無題の夏、黄昏の彼方

猫耳妖精

第1話

「空、綺麗だな。」

「本当に綺麗だね〜。」


 見上げる先には無限の星空。こんな山奥だと遮るものもないから六等星だろうと結構見える。


 隣の少女、天宮真夏あまみやまなつは星を繋いで三角形を描いている。


「……ねえ、あおい。」


 急に名前を呼ばれて驚く。流れ星でも見えたんだろうか?


「本当によかったの?今更ではあるけど。」

「いいよ別に。むしろ真夏と一緒にこういうことするの久しぶりだから結構楽しんでるよ。」


 お互い高2ということもあって前みたいにはっちゃけたことをする機会も少なくなってきてたから、アイツの方から「旅に行こう」なんて誘ってきてくれたのは正直好都合だった。


「それにブレーキ役は必要だろ?」

「あははっ、それはそうだね。」


 真夏がアクセル全開で突っ走って、俺がそれを何とか止める。それが日常だったし、今回の旅もきっとそうなると思った。

 

「そうだ葵、写真撮ってよ。」

「生憎と昼にカメラの電池切れてるから撮れない。すまんな。」


 本当は予備バッテリーがあったけど、取り出すのが面倒だから断った。

 真夏はただ一言「そっか」と呟いて横を向いてしまった。寝るんだろう。

 ふと顔に水滴のような物が見えたけど、気のせいということにしておいた。



 ——違う。

 気のせいということにしておきたかった。

 そうでも思わないと耐えられなかった。


 俺は今でも思い出す。あの旅を。


 全てが裂けて、全てが始まった旅を。

 

 


 8月。肌を突き刺すような日差しに嫌になりながらも私は駅のベンチに座っている。何故こんな場所にいるのかというと、私の親友が村に帰ってくるのを待っているからだ。

 無事か心配だったけど、つい最近帰る気になったらしく、今日駅に着くそうだ。


「葵まだかなー。」


 ベンチに座ってその友人、葵を待つ。


(何かお土産とかあるのかな。)


 そんなことを考えて数分。ホームに電車の走行音が響いてきた。


「おっ!」


 ベンチから飛び出してホームを進む。


 葵も迎えの存在を察してか電車の中で降りる位置を調整している。

 やがて電車は甲高いブレーキ音を立てて私たちの前に止まる。ドアが開いて、汗を拭いながら葵が降りてくる。


「お帰り、葵。」

「ただいま。」


 簡潔な挨拶だった。もう少し明るく返すと思っていたから面を食らう。


「こっちには何日くらい居るの?」

「3日くらいですぐ帰るよ。お盆が終わったら次の撮影があるから。」


(むぅ、短いなぁ……。)


 1週間くらいは居るものだと思ってたから残念だ。まあ昔のようにはいかないか。


「じゃ、その間はしっかり休んでってね。」

「うんうん!ここは葵の故郷なんだから!」

「ありがと。お言葉に甘えてしっかり休ませてもらうことによ。」


 そうして駅のホームを出る。葵の両親は買い物してから帰るとのことで、私と葵だけが残される。


「さてと、夕飯までに色々行ってみるか。」

「いいね!行こ行こ!」


 葵の提案に乗ってみる。私も見たいものはいっぱいあるし。

 そして私たちはゆっくりと動き始める。



 そうして午前10時。長いこと歩いてきたが、ようやく目的地に着いて少し休む。


「結構距離あったな……。」

「駅からは初めてだったから結構キツかったね……。」


 目の前には白亜……には程遠い薄汚れた母校の校舎。学校説明の時にこんな説明がされた時には思わず笑いそうになってしまったが、愛着の沸いた今となっては馬鹿にしにくくなってしまった。

