第10話 アメリア・エーデルワイスという名の才能
アメリアの部屋の扉には、相変わらず鍵がかかっていなかった。この扉に、まともに鍵がかけられる日はいつになるのだろうか? アメリアの無用心ぶりに今日もため息を漏らしつつ、文則は室内に踏み込む。
部屋の中の惨状もまた、相変わらずだった。本や台本は散乱するわ、クローゼットから引っ張り出された服はあちこちに散らばるわ、目も当てられない有様である。
「いったい、いつになったら、散らかしたら片付けるっていう当たり前のことを覚えてくれるんだろうな……」
ほとんど見込みのない可能性のような気がする。事実、きっとそうなのだろう。
なるべく、服や下着、本や台本を踏まないように気をつけつつ、部屋の隅にあるこんもりとしたシーツの塊へと向かう。
その塊からは、アメリアの首から上だけがぴょこんと生えていた。長い、桜色の髪の毛は、てんでばらばらの方向にそれぞれ向いている。
「無駄だと思うが、一応言うぞ。起きろ、アメリア。朝だぞ~」
そう声をかけながら、用意してきた蒸しタオルを寝ぐせで落ち着きのない頭に押し当てる。「ふみゅ……」と、寝ぼけた声をアメリアが上げた。
経験上、彼女の意識がすぐに覚醒することはないだろう。今日は少しだけ時間に余裕があったため、床に散乱している本や服を少しでも片付けることにした。しょせんは、焼け石に水なのだろうが。
「……にしても、相変わらず本が多いよな。また増えたか?」
拾い上げた数冊の本のタイトルを見下ろしながら文則は呟いた。
アメリアは、意外と読書家である。それも、そのジャンルは極めて多彩だ。童話、小説、ライトノベルに専門書……濫読家、といってもいいかもしれない。蔵書数だって、軽く千は越えているだろう。
今、文則が適当に手に取った数冊だって、ジャンルの統一性がない。『行動分析学概論』『ユングとフロイトの対話』『お兄ちゃんが好きって言ってくれないなら死んでやるっ』『遺書~此方に宛てて~』『恋の弾丸はバニーガールを撃ち抜けない』『集合的無意識を科学する』『戦車道ノスベテ』『エレンディラ』……エトセトラエトセトラ。
以前、なぜこんなに色んな本を読むのかアメリアに聞いたことがある。その時の彼女の答えは、「必要だから」というたった一言のみだった。
なにに必要なのかまでは、彼女は説明しなかった。それはきっと、言うまでもないことだからに違いない。「恋を教えて」と文則に言ってきた時だって、彼女は同じ目的で動いていた。アメリアはいつだって、「演技」という表現技法を極めることだけを考えているのだ。
「……」
少しだけ興味を惹かれて、『恋の弾丸はバニーガールを撃ち抜けない』の表紙を捲ってみる。アメリアが今、声を当てているアニメの原作ライトノベルだ。
口絵にさらっと目を通し、一ページ目を開いたところで……文則は言葉を失った。
余白にびっしりと、細かい文字でほとんど隙間なく書き込みがされていたからだ。
それらの書き込み、すべての意味が分かるわけじゃない。文則では分からないような、記号だけの書き込みだって大量にある。
辛うじて読み取れる部分だって、拾い読みでは意味を理解することすらできない。それでも、キャラや物語のテーマ、さらには作者そのもののバックボーンに対する考察に至るまで、文則では及びもつかないぐらいに深く掘り下げようとしていることは伝わってきた。
「……」
演技に対する、アメリアの姿勢を垣間見てしまったような気がして、文則はページをパタリと閉じる。
「……なんで、ここまでできるんだよ」
まだすやすやと寝息を立てているアメリアを横目に、そんなことを呟きながら文則は本を棚に戻していく。
普段のアメリアは、能天気で何も考えていないようにしか見えないのに、彼女の努力の片鱗をこうして目の当たりにするたびにもぞもぞと落ち着かない気持ちになる。
だけど、この一年、いつだって彼女はそうだった。
台本の読み込みには余念がない。演じる作品どころか、脚本家や原作者がこれまで発表してきたすべての作品に彼女は目を通すのだ。
そしてその、透明な瞳で、キャラクターや作品を通して作者の本質そのものまで読み取ろうとする。理解し、噛み砕き、自分の中に落とし込むまで、眠ることも食べることも放棄して物語そのものに向き合おうとする。それが、文則が近くで見続けてきた、アメリア・エーデルワイスという名前の才能だった。
部屋の惨状を片付けている間に、アメリアがもそもそと動き出す。
「起きたのか?」
「文則……」
とろんとした目をアメリアは向けてくる。
それから、ぼんやりとした顔つきのまま、
「……流体金属のその特性は、流動性の高さとそれに伴う驚異的な対衝撃吸収性能よ」
などと言ってきた。
「……はい?」
「敵性個体は、最新式の戦闘用ヒューマノイド。旧式の文則では、装備の面でも、基本性能の面でも、大きく劣ってしまっているの」
「人をいきなり劣等呼ばわりとは良い度胸だな!?」
「はっきり言って、相手からしてみれば文則はただのゴミ。鉄屑程度の脅威でしかない存在だわ」
「さらに悪くなっている!? もうそれただの悪口じゃん!?」
「でも、安心して。単純な
それから、妙にキリっとした口調で、彼女は高らかに告げてきた。
「
「ロートルどころか、俺は華の十代だ!」
「あうちっ」
勝手に
夢の世界から引き戻されたアメリアは、シーツの隙間から腕を出して叩かれた額を両手で押さえた。
「……はっ、文則がいる」
「さっきからいるぞ」
「
「そんなSFチックに荒廃した世界は存在しません」
「……そう」
少しだけ、アメリアが残念そうな表情を見せた。
「せっかく、文則に核融合炉を積み込んだところだったのに」
「なんてもん搭載してくれてんだ!?」
「人工太陽計画は夢の中へと消えたのね……」
また、壮大な設定の夢を見ていたらしい。正直、ついていけなくて、文則の口からはため息しか出てこない。
「……変わらないのな、お前って」
思わず、そんなことを口走ってしまう。
この一週間、アメリアの文則に対する態度に変化はなかった。『恋を教えて』と言ったことも、『言い訳ばかり』と非難してきたことも、まるですべて忘れてしまっているかのようだ。毎朝起こされるまで惰眠を貪り、文則に介護されながら学校へ行き、アパートへと帰ってきたらひたすら台本を読みふける。そんな毎日を送っている。
だが、文則の方はそうもいかない。彼女に言われた言葉を思い出すたびに夜は寝つけなくなってしまうし、今だってアメリアが本当はなにを考えているのか気になって仕方がない。
いつ、また、『恋を教えて』と切り出されるのかと、気づけば身構えている自分がいる。そしてそのたびに、自分がなにかを期待したくなっていることを自覚して、自己嫌悪に陥ってしまう。『恋愛感情』などという俗な理由で、アメリアはそんな言葉を文則に言ってきたわけではないのだから。
「はあ……考えても無駄ってのは分かってんだけどな」
自分の常識の物差しで、アメリアのことを理解できるわけがない。そんなことは分かっているくせに、簡単に納得して割り切れるものでもない。そんなところまで平凡な自分を、文則は情けなく感じた。
「……まあいいや。とにかく、そろそろ着替えて、ご飯にしないと学校に間に合わなくなっちゃうぞ」
「ZZZZZZ」
「俺がアンニュイな気分に浸っている間に優雅に二度寝ですかこの野郎! 頼むから、俺の知ってる常識で生きてくれませんかねえ!?」
その後、パンツとブラジャーを身に付けさせて制服へと着替えさせるのに、文則は十五分ほどかかったという。
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