第4話 再会のライングループ 2015年チーム語劇

 次の日、仕事が終わってスマホを見ると、"2015年語劇チーム"という名前のグループラインの招待が入ってきた。広川は、ネーミングの率直さに笑みがこぼれながら、参加のボタンを押した。広川が参加したのを確認すると、既にグループに入っている人たちからメッセージがあった。


 “広川さん。お久しぶりです。元気にしていますか?これからよろしくお願いします”


 “広川さん、懐かしすぎ(笑)“


 広川は、メッセージを見ながら久しぶりに連絡をとる嬉しさとこれから始まるプレッシャーを感じ、どのようなメッセージを打とうかと考えた。


 “こちらこそ宜しく。何もできないけど、頑張るから”


 精一杯考えて、広川はメッセージを簡単な言葉で送った。


 そのメッセージを見たグループの参加者がメッセージを入れ始めていた。たぶん参加者が増えるたびに、新しい参加者をこのように迎えているのだろうか、皆楽しそうだった。遠く離れていても、LINEを通じて久しぶりに連絡をとる後輩もいてとても懐かしかった。 


 広川は一通りメッセージを確認すると、今までの履歴を見始めた。まだグループを作成して日は経っていないが、様々な課題に対して、意見が書かれていた。


 まず「離れた場所でどのように劇の練習をするのか」という課題では、決まった方向性がなく、どうしたら良いのか困っているようだった。当初、広川自身がこの中国語劇の参加を断る言い訳にしていた課題は、現状では解決する方法はないようだった。様々な意見が出た後で、当面は一緒に練習をすることができないので、各自練習してなんとか頑張ろうという精神論に近い結論が出ていた。広川自身もこれについては、暫く考えてみたがあまり良いアイデアは浮かばなかった。


 他には「中国語で劇をすべきかどうか」という根本的な問題もあった。中国語と関係のない人生を歩んでいる参加者もたくさんいて、一から勉強をするメンバーもいるから、あえて日本語でやるのはどうだろうか、という意見もあった。ただ、この課題は根本的に、中国語劇をするという目的だから、やはり中国語で行うことで結論が出たようだった。また具体的に中国語を教えてもらうのに、中国人の奥さんをもらった後輩の笹武貫太郎が、奥さんに頼んでセリフを中国語で発音してもらい、それをオンラインで聞いて、皆が練習していくように提案してくれていた。


 広川はグループラインに残っている内容を見ながら、幸せと楽しみを感じ始めていた。それは長い間忘れていた感情でもあった。こんな仲間も自分にはいて、昔この場所に自分も確かに存在していたのだと今更ながらに実感した。


 グループの参加者の中には、既に結婚をしている女性もいて、平日中でも家にいるのかグループラインにメッセージを頻繁に送ることもあった。広川は仕事上、スマホを利用することが多く、机の上に置き、LINEのメール着信があるとバイブがなる設定になっていた。このグループに入ってから、頻繁にメッセージが入るようになり、その度にスマホの振動音がなった。それが煩かったのか隣にいる課長の越野が、ある時、厳しい表情で広川に言った。


「広川、なんか問題でもあったのか?」


「いえ、なんでもありません。」


 広川は慌てた感じでそう答えた。


「じゃあ、なんで、そんなに連絡がきていているんだ。本当に大丈夫なんだろうな」


「いえ…」


 広川が答えに詰まっていると、右隣の席に座っている上司の立花が、鼻で笑った。


 広川はその姿を見ると、何でもないかのように強がって、冷静になり言った。


「申し訳ありませんでした。連絡が来ても、バイブがしないように、設定し直します」


「まあ、問題があったら、必ず早く報告するんだぞ。全く」


 パソコンに向かい、キーボードに何かを打ちこみながら、越野は、広川に威圧的に指示を出した。


「はい。承知しました」


 広川はそう答えると、越野と反対方向に背を向けた。LINEの設定をバイブが鳴らないように直すと、またスマホを机に置いて仕事を始めた。頻繁に浮かび上がるメッセージ到着のポップアップを見ながら、他の仕事をしている人も大変だろうなと思い、くすっと笑った。時折、越野がこちらをちらっと見ると、浩司は慌てて真剣な顔をして、パソコンに向かい仕事を始めた。


