第39話 相容れない存在 その4
アーリンが出発して三日が過ぎた。
彼女が今どこにいるかはわからないが、そろそろ計画を実行してもいい頃合いだろう。
この三日の間に、ウレタロによる犠牲者はさらに増えている。
噂によると、ウレタロを恐れ始めた領主が騎士を派遣したのだが、ことごとくウレタロに返り討ちにあったらしい。
これを機にウレタロは領主を殺そうと画策しているなんて話も出てきている。
また、領主の方がウレタロの機嫌をとるために、騎士の位を授けるなんて噂もあるくらいだ。
体を清め、動きやすい服に着替える。
防御は一切捨てて、スピード重視でいくからいつものコートは羽織らない。
武器も持たず、この身一つで闘うつもりだ。
俺の覚悟はもう決まっている。
あとは一歩を踏み出すだけだ。
徒歩でウレタロの屋敷までやってくると、門を守っていたヤクザ者がすぐに俺を中に入れてくれた。
「これはドレイク先生、よくお越しくださいました」
「ずいぶんと簡単に入れてくれるんだな」
「そりゃあもう、ドレイク先生が来たら失礼のないようにしろと言われていますんで」
ウレタロの気遣いに少しだけ心が痛んだけど、この家も財産も血塗られているのだ。
これは比喩でもなんでもない。
屋敷はピカピカに磨き上げられていたが、ワーウルフの鼻はいたるところから漂ってくる血の匂いを嗅ぎつけていた。
応接室で待っていると、やけにはしゃいだ様子のウレタロが入ってきた。
「よお、遊びに来てくれたんだな! なかなか来ないからこっちから迎えに行こうかと思ってたんだぞ!」
「遊びに来たわけじゃない、こいつを返しに来たんだ」
俺は油断なく立ち上がり、先日ウレタロが寄こした手土産をテーブルの上に置いた。
「なんだよ、遠慮しなくてもいいのに」
「遠慮しているんじゃない、こんなものは受け取れないって言っているんだ」
ウレタロのこめかみがピクリと動いた。
「こんなものって……どういう意味だよ?」
「これはお前がカルバッジオから奪ったものだろう? だから、そんなものは受け取れないんだよ」
途端にウレタロの目がカッと見開かれた。
「俺はこれまで散々奪われてきた! それを取り戻して何が悪い!」
激高するウレタロを俺は静かに見つめた。
「お前は奪われたもの以上を取り返していないか? しかも関係ない人まで巻き込んでいる」
今さら議論なんて無駄であるとはわかっている。
それでも俺は最後まで諦めたくないのだろう。
心のどこかで何とかなるかもしれないと思いながら言葉を重ねてしまう。
「弱いものから強いものが奪う、それがこの世の中だ」
「そう言う部分があるのは認める。だが、人間は助け合うことによって発展してきたという側面もある」
「うるさい!」
ウレタロが振り下ろした拳で壁が割れ、通路まで貫通する巨大な穴が開いた。
「先生まで……、先生まで俺を裏切るのか?」
「裏切るんじゃない、もうこんなことはやめろと言っているだけだ」
「こんなこと?」
「復讐は済んだのだろう? これ以上殺すな、女たちも開放してやるんだ」
「復讐が済んだ? 済んでなんかいねーんだよっ! 俺の心からは、いつまでもどす黒い感情が溢れ出してくる。まだまだそれは止まらねえ!」
「それは、ウレタロが魔物の力を取り込んでしまったからだ」
「そのきっかけは先生だろう!」
しばらくの沈黙があったのちに、ウレタロは落ち着いた声に戻って訊いて来た。
「それで、先生は何をしに来たんだよ。これを返すためだけじゃないんだろう?」
「ああ、ウレタロの言う通りさ。この事態はお前だけが悪いんじゃない、俺にも責任はある。だから決着を付けにきた」
応接室に濃密な殺気が満ちていく。
「つまり俺を殺すってことだな。先生もずいぶんと勝手じゃねーか。出来損ないはころすってわけだ。俺とそうたいして変わりがねーや」
ウレタロが言うことも完全に間違いではないだろう。
「俺たちは魔物と人間みたいな関係さ。どっちが魔物でどっちが人間ってことじゃない。ただ相容れない存在ってだけなのさ」
