10-4 心が狂乱する

 神代家の二階。契は自室にいる。

 ライティングは事前に確認した。身なりも整髪も完璧。

 そんな身なりをぶち壊すような、にやけた顔をして、椅子の背もたれにだらりと凭れる。

 さて。そろそろいいだろう。

 視聴者は集まった。世間に自分の名が知れ渡る、足がかりとなるだけの証人ができた。

 ここからは名前だけでなく実利も追う。

 なにがいい?

 なんだっていいのだ。言葉にすれば、叶うのだから。

 いきなり全てを巻き上げることも、絵に描いたようなサクセスストーリーをわざと作ることも、思いのまま。

 まあいい。好きにやらせてもらう。

 彼は、今の自分の顔は配信に堪えないことを自覚している。


 食器を片付け終わると、二十時の配信開始まで十数分。葦名と神代は居間に二人並んで座る。

 葦名は、神代と共通の話題を持っていないことに気づく。友達の話。いつもの遊びのこと。ファッション。好きなアニメや本。それらを何も知らないし、おそらく、まるで一致点がない。話しかけられない十数分は、少し重い。

 ふと。視界の隅にある神代の顔が、マスクを着けていないことに気づく。

 さっき夕食を食べるときにマスクを外して、その後で改めてマスクを着けることを思い出さなかっただけだ。成り行きでそうなったのだが。葦名と神代が初めて同じ学校に入った高校入学時は既に新型コロナウイルスが蔓延しており皆がマスク姿だった。先日、神代家にお邪魔したときは顔を見るどころでなく、公園でマスクを取ってもらったときはチラ見しただけ。こんなに間近で、こんなに長時間、マスクを着けていない神代の顔を見るのは初めてだ。

 かわいいな。素直にそう思う。

「なに見てるんですか?」

 神代に呼び止められ、葦名は、自分が神代の顔をまじまじと見ていたことに気づく。

「なんでもないよ」

 葦名は視線を逸らす。いよいよ話しかけづらい。葦名はスマホを仰々しく持ち、目の前に置いて、配信開始を待った。

 スマホの画面の中には配信を予告するテロップ。スピーカからBGMが流れる。BGMは電話で利用者を待たせるときのような穏やかな曲で、配信中の語りとは印象が違う。

 スマホの時刻表示が二十時を示す。

 画面が動いた。

「あー、あー、皆さんこんばんは。ヤックキングです。今日も好き勝手にしゃべらせてもらうからな」

 画面中央、皆に語りかける男の口調は、一昨日に録画で見たときと同じように喧嘩腰だ。

「あれだろ? この前火山が噴火したから、続きが聞きたいって言うんだろ? ちょっと待ってくれ。これは俺の番組なんだから。それに、あいつの時間は短歌一つしゃべって終わるし。まずは俺がしゃべらせてもらうぜ。あいつの登場は二十時二十分から」

 そして画面の男、ヤックキングは時事ネタをしゃべり倒す。

 葦名は、スマホの画面が暗くなる度に画面をタップしていると、画面を点灯させっぱなしにしているので電池がいつもにない速さで減っていることに気づく。

 神代契が登場するまでは時間がある。葦名は立ち上がると押し入れから電源タップを取り出し、壁のコンセントに差し、手元にタップを置く。

「神代さん、電源使って」

 葦名がACアダプタのスマホ側を差し向けると、神代が右手を振る。

「それは型が合いませんし、ケーブルを持ってくるのを忘れましたから」

 見ると神代が持っているのは「高校生憧れのスマホ」だ。中国メーカの廉価スマホを使っている葦名が持っているACアダプタでは接続できない。葦名もあれが欲しかったのだが、ついに親にねだることはなかった。そういうものか。葦名は納得する。

「だったら、神代さんは再生しなくていいよ。僕ので一緒に見よう」

 神代は提案を受け入れ、スマホの電源ボタンを押して画面を暗くする。そして葦名の方に少しだけ寄る。葦名は二人の間に自分のスマホを置く。彼女の、体温を感じる。

 二十時二十分。

 画面の中のヤックキングが一呼吸置く。

「まだまだしゃべり足りないが、待ってる人間が多いので、俺のパートはここで終わり。ここからは、短歌を作れば世界が変わると主張する奇妙な男の登場だ。この前の火山の噴火は当たった。でも、古びた言い回しだが、信じるか信じないかはお前次第、ってな。おい。いいか。画面回すぞ」

 見ていた葦名は、呼びかけに応じるように身を乗り出し、スマホの画面をタップして点灯時間を延ばす。

 画面の中では、目をとがらせ口角泡を飛ばしていた男から、営業スマイルを振りまく男に切り替わった。

「皆様。お待たせしました。神代契です」

 神代契の口調はあくまで大人しい。

「三日前に私が詠んだ短歌が、翌日未明に現実となったことを、皆様はお気づきのことと思います。私が申し上げてきたように、私に現実を作り替える力があることを、皆様にご理解いただけるいい事例ができたものと考えています。そう。私は現実を作ることができます。現実を、作るのです。私は、その力に、その希少さに、相応する身分を得たいと考えています。嫉妬する人間がいても止めることはできません。私は現実を作れるのですから」

 画面の中の神代契は大きく息を吸った。そして声にして吐き出す。


 政府にも我を認める者があり

  内に引き込み重用せんと

 (句の先頭:サ行の『え』、ワ行の『あ』、マ行の『お』、

       ア行の『う』、タ行の『い』)

 

 短歌を詠み終えた神代契は黙ってスマイルを作る。

 ヤックキングと視聴者の心に激震が走った。

 今まで未来を当てる短歌を作ってきた人間が、自分が政府に重用されると言い出したのだ。

 こいつは、本気か?


 葦名と神代の心に激震が走った。

 あの男は、自分が政府に重用されると思っているのだから。

 こいつは、本気か。

 しかし、二人には用意がある。

「僕が行くよ」

「はい」

 二人顔を見合わせ、葦名の呼びかけに神代が応じると、葦名は声を出した。


 夜が明けて学校に来れば生徒達

  教師の遅刻をうれしがるなり

 (句の先頭:ヤ行の『お』、ガ行の『あ』、サ行の『え』、

       カ行の『い』、ア行の『う』)


 内容はどうだっていいのだ。打ち消し合って、なかったことになるのだから……


 神代契の目の前で、虹が、弾けた。

 この奇妙な感覚は、なにかとてつもなく不快な記憶と結びついている気がした。

 少し考えて、思いだした。

 あれは、神に願いを聞き届けてもらえる力を授かって、すぐのこと。父が、神代契にちからの使い方を教えるために、契の短歌をわざと打ち消して見せた、あの記憶。

 自分が万能であることを疑わせた、あの、苦い苦い記憶。

 神代契の心が狂乱する。

 心の片隅で、動揺を世界中に中継してはいけないことを分かっている。

 彼はカメラを切る。

 しかし。邪魔したのは誰だ。混乱したまま頭を回す。

 父は無駄と思うことに短歌を使わない。だとしたら…… あの態度、企んでたか……


 冷や汗をかきながら中継していたヤックキングは神代契からの映像が途切れたことに気づいた。

 なにやってるんだ? 彼は自分の中継に事故を起こされた怒りを神代契に向ける。

 連絡用に聞いた神代契のメッセージアプリアカウントに、通話をかけるが、相手は出てこない。

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