 仕事を終えて、家に戻るとグループラインのメッセージ内容を、またじっくり見始めた。ほとんどが専業主婦の人たちが投稿している内容だった。同じような生活背景のせいか、楽しそうに練習の話をしながら、試行錯誤の結果を書き込んだりしていた。彼女たちが実際に細々とした準備をしてくれているのも確かで、日中仕事をしている男性の参加者は、手伝えないメンバーがいて発言もほとんどしていなかった。


 そうして、特定の参加者だけで、堂々巡りの意見交換を行い具体的な話が進まずに、そのような状況が1週間続いていた。同窓会の開催まで約3カ月先とはいえ、この調子でいくと、あっという間に時間が過ぎて行ってしまいそうで、手詰まり状態だった。しかし、広川にも特別何か状況を打開する解決策もなく、またグループには入っていてもほとんど発言することもなく、他の人たちのメッセージを見ているだけだった。


 そんな時、広川と同級生だった智恵がある時グループラインで提案のメッセージをした。


 “劇のシーンごとにチームを作ってライングループをつくってみたら。そこに浩司が入って皆の進捗状況を確認するの、みんなどうかな?”という内容だった。広川は、ちょっと待てとグループにメッセージを打ちこもうとしたが、それよりも早く他のメンバーたちが書き込んだ。


 “それはいい考えですね。さすが智恵さん。


 それで行きましょう“


 広川は、暖房をつけて間もないまだ寒い部屋で画面を見ながら、白い溜息を付きながら“了解”と短くメッセージを返した。強引だけど、智恵はいつも何か決めてくれる頼れる女性だった。そういえば学生時代も、優柔不断な広川のお尻を叩いて、決断をさせるようにしてくれていたなあと広川は懐かしく思った。


 “それじゃあ、場面ごとにグループを作るから、その中の中心者を決めていくね”


 智恵は、そうメッセージを送ると各場面のグループを作っていった。その手際の良さと強引さに、広川は机に頬杖をついていた。智恵がいるなら、僕がいなくても大丈夫だろう、と思った時、またスマホの画面にメッセージが送られているのが目に入った。何だろうと思って見てみると、智恵から届いた広川個人あてのメッセージだった。


 “浩司も発言してくれないと困るんだけど”


 広川は、困るも何も、上手く行っているなら僕はいなくてもいいんじゃないかなと思いながらメッセージを打ち込んだ。


 “いや、さすが智恵さん。手際の良い進め方が素晴らしい”


 そうすると、智恵からは“何だ、それ。”とメッセージが素早く返ってきた。


 続いてメッセージが届いた。


 “ところで、恵子ちゃんから、浩司がね、元気がないって聞いてたんだけど、そんなこと全然ないよね”


 考え事をしていた広川は、そのメッセージを見ると、暫くどのように返事をするのか困っていた。文章を打っては、消して打ち直しては消していた。そうこうしていると、そのメッセージの上から、智恵からメッセージが届いた。


 “まあ、話したくないならいいけど。みんな浩司が戻ってくるのを楽しみにしていたんだから、発言してね”


 “発言してね”っか、男っぽい女性が言うと、急に可愛く感じた。広川はスマホを机に置くと、椅子にもたれて頭の後ろで手を組んだ。


 しばらく、メッセージが入っているのを放っておいて、ぼーとっとしたかった。参加者が眼前にある忙しさの中で、一つの事に一生懸命になっていた。上手く行かない中でも、なんとかそれを解決しようと必死に取り組んでいる姿が浮かんできた。それがグループ内で、繰り広げられていた。時間が経っても変わらぬ、いやむしろ時間の経過があるからこそ、一つの方向に努力で来ているのかもしれないっと広川は思った。


 広川は、そんなことを考えながら、目をつぶってみた。学生時代の一人一人の事。練習時の風景。浩司はくすっと笑った。もう一度スマホを見ると、あの時の思いが少しずつよみがえってくる感じがした。


 それと同時に空虚な感覚もした。今リアルにある明日の仕事や職場環境、何よりあの頃の情熱が今の自分に無くなっている事に思い当たった時、現実に戻される感じがした。それは考えれば考える程、深みにはまるようだった。


