第26話、お忍び陛下


 ゲオルク・オルトリング国王。


 白髪の初老の男は、かつては幾多の戦場を駆けたという。細身だが、王冠を被り、王としての装束を身にまとうと、それだけで周囲の空気を引き締める迫力がある。


 もっとも、ラフな貴族服をまとい、リラックスした状態だと、途端に優しげな紳士に見えるのだから不思議なものだ。口ひげがチャーミングである。


「ようこそ、陛下。お迎えもせず、大変失礼致しました」

「よい。勝手に私がやってきたのだ。そうかしこまらなくてもいいよ、アイリス嬢」


 おいで、と王は手招きした。


 私は近づき、王と軽いハグを含む挨拶を交わした。ここが私の部屋でなければ、中々できない、親密さを表すやりとりである。


「どうぞ。お席のほうに。お茶とお菓子を用意いたしますわ」

「ありがとう。マークス家のお菓子は美味だからね」


 王は近所のおじさんのように親しげに言った。モニカが用意を終えると退出して、部屋には私と王陛下のみとなった。


「元気にしておるか?」

「おかげさまで。大変楽しく過ごしておりますわ」

「それは結構。君の噂は王城にも届いておるよ。ヴァイスはよい嫁を得た」


 私と王子は婚約している。学校卒業後、何もなければそのまま結婚だ。


「うん、うまい!」


 オルトリング国王は、砂糖を使った甘いクッキーをかじり、紅茶を飲んだ。こうしていると普通の人に見える。


 とはいえ、国王陛下に家のお菓子を褒められるのは悪い気はしないわ。


「もう王子殿下にはお会いしました?」


 お忍びで学校にきた。大方、息子のヴァイスの様子を見に来たのだろう。ただ、この時期の王のお忍び訪問のイベントは記憶にないのだけれど……。


 何か今までと違うフラグを踏んだのかしら?


「ヴァイスにはまだ会っていない。その前に確認したいことがあってな……」


 あぁ、王子の交友関係についてね。時期こそ違うが、王が王子の婚約者を訪ねるイベントはループで経験している。


 ゲームでは表現されていないが、この一件があった直後に、王子ルートの場合、ヒロインへのライバルキャラの攻撃が発生するのではないか、と私は思っている。まあ、私はしませんけどね、そんなことは。


「その、婚約者殿にこんなことを聞くのは野暮だが……ヴァイスとの関係はうまく行っているのかね?」

「ええ、良好だと思いますわ」


 しれっと私は答えた。……ふふん、ヴァイスが婚約者以外の女にうつつを抜かしているのではないか、という疑念が王城にまで伝わっているのだろう。


 私がそう仕向けたんですけどね!


「何か気になることでも?」

「うむ……何でも今年入学したある女子と、王子がよく一緒にいるのを目撃されていると言う話を耳にしてな」

「ああ、おそらくメアリーでしょう。私が見習いという名で保護している娘です」

「アイリス嬢の知り合いか」


 王は口ひげを撫でた。


「見習い……? 保護とは?」

「陛下に嘘は申せませんから、白状いたしますが――」


 私は単刀直入に申し上げた。


「いま王子殿下と親しくさせているのは、メアリー・ロウウィン。おそらく『聖女』です」

「!? いま、何と……」


 王は驚いた。どんな時でも冷静、と評判の王があからさまに目を見開いている。


「メアリーは聖女と申したのです」

「それは確かか?」

「まだ証拠はございません」


 でも、彼女はゲーム『赤毛の聖女』のヒロインであり、これまでのループでの経験上でも聖女であった。


「近いうちに聖女の泉への遠征授業がございますから、そこではっきりするでしょう」

「……」


 聖女とは、聖なる力を持ち、邪悪なものを浄化する力をもつ乙女。この国に繁栄をもたらす存在。王族は、その聖女を迎えることを重要視している。


 そう、王やその後継者と聖女が結ばれれば、オルトリング王国は末永く豊穣と繁栄を約束されるのだ。


「王子はそれを知っているのか? その、メアリーという娘が聖女かもしれないということを?」

「さあ、どうでしょうか。私はこの事を陛下にしか打ち明けておりません」


 おそらく知らないだろう。


「ただ、王子殿下の勘が、メアリーから聖女の気配を感じ取っている可能性もございます」

「それで、親しくしていると……」


 王は難しい顔をして黙り込んだ。


 後継者であるヴァイス王子が聖女と親しくするのはいいことだ。それだけで王国はよい方向に向かうだろう。逆に聖女をぞんざいに扱えば、王国の未来は暗い。


 ヴァイスの行動について、始めは婚約者がありながらどこの娘に手を出そうとしているのか気になっていただろう王だが、良くも悪くも無視できない重要事であるのを自覚されたようだった。


 そう、良くも悪くも。


「それで、アイリス嬢はどう考えておるのか?」


 聖女と王子を結ばせれば、この王国の未来は明るい。それを瞬時に理解する王だが、その王子には、私という婚約者がすでにいるのだ。


 王国の上級貴族であり、いまは有力なマークス家の娘である私と! 気まずいなんてものでは済まない。


 ご安心ください、陛下。


「私が望むのは王国の繁栄。王子の幸せ。ヴァイス王子殿下と聖女メアリーの婚約、そして結婚を祝福いたしますわ」


 つまりは身を引くのだ。


 王の表情が幾分か緩んだ。 ――私が、王子と婚約しているのは私よ! 王妃は私、誰にも譲らない! とか怒り狂ったり、婚約を遵守するように脅迫めいた言葉を吐かなかったからだろう。


 冷静に受け止めている、という態度が、王を安堵させたが、それでも完全に不安を払拭できないようで。


「よいのか? 我が一族としては、聖女が現れのなら、国の未来のために王子の婚約を改めて考えねばならない」

「その場合、私と王子の婚約は解消されるでしょうね……」

「……うむ。貴女は婚約がなくなれば、王妃として得られる利益を、みすみす逃すことになるだろう。それでもよいのか?」

「私は平和な未来に生きたい。王子殿下と聖女がもたらす平和な世界なら、私も幸せに生きていけますわ」


 それに――


「ヴァイス王子は素敵な方ですけれど、私には少々もったいない方ですわ」

「アイリス嬢……」


 王は目頭を熱くされているようだ。ほう、と息をつかれる。


「……アイリス嬢、貴女が聖女であればよかったのに。思慮深く、王国のために率先して行動しようとする」

「光栄です、陛下」


 私は頭を下げた。さて、ここからだ。私が悪役令嬢であるために。


「ひとつ、お話してもよろしいでしょうか?」

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