第9話 二人は恋人 その1


 昨日を休養に充てたおかげで、体内の魔力は半分ほど回復した。

呪いのせいで治癒魔法を使ったときだけ魔力回復が著しく遅くなるのだ。

まったく忌々しい紋章である。

今日も診療は休みにして、のんびりと過ごそうと思っていたのだが、アーリンのせいで早起きをしてしまった。

特にやることもないので、仕事でもするか? 

アーリンには魔導改造医を辞めてほしいと言われているけど……。


 『診療中』の看板を出したのは午前九時のことだった。

こんなに早い時間に診療所を開けるのは久しぶりのことだ。

どうせ客なんて来ないだろうから玄関の掃除をした。

普段は通いの女中を頼んでいるので、自分でするのはこれまた数年ぶりだ。


 掃除が終わるとまたもや手持ちぶさたになってしまう。

普段なら本でも読みながらのんびりと患者を待つのだが、今日はどうにも落ち着かない。

それというのもアーリンのせいだ。

あいつ、本当に俺と付き合う気か? 

アーリンがどこまで本気なのかわからないから俺の心まで宙ぶらりんになってしまう。

もしかしたら一生に数度しかこない幸運の一つが来ているのかもしれない。

だけど、そう簡単に今の生活も手放せないのだ。

このぬるま湯みたいな暮らしだって居心地は悪くない。


 物思いに沈んでいたら、本日最初の客が来た。

底光りのするような眼光、顔や体についた傷、何より湧き上がってくるような暗い雰囲気が堅気の人間じゃないことを示していた。

おそらく裏社会の人間だろう。


「魔導改造を頼む」


 男は言葉少なに用件を告げ、ケルピーのたてがみを診察台の上に放り出した。

冷凍されているようで、生体材料はゴトリと音を立てる。


 ケルピーとは水辺にすむ馬のような姿の魔物だ。

雄は駿馬に、雌は美女に化けて旅人を水に引きずり込むことで知られている。

離れ馬を自分の物にしようとしたり、美女が水浴びをしていると勘違いして、スケベ心を起こしたりする人間がケルピーの餌食えじきとなるのだ。


 こいつのたてがみを人間の首に移植すると、保有魔力量が跳ねあがり、水魔法が得意になるという特性がある。

この男もそれが目的で魔導改造を頼むのだろう。

マフラー代わりにケルピーのたてがみを首につけるヤクザはいない。


 普段の俺だったら、金さえもらえばいくらでも改造してやるのだが、今日はちょっとばかり乗り気になれない。

だって、目の前の男は明らかに悪人顔だ。

人を見た目で判断するなだなんて言う奴もいるけど、だいたい見た目でそいつがどんなやつかわかるものだ。


 こいつが作り出したアクアボールで顔面を覆われ、拷問を受ける人を俺は想像してしまう。

アーリンがあんなことを言うからだ……。


「改造費用はいくらだ?」


 男はまたもや短い言葉で質問してくる

。会話を楽しむタイプじゃないことだけは確かだな。


「アンタ、仕事は?」

「そんなもんはどうでもいいだろう? 金さえ払えば魔改造をしてくれると聞いて来たんだ。早く値段を言ってくれ」


 間違いない、こいつは裏社会の人間だ。

そうとわかるとやっぱり魔導改造はためらわれた。

まったく、アーリンと知り合ったせいで、こうも俺の生活が乱されるとは思ってもみなかったぞ。

はあ、ケルピーの移植なら80万以上は取れる案件なのに……。


「悪いが他を当たってくれ」

「どういうことだ?」


 男は刺すような目つきで俺を見つめる。


「調子が悪くて成功させる自信がないのさ。ゴブリンの肉を使うくらいなら造作はないが、ケルピーともなると簡単にはいかない。難しいのはアンタも知っているだろう?」

「だからここに来たんだが」

「評価してもらえるのはありがたいが、今朝からさっぱり調子が上がらねえんだ。今やったら確実に失敗するぜ。それでも良ければやってみるが」


 男はしばらく俺を睨んでいたが、無言のままにケルピーのたてがみを掴み、無言のままに出ていってしまった。

これで数十万クラウンの稼ぎ損ねだ。

王都へ出て面白おかしく暮らすという夢が半歩ほど遠のいてしまったな。


 ただ、こんな気持ちのままで魔導改造をしていたら本当に失敗していたかもしれない。

俺の判断も、あの男の判断も間違ってはいなかったってことだ。

