6-6 現実を作り替えてもらえる少女が、未来が予想外の方向に進んだことを述懐する
「これっていいの?」
声が震えているのが伝わったのだろう。神代は神妙だ。
「それが、私たちが授かった力です。ただ、いつも現実になるとは限りません」
「えっ?」
葦名のマスクの下から素っ頓狂な声が漏れた。神代は驚く様子もない。
「もう一回短歌を詠んでもらえませんか。大丈夫だとは思うのですが、あまり大事にならない内容でお願いします。私ができる限り打ち消せるように頑張りますから」
神代は、声も、マスクの上に見える目も、しっかりしている。冗談ではないと見てとった葦名は、もう一つ歌をひねる。
落としたる紙を蹴り上げ寝て待てば
長辺立てて頭上にのりし
(句の先頭:ア行の『お』、カ行の『あ』、ナ行の『え』、
タ行の『い』、ザ行の『う』)
あとは待てばいい。手のひらから紙を落として、上に蹴り上げて、横になれば、紙は頭上に乗るはず。
先の二回で確信を深めている葦名をよそに、神代がマスクの下の口を開いた。
我々が持てる力の限界を
示したるのが歌なるものか
(句の先頭:ワ行の『あ』、マ行の『お』、ガ行の『え』、
サ行の『い』、ア行の『う』)
葦名の視界が揺れた。何が起きたのかと思ったとき、気づけば視界は元に戻っていた。それは、まるで、シャボン玉が割れて奥の景色が一瞬見えなくなったときのような、世界が一度壊れて元に戻るような感覚だった。感覚が分かっても、何が起きたか分からなかった。
「何か、変だよ」
「変ではありません」
神代が驚く葦名を見る視線は、優しげな見守りと、甘えを許さない厳格さを含んでいる。
「私たち、力を授かった人間が、他の人間が神様と約束する歌を詠んでから、四分十一秒以内に同じ条件の歌を詠むと、先に詠まれた歌を神様は聞き入れず、二つの歌の力は取り消されるのです。使うことは滅多にありませんが、あまりに無茶な願いを叶えようとした人を止めるために使うことがあります。歌を詠んだあとに四分ちょっと待たないと現実にならないのは、神様が他の人間が歌を詠むのを待っているからです」
葦名は神代の言葉が信じられない。そんなことあるもんか。自らの正しさを証明しようとして、手のひらの上の紙を落として右足で蹴り上げ、上体を後ろに倒す。すると紙は前方へと転がり、地面の上に落ちた。正しいと証明されたのは神代だった。
なるほど。
葦名は身体を起こし、一つため息をついた。背中のゾクゾクとした感覚が、少し冷えていた。
「そういうことなんだ。それにしても、四分十一秒って、中途半端じゃない? 五分とか、でなかったら四分とか、どうしてきっちりとした時間じゃないの?」
葦名の問いに神代は口ごもる。
「私たちが使っている時間の単位は人間が作ったものであって、神様はその単位に縛られておらず、私たち人間が神様に合わせなければならない。そう、お父様がおっしゃっていました……」
神代は、自分の力の説明を父からの伝聞に頼るしかなく、その父は神から教わった以上のことは知らない。葦名は、口ごもる神代に、自分が授かった力の訳の分からなさを見てとった。
「それと……」
神代は言葉を継ぐ。
「あとから歌を詠んだ場合、違う結果になることがあります。同じく四分十一秒以内に歌を詠んで、その歌が五つの句の先頭が条件を満たすだけでなく、違う音の組み合わせでよいので同じ条件を五つの句の末尾でも満たす場合、あとに詠まれた歌に神様が即時に約束して現実になります。これは、歌を作ってみると分かるのですが、作るのが簡単ではありません。私は歌そのものをほとんど詠まなかったのですが、お父様や兄が歌を詠んだ後に神様に聞き入れられる歌を詠めたことがありません。お父様と兄なら成したことがあるのかもしれませんが……」
無力を恥じる神代に、葦名は少し刃向かいたくなった。