 流石に入るわけにもいかないので、フェンス越しにグラウンドを眺めてみる。夏休みということもあって、野球部やサッカー部が汗を流して走り回っていた。


「本当頑張ってんな。」


 無論ルールなんてお互い微塵も知らないが、その光景を見るだけで十分に頑張っているのは伝わってくる。


「私たちはこういうの1ミリもしてこなかったし余計にね〜。」


 自分の「アオハル」を思い返すが、やっぱりそういう思い出は見つからない。何にも精を出さずに、楽しいと思うことをやってただけだ。

 けど、別に後悔とかはそんなにない。あの日の景色は綺麗だったし、葵といるのは楽しかった。

 ただ一つだけ、それがあるとすれば……


「おや、珍しいお客さんだね。」


 突然声をかけられてびっくりする。見るとそこには、しわが多い初老の男性が立っていた。


「——もしかして、小鳥遊先生ですか?」

「小鳥遊先生だ!久しぶりです!」



 小鳥遊先生。私たちが高2の頃の担任で現代文の先生だ。定年も近い人だが、その熱意と知識量は凄まじく、生徒と先生の両方から非常に頼りにされていた。かくいう私たちもよくお世話になっていたから今でも頭が上がらない。


「ふふっ、こうして会うのは何年ぶりだろうね。」

「卒業式以来なんで5年ぶりですね。卒業式の次の日には村飛び出してそのまま帰ってなかったですから。」

「お別れの挨拶もしてくれなかったしね!」


 先生は少し驚きながらも、すぐに落ち着きを取り戻す。流石と言うべきか。


「そうか……もう5年もか。」


 言葉にすれば一瞬だけど、それはとても長い時間。私でさえ少し感慨深くなってしまった。

 一瞬の静寂を断ち切って先生が口を開く。


「立ち話もなんだしちょっと話して行かないかい?もちろん冷たい飲み物も用意するよ。」


 願ってもない提案に思わず笑みが溢れる。丁度校舎に入りたいと思ってたところだし。

 これを葵も了承して、私たちは久しぶりの「登校」をすることにした。


 

 午前10時30分。久しぶりの校舎は6年前とそんなに変わったところはなく、まさに「実家のような安心感」と言うべきやつを体感できた。

 そして今はクーラーの効いた国語科の職員室でゆったりしている。気分はまさにオアシスだ。

 

「本当この校舎変わらないですね。」

「こんな田舎だと予算もないからね。仕方ないことだよ。」


 10数年前に耐震工事をして以降、業者が入っての作業とかは校庭の木の剪定以外だと殆どないらしい。確かに私も見たことがない。 


「でもまあ、そういうところがここのいいところな気はしてるよ。いつだって変わらないものってのは心を落ち着かせてくれるしね。」

「そういうの先生が言うと重みが違いますね。」


 葵は苦笑いして、


「だとしたら、俺の毎日は落ち着きなんて皆無でしたね。」

「なっ!その言い方はないでしょ!」


 確かに色々やらかしてはきた。授業の抜け出しから始まり、調理実習での暗黒物質の錬成、水鉄砲合戦による校舎水浸しなど犯罪以外のヤバいことは大抵やってきている。一年で書かされた反省文は数え切れない。

 とはいえ屋上とか教室でゆったりした時もちゃんとあったと言うのにこの男は……!


「確かに、天宮さんが日々色々やって後で君と一緒に謝罪に来るのはもはや恒例行事だったね。」

「幼馴染の宿命ってやつですかね。それに——」


 葵は少し目を細めて笑いながら、


「正直、俺自身も結構楽しんでたんで。同罪だったんですよ。」

 

 突然の自白にポカンとしてしまう。そして同時に嬉しかった。やり過ぎたと思うときはあったけど、楽しかったと言ってくれるなら何よりだった。

 先生も笑い出す。しわが余計に深くなって、まるで昔話に出てくる翁のようだ。


「そうかそうか。こんな友人を持てて、天宮さんは幸せ者だったね。」

「うんうん!今でも本当幸せです!」


 葵も変わらず笑っている。

 けど、その目から先程まであった光は消えていた。ほんの僅かな変化だったけどそれを察知してか先生の顔もしわが浅くなる。


「……ああ、すまない。少し配慮が足りなかったね。」

「いえ、大丈夫です。そのために帰ってきたようなものですから。」


(——そっか。)


