第二十二話 十二年の目覚め(二)

 ―― あなたには、この都においても虚を殺していただきたいのです


 先ほどの、だだっ広い部屋で小柄な女に言われた言葉。


 明星めいせいが、左手をじっと見ていた。


 小柄な女に握られた左手。その先に結び付けられている虹色に鈍く光る石。

 この石が、虚を打ち砕く力をもたらす。


 ―― 今のお前では何も起こらん


 夕方、明星に言い放った昴宿ぼうしゅくの言葉が頭をよぎった。


 願いとはなんなんだ? 俺があの都を襲う大虚を殺す理由。そんなものは――






 固い、鉄を打ち付けるような足音が、何一つ明かりのない通路の中で小さく響いていた。


 燭台を持った背の高い女が、巨大な背負い袋を持った明星を先導していた。


 監正かんせいと一緒に大部屋へ入ってきた、手甲をつけた女だった。小柄な監正の後ろに控えていたときからわかってはいたが、唯一の灯りである燭台の持ったまま先導されるとはっきりとわかった。強烈に大きいのだ。燭台の光が、女の枠を縁取るように漏れるからこそ余計に目立った。黒い壁が目の前にある感覚だ。


 入り口が、ぽっかりと闇のように空いている部屋の前で、女の足が止まった。


「この部屋だ」


 手甲をつけた女が、部屋の中のろうそくを手に取り、燭台の火を移した。

 小さく部屋の中に明かりがともった。


「お前は今日、ここに泊ることになっている」


 なっている。

 らしい。いつの間に決まったのだ。


 入り口から半歩引いた女の影から、明かりのついた部屋の中を覗き込むように見回した。


 思ったよりもしっかりとした作りだった。床に張り巡らされた白い石材の上、木で組み立てられた寝台が備え付けられていた。入り口側の壁の間際には、たいしたものは置けないが簡素な机まで置かれていた。


 部屋の中へ入った明星が、石材でできた床の上、持ってきた馬鹿でかい背負い袋を投げるように置いた。


「明日の朝、誰かがお前を呼びに来ると思うが、それまでこの建物からは出られない。また、別の階への移動も許されていない。何かわからないことがあるなら、今のうちに聞いておいた方がいいぞ」


「あの」

「なんだ」


 女と視線が合った。


「昼間、会いましたよね」

「ああ。兵部でな」


 見覚えがあった。

 昼間、村から向かった先の兵部、青白く光る転送陣の前で、望天を出迎えた兵部の人間だった。


望天ぼうてんって人はどこにいるんですか?」

「望天殿は——」


 女が眉を吊り上げたまま、何かを思い出すように目を閉じた。


 昼間、望天から揶揄された目のくまが、さらにひどいことになっているのに気が付いた。結局寝ていないのだろうか。


「別件で動いてる。何か伝えたいことがあるか」

「いえ、特には」

「そうか」


 軽くうなずいた後、女が姿を消そうと部屋の入り口に向かった。


「聞いてもいいですか」

「なんだ」


 出ようとした女から、めんどくさそうな声が出た。


「俺は、あの望天っていう人に都に来いって言われてきました。理由は、都にいる虚を狩れって。あの監正という人にも同じことを言われました。でも今日、あのバカでかい虚を見たとき、俺は弓が出なかった」


 明星の言葉を、手甲をつけた女が壁にもたれたまま聞いていた。


 左手に括り付けた石を、明星が女の前に突き出すように向けた。


「昨日、俺の村に虚が出たとき、この石が光って、俺の腕から弓が出ました。でも今日、同じように虚に向けたのに何も出なかった。あの真っ白な狐には、願いがないからだと言われました。虚を狩るのに願いがないから、弓が出ないんだと。

 もしこのまま弓が出なかったら、俺はここで何をすれば——」


 瞬間、部屋が大きく揺れた。


 壁に備えてあったろうそくが、勢いよく揺れた。火が付いたまま、こぼれるように地面へと落ちた。


 とっさの揺れに、這うように体を低くした明星が、床を転がるろうそくを拾おうと手を伸ばした。


 視線を低くした腕の先、鈍く光るものが見えた。


 女が、刀を抜いていた。






「天狐の契約者を見つけて頂きたいのです」


 大部屋の中、机の上に座る昴宿の前で、監正が右手を握り締めるように立ったまま、静かに強く言葉を切り出していた。


「都に現れた大虚を殺す。草木妖という存在が都を離れて敵に回った今、我々には虚への特効を持つものがおりません。あなたの契約者であった太白たいはくはすでに死んだ。ですが、先ほどの子は、あなたにではなく、あの子の持つ骨に選ばれたと聞きました」


