燃焼

 ミサキに送って欲しいと頼まれた場所は、県内のホテルだった。てっきり宿泊先かと思いきや、


「えっ……と……?」

 

 和式のツインルームに広々とした机が二脚。アタッシュケースを二つも三つも運び込んでいる、ミサキとよく似た風貌の女が二人――。


「……長波さん。そちらは?」


 女の一人が、タクミに訝しげな目を向けた。


「ご協力いただいていた警察の――」

「タクミです。一応、乗りかかった船なので、最後まで付き合おうと……」


 女たちは顔を見合わせ、呆れたように言った。


「律儀な方ですね。ですが、ここから先は――」

「承知の上です。バッジがあった方がなにかと楽なのでは、と」

「たしかに」


 女二人は、また顔を見合わせ、順に言った。


玉波たまなみミサキです」

清波きよなみミサキです」


 マジかよ、とタクミは(長波)ミサキに振り向いた。


「公共安全局にはミサキさんしかいらっしゃらない?」

マル波チームなだけです。お気になさらず」


 ミサキは慣れた様子で奥の寝間に移り、座布団をふたつに折った。


「照会が終わるまで時間もありますから少し仮眠を取ります。お力を借りるとしたら――明朝、八時以降でしょうか。それまでお好きなように」

「お好きなようにって――」

「外出されても構いませんし、ここで過ごされても問題ありません。ただし、時間に遅れても待ったりはしませんので、そのつもりで」


 言って、座布団に頭を乗せたかと思うと、すぐに規則正しい寝息を立て始めた。

 タクミは、黙々と机に文房具やらパソコンやらを広げる○波二人に尋ねる。


「……お手伝いできそうなことは?」

「いえ」

「ありません」


 にべもない。タクミはスマホの目覚ましアラームをセットし、部屋の隅で横になった。あまり気持ちの良くない仕事とは何だろう――。

 その答えは、朝一番に明らかになった。


「車で回れる距離に三人も住んでいるというのは、僥倖といっていいですね」

 

 助手席のミサキが、膝上のタブレットで地図を見つめて言った。

 

「……そりゃそうかもしれないですけどね」

 

 タクミはハンドルに手をかけたまま中指を伸ばし、ワイパーのレバーをひとつ下ろし、上げた。雨粒の細い線がフラントガラスに二重の半円を描いた。


「サークル名と、ペンネームでしたっけ? それだけで、どうして、いま住んでいる場所まで分かるんですかね」

「さあ。データベースと歴史、我が国全体に広がる根っこがなせる技でしょうか」

「根っこね……それでも一晩は凄い。凄すぎです。今度ウチで事件が起きたとき、そのデータベース借してください」

「普通の事件では何の役にも立ちませんし、少しばかりセキュリティクリアランスの高い情報なので、お貸しできません。褒めても何もでないという奴ですね」


 ミサキは地図から目を上げて言った。


「あのマンションみたいです。駐車場に入れてください」

 

 県内では比較的新しい高層マンションだ。周辺からは富裕層と見られているが、実態は少し余裕がある程度の人々が暮らしている。特に、目的の三階あたりは――。

 

「はーい……えっと、どちら様ですか?」


 エントランスのインターフォンから聞こえてきた、あからさまに不審がる女性の声音に、ミサキはため息をつきつつカメラに映るよう名刺を出した。


「公共安全局の長波ミサキです。ご協力をお願いしたいことが――」

「協力……?」

逢夢堂おうむどう端空端喰はしからはしばみさんで間違いありませんか?」

「―――!?」


 ヒュッ、と息を飲む姿が目に浮かぶようだった。


「な、な、なんですか!? なんなんですか!? 警察呼びますよ!?」


 端空端喰こと里中さとなかユエ――旧姓・鈴木すずきユエが悲鳴じみた声を上げた。ミサキに冷めた視線をくれられ、タクミはバッジをカメラに見せた。


「一緒に来てます。お疑いのようでしたら署に確認していただいてもいいので、少し、ご協力をお願いできませんか」

「へ!? え!?」


 狼狽。まるで犯罪者のようだ。協力を依頼されているのに。

 

