エピローグ「星空」

E―1:「その後」

 二枝川の祟(たた)り神との決着をつけ、星凪が最後の旅立ちをした後、丈士は幾日もの間、寝込むことになった。


 満月とゆかりは丈士を家まで運ぶつもりだったらしいが、途中でゆかりが丈士の両親を呼んで車を出してもらえばいいのだということを思い出したおかげで、丈士たちは何とか、雨が降り始める前に丈士の家に帰りつくことができた。

 丈士が熱中症になった、というでまかせで両親を呼び、丈士は血相を変えて駆けつけた父親の運転する軽トラックの荷台に乗せられ、自宅の自室に担ぎ込まれることになった。


 その後、かなりの大雨が降ったことを、丈士は朦朧(もうろう)とした意識の中でかすかに覚えている。

 ザーザーではなく、ゴウゴウという音をたてながら、大粒の雨が勢いよく降り注いだ。


 それはまるで、二枝川でくり広げられた、おぞましく、悲しい歴史をすべて、洗い流そうとしているような雨だった。


 丈士はしばらく身動きをとることが難しい状態だったが、少しずつ回復していった。

 ここが丈士の実家で、丈士の面倒を見てくれる両親がいた、というのもあるが、なにより、丈士の生命力を消費していた星凪がいなくなった、ということが大きい。


 それに、丈士も、絶対にこのまま死んでなるものか、と、強く決意して頑張ったのだ。

 もし、ここで丈士が生きることをあきらめて死んでしまったら、いったい、星凪にどんな言い訳ができるというのだろう。


 星凪がどんな思いで最後の選択をしたのかを知っている丈士は、必死になって生きようとした。


 満月もゆかりも、そのまま実家に滞在して、丈士の看病を手伝ってくれた。

 2人にとっての最大の目的である二枝川の祟(たた)り神の浄化はすでに完了しており、2人には丈士の両親に後のことを任せて帰ってもらっても、丈士としてはその方が罪悪感も少なくてよかったのだが、満月もゆかりも頑なに帰ろうとはしなかった。


 丈士のことが心配で、というのはもちろんあっただろうが、2人とも、丈士と星凪の別れに立ち会って、それぞれに思うところがあったのに違いなかった。


 星凪を存在させ続けるためにその生命力を糧(かて)とし続け、祟(たた)り神とも戦った丈士が、まともに身動きができるまでに回復するには長い時間がかかった。

 もし、丈士が若く、健康な身体ではなかったら、回復することはできなかっただろう。


 そうして、ようやく丈士が普通に立って歩いたり、食事をできたりするくらいにまで回復したころには、もう、お盆になろうとしていた。


────────────────────────────────────────


 もうほとんど回復した丈士は、実家の縁側で、アイスキャンディーをなめていた。

 オレンジ味の、満月お手製のものだ。


 外では、相変わらず強い夏の日差しが降り注ぎ、丈士の目の前には陰影のはっきりとした庭の景色が広がっている。

 気温は、まだ正午前だというのに30度を超えており、今年一番の猛暑になりそうだった。


 それでも、丈士の実家は賑やかだった。

 昨年は、丈士とその両親、そして幽霊である星凪の4人、実質3人での夏だったが、今年は満月とゆかりがいる。

 結局、2週間近くも丈士の実家に泊まることになった満月とゆかりは、今や、すっかり打ち解けて、百桐家の一員のようになっている。


 満月は丈士の母親と一緒に料理をしたり、農作業を手伝ったりもしているし、ゆかりは家の掃除を手伝ったり、いろいろ雑用をこなしてくれている。


 正直、大丈夫なのかと、丈士が心配になって来るほどだ。


 満月は高原稲荷神社で治正とハクが首を長くして帰りを待っているはずだったし、ゆかりは、霊能アイドルとしての仕事もあるはずだ。

 だが、満月は、帰りを催促(さいそく)する治正からの電話をうまくはぐらかして帰らないし、ゆかりも、マネージャーと長期休暇の約束をしていたらしく、平然と居座っている。


 今も、満月とゆかりは、母親と一緒に今でバラエティ番組を見ながらおしゃべりをしている。

 なんとも、楽しそうな様子だ。

 おしゃべりの方がメインで、テレビはBGMがわりに流してあるだけ、という具合だ。


「女3人よればかしましい、ということわざがあるけれど、まさしく、だね」


 丈士が(アイスうめー)と思いながらぼんやりしていると、その丈士の横で作業をしていた父親が、楽しそうにそう言った。


 父親は今、お盆を迎えるために、木枠で作られた祭壇を準備している最中だった。

 丈士はその作業を手伝おうとしたのだが、「まだ体調が戻りきってないんだろ? 」と父親に断られ、しかたなく縁側でぼんやりとしていたというのが、今の状況だった。


「いやはや、まったく。……星凪が、いてくれればなぁ」


 肩をすくめながら、小さく呟いた父親のその言葉を、丈士は聞き逃さなかった。


 心が、チクりと痛む。


 星凪は、ほんの少し前まで、この世界に存在していたのだ。

 生身の人間としてではなく、幽霊としてではあったが、確かにそこにいた。


 丈士の両親はそのことを知らないし、丈士も、そのことを両親に明かすことができない。


「まぁ、おばあさんがいるから、星凪もきっと大丈夫だろう」


 それから父親はそんなことを呟き、祭壇(さいだん)に飾られた遺影に向かって両手で拝み、頭を下げた。


 丈士は、父親が拝んだ先にある遺影を目にして、驚いていた。


 それは、星凪が最後の旅路についた時、星凪の手を取って導いてくれた老婆に、そっくりな写真だったからだ。


「なぁ、親父。……その、そのおばあさんって……? 」


 丈士が、その老婆のことを未だに思い出せないことを申し訳なさそうにそうたずねると、父親は「ああ。そう言えば、丈士はまだ小さかったからね」と言いながらうなずき、教えてくれる。


「このおばあさんは、丈士のひいおばあさんさ。もっとも、丈士が3歳の時に、星凪が生まれてすぐに亡くなってしまったけれどね」

「オレの、ひいおばあさん? 」


 そこでようやく、丈士はその老婆のことを思い出した。

 丈士がひいおばあさんと会ったことがあるのは入院先の病院でのことだったが、背筋がピンとのびた、一見すると病人には見えない人で、丈士の頭をなでてくれた覚えがあった。


「いやぁ、凄い人だったよ。丈士にちゃんと会わせられなかったのが残念なくらいだ」


 丈士がようやく思い出すことができた自分の記憶に浸(ひた)っていると、父親はなんだか楽しそうに笑っていた。


「豪快な、大昔の武家のお姫様みたいな女傑でね。薙刀(なぎなた)の達人だったんだ。なんでも、若いころ、日本が戦争をしていた時には、「敵が来たら、この薙刀(なぎなた)で2、3人はやっつけてやる! 」って、息まいていたくらいらしい。それに、学校の先生もやっていたんだ。いやぁ、ボクも、中学生のころに散々、しごかれたなぁ」


 それから、父親は別の位牌(いはい)などを祭壇に飾るために、居間にある仏壇へと向かって行く。


 丈士は置く場所がないのでアイスキャンディーをくわえたまま、その、ひいおばあさんの遺影に向かって両手で拝んでいた。


(ひいばあちゃん。星凪のこと、よろしくお願いします! )


 丈士は、改めて、ほっとしたような気持だった。

 かすかな記憶でしかないが、ひいおばあさんはなんとも頼りがいのありそうな人だった。


 そんな人が星凪を導いてくれたのだから、きっと、星凪はちゃんと、目的の場所につけたのに違いなかった。

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