第31話 盲目の薔薇


 剣聖エルフォには、唯一倒せなかった敵がいる。


 名を――盲目の薔薇といった。


 薔薇は、その名の通り目の見えない戦士で、それなのに全戦無敗を噂されるほどの存在だった。


 なぜエルフォが彼に勝てなかったのか、彼は盲目である代わりに、その類まれなる鋭い感覚を駆使して戦った。


 盲目の薔薇にとってはすべての攻撃が予測済みなのだ。嗅覚か聴覚か、どうやってかは知らないが、周囲の感覚を細かくとらえ、すべての攻撃に的確に対処してくる。


 盲目の薔薇は盲目ゆえに最強。


 目で見て反応する存在では、彼に勝つことは不可能だった。

 




 盲目の薔薇には、唯一倒せなかった相手がいる。


 剣聖エルフォ・エルドエル。


 どれだけ早く反応しても、剣聖の剣さばきに受け止められてしまう。


 盲目の薔薇は最強を目指していた。そして自分が最もそれに近いと思っていた。


 だからエルフォを許せなかった。そしてなにより勝てない自分を許せなかった。


 それだというのに、ある日を境に剣聖エルフォは戦場に現れなくなった。


 風の噂できいた話によると、どうやら不意を突かれて戦死したとのことだった。


 盲目の薔薇ははらわたが煮えたぎる思いだった。


 剣聖エルフォを殺すのは自分だと思っていたのに。あっさり不意打ちで死ぬなんて。


 とても許せることではなかった。


 そして彼は戦わずして実質最強となったのだ。


 だがそれで彼が納得するはずはなかった。


 もう一度剣聖と剣を交えたい。その一心でさらに腕を磨き続けた。


 そして彼は次なる強敵を求め彷徨うのだった。





 ある日の工房にて、


「どうやら近々このあたりに盲目の薔薇がやってくるらしい……」


 カイドの口から意外な人物の名前が出た。


 アルにとってそれは、因縁とも呼べる相手だった。


「盲目の薔薇……!?」


(そういえばそんなヤツいたなぁ……。すっかり忘れてた)


 盲目の薔薇といえば敵国の将だった人物だ。


 しかしもう長い間戦争は行われていないはずだ。


「でもどうして?」


「あん? お前さん知らないのか? ま、無理もねぇか……村にずっといたんじゃあ」


 カイドは意外なほど驚いて言った。


「どういうことですか?」


「説明してやるよ……いいか……?」


 カイドの説明を要約するとこうだ。


 曰く、盲目の薔薇は戦争が無くなって目的を失った。


 そして闘争を求めた彼はいつしか放浪の旅に出た。


 最強を求めるあまり、彼は修羅となり、もはや一般的な人間生活を送れないまでに至った。


 彼は道場破りの旅に出たのだ。いやそれならまだいい方で、ひどいときには街一つを滅ぼしたりもした。


 とにかく彼は行く先々で喧嘩を売っては敵を倒しているのだという。むろん、そんな修羅にかなう相手はいないのだが。それに腹を立てて街を壊すなど当たり散らしているのだそうだ。


 もはやそれは災害といえた。通った後を塵に戻す、まるで竜巻のような。


「まあとにかく、あれはもう人じゃない。いかれちまってるのさ。ま、関わり合いにならないことだな」


「それは……酷い話ですね……」


 前世より知っている人物なだけに、その変わりようはアルにとっても衝撃的だ。


 話しながら、カイドは荷物をなにやら大きなカバンに詰める。


「どうしたんですか?」


「あん? 避難するに決まってんだろ? 盲目の薔薇がこの街にやってくるかもしれないんだぞ?」


「え、そんなレベルでヤバいんですか……?」


「あたりまえだ。相手は自我を失って闘争だけを求めるようになったモンスターだぞ」


 アルは呆れてものもいえない。なんだってそんな怪物になってしまったのか。かつて刃を交えた相手がこうも変わってしまうのが、なんだか少し自分のせいにも思えた。


 自分が死んでから彼に何があったのだろうか。


「って、街の人はみんな避難するんですか……?」


「ああ、そうだ。まあポコット村は大丈夫だろうけど、お前も一応逃げといて損はないぜ」


「はぁ……」


 カイドの情報によると、街を通る可能性は半々といったところで、もし仮にそうなったとしても進行方向から考えて村へは行かないだろうとのことだった。


 そもそも村は深い森に囲まれているから、やみくもに歩いたところでまず発見されないだろう。


「まあ一応かえって村の人たちにも伝えておきます」


「おう、そうしてくれ」


 カイドと別れて、帰り道、アルはいろんな街の人が家を後にするのを見かけた。


 途中でレミーユともすれ違った。彼女も村へと避難するのだそうだ。


 そんな人々の姿を見ていると、事の重大さを思い知る。


(盲目の薔薇……そんなに危険なことになっているのか……)


 アルは責任を感じざるを得ない。


 剣聖として、戦場で彼を屠っていれば、今頃こんなことにならなかっただろう。


 もしくは不意打ちでなく彼にやられる形で死んでいれば、あのような怪物は産まれなかったかもしれない。


 いったいどれほどの被害があったのだろうか。


 それになにより、盲目の薔薇がここまで野放しになっているということは、誰も彼を止められていないのである。


 もし盲目の薔薇を打ち取れる人物がいるとすれば、それはこの時代においては自分しかいないだろうとアルは考えていた。


(それにしても、こっちは子供の身体だし、相手はよりパワーアップしているかもしれない)


 だがとはいっても勝てる保証はないのだ。前世で勝てなかったのだから、なおさら勝てないかもしれない。


 できれば何事もなく過ぎ去ってくれというのが、アルの願いだった。





 アルはポコット村のみんなに盲目の薔薇について話した。


「それは大変なことになったな……」


「まあここには来ないでしょうが……。街が心配だな」


 みんな不安な表情を見せる。


 ミュレットだけは、


「まあもしそいつが来ても、私とアルでやっつけちゃうけどね!」


 と無邪気に言っている。


(いやぁ……僕でも倒せるかどうか……)


 不安なのはアルも同じだった。


 だが相手は文字通り災害級の存在なのだ。


 座して待つよりほかにない。


 地震やハリケーンが人にはどうすることもできないのと同じで、くるときがくればただ呑まれてしまう。ただそれだけのことなのだ。


 だがそれでも何もしないでいるわけにはいかなかった。


 できることをすれば、被害を最小限に抑えることが可能だ。


 台風のときに窓を補強したり、海辺に防波堤を建てたりするようなものだ。


「とりあえず、過ぎ去ったという情報が出るまでは、みなさん村を離れないように」


 アルはみんなの前で代表して伝えた。


「おいおい、その言いぐさだと、アルは違うみたいじゃないか」


「その通りです。僕は村を少し離れて、見張りをしようと思います」


「見張り!? そんなのダメよ!」


 心配してミレーユが止める。


「大丈夫だから……。身体加速ですぐに帰ってこれるから、夜は休むしご飯もちゃんと食べるよ」


「そう? それならまぁ……」


 そのあと家に帰ってから、どうしてもついてくると言ってきかないミュレットをなだめるのには一苦労を要した。

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