 しばらくの沈黙の後、お互い落ち着くために珈琲を飲んで、汗を拭う。私も飲みたかったが、無理なので諦めることにした。

 一息ついた辺りで、先生の方から話題を切り出す。


「ところで、水月くんは今何を?」

「今は写真家やってます。大学2年の時に今の師匠の写真に一目惚れして、中退して弟子入りしました。」


 大学辞めてたのは驚きだが、そうしてでも追いたい物が出来ていたならよかったと思った。


「ふむふむ。確かに君は写真撮るの好きだったし、写真家は向いてるのかもね。」

「実際結構楽しくやらせてもらってます。師匠もいい人ですし。」

「なら良かった〜」


 楽しくやってるようで安心する。


 一息空けて、葵が話を続ける。


「いつかは個展とか開きたいって思ってます。その時は是非招待させてください。」

「おっ!いいのかい!教え子の晴れ舞台に読んでもらえるなんて光栄だよ。」

「先生には返しきれないご恩がありますから。これでも全然足りませんよ。」


 先生は照れながらも嬉しそうにしている。やっぱり教え子にああして貰えると嬉しいものなんだろう。私も似たようなことしたらあんな反応して貰えたのかな。

 そうこうしている内に葵はいそいそと荷物を整理し始める。


「もう行くのかい?」

「はい。知り合いと会う約束があるので。」


 1分もかからずに準備を終わらせて、簡潔に挨拶を済ませて立ち上がった。

 

 そして、今まさに職員室を出ようとしたその瞬間。


「あっ、そうだそうだ。君に伝えたいことが2つほどあったんだ。」


 何かを察したように葵が硬直する。空気感から私も大体なんの話かは察した。


「——天宮さんのお父上の裁判、もうすぐ終わりそうなんだって。色々余罪が見つかってかなり長引いたけどようやくだと聞いたよ。」


 予想通りだったが、少し言葉を失った。

 葵も体は硬直したままだけど、その手は僅かに震えて、顔はこれまで見たことがない程張り詰めていた。


「行かなくてもいいのかい?」

「はい。俺がけじめを付けるとしたらそれはそこじゃないので。」


 即答だった。それ程までに彼の決心は強く、揺らがない。それは本来嬉しいことなのかもしれない。

けど、


(もっと、自由にして欲しいのに。折角いい職業に就いてるのに。)


「で、二つ目はなんですか?」


 顔を向けずに質問を返す。きっと見られたくないんだろう。

 先生も気遣ってか一呼吸空けて、ゆっくりと話し出す。


「こっちは私のお節介みたいなものさ。君は『黄昏の彼方』って言い伝えを知ってるかい?この村だけで伝わってるようなローカルな物だけど。」


 聞いたことない言い伝えだ。私が知らないってことは葵も知らないだろうけど、一応葵の表情を伺う。


「黄昏の彼方?」

 

 案の定知らなかったようだ。知識的に上を行かれてなくて少し胸を撫で下ろす。


 先生はやっぱり、という表情をして、


「どうする?少し長くなるけど聞いていくかい?」


 葵は時計を確認した上で、先生の方を向き直す。


「会う時間は言えば遅くしてくれるでしょうからいいですよ。で、なんなんですかそれ。」


 先生は少し微笑んで、真っ直ぐ葵を見つめる。


「三、四年くらい前から広まった話なんだけど——」



午後2時。先生との話を終えて、今は市街地の方へと歩いている。目的は知り合いに会うためだ。勿論ただの知り合いではない。私たちの盟友とでも言うべき奴だ。


 葵の表情はあまり優れない。ご飯食べてる時も今日の花火大会のポスターを見た時も心ここに在らずといった感じだった。やっぱさっき聞いてきたことが……。


 そんなことを考えているといきなり葵が足を止める。


「ん。もう着いたんだ。」


 ちょっと驚いて私も動きを止める。

 私も私で心ここに在らずだったようだ。気付いたらもう目的地に着いていた。


「着いたな……またこの装飾進化してないか?」


 真っ先に目に入ってくるのはネオンで装飾されたドデカイ看板。店名の「MUGEN」と書かれたそれは昼間というのに騒々しく光っている。

 そしてその眩しさから目を背けた先に待っているのは2m弱くらいの狸の置物とそれと肩を組む騎士の甲冑。どこからツッコめばいいのやら……。

 

 その他大小様々な混沌が生まれているが、もう見なかったことにしようと思う。

 

「おー来たかロリコン。」


 いきなり店内から罵倒が投げられる。普通ならこれでお巡りさん案件だが、生憎これは目的である知り合いの声だ。そしてこの罵倒も身長147cmの私と毎日絡んでたから付いた葵のあだ名だ。


「もうその呼ばれ方すら懐かしいや。久しぶり、ゆい。」


 唯と呼ばれた女性が店から出て来る。その端正な顔立ちと黒檀のような黒い髪からは学生時代と変わらず氷のような印象を受ける。実際滅茶苦茶冷たいヤツだし。


「また装飾増やしたの?」

「相変わらず父さんの趣味でね。最近どっかの民族の魔除けの仮面とか買ってきてたけど、不気味過ぎてこっちが呪われそうだわ。」


 肩をポキポキ鳴らしながら愚痴のように呟いている。そりゃこんなものと一緒に暮らしてたらそう言いたくもなるか。


 雑貨屋「夢幻堂」。その代名詞とも言える特徴的な装飾は店主である唯のお父さんによる物だ。その奇抜さ故にテレビの取材も受けたことがある。


「まあ入っていきなよ。親も居なけりゃアンタが欲情するようなロリも居ないから。」

「ちょ!アンタ葵を何と思ってんのよ!」

「俺は別にロリコンじゃねぇよ!」


 葵も必死に反論する。

 それを見て唯はニヤついて、


「ようやく笑ってくれた。アンタ今にも死にそうな顔してたから。」


 まさかの真意に私たちは一瞬戸惑う。アイツがそんなこと考えているとは微塵も思わなかった。


「ちょ、そんなフリーズしなくてもいいでしょ。」

「「いやそんなに成長してたら流石にビビるわ……」」


 こちらも思わずハモってしまう。

 6年前なら単純な罵倒でしかなかっただろうに……。時の流れは本当に恐ろしい。


「とにかく入って。アンタとは積もる話もいっぱいあるんだし。」


 強引に手を掴まれて、葵が店内に引き摺り込まれていく。

 店先の扇風機の風が当たって、唯の黒髪がなびいた。


(綺麗だなー。)


 不意にそんなことを思ってしまう。

 先程の心遣いも合わさって、その姿は彼女がもう大人になったんだということを伝えていた。


 私たちとは違うということを示しているようだった。

 



 午後3時半。目の前で氷菓を貪る唯を俺は恨めしそうな目で見つめている。


「やっぱり夏は涼しい店内でアイス食べるに限るわ〜。」

「いいのかそれで……お客さん入ってきたりしても大丈夫なの?」

「大丈夫よ。表の看板CLOSEDにしてあるから。」


 斜め上の解決方法だった。こんなんで経営大丈夫なのかと気になるが、テレビなどのおかげで売り上げはむしろ好調らしい。


「で、積もる話って具体的には何?」


 店に入って1時間半。すぐに話が始まるのかと思えば倉庫の整理を手伝わされ、それが終わってもこれで一向に話が進まない状況に痺れを切らして強引に切り出す。

 唯の回答は単純だった。


「決まってるでしょ。6年前のアンタたちの逃避行についてよ。」

「それは何度も説明……」


 言い終わらない内から唯が物凄い剣幕で反論してくる。


「あんな事務的なのどこに聞く価値があるのよ!私が知りたいのはなんでアンタたちがそんなことをするに至ったかなの!やったことだけ淡々と聞かされても何も嬉しくないの!」


 それを聞いて、唯も変わってなかったと思った。成長しても、やっぱりまだアレに囚われてたんだ。


「分かった。でもお前が期待してるような長い話ではないぞ?それに決して幸せな話なんかじゃない。」

「こんな話に期待するようなこと何もないわよ。さっさと始めて。」


 それを聞いて、覚悟を決めて話すことにした。

 