「……で? ……から……? バレ……」


 幽かに聞こえてくる声に、ミサキが冷え冷えと告げた。


「今ご協力いただけない場合、後日、正式な召喚状を出してご家族から同意を――」

「か、家族!? 家族は関係ないでしょう!?」


 訂正しよう、とタクミは思う。どちらかといえば犯罪者まがいはこっちらしい。

 家からでてきた端喰女史をホテルに送り、また次の家に。やっていることは拉致監禁と大差ない。

 タクミはバックミラーに映る最後の一人の、この世の終わりを見たような顔から目線を切った。

 いつのまにか、県内の三人以外に二人も連行されてきていた。

 

「急にお呼び立てして申し訳ありません。ですが、事態は一刻を争います。みなさんも過去が露見する前に日常に戻りたいはずです」


 ミサキが淡々と言う。


「……これ、覚えておいでですよね?」


 古いゲームのCDに、集められた面々が身を固くした。


「……それ、じゃあ……え!?」

 

 ほとんど同時に互いを見合い、何かを察したようだった。○波ミサキたちが、彼女らの手元に、当時だしたであろう同人誌を置いた。


「みなさんには、新作を描いていただきます」

「……は!?」


 全員が全員、頓狂な声をあげた。当然、なのだろう。

 ミサキが、ともすれば冷酷にも思える目をして言った。


「ご安心ください。もう手を引いた方もいらっしゃるでしょうから、イラスト一枚と、があればいいんです」

「……こ、告知って……」


 端空端喰が喉を震わせる。


「し、新刊の? こんな、十五年も前の作品の!?」


 青ざめる顔たちに、ミサキが悠々、頷いてみせる。


「はい。何か適当な理由をつけて……合同誌の告知でも構いませんよ。多ければ多いほど助かりますが、腕も鈍っていらっしゃるでしょうし、そう多くは求めません」

「な、何のために……?」

「ひとりの人を救うために」


 ――これを缶詰と言うんだろうな、とタクミは思った。

 集められた過去の亡霊たちが、死んだ魚のような目をして、カリカリとペンを走らせている。デジタルでないと無理だと言う者はパソコンを与えられ、内容を忘れたという者はかつて自らが描いた物を読まされ――部屋は、次第に禍々しい熱気を帯びていき、やがて、一人倒れ、二人倒れ、そして。


「お疲れ様でした、

 

 トン、と原稿を机で揃え、ミサキは曖昧な笑みを浮かべた。

 気づけば、雨脚が強くなっていた。

 

「――そんなのが燃料の正体ですか」


 忙しなく往復するワイパーを見つめ、タクミは呟く。


「そんなので、がなんとかなるんですか」

 

 ミサキの手元には、偽の新刊告知や、お品書きや、登場人物の節目の誕生日を祝うとする記念合同誌の案内や、なかには細かなキャプションをつけた繊細なイラストまであった。ほんの数時間で作られたとは思えない力作だが――。


「多分、ですかね」

 

 ミサキは、珍しく険しい顔をしていた。


「……多分って。無責任な」

「気づきませんか?」

「……刑事の勘でよければ」


 蒐集家コレクターなら、本当に大事なものは手元に置いておく。だが、集めたのは、だ。日記の記述からして烏丸凛子にとって価値を認められない創作物である。

 

「おっしゃる通りです。本命はアパート内で、回収は不可能ですから、彼女らにに描いてもらうしかなかった。ですが――」

「思い出しながらの付け焼き刃。そりゃ『多分』になりますね」


 タクミは警備の警官に会釈し、車をアパートの敷地に入れた。燃料を雨粒から守ろうと傘を手に降りたが、同乗していた清波ミサキがその役を担った。たった一日と少しで、また腐臭が強くなっていた。

