4-2 私にとって短歌は、神様と約束する方法なんです

「他人に聞かれない場所がいいんです。でも、密閉された場所は男女として問題があるので……」

 そう神代に言われて、放課後に向かった先は、高校から三、四百メートルほど離れた、小さな児童公園。細い裏路地にあり、通行人は途切れている。遊具がない、ただの遊び場で、背もたれがないコンクリート製ベンチが一つある。

「座りましょうか」

 神代が公園中央に向かって右端に座る。葦名は、頭を下げて一つ礼をし、左端に座った。

 葦名は、どう話を切り出そうか迷った。

 少しだけ沈黙が流れた。

「あの……」

「今から歌を詠みます」

 葦名が意を決して言葉を発したら、それを聞く気もなく神代が話を始めたので、葦名は黙った。

 最初の疑問は、歌は「歌う」ものであって「読む」ものではないか、だった。

 それでも葦名は待った。

 神代は、沈黙している。

 早く読めばいい。葦名の胸中にいら立ちが広がる。

 葦名にとって疑念ばかりが膨らむ中、神代の、マスクの奥から、少女ならではの高いトーンの声が流れ始めた。


 自らにゆかりない人が電話して

  相手はわびてそそくさと切る


 メロディはない。読んでいた。

 そして音が五七五七七になってる。

 葦名は神代が短歌を作ったことに気づいた。あれほど、短歌は作れないと言った神代が、だ。

「短歌、作れるんだね」

「四分少々絶つと、葦名君のスマホに電話がかかってきます」

 葦名が率直な疑問を口にしたのを、神代は聞かずに一方的に告げた。         

「へっ?」

 葦名はぽっかりと口が開いてしまった。マスクで隠れていて神代に伝わっていないことに感謝する。そして次の瞬間、バレてるかもしれないと恥じる。

 訳が分からない。

 それが葦名の率直な気持ちだ。

 何の脈略もない話を一方的に告げる神代がなにを考えているのか。葦名には想像がつかない。

「ねぇ、どうしてそんなことを言うの? 決めつけが強引すぎて、訳が分からないよ」

「待っていれば分かります」

 ぼやいた葦名が神代の顔をのぞき込むと、神代は至極真面目だ。気圧されるというか、取り付く島がないというか。葦名はそれ以上問いただす気をなくし、ガックリと肩を落とす。

 葦名はなにも言えない。神代は何も言わない。無言の時間が、ひたすら長い。

 これはこのまま帰った方がいいんじゃないのか。葦名がそう思った、その時。

 葦名の学生鞄が震えだした。

 この震え方には身に覚えがある。スマホのバイブだ。数年前から校則が改定され高校にスマホを持ち込んで良いことになった。葦名も喜んで学校にスマホを持ち込んでいたが、校内で着信メロディは鳴らせない。そして今日はマナーモードを解除しないまま、ここまで来ている。

 葦名は学生鞄からスマホを取り出す。

 相手の電話番号は固定電話。電話帳に登録されていない。

 葦名が迷ったのは二点。

 一つは、どうして神代が言う通りに電話がかかってきたのか。

 もう一つは、知らない人間からの電話に出ていいのか。

 先に結論を出さなければいけないのは後者。何か悪い相手ではないかと疑いもする。しかし、万が一、役所や企業など重要な団体からの電話を受け取っていたら、聞き逃すわけにいかない。

 葦名は、戸惑いながら、画面にある着信アイコンをスライドさせ、スマホを耳に当てる。

 相手が先に呼びかけた。

「いつもお世話になっております、飯塚です。槙原さんに急ぎの話があって電話しました」

 その瞬間、葦名は間違い電話を受け取ったことに気づく。

「すみません。僕は槙原さんじゃなくて葦名と言います。間違い電話だと思います」

「え? そうですか? ……ボタン押し間違えてるわ。すいませんでしたねぇ」

 ガチャ。

 短い詫びの後、唐突に電話は切れ、スマホのスピーカには通話終了後のトーン音が残された。

 葦名は、相手は慌ただしい人だと思うも、何事もなくて助かったと安堵する。

 その安堵は半分だけ。

 どうして間違い電話がかかってくることを神代が当てたのか。

 たまたま、だったならいい。

 神代は、先日、葦名の頭上から降ってきたコンパスをバスケットボールが弾き飛ばすことを当てている。

 そのときも、神代が告げたのは短歌だった。

 これは偶然の一致ですむのか。

 葦名の背中のシャツの、湿り気がやけに冷たく思える。

 葦名は息を整え、身体を半身にして、神代と向き合う。

 神代の目はいくらか悲しげだった。

 泣きたいのはこっちだと思えど、葦名になじる気力はない。いくらかためらいながら葦名は尋ねる。

「どうして……電話がかかってくることが……分かったの?」

 神代は葦名の目をまっすぐ見ている。そして、重大な何かに触れるかのように。

「私にとって短歌は、神様と約束する方法なんです」

 カミサマトヤクソクスル。

 葦名にとって、その言葉はただの音に思えた。言葉として突飛すぎた。

 彼の中で、音が次第に、神様、や、約束、という単語と結びついていく。かろうじて言葉として形になったところで、疑念が口から漏れた。

「約束するって……」

 神代は一呼吸置く。そして葦名の目を見ながら答える。

「詳しくは言えませんが、ある決まった方法で短歌を詠むと、神様が聞き届けてくれて、歌の内容を現実にすることを約束してくれるのです。言葉にしたことが、現実になるのです」

 神代は言葉を切って待ってくれた。それなのに葦名は何も言えなかった。二人で沈黙してしまったことに、神代があきらめて、葦名の目から視線を外して前を向き、こぼす。

「その力と方法は、お父様が神様から授かりました。私は父から力と方法を授けられました。でも、どう扱っていいのか……」

 神代は独り言のようにつぶやいた。

 あまりに非現実的な告白。葦名は苦笑いを作ってしまう。口が歪んだところがマスクに隠れて助かったと思う。

「そんなさあ、劇場版アニメのヒロインみたいに、『私は世界を変える運命を持ってるんです』なんて秘密を打ち明けられてもさあ、ちょっと信じられないよね……」

「信じてもらえなければ、その方がいいんです」

 神代は隣の葦名を見ていない。吐いた言葉も、葦名に聞いて欲しいような、独り言のような。

 葦名は考える。

 もし、ヒロインになりたいのだったら、信じてもらった方が得だろう。特別な人間として扱ってもらえるのだから。それを、信じてもらえない方がいいというのは、おそらく、秘密が明らかになったときの不利益を理解しているから。まぁ、一周まわってすべて計算ずくの演技かもしれないが、そうは見えない。

 なにより、葦名自身が神代が語ったとおりの現実を見ている。

「信じることに……するよ……」

 その言葉を神代が聞いてくれればいいと思った。

 疑問はいろいろとある。

「どうして、そんなことを僕に教えるの?」

「大変なことなので、家族以外には言えなかったのですが、ずっと、他の人に聞いてもらいたかったんです。楽になりたかったんです。葦名君、この前、いたずらを強制された子を止めましたよね。それを見て、葦名君なら信用できる、って思ったんです。打ち明けたりしないだろうな、って」

「そう……信用されて、うれしいよ……」

 神代は落ち着いたが、葦名は受け取ったものの重さにうろたえた。一人の女の子に助け船を出したつもりが、別の、世界を動かしかねないレベルの秘密を抱えた女の子に関わることになってしまった。

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