「夏休みが始まったばっかの時に、真夏が俺を旅に誘ったのが始まりなのは勿論知ってるよな?」

「うん。そのままアンタたちが4日間行方不明になったのは知ってる。で、それは何でなの?」

 「そりゃ——。」


 突然口から言葉が出なくなる。

 アイツの本心なんて結局よく分からないところが沢山だし、それを推測で軽々しく話していいかも分からなくなる。

 突然黙ったのを怪しがってか、向こうから質問してくる。


「やっぱり、『虐待していたお父さんからの逃亡』なの?」

「——それは違う!」


 自分でも信じられないような大声が出た。唯を驚かせてしまったけど、これは何としてでも否定しなければならない。

 息を吐き切るように言葉を繋げる。


「アイツ、旅の中で腹の傷見せてくれたんだ。青痣とかやけどだらけですっげー痛々しかった。けどさ、アイツ『お父さんのことは恨んでない』って言い切ったんだ。」


 唯が目を丸くする。


「そんな酷い怪我をしてても恨まなかったって……じゃあ何でそんな旅を?」

「俺も分かってない。けどアイツは自分が父親の邪魔だったって考えてたのかもなって思ってる。」

「……どういうこと?」


 突拍子のない話だったから引かれないか心配だったけど杞憂だったようだ。気にせず説明を続ける。


「真夏の父親がああなったのって、お母さんが病死して、そこに失業が重なってドン底に叩き落とされたからだろ?それで、自分は重荷でしかないだろうから、いっそ消えてしまおうって考えたんじゃないかなって。」

「確かにアイツ、そういうの抱え込むタイプだったしね。私たちに何も言わずにバイト増やして家計の助けになろうとしてたし。」

 

 お互いしばし虚空を見つめる。

 そんな真夏の父親は、虐待のみならずその他多くの犯罪に手を染めてしまっていた。それはいくらドン底に落ちていたとはいえ許されるものではない。


「……だとしたら、本当報われないわね。」

「だとしても、アイツにとってはたった一人の大切な肉親だったんだよ。」


 結局、俺たちはアイツのことを何一つ分かってなかったんだろう。だから、あの時も——

 考えを察したのか、唯が即座にフォローする。


「もしアンタがこれになんか責任とか感じてるなら、それは絶対にアンタが背負うもんじゃないわよ。」

「……ありがと。」


 そう言ってくれるのは嬉しいが、それでも俺の中には後悔が今も在り続けている。

 唯は不服そうな顔をしながらも、この話を切り上げようと立ち上がる。


 俺も沈黙の中で時計を眺める。気付いたらもう4時を回っていた。もう準備して行かねば。


「黄昏の彼方?」

「……よくわかったな。」


 ピンポイントで当てられるとは……。そこまでわかりやすかったかと反省しながら準備を続ける。


「そんだけ時計をチラチラ見てたら流石に気付くわよ。しっかしそんなオカルトに頼るとはね。」

「……。」


 手が止まる。確かにこれで救われる保証はない。けど、もうそれに賭けるしかない。

 向こうもそれを察したようだ。


「まあ確かに、それくらいしか方法ないかもね。」


 一瞬の間が空いて、


「いってらっしゃい。」

「ああ、行ってくる。」


 その見送りと共に、最後の目的地への一歩を踏み出した。

 



 午後5時30分。

 徒歩で行くにはかなり距離があったがあと少しだ。石段を一段一段踏み締めて登っていく。


 その間頭の中ではずっと、あの旅の情景が浮かんでいた。


 話を持ちかけられたあの屋上。

 2人で歩いた廃線の線路。

 持ってきた食料が尽きたから即席釣竿で釣りをした川。

 囲んでマシュマロを焼いた焚き火。

 寝袋に入りながら眺めた満天の星空。

 

 気のせいなんかで片付けようとした涙。

 吐いてしまった最低な嘘。

 そして——

 

