小説家きぬやまサトの誕生

烏川 ハル

第1話

   

 あなたの作品を出版したい。

 その言葉をSNSの秘匿メッセージで目にした時、私は自分の頬をつねりたくなった。

 現実感のないボーッとした気持ちのまま、メッセージを読んでいく。

 SNSでも交流のない、完全に見ず知らずの他人。差出人は出版社に勤める編集者だった。とあるコンテストの一次選考通過リストで私の作品を見つけて、読んでみたら気に入ったのだという。

「編集長とも相談したところ、弊社がお金を注ぎ込む価値があると判断されました。そのままでは出版できないので、かなり書き直していただく形になりますが、いかがでしょうか。きぬやま様と弊社とで協力して、素晴らしい本を作り上げて、出版しましょう!」

 最後まで読み終わる頃には、私は無意識のうちに右手を掲げて、心の中で叫んでいた。

 苦節三年、ついに小説家きぬやまサトの誕生だ!



 小説家になりたい。

 その気持ちが芽生えたのは、小学生の頃だった。子供向けに翻案されたミステリー小説ではなく、その元となった大人向けの文庫本を読むようになった時期だ。

 大人が読むような作品を子供のうちから読んでいれば、いずれ私も、そうした小説が書けるに違いない。そんな荒唐無稽な理屈で、将来の大作家を夢見る子供だった。

 学校行事のハイキングで、隣県の小さな山へ出かけたのも、ちょうど同じ頃だったはず。「きぬやま」と書かれた標識を見て、友だちが私をからかった。

「お前の名前みたいな山だな!」

 私の本名は絹川だが、日本には昔から「山と問われたら川と答える」という合言葉もある。そんな連想からの冗談だったのだろう。

 そう、単なる軽い冗談だったのだが……。

 その時、ピンときた。

 将来、小説家になったら「きぬやま」をペンネームにしよう、と。


 それから二十年以上の歳月が流れて、三十代も半ばになった頃には、昔の夢もすっかり忘れていた。大人になった私は平凡なサラリーマンであり、読書量も子供の頃と比べたら激減。通勤途中で読む文庫本程度になっていた。

 そんな私がかつての夢を思い出したのは、たまたまインターネットで、小説投稿サイトの存在を知ったからだ。

 世の中には、作家を目指してせっせとインターネットで小説公開する者がたくさんいるのだという。なるほど、私が小さい頃には、プロの小説家になって本を出版する以外に作品公開の場はなかっただろうが、今はインターネットの時代だ。素人でも簡単に、投稿という形で自分の小説を他人に読んでもらえるのだ。

 そうした小説投稿サイトには出版社と提携しているコンテストがあったり、投稿作品が出版関係者の目に留まることがあったりして、そこから作家デビューする者もいるらしい。

 ここで、私の中の「小説家になりたい」という気持ちが再燃した。小説投稿サイトに登録すれば、私もすぐに作家になれるような気がしたのだ。

 インターネットは原則として匿名の世界であり、本名を使うのは危険だという。だから苗字は絹川ではなく「きぬやま」とした。子供の頃から「作家になった時のために」とあたためていたペンネームだ。

 下の名前は、本名のさとるからとって「サト」。サトだけならば女性名っぽいし、男性名のサトルやサトシの省略とも考えられる。男性とも女性ともわからぬ曖昧さが、妙に気に入っていた。

 しかし「きぬやまサト」は、すぐにはプロ作家になれなかった。小説投稿サイトに登録して三年、色々なコンテストに応募してみたが落選ばかり。一次選考を通過することはあっても、二次選考より先へは進めない。「私の実力はこの程度だったのか」と諦めかけた今になって……。

 ようやく、作家デビューの話が舞い込んできたのだ!

   

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