 黄色いテープを剥がし、扉を開くと、


「……いない?」

「いえ。いますよ。確実に。見えなくなってるだけです」


 ミサキが背後の清波ミサキに外で待てと指示し、踏み込んだ。タクミも続く。


「正気ですか?」

「仇、取らないとなんで」


 タクミは警棒を伸ばした。強くなる腐臭。床が軋む。暗い部屋を埋め尽くすギザギザのカップリング。

 ズン、と気配が顕れた。

 寄ってくる。

 後ろ? 

 横?


 ――上だ。


 ドッ、とミサキが、タクミに体当たりをするように後退った。頭越しに見える、重い腐臭を放つ黒い人影。

 限界を超えた腐人――烏丸凛子だ。

 ミサキが、ひれ伏すようにして燃料を差し出した。


「ご査収ください」

「……ス……? ……チ……ナ……?」


 烏丸凛子が、燃料を取り、読み始めた。微かな紙擦れの音が屋根を叩く雨音より大きく聞こえる。タクミは唾を飲んだ。

 かさり、かさり、とめくり。

 腐臭が和らぎ、影に、表情が見て取れるようになった。笑っている。だらしない笑みだが、笑っている。

 ミサキが恐る恐る顔をあげた。肩越しに親指を立てた。

 かさり、かさり、とめくり。


「……ア……?」


 その一音で、ミサキが弾かれたように立ち上がった。


「逃げてください! 逃げて!」

「は!?」


 烏丸凛子が、恨みをぶつけるように叫んだ。


「違うチガウちがうちガう血がウチガう違ウ違うチガウ違う違う!」


 ダンダンダンダン! と烏丸凛子が地団駄を踏んだ。背後で扉が激しい音を立てて閉まった。すぐに外からドアノブが回され、体当たりを繰り返す音がした。


「違う! 違う! チガうぅぅぅぅ!!」


 烏丸凛子の口から、粘着質な糸を引きながら、ぼたり、と黒い液体が落ちた。手にしていた燃料を引き裂き、足元に叩きつけた。キャプション入りの、一番の力作に思えたイラストだった。


「嫌がるようなこと、しない」


 その言葉に、ミサキが、諦めたように笑った。


「解釈違い」


 烏丸凛子の手が鋭く伸び、ミサキの口を覆うようにして床に押し倒した。吹き出す腐臭。肌にまとわりついてくる悪寒。

 タクミは、叫びながら警棒を振り下ろした。手に、肉を打ち骨を砕く、鈍い感触があった――が。


「マジ……か」


 烏丸凛子の頭にめり込んで離れない警棒を手放し、タクミは後退った。

 どちゃり、どちゃり、と腐臭が近づいてくる。

 背中が扉に触れた。近づいてくる。


「おマえ、ナメンな?」

 

 音とともに蝿の死骸と蛆と黒い汁が零れ落ちた。手が、伸びてくる。

 もうダメか、と目を閉じる、寸前。

 タクミは靴箱の上の、ねんどろいどを取った。


「あ、あ、あの!」


 タクミは念じながら言った。


「きょ、きょ、興味、あって……」


 烏丸凛子の手が伸びてくる。


「お、お、俺に、教えて、くれ、ません?」


 伸びてきて、肩に置かれた。ぐい、とどうにもならない強さで引かれた。

 タクミは背後でかちゃんと鍵が鳴るのを聞いた。

 烏丸凛子にされるがまま、蝿のたかるダイニングテーブルにつき、正面を向いたまま、人を引きずっていく音を聞いた。

 

「ナニ、から話ス……?」


 烏丸凛子が、茶菓子を薦めるかのように、豆腐ようを押し出した。

 戻ってくるまで、耐えられるのだろうか――。

 タクミは、吐き気をこらえて豆腐ようをつまみあげた。



 了

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