10-1 今朝からネットで噂になってる奴。やばいって!

 父がいない朝を迎えたのは先週の火曜日だった。

 それから一週間。慣れたなんて言えない。言いたくない。葦名律はそう思う。

 朝のテレビニュースはN県の陽郷山の噴火を伝えている。新型コロナウイルスがトップニュースでないのは、いつ以来だろう。冬に地震があったとき以来か。あれも、もう遠い。世の中、コロナの話題しかないなあ、と葦名律は弁当を詰めながら思う。

 葦名は登校して、先に登校していた神代とすれ違うときに軽く挨拶して、自席に座った。

 先週に神代家の力を、つまり権威を否定して以来、葦名には神代と長く話をするのがためらわれた。神代も同様かもしれないと思った。神代は、話しかけず、でも嫌うでもなく、黙ったままそばにいる状態を許している。

 それは一見、神代家の秘密を知らなかった以前の、ただの級友に戻ったかのようだ。

 でも戻れないはずなのだ。秘密は知ったし、力ももらってしまった。

 どうしたものか。何か心に引っかかっている。

 昼休み。自席で弁当を食べている葦名に、男子生徒が近づいてきた。右手に持っていたスマホを葦名の眼前に差し出した。

「葦名、これ知ってる? 今朝からネットで噂になってる奴。やばいって!」

 葦名が右手を止めてスマホの画面をのぞき込むと、動画配信サイトの配信済み動画再生画面だった。配信に氏の名前はヤックキングという。

「ここで、最近は待ってる奴も多いかな、短歌を作ると現実がその通りになるって言う変わった奴に配信に入ってもらう。おい、画面回すぞ」

 ヤックキングがこう言うと画面が切り替わった。

 画面に映ったのは、神代の兄だった。

「紹介にあずかりました、神代契です。ここしばらくの配信で、私が言葉で現実を作り替える力を持つことを、多くの人が認識なされたと思います。しかし、世間では、人間の行動しか変えることができないと噂されていることも耳にします。私は、私の力に制限がないことを皆様に示したいのです」

 そして神代の兄は陽郷山が噴火することを予言する、というか噴火を引き起こす短歌を詠んだ。

 葦名の耳に、落ちた箸が弁当箱に当たる音が聞こえた。自分の右手が箸を取りこぼしたことに、後で気づいた。

「ヤバくね? こいつが短歌を作るとさあ、なんでも現実になるんだって!」

 思い出せ。葦名は自分に言い聞かせる。いつも学級で愛想笑いをして級友の頼み事を聞いていたときのことを思い出すんだ。

 葦名は落ち着いているフリをした。

「そんなことないじゃない? たまたまとかさあ。それと、ほら、郵便の消印を悪用して、後から事件を予言したように見せかける詐欺もあったでしょ。それも、後から編集されたんじゃないの?」

 葦名の問いに、級友は情報に乗り遅れた人間への哀れみを見せる。

「郵便の消印って、いつの時代だよ。これ、ネットの配信だぜ。昨日の夜に生配信で見てた人間が大勢いるんだよ。マジで事前に当ててんだぜ! ちょっと普通じゃねえよ」

「へぇ…… そんなことがあったんだ…… その人、前からそういうことやってるの?」

 この言葉で彼を知っていることを気づかれなければいいと思った。最後の一言は率直な疑問。あの男がなにをやらかしているのか、知る必要があると思うから。

 級友は早耳を自慢する。

「配信に顔出しするのは先月の末からなんだけど、今年の七月から短歌を、このヤックキングって言う生主のコメント欄に書き続けていたんだ。それがみんな当たってるんだよ。当たってるって言うか、本人が言うには、現実を作っているらしいんだけどな。それが出来たら、神様じゃね?」

「そうなんだ…… すごいね……」

 葦名は、自分でも顔がひきつっていると思う。

 自慢げに語る級友の後ろから、もう一人の男子生徒がそれを上回る優越感を持ちながら近づいてくる。先日に葦名が偽の告白から救った三村だ。

「そいつさぁ、ネットの捜索チームが本人を割り出したんだけどさぁ、神代契って本名で、この市内に住んでるらしいぜ」

 さっきまで自慢げに語っていた級友が後ろで断言する三村にいぶかる。

「三村。でたらめ言ってんじゃねえぞ」

 三村は揺るがない。右手に持っていたスマホを級友の眼前に突きつける。

「ほら。写真付き。大学、高校、中学校、小学校。幼稚園までみんなバレてる」

 三村がスクロールさせた画面を目で追った級友は、情報収集能力の差を悟ったのか、素直になる。

「ホントだ。三村、よく見つけたなあ。しかし、いい学校通ってるなぁ。全部私立じゃねぇか」

「まぁ、大体進学校だね。中学校は、この学級の、苗字も同じ神代さんが通ってたところ。三年離れてるから、同時に在学していたことはないはずだけどね」

 盛りあがる二人を、葦名は横から見ている。

「へぇ…… すごいね……」

 口の右端がひくつくのが、自分でも分かる。

 昼休みも終わりが近くなり、授業に備えて神代が教室に戻ってくる。

 神代が自席に座る直前、先日、神代を放課後の遊びに誘った女子生徒が、まだ立っている神代にスマホを突きつける。

「神代さん、この人知ってる?」

 葦名は、そのスマホから、先ほどの音声がリピートされているのを聞いた。

 神代がマスクの上に見せている顔が、青ざめる。

「知りません…… こんな人知りません……」

 スマホを突きつける女子生徒は神代を疑念の目で差す。

「苗字が一緒で、ネットの噂だと市内に住んでて中学校が神代さんと同じらしいんだけど、本当に知らない?(笑)」

「知りません……」

 神代は女子生徒を押しのけて、自席に座り顔を机に伏せる。

 葦名は、神代は嘘がヘタだと思う。この態度では疑って欲しいと言わんばかりだ。

 当然、学級内の視線が神代に集まる。マスクの上に光る、二つの目、目、目。

 神代は、その視線を見返すことなく、ただ机の天板の木目を見ていた。

 そこに教師が入ってきて、神代がさらし者になる時間は終わった。

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