 その果ての——


 そうこう考えている内に石段を登り切っていた。

 急いで目標の場所へ向かう。


 早る心を何とか抑えつつ、大量の墓を合間を縫って、たった一つの墓を探す。

 それは今はウチの両親が代理で管理してて、少し離れた場所にあるらしい。



 探すこと数分。ソレは見つかった。

 最近母さんが刺したのであろう花から甘い匂いが流れて鈍く佇んでいる。今この瞬間に限っては吐きそうになる匂いだった。


 そこに5年も経ってようやくこの場所を訪ねれたことへの不甲斐なさと申し訳なさも相まって、思わず跪いて哭いてしまう。



 墓石に刻まれた名前は———



 




 ——天宮真夏。




 届かない思いが流れる。


「ごめん……止めれなくてごめん……。」


 あの日俺は睡眠薬で眠らされて、その合間に真夏はナイフで首を掻っ切った。その後、捜索してた大人に俺と真夏は見つかって、後でそれを聞かされた。


 みんな「お前は悪くない」と言ってくれた。

 けど、

 何処かで睡眠薬を見つけていたら。

 何処かでナイフを見つけていたら。

 何処かで目的に気づいていたら。


 あの時、ちゃんと写真を撮っていれば。


 そんな考えが、ずっと脳を巡っている。


 そんな「もしも」を何とか拭き取って、現実を直視する。

 そして最後の希望に賭ける。


「起きてくれ……『黄昏の彼方』……!」



 「黄昏の彼方」、それは8月の黄昏時の終わりかけ、即ち午後6時から午後7時頃に、会いたい死者の墓に行けばその霊と会えるというものだ。

 先生から聞いた話では数年前から何人か「会えた」と証言する人が現れたらしい。だが墓参りの多いこのシーズンでほんの数人しか証言する人がいないのだから所詮は眉唾物なんだろう。

 

 それでも縋るしかなかった。それ以外では俺の後悔を晴らせないから。


 あの日の嘘を、愚かさを償えないから。


 けれど既に数分経っているが、状況に大きな変化はない。当然の帰結だろう。


「……線香、あげとくか。」


 立ち上がって墓前へ向かう。

 

 ふと、背後から風が吹き抜けた。この時期には珍しい、涼しく乾いた風だった。

 何故だか気になって後ろを向いた。

 


「よっ、葵。」

「……え。」


 凛とした茶色の肩までかかる髪と、それに似た色の丸く愛らしい瞳。旅の時と同じ無地の白いボロい服に身を包んだ、真夏がそこに立って、いや「浮いて」いた。

 

「え?なんで……」

「葵が言ってたでしょ。『黄昏の彼方』だよ。」


 ため息をついて、真夏は話を続ける。


「まあ『会える』ってよりは『見えるようになる』って感じみたいだけどね。」


 その言葉に引っかかりを覚え、即座に問いただす。


「ならお前——。」

「うん。今日1日ずっと一緒にいたよ。何度も声はかけてたんだけどね。」


 言い切る前に衝撃的な回答が返ってきた。


「こうなってからはずっとお墓の周りしか自由に動けなかったんだけど、昨日辺りから村の中なら自由に動けるようになってね。今思えばこのためだったのかもね。」


 真夏は軽々しく言い放ったけど、その寂しさは計り知れない。6年近く独りぼっちだなんて、俺には絶対に耐えられない。


「辛くなかったの?」

「全然。葵に与えちゃった辛さの方が何倍も重かっただろうから、その償いだと思えばね。」


(ああ……そんな……。)

 

 こうなっても尚、彼女は俺を想ってくれていた。

 その事実はとても嬉しいと同時に、心を深く貫いた。


「……ごめん。」

「ん?どうしたの?」

「……あの時、写真本当は撮れたのに撮れないなんて嘘吐いてごめん……あの時、ブレーキ役になれなくてごめんっ……!」


 後は全部嗚咽だった。全ての後悔が嘆きとなって夕映の空に昇っていく。


 一通り吐き終えると、真夏も口を開く。


「止めてくれなかったことは別に気にしてないよ。何があっても私は死ぬ気だったし。けど、写真は撮って欲しかったな。最後に葵に残してあげたかったし。」


 そんな思いも汲み取れなかった自分を悔いる。

 