「そんなに難しい? やってみようか?」
「難しいですよ…… そうですね、やってみれば分かるかもしれませんね」
神代は思案して、一つ歌を詠んだ。
己(おの)が持つ力のほどを分かるとて
けだし我が身を振り返りがたし
(句の先頭:ア行の『お』、タ行の『い』、ワ行の『あ』、
カ行の『え』、ハ行の『う』)
葦名は悪意を悪意で返されたことに気づいた。そんなの簡単だ、と言った矢先に、自分の力量を分かっていない、と返されたのだから。
これは受けて立つしかない。
スマホを取り出し画面を表示させて時計を見る。制限時間以内に一首詠めなければ神代の言う通りになる。一分ごとに変わる時計をにらめっこしながら、三回表示が変わったところで言葉を口にする。
あなたならできるものだと期待して
僕の言葉で夢を叶える
(句の先頭:ア行の『あ』、ダ行の『え』、カ行の『い』、
バ行の『お』、ヤ行の『う』
句の末尾:ラ行の『あ』、タ行の『お』、タ行の『え』、
ダ行の『え』、ラ行の『う』)
詠んだが、何も起きた気がしない。歌が現実になるときには知らせが無いものだろうか。
「『できるものだと』の『と』と、『期待して』の『て』と、『僕の言葉で』の『で』が行も音も被っています」
神代は冷静に答えた。
「あっ……」
葦名は天を仰いだ。上手いこと作ったつもりだったのだが。
「まあ、そういうことはありますよ。できなかったからといって気にしないことです」
神代は落ち着いて葦名を慰める。短歌と能力については神代の方が先輩であることは葦名も知ってはいた。それが今、腹の底で分かった。
「それと、お願いがあります。決められた時間以外は、この形式の短歌を詠まないでください。父が他人様のために詠んだ歌を打ち消す怖れがあります。これから毎朝、短歌を詠んでもいい時間帯をスマホに連絡します。それを守ってください」
「へっ……」
神代に意地悪をしようとする様子はない。真摯な態度で葦名にお願いをしている。
「同じように力を持ってるのに、神代さんのお父さんが優先なの? それ、横暴とか思ったことないわけ?」
葦名が驚いたことに、神代は戸惑った。
双方とも、相手の反応が予想外だった。
神代が少し考え込んで、ボソリと。
「言われたことがない、というのは相手の指摘が心外だと思ったときの常套句ですが、たしかに、家の中で疑ったことがないんです」
「そうだよね…… 神代さんにとっては親だしね……」
葦名は神代との間に感性の溝を感じる。神代家はそういう文句も言えない家なのだ。家によって親子関係は違う。その事実を認識する。マスクの下で小さくため息をつく。
気まずくなって沈黙が怖くなる。葦名は無理にでも話題を振る。
「神代さん、そんなに短歌を作るのが嫌いだったのに、僕のために作ってくれたよね。あれはどうして。僕になにかしようと思った?」
神代はうつむく。
しまった。つついてはいけないところをつついた。葦名が自らの失敗に内心うろたえているうちに、神代は自らに言い聞かせるように言葉を紡ぐ。
「思いついてしまった、というのが一番近いんですよね。葦名君の顔を見たとき、最初から最後まで歌ができてしまって。黙って歌を捨てようかとも思ったのですが、葦名君が助かる内容だったので、口に出しました。歌の裏にあるものに気づかれないと思いましたし。あれがきっかけで、こうして葦名君と秘密を共有するなんて、あのときは想像しなかったんです。私が言うのも変ですけど、未来って分かりませんね」
短歌で神様と約束して現実を作り替えてもらえる少女が、未来が予想外の方向に進んだことを述懐する。同じ境遇になった自分もそうなるのだろうかと、葦名は自分の未来を想像する。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます