第6話 恋を教えて
放課後になり、文則は教室を出て芸能科のある棟へ向かう。
アメリアを迎えに行くためだ。これも、アメリアの『お世話係』の仕事の一環である。
以前、うっかりアメリアを学校に残して一人で帰った時は大変だった。急に警察から電話が来たかと思って交番に行ってみれば、ドーナツショップで勝手にドーナツを食べ始め、通報されたというのだから驚きだ。
しかも当のアメリアは、自分が悪いことをしたという自覚がほとんどないらしい。迎えに行った文則に向かって、「文則も食べる?」などとちぎった欠片を差し出してきたぐらいだ。
とにかく店主には謝り倒し、警察にも頭を下げ倒しまくったところで、アメリアの食べたドーナツ分の代金を払って彼女を引き取り『ハイツ柿ノ木』へと帰ったのだが……そこでもまた、叔母からの説教をなぜか文則が食らうことになった。
「お世話係の自覚が足りない」だとか「保護者としての責任を持て」だとか、そんな感じの内容だ。それを、声を荒げるでもなく、淡々と告げてくるのだから恐ろしい。二度とあんな目には遭いたくはない。
というわけで、それ以来はお世話係として、毎日放課後にはこうしてアメリアを迎えに行くようにしているのだ。
「おお、今日も娘さんのお迎えですかい、お父さん」
と、いつの間にか顔見知りになってしまった芸能科の生徒にからかわれたりしながらも、芸能科の教室に辿り着いた。
中を覗き込んでみると、アメリアは机に突っ伏して、すやすやと寝息を立てている。ときおり、とても幸せそうに、むにゃむにゃと口元を動かしていた。
「お、パパじゃん。今日もお疲れ~」
と、話しかけてきたのは、髪の一部分だけを金のメッシュに染めた女子だった。確か、最近すごい人気のあるロックバンドのドラムの子。名前は忘れた。
「アメリアちゃん、今寝ちゃってるんだよね。起こしてこようか?」
「あ、じゃあ……お願いします」
つい、丁寧語になってしまう。有名人相手だと、つい卑屈な感じに腰が引けてしまうのは、庶民のサガだ。
「アメリアちゃーん。パパ来てるよー」
と、金髪メッシュの子がアメリアに駆け寄っていって、肩をゆさゆさ揺すっている。
目を覚ましたアメリアは、右を見て、左を見て、そして文則を見てから、再び机に突っ伏した。
「っておい! お前は冬眠中の熊か! もう、春なんだからシャキッと起きろ!」
つい、廊下からそんな突っ込みを入れてしまった。金髪メッシュの子が、おかしそうに腹を抱えている。
「……っ、と、とにかく! ほら、立て。行くぞ!」
躊躇はしつつも、教室の中に踏み込んでアメリアの腕を取って強引に立たせる。アメリアは「すぴー……」とまだ寝息を立てつつも、案外素直に体を引っ張る文則について歩いてくれた。
昇降口に辿り着いたところで、「はっ」とアメリアがようやく意識を覚醒させた。
「目、覚めたか?」
「文則……」
ぺたぺたと文則の顔を触ってくる。
「……なんだよ、おい」
「文則の右目が義眼じゃなくなってる」
「もともと、義眼じゃないから!」
「だって、文則の右目はかつて悪魔に奪われて、その代わりに
「また変な夢を見たな、お前……」
「使うたびに脳が侵蝕されていく苦しみに耐え抜いてきて、ついにさっき……悪魔になってしまったはずよ」
「俺、めっちゃ過酷な人生送ってますね……」
「でも大丈夫、アタシはあなたがまだ人間であるうちに滅してあげる。悪魔として死ぬぐらいなら、人間として死にたいと、文則はアタシに言っていた……」
「滅すな!」
「えうっ」
額にチョップを一発落として、アメリアを現実へと帰還させる。前回は火あぶり、今回は悪魔堕ち。自分はもしかして嫌われているのだろうか? と疑心暗鬼になりそうだ。
額をさすさすと擦りながら、アメリアが恨みがましい目を向けてくる。
「文則は鬼畜ね」
「人聞きの悪いことを言うな」
「……家畜ね?」
「豚さんとか牛さんとかと同じカテゴリに入れるのもやめろ」
「社畜……」
「まだなってない!」
「駆逐……」
「されんの!? なに、俺に恨みでもあんの!?」
その言葉には反応せず、アメリアは下駄箱から靴を取り出して履き替えた。
それから、ぽやぁ~っとしたなにを考えているのか分からない目を向けてきて、口を開く。
「行かないの?」
「なんで、こう、ペースを毎度乱されないといけないんだろうな……」
諦めた様子でそう呟き、文則も靴を履き替えた。
二人並んで学校を出る。校門前の桜並木は、春先は鮮やかな花を咲かせていたが、ゴールデンウィークを過ぎてしまった今ではもうすっかり葉桜となっていた。
ちらりと横目でアメリアを見る。彼女の桜色の髪の色は、季節が移り変わっても散ってなくなることはない。風に揺れる美しい髪は、彼女が特別な存在であることを物語っているように思えた。
「文則」
と、そんなことを考えていたら、突然アメリアから名前を呼び掛けられる。
「……っ、な、なんだ?」
「お願いがあるの」
「ドーナツなら買わんぞ。朝食ったろ」
「ドーナツではないわ」
「なら、なんだよ」
「それは……」
アメリアが立ち止まる。それに気づいて、文則も足を止めた。
真剣な気配を感じて、体ごとアメリアの方へと向ける。彼女は、静かな瞳で、文則の顔を見上げていた。
「ねえ、アタシに――」
唇が、言葉を紡ぐ。
世界にすら声を届けたことのある唇が、今、この瞬間、文則のためだけに空気を震わせる。
「――アタシに、恋を教えて?」
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