 けれど、真夏は満面の笑みで、


「だからさ!今撮ってよ、写真。」


 優しい声で、そう提案した。

 

 最も端的で、最も俺の心に届く言葉だった。


 その一言を俺は待っていたのかもしれない。6年間かけて欲しかった、けれど絶対にかけられることはないその言葉を。


「……ありがと。」


 上手く言葉が口に出ない。けど、


 目を閉じて、それを噛み締める。

 全ての悔恨が溶かされていく。


 喪失の悲しみも、救えなかった後悔も、吐いてしまった嘘も、感じていた責任も、全てが消えて止まっていた物が動き出していく。


  

 そして目を開いて、決めた。

 何があってもこの最後のチャンスを無駄にはしない。最高の一枚にしてやる。


「霊を撮るなんて初めてだけど、ベストを尽くしてみるよ。」

「常にベストを尽くすのがプロってもんでしょ?」


 最もな意見だった。我慢出来ず笑いを溢しながらテキパキと準備を進める。

 時間はもう7時近く、時間切れになりそうだったが何とか間に合わせる。


「よし撮るよ!」


 と、カメラを構えたその時。


 突然、爆音とともに夜空に大輪の花が咲き誇った。


「——そっか。今日花火大会だったな。」

「わー綺麗!例年にも増して綺麗に見える!」

 

 昼間見たポスターにそんなのがあったと思い出す。そしてふと思いついた。


「そうだ!真夏、ちょっと動いて!」


 意図を察したようで、真夏も嬉しそうに動く。

 そうして花火を背に、真夏が話し出す。


「……さっきは葵が謝ったから、今度は私ね。葵は私が旅したのはお父さんのためだって言ってたけど、それは理由の半分。本当は私らしく生き切ってから死にたかったの。」

「……じゃ何で俺を誘ったの?」


 真夏らしく旅したかったのなら、1人でだって問題はないように思える。

 真夏は遠くを眺めて視点を外して、


「……私が私らしくあれた時は、いつも葵が一緒に居てくれたから。要はただのエゴなの。そのせいで葵を6年も苦しませたならせめて謝らせて。ごめん。」

 

 瞬間、理解した。あの時わざわざ睡眠薬を飲ませた理由。アレは後々俺が罪に問われたり、そういう目で見られないようにするための真夏なりの精一杯の優しさだったんだろう。

 

「いいよ別に。確かに苦しかったけど、その分今報われてるから。」


 ——そんな子をどうして怒れるんだろう。

 それに、


「それに、俺らは同罪だろ?」

「……!」


 今度は真夏が驚く。

 俺たちはお互い日々を楽しんで、お互い苦しめあった。そんな同罪の人間同士で、今互いを許し合えた。ならもう互いを縛るものは何もない。


「葵の癖にカッコいいこと言うじゃん。」

「『葵の癖に』は余計だよ。」


 お互い笑い合って、俺はカメラを構える。画面越しの彼女はぼやけてて、上手く映るか分からない。


 そして空に一際大きい花火を背後に、満面の笑みを向ける少女の顔を、確かに世界から切り取った。



「真夏ー!撮れたよ!」


 画面を確認しながら真夏に呼びかける。上手く写るか分からなかったけど、ちょっとぼやけたくらいでちゃんと映っていた。

 