「わかった……。いいぜ、相手をしてやるよ」
ウレタロは見下すように宣戦布告してきた。
これ以上の言葉は無駄でしかない。
一度踏み越えた境界へは、もう戻ることはできないのだ。
俺は最初からワーウルフの力を100パーセント開放して踏み込んだ。
出し惜しみはしない。
些細な駆け引きで勝利を手繰り寄せられるような相手でもない。
初手で奴の腹をえぐる算段だった。
しかし、俺の爪がえぐったのは先ほどまでウレタロがいた場所に残された壁だけだ。
「そんなスピードで俺にかなうと思ってんのかね……」
ウレタロはニタニタと笑いながら数メートル離れた場所で俺を見ている。
認めたくはないが、奴の素早さは俺の数段上だ。
「まだわからんだろう? 勝負は素早さだけじゃない」
「余裕かましてんじゃねえっ!」
ウレタロの腕が伸び、高速の拳が俺の顔面を撃ち抜いて離れていく。
とっさに急所は外したけれど、鈍器で殴られたような衝撃である。
魔力を使い拳だけを硬質化しているようだ。
力を開放しているおかげで気を失わないで済んでいるが、およそ目視で見切れるものではない。
ウレタロの攻撃力は予想以上だった。
「どうした、どうした? 反撃して来いよ、先生」
ウレタロはせせら笑いながら次々と打撃を打ち込んできた。
俺は部屋の暗いところまで下がって、陰の中に身を溶かす。
日中なので完全に姿を闇に溶かすことはできないが、少しは目標をブレさせることができるだろう。
「へえ、そんな技も使えるんだな。だけど、滅多打ちにすれば関係ないぜ!」
奴の左目が深紅に燃え、連打の勢いが激しくなった。
あまりの猛攻に俺は立っていられないほどになる。
ガードはしているが奴の拳は情け容赦なく俺を打ちのめしていった。
「先生だけは俺の味方だと信じていたのにさ、がっかりだよ……」
ウレタロの左目から血の涙が流れていた。
こいつは本気で悲しんでいるようだ。
「殺す前にアンタを俺と同じ目に遭わせてやるよ。信じていたものに裏切られる気持ちをわからせてやるんだ。アンタの大切なものはひとつ残らず踏みにじる。手始めにアーリンでもいただこうか。今さら泣いて謝ってもおそいからなっ!!」
やはりそうなるか。
アーリンを逃がしておいたのは正解だったようだ。
俺は思わず苦笑してしまった。
「何が可笑しい?」
「いや、
「貴様ぁああああああ!」
再びウレタロの連打が始まり、俺は防御だけで手一杯になる。
だがやっぱりウレタロは戦闘の素人だ。
余計なおしゃべりが多すぎだし、手を抜いて人をいたぶるのも命とりである。
まだ俺に勝機はある。
俺は最後のチャンスにかけるべく、そっと行動を開始した。
ウレタロの猛攻を前に、壁にもたれて立っているのが精いっぱいの状態である。
そんな俺の両手首をウレタロは右手で掴んだ。
そうやって俺の爪を封じたつもりなのだろう。
どうせ俺にはもう腕を振る力は残っていない。
「さて、この危険な両腕を粉砕しておこうか。いたずらされると困るからな、へっへっへっ」
ウレタロが力を入れると骨がミシミシと音をたてた。
このままでは粉々に砕かれてしまうだろう。
もう抵抗する力は残ってはいないが、指を動かすくらいはまだできる。
そして、俺が狙っていたのはまさしくこの体制だ。
奴が油断しきり、俺の動きが避けられることのないこの状態……。
魔力が垂れ流し状態になるというリスクを負いながらも、すでに封印のグローブは脱ぎ去っている。
あとはわずかに指を動かしソウル・リーパーで奴の手をわずかに傷つけるだけですべてが終わる。
揺り戻しが来れば、俺も助からないかもしれないけれど……。
黒曜の爪が輝き、ウレタロの手に薄く血がにじんだ。
「んー、何をあがいてんだ、先生? もうお前にできることは何もないぞ。俺の裏をかいたつもりだろうが、アーリンは必ず見つけ出すからな。組織の力を利用すればそれくらいはわけないことだ。今から楽しみでぞくぞくしてくるぜ。お前の女が堕ちるところを特等席で見せ……、えっ……」