「よく事前に調べたものだな」


 話す監正の後ろ、控えるように立っていた男が静かに動いた。

 吹き抜けになっている広場へ向けて小さく手を開いたのを、昴宿の視線がとらえていた。


 監正が静かに続けた。


「我々は、十二年前のあの日から太白をずっと追っていました。最後まであの男の行方ゆくえが分からなかった。ですが昨日、あの海岸沿いの村で太白の術が発動するのを我々は確かにとらえました」


「だが、太白はあの術で死んだ」

「代わりに、あなたは自由になりました」


 監正が、昴宿の座る机の前で、静かに言葉を続けた。


「この都では、ここ数日の間に虚に家族を殺された人間が大量におります。その者らの中から、虚への憎しみを願いとする新たな契約者を見つけていただきたい。そして、虚を滅していただきたいのです」


 昴宿の口が、不快感を示すように曲がっていた。


「太白との契約は、未だ終わってはいない」

「どういうことです?」


 昴宿の言葉に、監正の眉がわずかに歪んだ。


「太白は生きているのですか?」

「死んだ」


 監正の表情が、昴宿と同様に不快感を隠さぬ表情に変わった。


「ならなぜ、太白との契約が終わらないのですか? 好きなように生きて、人間などどうとでも思わないあなたが、死んだ人間へ義理を果たすとも思えない」


 監正の語気が、強くなっていた。


 昴宿が、静かに座っていた。監正の言葉に、何も返事がなかった。


「やはりあの子が——」

「お前が命をかければいいではないか」


 昴宿が、あざ笑うように言い放った。


「他人を使ってばかりで、自分はその土俵に上がるのを恐れている。常に誰かを犠牲にして、自分は安全なところから様子ばかりをうかがう。馬鹿げた処世術だ。年を重ねてなおのこと醜くなりよった。

