第 二 話 里山の子(二)
「都に入れなかった?」
神経質そうな声だった。
板張りの間で、長机に広げられた巻物をにらむように確認していた痩せた男が、訝しそうに声を上げた。
雑貨の立ち並ぶ入り口の壁際で、大きな包みを背負った若い男が、簡素な布の帽子を握りしめながら縮こまるように立っていた。
「都へ入る街道の門で、見たことないほどの数の衛視が立っておりまして」
「通行証は渡しておいたでしょう」
眼鏡をはずしながら、痩せた男が冷たく言い放った。
「それが……、何か『特別な許可』がなければ立ち入れないと」
「特別な許可?」
「詳しくはわからなかったんですが――」
入り口に立つ若い男が、手に握った布でひたすらに顔の汗をぬぐっていた。
「はじめは袖の下でもよこせという話かと思ったんですが、そういうわけでもなく、ただ、とにかくここは通せない。それだけをただずっと一点張りされまして。似たような行商の連中もまるごと片っ端から門の前で止められたものですから――」
「それで、持ち帰ってきたと」
腰を低くしたまま、静かに若い男がうなずいた。様子を窺うように前に進み、背負った包みを長机に乗せて差し出した。
痩せた男が包みをほどいた。
神経質な男の目が、さらに細く険しさを増した。
しっとりとした、目に映える色合いの彩やかな織物が、初めからそうであったように整えられたままいくつも重ねられていた。
「持っていったまま、ってことですか」
「私では、その、どうすることもできませんので」
目の前のものを見つめたまま、痩せた男がこめかみを何度か指で叩き続けた。
一呼吸の後、ゆっくりと立ち上がったかと思うと、奥にある漆の棚から小さな袋を手に取り戻ってきた。
「本音で言えば、駄賃も渡したくない話なのですが――」
若い男の手に、いくらかの小さな銀を渡した。
「次行ったときも同じなようでしたらもう、ほかの行商人にでも売ってしまった方がいいのかもしれませんね」
若い男が、無言のまま懐に銀をねじ込んだ。うなずくように頭を下げると、呼び止められるのを避けるかのように店から去っていった。
誰の気配もなくなってから、静かに痩せた男からため息が漏れた。
都に入れなかった――。本当の話なのだろうか。今までにそんなことを聞いたことがない。
手元に残った織物を見た。
ほかの行商人にでも売ってしまった方が。言ってはみたが、さっきの男では無理だろう。交渉ができるとは到底考えられない。下手な値段で買いたたかれるだけではないのか。
もし、本当に都に入れないならば。そしてこれがこのまま続くとしたら。あまり考えたくはなかった。
「小花」
「はい」
奥の間から、短く袖をまくり上げた若い女性が出てきた。
「ちょっと出かけてくる」
*
日が、高台にある寺へ強烈にさしていた。
参道の奥、本堂の前の開けた広場の
「村長」
木陰の中から、老人が声の主を振り返った。
「雑貨屋か」
雑貨屋と呼ばれた痩せた男が、木陰に入り足を止めた。
「
「例年通りだな」
視線の先、本堂前の広場の中に、人間二人分を越える高さの丸太で組まれた櫓が立っていた。日差しを避けたのか、上裸になった三人の男が赤い紙でできた灯篭を櫓に括り付けていた。
例年、この櫓の最上段に鐘を載せ、村の男たちが集まり本祭を行うのだった。
「何か用か」
櫓の作業を見つめたまま、老人が隣に立つ痩せた男に声をかけた。
「本祭に出る気のないお前が、わざわざ来るからには話があるんだろう」
「わかりますか」
痩せた男から、小さく笑い声が出ていた。
「――あまり、いい話ではないんですが」
静かに、痩せた男が距離を詰めた。
「先日、うちの織物を都に売りにいった男がいたんですがね。都に入れなかったといってそのまま帰ってきまして」
「ほう」
「通行証は持たせてたんですけども。何やら『特別な許可』がないと入れないとかいわれて、突っ返されたそうです」
「へぇ」
