第三十 話 まがい物の矜恃(二)
「大盤振る舞いだな」
夜の空、駆けるように宙を疾る真っ白な獣が、場違いに笑うような声を上げていた。
「こんなもの、とてもとても。今までに見たことがなくてなぁ」
遠く、奥で視認していた虚の手前で、新たに二体の大虚が現れていた。真っ黒な塊が、奥の大虚に引けを取らず、天まで突くほどの巨体で蛇のようにとぐろを巻きうごめいていた。
「あいつ……!」
視線の先、二体のとぐろを巻く大虚の前で、人型の何かが浮いていた。
桃色の法衣を着た、全く同じ姿をした女が二体浮いていた。
「村を襲ったやつだ……!」
黒い弓を強く握り締めた。内包した青白い炎が、弓の両端で弾けるように光を放った。
いつの間にか、昴宿の首に緑色のいばらが絡んでいた。望天の体の前、同じく背に乗った明星が、振り落とされぬよういばらの蔓を望天と明星の体ごと巻き付けていた。
「三体とは……。
獣の背に乗ったまま、
「契約早々私も卒倒してしまいそうなんですが、天狐殿は一体、あれをどうするつもりなんです?」
「どうするか? そんなものは——」
虚の奥、空で閃光弾がはじけた。新たな光で視界が照らされた中、明らかに
「お前のその手に持ったものでぶった切ればよかろうよ!」
昴宿が宙を強く蹴った。
夜の闇の中、虹色の軌跡を描きながら、一直線に奥の虚へ駆けた。
甲高い、空気に波を作るほどの強烈な音が大気へ響いた。全身を持っていかれるほどの多重に響く音の中、とぐろを巻いた大虚が、建物をなぎ倒しながら突っ込んできた。
「来たぞ!」
破壊された建物の下、鞭のようにしなる大虚の触手がうねりながら突き上げてきた。
「金気よ!」
望天が叫んだ。
虹色の光が、青白く光る刀を、まるで浸食するように広がっていく。先端まで到達した光が、光刃のようにその刃渡りを引き延ばしていた。
突っ込んできた大虚の触手を、閃光を纏った光刃が腹を捌くように切り裂いた。切り身のように上下にぶった切られた触手が、突っ込んだ勢いのまま後方へ吹き飛び崩れるように黒い塵になり砕けた。
「はっは!」
後方へ吹っ飛んでいく触手を見ながら望天が声を張り上げた。
「騎馬戦のようですな!」
「馬鹿が! 上だ!」
昴宿が叫んだ。
上空で、桃色の法衣の者が印を切っていた。取り囲むように青白く光る無数の槍が、何もない宙から放たれた矢のように飛んできた。
昴宿が、空中で地面を蹴るように切り返した。無数に降り注ぐ青白い槍を、隙間を縫うように宙を駆け走り抜けた。
何かにはじかれるように吹き飛ばされた。
宙に浮く青白い壁のような板が、牙を広げ桃色の法衣の者へ食らいつく寸前で昴宿の体を固くはじいていた。
「結界か……!」
宙に浮いた青白い板が、昴宿の四方を覆っていた。正四面体のように結合した板が、三人を囲ったまま、圧縮するようにその距離を縮めていく。
迫り来る壁の中、背に乗った望天が青白い板を薙いだ。
光る刃先が、青白い板に溶けるように飲み込まれたのみで消えた。
明星が左手に握る黒い弓を天に突き出した。
矢をつがえた瞬間、握った矢の根元から、真っ黒なもやのようなものがらせん状に走り先端で光った。
放った黒い矢が青白い板を一瞬で貫いた。
内から砕かれるように、正四面体の結界が夜の空に飛散した。
桃色の法衣の者と目が合った。
顔を覆った真っ白な布の下、見えないその目が、青白い破片が飛び散る中で確実に視線が合った気がした。
昴宿が宙を蹴るように跳ねた。一瞬で加速し、印を切っていた桃色の法衣の者の上半身に食らいついた。
「また会ったな
歯ぎしりの音が聞こえるほどに食らいつきながら、昴宿が声を出した。
心臓を貫くほどの牙が食い込みながら、桃色の法衣の者が事も無げに軽く笑った。
「これはこれは星の君。相変わらず意味のないことがお好きなようで」
「今回は二人に増えてなんとまぁ。無節操に、雑草のように増えるのだな、お前たちは」
瞬間、横っ腹に、津波のように蔓の塊が当たった。噛んでいたものとは違う別の方向から、宙に浮くもう一人の法衣の者が、その腕をすべて蔓にしたまま打ち込んできていた。
望天が刀を振った。昴宿に絡みつくように広がった蔓を一瞬で切り裂いた。
桃色の法衣の者が、昴宿の口元からほどけるように蔓になり、牙の隙間からすり抜けた。とぐろを巻く大虚の前で、何事も無かったように、再度人の形へと戻っていった。
大虚が、昴宿たちを狙うようにいくつもの鎌首を持ち上げた。
明星が、昴宿の背に乗ったまま、二体の法衣の者に弓を向け構えた。
「あなたは」
遠く、奥から声がした。
噛み砕かれなかったほうの法衣の者が、ゆっくりと口を開いた。
「自身が草木妖だと知っているのですか」
無言のまま弓を握る明星に、法衣の者が手に持った扇子を突き付けた。
「我々草木妖の、二十四年前の禍根を知らないのですか」
「黙れ」
弓を向けたまま、明星が静かに声を出した。
法衣の者が、無視するかのように静かに続けた。
「我々草木妖は、その生来の力で、虚を使役するという役目を持っていました。それが二十四年前、虚が出なくなり我々の存在が不要となった。それから幾ばくも経たず、我々は皆殺しの目にあいました。虚がいなくなった後、脅威となる芽をつぶす。ただその可能性のためだけに、我々は捕らえられ、何一つ尊厳を許されず多くのものが滅ぼされました。