「真夏……?」


 その透けていた体はさらに透けて、手先はもう見えなくなっていた。時刻は7時を超えてる。「黄昏の彼方」の奇跡ももう限界なんだろう。


「ここまでみたい。だから、最後に伝えとくね。」


 改まった表情で、手を広げて、

 飛び込んで抱きしめてくる。


 昔でさえしなかった行為にドキッとしてしまう。真夏もそれは同じなようで、顔が凄く赤くなってる。それでも何とか落ち着かせたようで。


「葵と一緒にいるのは楽しかったよ!大好き!」


 高らかにその想いを叫び切る。


 そして静かに光の粒になって、花火と一緒に消えていった。


「逝った……のか。」


 完全に昇天したんだろう。恐らくもう「黄昏の彼方」でも呼び出せないはずだ。


 残された俺は、1人空を眺めて呟く。


「最後まで自由な奴だな、本当。」


 吹き抜けた風が、頬の雫を払っていった。

 それが涙だったのか汗だったのかは、よく分からなかった。





 そうして、数年経った今。


「よう葵!元気か?」

「師匠!お久しぶりです!」


 この数年で写真家としてそれなりに名を上げた俺は、都会で初めての個展を開くことになった。無論、小鳥遊先生を始めとしたお世話になった人達もちゃんと招待出来た。


「しっかしその若さで個展とはすげぇな。俺の時はもう5年はかかったぞ。」

「周りの助けてくれる人といい景色のおかげですよ。俺だけならこうは行きませんよ。」


 師匠は笑いながら、土産の饅頭を置いていく。結構美味しいと評判の店のもので、ささやかでも祝ってくれているのを感じる。


「ところでよ。お前がこの個展でメインにしてたあの写真のことなんだが。」

「……どうかしました?」


 師匠とは言えあまり話したくないのだが、流石に答えなければならないか。


「いやすっげぇいい写真だと思うぞ。後ろのきれーな花火が目を引くけど、それ以上に手前の空白に惹かれる何かがある。あんなのそうそう撮れるもんじゃねぇ。」

「あ、ありがとうございます。」


 そこまでベタ褒めされるとは思ってなかったから素直に嬉しい。やっぱ最高傑作というだけはある。


 浮かれる俺に、師匠が疑問を投げかけくる。


「俺が気になってんのは、あの写真をどうやって撮ったのかってことだ。普通に撮ったってああはならないはずだ。」

「ん——それは企業秘密ですね。こればっかりは師匠にも言いたくないです。」


 師匠は一瞬狐につままれたような顔をして、


「はははは!一丁前な口を聞くようになったな!」

 

 大笑いしながら背中を叩いてきた。結構強く叩いてくるから骨が折れるかと思った。


「わかったわかった!これ以上は聞かねぇよ。ただその代わり今度なんか奢れよ!」


 弟子に奢らせようとする師匠ってどうなんだとも思ったが、この秘密を話すよりはマシだと思った。


「俺のお財布事情ちゃんと考えてくださいよ!」


 帰っていく師匠にせめてもの抵抗はしたが、聞こえたかどうかは分からなかった。行く時には結構降ろしとくか……。



 そうして師匠も居なくなって数分。鞄からカメラを取り出して、カメラロールを眺める。この個展でも使っている故郷の写真が何枚も流れていく。

 そうして少しすると、目的の写真が見つかる。


 大輪の花火を背景に、満面の笑みをこちらに向ける少しぼやけた少女、真夏の写真。

 あの後あらゆる媒体にあの写真を移したが、真夏の姿だけは全て消えてしまっていた。今回の個展で使っているのもその一枚だ。


 唯一、「黄昏の彼方」を体感したこのカメラだけが、その姿をギリギリ残せていた。


 この写真を出すかはかなり悩んだ。けど間違いなく自分の最高傑作の写真だったし、一つの区切りとなるこの個展で出したくもあったから、結局出すことにした。


 それに真夏も目立つのが好きだったし、許してくれると思う。


(しっかし懐かしいなぁ……。)


 今となっては旅だけでなく、あの再会すら懐かしいもののように感じてしまう。そんな時はいつもこの写真を見て思い出すようにしている。いつまでも「天宮真夏」を忘れないために。今見ているのだってその一環だ。


 この写真を見ると毎回思うことがある。


 これは悲劇でもラブストーリーでもなくて、ハッピーエンドにもなれなかった中途半端な物語だ。

 けどそんなものを閉じ込めた夏だからこそ、淡く青くて綺麗だと思える話として残るんだと。


 この写真はそんな物語の結晶だ。


 だから、この写真の題はこれに決めた。








「無題の夏、黄昏の彼方」に。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

無題の夏、黄昏の彼方 猫耳妖精 @Fei1221

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