気乗りしない返事の老人へ、痩せた男が続けた。
「明日、本祭に、都から人が来るとか」
痩せた男の言葉に、老人からは何の反応もなかった。
「若い衆を集めて人足を募る、とかなんとか。本当の話なんですかね」
「誰から聞いた」
「噂ですよ」
姿勢を変えないまま、老人が痩せた男の顔を目だけで流した。
小さく手招きをし、木陰の奥、溢れる水を蓄えた井戸へ足を進めた。
「都に入れないってのは、他のやつからも聞いてる」
一瞬、痩せた男の目が険しくなった。
「四日前に同じ話を聞いた。お前からも言われるってことは、実際本当なんだろう」
「明日の、若い衆を集めるっていうのは――」
「その後に持ち掛けられた」
「役人からですか」
「いや」
老人が、腰に括り付けていた小さな鈴を取った。
静かに、痩せた男の前に出した。
「こいつを持ってきた女だ」
痩せた男が目を細めて鈴を見た。透明な、水晶のような何かでできている。ただ、その光り方が異常だった。
虹色に発光している。
「金剛石、ですか?」
「さあな」
村長が、紐につるされた小さな鈴を指ではじいた。水晶のように透明な鈴の中で、さらに小さな透明の玉が四方へとはじけるように飛び跳ねた。
ただ、何一つ音がしなかった。
目を細めた痩せた男の前で、村長が静かに続けた。
「音のならない鈴、何のためにあるのか全く分からん。しかもこいつ、日陰に入っても自分で虹色に光りやがる。全く仕組みがわからん」
しばらくの後、痩せた男が村長へと視線を戻した。
「で、こいつをもらったから、人間を送ると」
「人聞きの悪い」
嫌そうに老人が言った。
「かしこまってな。若い人間に説明させてもらうだけでいい。人を集めてもらえないか——。そういわれてよ。だったら今度の
「また裏のありそうな……。そんなんで請け負うなんて、よほどの美人か何かですか」
「顔は、見えんかったよ」
痩せた男の嫌味に、村長が不機嫌な調子で続けた。
「こう、変な服でな。都だとああいう服が当たり前なのかもしれんが、頭の上から体まで、全部すっぽりと布を被るような感じで、こう、口元しか見えん」
「怪しすぎでしょう」
飽きれたように痩せた男が言った。
「ほっといたって都には人間が流れ込むんですよ。それなのにわざわざ人間を募ってくるなんて、よっぽどでしょう。まして今まで入れた人間ですら入れなくなってるっていうのに」
「言いたいことはわかるが――」
痩せた男の言葉を遮るように、老人が手を出して止めた。
手に持った鈴を、ゆっくりと井戸からあふれた水がめに近づけた。
溢れるほど貯められた水の上で、軽く振った。
「――飲んでみろ」
老人の言葉に、痩せた男があからさまに嫌な顔をした。ただ貯まっただけの水がめの水、それをそのままで飲むなどは到底行いたいことではなかった。
「本気ですか?」
「いいから飲め」
真剣な表情をしていた。
痩せた男が表面の水を少しだけすくい、一口だけを口につけた。
男の表情が一気に変わった。
「——酒」
「な」
老人が、再度鈴を痩せた男の前に見せた。
「思ったことを考えながらこいつを振る。すると、普通では考えられないことが起きる。水が酒になったり、青い実が熟したり、何かがおこる。全く理解できねえが、こいつをまたいくつか用意して持ってくるらしい」
「なんなんですかこれは」
「わからん。わからんが――」
老人が、鈴をきつく腰に繋いだ。
「とんでもない価値があるのは確かだ」
痩せた男の視線が、腰の鈴から離れなかった。
「雑貨屋。下手なことは誰にも言うな」
櫓から、体に響く大きな音が鳴った。
巨大な銅製の鐘を櫓へ載せた若い男が、満面の笑みで打ち叩いていた。
「都の件は本祭の後で考えよう。それでいいな」
無言で、痩せた男がうなずいた。
男の返事を確認もせず、老人が櫓のほうに歩を進めた。
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