あなたの握るその黒い弓。それは虚の力を使ったもの。あなた自身も気が付いているはずです。それを扱うことができる、それこそがあなたが草木妖であるという証明。そのあなたが、我々を虐殺した人間のかたを持つというのですか」
「俺は、お前らのことは知らない」
弓の弦を引いたまま、明星が言葉を続けた。
「お前らが何をされたのかも知らない。お前らにはお前らの理由があるんだろう。けど、俺はお前らを許す気はない。
お前らは
つがえた矢に、一瞬で黒いもやが走った。
「俺は草木妖でも虚でもない。お前らに殺された術師、
強く、言葉と共に、矢が放たれた。
薄く青白い軌跡を描き放たれた矢が、法衣の者の眼前で扇子に突き刺さった。
「——なるほど」
強い虹色の光が、桃色の法衣の者の後方で放たれた。
遠く、初めからいたナメクジのような大虚の先端が、強く光を放っていた。地面に青白い環が広がる。一気に環が宙へ浮いた。
大虚を取り囲むように、半円形の青白い光の球が出来上がっていた。
「結界……?」
望天が、つぶやくように声を上げた。
「兵部か?」
「いや違う」
昴宿の言葉に、望天が、まるで自分で確認するかのように答えた。
「兵部の結界を使っているが、あれは外からじゃない。中から張られている。逆にここの仕組みを使って、外から誰も入れないよう作り上げている」
法衣の者の後ろ、とぐろを巻く大虚の一体が、波が引くかのように勢いよくその巨体を後退させた。半円形の青白い球の手前でとぐろをほどき、一瞬で液体のように薄く広がったかと思うと、球を飲み込むような黒い膜になり青白い膜へのしかかっていった。
「貴様……!」
言葉と同時に、昴宿が宙を駆けた。
進路の先、二体の桃色の法衣の者が、すでに予測していたかのように蔓を伸ばしていた。網のように何重にも広がる蔓を避けた昴宿の先で、残った一体の大虚が体ごとその触手を鞭のようにしならせ叩き込んできた。
宙を踏み、跳ねるようにかわしながら昴宿が叫んだ。
「先ほどの長々としたご高説、ただの時間稼ぎか!」
かんに障る笑い声が響いた。
乾いた固い木が、はじけるような音が響いた。
法衣の者の一体が、完全に体をほどき蔓になった。体を網のように広げ、宙で待っていた大虚の触手へ、大虚ごと張り付けるように昴宿に覆いかぶさった。
人型を残した法衣の者が、静かに口を開いた。
「あなた方を相手に、暴力というもので勝とうだなんて最初から思っていませんよ」
残った人型の法衣の者が印を切った。先ほど昴宿を弾いた青白い板が、再度宙にいくつも出来上がっていく。大虚ごと、囲むように閉じ始めた。
貼り付けられた大虚の触手が、その体を閉じるようにへこませた。逃れようとする昴宿の足に絡みつき、蛙がその舌で獲物を捕まえるように飲み込み始めた。
望天が光刃を振るった。蔓、触手、丸ごと覆うものすべてを切り裂いた。刃先が青白い壁で溶けながら、その中で目に見える全ての蔓と触手を片っ端から塵に変えた。
青白い壁の中、明星が矢を放った。貫くように結界を砕いたその瞬間、昴宿が縫うように跳ねた。
砕けた破片の先、開けた視界の先に、小さな黒い環が浮かんでいた。
居るはずの法衣の者が、すでにその体大部分を環の中へ溶かし込んでいた。
「先日の借り、たしかに返させて頂きましたよ」
望天の刃が届く瞬間、黒い環が閉じた。断つように振るわれた刃が、何もなくなった宙をただ打ち下ろしただけで終わった。
昴宿が宙を蹴った。
視線の先、青白い半円形の球は、すでに完全に黒い膜に覆われていた。一体だけ残った大虚のからめとるように伸ばされた触手を、昴宿がかいくぐりながら突っ切った。
「あの膜を切れ!」
追突するように黒い膜へ突っ込んだ昴宿の背で、無言で望天が反応していた。
甲高い、金切り声のような音が響いた。
望天の白刃で上下に切り裂かれた黒い膜の中、切れ目から覗く青白く光る膜へ明星が矢を放った。
青白い膜の中、吸い込まれるように溶け抜けた矢の周囲が、渦を巻くように膜が重なり弾けるように砕けた。
昴宿が突っ込んだ。
あまりにも広い、青白い光の膜で囲われた空間だった。
何もなかった。大虚の影も形も残っていなかった。
その中心で、虹色の光を放つ真っ白な法衣を着た何かが、ただ静かに宙に浮いていた。
「初めまして、星の君」
白い法衣の者の手に、見知ったものが握られていた。
心臓ほどの大きさの、青白い炎を内から放つ黒曜石のような塊。
「切れ!」
昴宿の言葉よりも早く、望天の刃が白い法衣の者を頭から真っ二つに斬っていた。
「浅はかな——」
白い法衣の者の両手が動いた。左右に切り裂かれてなお、何事も無かったように両の手が胸の前で結ばれた。
「残念ながら、我々はその程度では死なない」
白い法衣の者が、印を切った。
刃を回避した黒結晶が、全員の見合う中央で虹色の光を放ち始めた。
「願いを持つものが、お前たち人間だけであると思うな」
急激に、黒結晶が光った。
青白い空間の中、一瞬で、地に落ちる隕石のようにがれきを貫いた。
地面が、勢いよく爆ぜた。
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