるぞ!」



「「応!!!」」



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