第2話、ケーニライヒ王都学校
春月の七日。それは乙女ゲーム『赤毛の聖女』のスタートの日付。
清々しい朝のはずなのに、私にとってはもはや呪い以外の何ものでもない。
私はベッドを下りると、すぐにメイドのモニカが着替えを用意した。侯爵令嬢は自分でお着替えをしないものだ。
「失礼ながら、お嬢様。何かございましたか?」
「ため息の理由?」
このやりとり、何度目だろう。もう数え切れないくらい。
「半年後の夢を見たのよ」
「御卒業ですね」
今年、最高学年である私。三年生がこのケーニライヒに在学する期間は、残すところ約半年。つまりは前期終了までだ。
「卒業されましたら、王子殿下とご結婚ですね」
モニカは楽しそうに言ったが、私は苦笑しかでなかった。
「そうね」
この時点では、侯爵令嬢である私は婚約者であるヴァイス王子と結ばれる、と誰もが思っている。
だが、乙女ゲーム『赤毛の聖女』のシナリオにおいて、そうはならない。
プレイヤーはメアリー・ロウウィンとなり、王都のケーニライヒ学校に入学する。そこで王子をはじめとしたイケメン攻略対象とキャッキャしながら関係を深めて卒業――つまりエンディングを迎える。
そのゲームをこの世界の正史と見るなら、メイン攻略対象となるヴァイス王子と結ばれるのはメアリー・ロウウィンであり私ではない。
ちなみに、私は元は日本人で会社勤めの社会人。だけどあっちの世で死んでしまって、ゲーム『赤毛の聖女』と瓜二つの世界に転生した。
異世界転生というやつだ。
私はプレイヤーの分身だったメアリーではなく、マークス家の娘として生まれた。
始めは向こうの世界でよく小説になっていた異世界転生だと思っていたから、『赤毛の聖女』の世界だとまったく気づかずに幼少時を過ごした。
だから、この世界が乙女ゲームのそれとはっきり認識したのは、ケーニライヒ王都学校に入学してからだったりする。
王子と婚約した時でさえ、どこかで見たような……程度だった。
だってね、そもそも『赤毛の聖女』にマークス家なんて、プレイヤーと攻略対象の間の会話に出てくるだけだったんだもの。
私、アイリス・マークスは、ゲームに名前が出てきたことすらなく、当然立ち絵も存在しない。だから、普通に生きていく中で、ゲームの世界に瓜二つだ、なんて気づくわけがないのよ。
そうとは知らず、異世界だからと同じく転生者が中身らしい弟――ちなみに前の世界では私に弟はいないわ――と知識チートをやったおかげで、マークス家は王国でもモブ侯爵家から有力な家となった。
ヴァイス王子との婚約の話がきたのもそのせいだったりする。『赤毛の聖女』で王子と婚約していた侯爵令嬢は、本当は私ではく、リュゼという女の子なのだから。
なお、このゲーム、王子とリュゼが結婚すると、王国が滅びるというバッドエンドが待っていたりする……。
まあ、ゲームと瓜二つの世界だから、その通りにしなくてはいけないというわけではない。
リュゼとさえ結ばれなければ、私が王子と結ばれても問題ないのでは? と思ったのだけれど……。
不思議なことが起こった。
卒業式を迎える前日、世界がリセットされた。
正確には、『赤毛の聖女』のスタート時点に戻ったのだ。
私は記憶をそのまま残したまま戻ったのだけれど、他の人間はそうではないらしく、リセットされたという記憶がない。
原因不明。私は二度目の三年生を過ごしていたのだけれど、またも卒業式前日に、春月の七日に戻されてしまった。
まるで、エンディング前にスタートからやり直すが如く。原因はわからないのだけれど、誰かがこの結末を気に入らなくて、リセットしているのではないか?
そうなると、怪しいのはゲームにおけるヒロイン、メアリー・ロウウィン。そこで私は、彼女が王子とのハッピーエンドを迎えられるように仕向けたのだけれど……。
やっぱり、リセットからのループから抜け出せない。それから延々と、卒業式前日が来るたびに、春月の七日に戻される日々が続いた。
何回? いいえ、何十回よ。うんざりして数えるのもやめたわ。
忌々しい。
これは呪いだ。私が、ため息をつきたくなるのもわかるでしょう?
半年をループしているけれど、中身はもう結構なお年になっているわね。ああ、嫌だ嫌だ。
「終わりました、お嬢様」
「ありがとう」
着替えが終わり、私はドレスの裾をつまんだ。この学校に制服はないので、生徒の服装は自由だ。
鏡の前に立つ。艶やかな長い黒髪に、水面を思わす青い瞳。目鼻立ちはくっきりしていて、自分でいうのも何だけど美少女である。外見が若いと中身も若くなるとは言うけれど……。
容姿については文句はない。前世が日本人だったからか、黒髪のほうがしっくりくるし。
「お嬢様、朝食の支度が済みました」
「そう、わかったわ」
繰り返されたやりとり。
さて、しつこいようだが、今日は春月の七日。『赤毛の聖女』のスタート地点。新入生の入学日であり、ヒロイン、メアリー・ロウウィンが入学してくる日だ。
「果たして、今度のメアリー・スーはどんな娘かしら……」
メアリー・スー――理想化されたオリジナルキャラクターを皮肉る意味だったと思う。主人公の名前がメアリーなのも、それにかけたのかしら。
「お嬢様、何か?」
「独り言よ、気にしないで」
ゲームにおいてスタートである。メアリー・ロウウィンは、この学校にやってきて、当然、攻略対象の男性たちと出会うのだが、開幕早々に、少々不愉快なイベントが発生する。
残念なことに、ゲームと同様このループした世界でもそれは発生する。
そして今後のことを考えると、放置するわけにもいかないのが悩ましいところ。
まあ、行くんですけどね。そこへ。
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