 お前が! お前自身の願いで契約主になればよいではないか!」


「では私が、あの虚を殺すとあなたに願ったとして、叶うのですか?」

「今さら叶わぬわ」


 昴宿が吐き捨てるように言葉を放った。


「お前のような自己の都合ばかりを願う人間が、他人への見返りのない願いなど持ちようがない。そんなもの食らう気も起きぬわ。

 何にせよ、新たな契約者を見つけるなどお前の願いは聞かん。私が契約を行うのは私の望んだ時だけだ。お前が言うように、私は思うがままに生きているのでな」


 後ろ手に回していた監正の手が、真横に強く上がった。


 連動するように、監正の後ろに立っていた手甲をつけた男が強く笛を吹いた。一瞬で、幾人もの人影が、広場から昴宿たちの詰める部屋へなだれ込んできた。


 瞬間、昴宿の目の前に青白い光の粒が小さく立ち昇った。

 沸いたように現れた光の粒が、一瞬で、監正との間をさえぎるかのように光る青白い透明な板のようなものに変わった。


 監正が、手甲の男の後ろに跳ねるように引いた。

 間を分けていた青白い光の板が、昴宿を中心に折れるかのように閉じ始める。


 真っ白な昴宿の体を、立方体のように青白く光る板が取り囲んでいた。


 昴宿の毛が、ざわつくように逆立った。


 一瞬だった。

 一瞬で何倍にも膨れ上がった白い尾が、目の前に広がる青白い板を薄氷を割るかのように砕き散らした。


 その身を何倍にも膨れ上がらせながら、昴宿が凍るような声を出した。


「貴様どういうつもりだ」

「逃がすな! 必ず捕縛し息の根を止めよ!」


 監正から強い声が上がった。なだれ込んだ法衣を着た男たちが、昴宿を遠巻きに囲みつつ印を切る。

 床、天井、至るところから生えた青白く光る鎖が、一瞬で昴宿の体に強く巻き付いた。


 手甲をつけた男たちが、刀を抜き監正の前へ一列に並んだ。


「なるほど」


 昴宿が、巨大化した体に青白い鎖を食い込ませながら小さく笑った。


「私を殺し、私の骨を願いの器にしようというのだな?」


 手甲をつけた男たちの後ろ、人の壁に守られた監正が口を開いた。


「ここであなたを殺し、我々はその骨を使わせていただく。そうすれば、ただの道具が我々を拒むこともなくなる。その憎まれ口ももう聞かなくても済むでしょう」


「明星にはどう説明するつもりだ?」

「子供の意識などどうとでもできます」


 突如、昴宿から、部屋全体が震えるほどの笑い声が鳴り響いた。


 昴宿の足元から、何かが吹き抜けるように空間を薙いでいった。昴宿の体に巻き付いていた青白い鎖が、一瞬で砕けるように断ち切られる。

 刀を向けていた男たちの体が、大部屋の壁際まで吹き飛ばされていった。


 肥大化した昴宿の真っ白な尾が、とぐろを巻くようにうねっていた。


「貴様、選択を間違えたぞ」






 ろうそくが落ちる――


 受け止めようと腕を伸ばした瞬間だった。

 明星の左手に巻かれた虹色の石が、部屋を塗りつぶすほどに強く光った。


 なぜ今光始めたのか全くわからなかった。

 全くわからなかったが、わかっていることは一つだけあった。


 昴宿と連動している。

 何かが、さっきまでいた大部屋で起こっている。


 不意に襟をつかまれた。


 手甲の女だった。明星の襟をつかんだまま、刀を握る手で体ごと床に叩きつけられた。

 勢いよく床に叩きつけられた明星から、小さく苦悶の声が漏れた。したたかにくちびるを打ち付けたのか、鉄の味が口の中に広がる。


「どういうことですか——」

「悪いが、お前はこの部屋にいてもらう」


 女の膝が、明星の背をつぶすように押していた。

 頭を押さえられ身動きが取れない中、明星が右の手のひらを床に押し当てた。


 明星の背から、女を貫くように無数のいばらが一瞬で生えた。


「——ッ!」


 無数のとげが、女の腕を絡みつくように浸食していった。押さえつける足、刀を握る手その隙間、至るところすべてに小さな、ただ確実に固く鋭い緑色のとげが、めり込むように食い込んでいった。


 背に乗った女の体重が消えた。解放された明星が、跳ねるように態勢を戻しながら口をぬぐった。

 脂汗を流し、声にならない声を上げる女を睨む。


 左手に握った石が、さらに輝きを放ちだした。


 明星が部屋を飛び出した。来た通路を走る。真っ暗だった道が、左手の光で見えるようになっていた。どこをどう来たかはわからないが、一本道だったのは確かだ。


 奥の方から昴宿と監正の声が聞こえた。何かが叩きつけられるような音も聞こえる。


 明かりが漏れる部屋へ飛び込んだ。


 昴宿がいた。大虚と対峙したときと同様、膨れ上がった白い狐の化け物になっていた。


「昴宿!」


 明星が白い狐めがけて走った。


 途中、手甲の男がかぶさるように襲ってきた。


 突き出した左手が、一瞬で虹色に輝く弓が形を作っていた。捕らえようと体ごと飛び込んできた男の頭を掴み、踏み台のように蹴り空へ跳んだ。


 空中で、昴宿の尾が薙ぐように飛んできた。

 反射的に昴宿の尾を掴み、飛び乗るように白い背にまたがった。


「何だこれ……」


 荒い呼吸の明星が、周りを見回しながら声を出した。


「私を殺すらしい」


 昴宿から、心底楽しんでいるような声が出た。


 手甲の男たちの背後に控えた監正と目が合った。

 小さく、印を切るのが見えた。


 瞬間、明星をのせた昴宿の周りで、見たこともない黒い円が走り始めた。


 来る。


 身構えた瞬間、黒い円の中から腕のような触手が沸くように幾本も生えた。黒い触手が螺旋を描きながら明星を掴み、一瞬で、背に乗せた明星のみを地面へ引きずり込むように飲み込んで消えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る