突然、ウレタロはがくりと膝をついた。
自分の体に何が起こっているかがわからないようで、全身をペタペタと触って確かめている。
「お、俺に何を……した……」
ウレタロの体が痙攣し始めるが、俺の方も魔力欠乏に陥り、とてつもない吐き気が込み上げている。
封印のグローブをはめ直したいのだけど、もう体を動かす力も残っていないのだ。
アメミットの力を使った代償は大きく、俺の命も風前の灯火のようだ。
「お前の魂に……直接攻撃を与えた。もう……終わり……だよ……」
「そ、そんな……俺は死ぬのか? い、いやだ! まだ死にたくねえ!」
かすむ眼でウレタロを見ると髪の毛が抜け落ち始めていた。
皮膚もカサカサに乾いているようで、目に見えて生気を失っている。
「まだ、女を抱き足りねえ。どうせ死ぬならルッキーをぶっ殺してからだ、それから、それから……」
「諦めろよ、俺たちは助から……ねえ」
「いやだ、いやだよぉ……。先生、何とかしてくれよ。あんたは魔導改造医だろう?」
「ふふ」
俺自身も死にそうだというのに、なんだか笑いが込み上げてきた。
「魔導改造医はやめようと思うんだ。年下彼女に叱られるからな」
アーリンのためなんだから仕方がないだろう?
それに俺も今回のことで納得した。
二度と人間の体に魔物の部位はくっつけない。
まあ、もうすぐ俺も死ぬんだけどな。
「くそう、これからだったっていうのに。俺の人生はこれからだったのに」
ウレタロの耳に俺の言葉は届いていなかった。
俺の方もそろそろ限界だな。
目の前が暗くなってきた。
最後にアーリンの顔が見たかったけど、大丈夫だ。
目を閉じればちゃんと瞼の裏に見えるから。
「クラウスさん!」
うまい具合に幻聴まで聞こえる。
だけど、どうせならもう少し優しく呼びかけてほしいな。
そんな切羽詰まった声じゃなくて、笑いかけてくれるときのような、あの優しい声ならもっと嬉しいのに……。
「すぐに封印のグローブをはめますからね」
自分の体がなにか柔らかいものに包まれるような感じがして、少しだけ感覚が戻ってくる。
これはアーリンの匂い?
ぼやけたままの視界の中で料理人姿の女性が涙を流していた。
「これを飲んでください」
唇に瓶の感触がして、液体が口中に流し込まれた。
だけど、うまく飲み込むことができず、ほとんどが口からこぼれ落ちてしまう。
飲み込む筋肉がもう上手く働いていないんだろうな。
すると、今度はもっと柔らかい感触がした。
そして、それは包み込むように俺の口を覆い、少し強く液体を流しこんでくる。
ああ、この味には覚えがあるぞ。
たしか魔力回復薬の味だ。
そんなことを考えていると、ぼんやりしていた意識が少しずつはっきりしてくる。
「アーリン……?」
髪の色やメイクで別人のようだけど、目の前にいる料理人からはアーリンの匂いがする。
「よかった、少し回復してきましたね」
「どうして君がここに?」
「料理人に化けて、ずっと潜入していたんですよ。ここに努めたがる人はいないから、潜り込むのは簡単でした。そうやって様子をうかがっていたんです」
「どうして……」
アーリンはこうして俺を助けるために、危険に身を投じていたのだ。
「カハッ!」
横を見ると、ウレタロが大量の血を吐いているところだった。
もう長くはないようだが、かける言葉はどこにも見つからない。
だから俺はじっとその最期を看取る。
やがてウレタロはカサカサに乾燥し、ミイラのように干からびて死んだ。
同時に俺の肉体にも激痛が走る。
「クラウスさん!」
「アメミットの力を使った揺り返しだ。もう、ダメかもしれない……」
「そんなことは私が許しませんからね! しっかりしてください。ここは危険ですから、とにかく脱出しましょう」
アーリンに担ぎ上げられて、館の裏門から出たところまでは覚えている。
だけどそこから先の記憶はない。
次に俺の意識が戻るのは三日後のことだった。
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