下手をすれば簡単な施術さえままならないかもしれないな。

いっそ今日の診療も休もうかと思っていたら、再びドアが開いた。


「ドレイク先生、元気にしてたー!?」


 けたたましい笑い声をあげながらやってきたのはケイシーだった。

賞金稼ぎには珍しくバッチリメイクをする女で、長い茶髪をツインテールにしている。

彼女はうちの常連で、大きなけがをすると必ず俺を頼ってくるのだ。


「どうした? またけがか?」

「そうじゃないよ、経過を診るから来いって言ったのは先生じゃないか」


 すっかり忘れていたが、ケイシーは二週間ほど前に戦闘で負傷してうちに担ぎ込まれたのだ。

脚の太い血管が切れるほどの大けがだったが、ゴブリンの細胞を移植して助かっている。


「そうだったな。どれ、見せてみろ」


 ケイシーは恥じらいもなく服を脱いだ。


 黒い下着から伸びる脚は筋肉質ですらりとしている。

ゴブリンの肉片を埋め込んだ部分だけは他の場所と皮膚の色は違うが、特に問題はなさそうだ。

傷口もしっかりと癒着しているようで、分泌液が漏れているようなこともない。

鼻を近づけて臭いを嗅いだが、腐敗臭などもなかった。


「ヤダ、先生。そんなことするなら、ちゃんとお風呂に入ってくればよかった……」


 |煩悩《ぼんのう)をくすぐるようにケイシーは身をくねらせる。


「バカ、傷口の匂いを嗅いだだけだ」

「そうなの? てっきりあれを求められているかと思ったのにぃ」


 料金のことでケイシーと寝たこともある。

だが、こちらから求めたのではなく向こうから誘ってきたというのは明言しておきたい。

ミラレスのように巨乳じゃないけど、スレンダーで背が高く、抱き心地が非常に良い相手だ。

なにより、ケイシーの口技はものすごい。

もう、すべてを吸い取られるんじゃないかってくらい凄まじい……。


「問題はないようだ。今日から仕事に戻っても差し支えはないぞ。以前以上に動けるはずだからな」

「やっと戦線に復帰かあ。本当にお金が底をついちゃったよ」

「少しは貯金しないと、将来困るぞ」

「わかってるって」


 賞金稼ぎは人々に害をなす魔物を狩って、国や領主から報奨金をもらう者たちの総称だ。

死と背中合わせの商売ではあるが、その分稼げる額も大きい。ケイシーだってそれなりに稼いでるはずだが、あればあるだけ使ってしまう性格のようだ。


「それじゃあ、今日の診療費は1000クラウンだ」

「1000でいいの?」

「術後の確認だけだからな」

「ん~、だったら私も特別サービスしちゃおうっかな」


 ケイシーは怪しく微笑みながら俺の股間に手を伸ばしてきた。


「ちょっと待った! 何をする気だ?」

「だからぁ、いつものようにサービスして料金を払うのよ」

「いや、今日は高々1000クラウンだぞ。現金でいいんじゃないか……?」

「え~っ! 先生もさっき貯金をしろって言ったじゃない。それに、二週間も仕事をしていないから、少しでも節約したいのよ。いいでしょう? 私も溜まってるから、今日は激しいよ」


 ぺろりとくちびるの端を舐めるしぐさにムラムラと情動が動く。

いつもの俺だったら、ケイシーの提案を喜んで受け入れたと思う。

たった1000クラウンであの濃厚なサービスが受けられるのだ。

望外の喜びと言ってもいいくらいだろう。

だけど、俺の頭の中に、悲しそうなアーリンの顔が浮かんでしまう。


「やっぱりだめだ!」


 拒否した俺の顔をケイシーは不思議そうに見つめた。


「どうしちゃったの、ドレイク先生? いつもだったら喜んでくれるのに」

「いや、何というか……俺はこれまでの生活を改めようかと思ってな……」

「はあ? もしかして病気?」

「そうではないが……。もういい。今日は帰ってくれ」

「帰れって、診察代は?」

「それもいいから」


 金は要らないと言うと、ケイシーは怪訝な顔をしながらも、いそいそと帰っていった。

ふぅ……、1000クラウンとはいえ、また儲けそこなってしまったな。

今日は診療所にいても良いことはなさそうだ。


『本日の診療は終了しました』


 俺は看板をひっくり返して、当てもなく街へと向かった。

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