 グループラインの中での、楽しい時間。現実の苦痛感。皆はどんな気持ちで、この姿が見えないメッセージだけで話をしているのだろうか……。と考えていると、ふと同級生の川上和史のことが気になり始めた。そういえば、あの人懐こい性格の和史が発言していないのも気になり、広川はもう一度グループの登録メンバーを見てみた。招待されたままになっていた。ただ一人、残っていたままだった。


 広川は、智恵に和史のことを聞いてみようと思った。しかし、何か気が引けて、またスマホを机に置いた。


 和史と広川は、同じクラスでゼミも同じだった。性格が違う二人だったが、愛想が良く誰とでも仲良くなれる和史は、気難しい広川とも打ち解けることができた。広川が勝手に思っていただけかもしれないが、和史は広川と本当に気があった。他の人には話せない悩みや愚痴も、和史になら話せた。


 中国語劇の存続が危うくなった時も、同級生同士の打合せには不在だった和史が、いち早く広川の相談役になってくれた。もしあの時、和史がいなかったらきっと途中で投げ出していた可能性は十分にあった。


 広川は、椅子から立ち上がると学生時代に撮った写真を見た。そこにはまだ若い広川と和史が並んで映っていた。それはちょうど、中国語劇が終って打ち上げの時に二人で撮った居酒屋の写真だった。最初に広川と一緒に中国語劇の構想を考えていた和史だったが、智恵たちが運営スタッフに入ってくると、和史は兼部していた陸上部の練習で忙しいと言って中国語劇の活動にほとんど出てこなくなった。それでも、たまに会うだけで広川の愚痴を聞いてくれた。たぶん、後輩たちは和史の存在がどれだけこの中国語劇を盛り立ててくれたのかわからないかもしれない。


 だから、正直和史がいないグループでも、何の違和感もなく進行していたのだと思っていた。


 広川にとっては、和史と一緒に話したことがとても懐かしかった。和史とシナリオを考えていた時に、話した言葉を思い出した。


 “今はちょうど二十一世紀の初めにいる俺たちだけど、これから先の二十二世紀にはどんな時代が待っているのか楽しみだよな”


 当時、一人でシナリオを考えていた広川にとってその一言は、その後のシナリオ作りの土台になり、結局はそのテーマが主軸となった。あの写真の僕たちも、そうしてこれからの二十二世紀に向かって夢を膨らませて語り合っていた。写真を取り出し、机に置くと、広川は頬杖をついて目をつぶった。目の前を暗くして当時の事を振り絞る様に広川は思い出していた。


 広川は目を開けると、はあっとため息をついた。現実の自分と昔に思っていた未来の自分に隔たりを感じた。首を振りその写真を閉じた。そして、スマホの電源を切り、ベッドに横たわった。天井を見上げて、今までのことを振り返るように考えた。


 あの中国語劇を終えた後、広川は少しずつだが色々な事に積極的に挑戦するようになって行った。3年生の終わりには、大学が主催するシンポジウムの責任者に選ばれて、司会進行役を務めた。あたふたしながらの準備だったが、総勢約300人位の他大学を含めた学生の前で、緊張しながらも役目を果たした。全て上手くは行かなかったが、自分でもやればできるという若干の自信が芽生え始めていた。それは少しずつ、もっと大きな事に挑戦したいという思いにつながっていった。 


 そして、4年生の時には他大学との交流を広げたいと思い、東京にある複数の大学の有志学生が組織する中国関係の団体に入り、そこでも程ほどに存在感を発揮していった。そして一週間という訪中団の一員として参加した。自分の力を確かめるように少しずつ前へ進んで行った。


 そして、就職活動でも同期の中では早い段階で大手企業から内定をもらった。だが、それでも、広川、はそれらの会社に勤める道を選ばなかった。理由は4年生の時に、訪中団の一員として中国に行き、そこで中国の大学院生の徐さんという女学生に一目惚れしてしまい、中国に行きたいという思いが強かったからだった。今思えば、かなり情熱的な面があった。


 それとある程度の大企業から内定をもらい、自分の力が十分に通用し、きっと社会でも力を発揮できると自信過剰になっていたところもあった。


 広川は卒業後に中国で就職活動をして、中国に現地法人がある大手ゴム会社のSKゴム有限公司に現地採用されることになった。そこでも、広川は持ち前の一生懸命さで努力した。入社当時は物覚えが悪く、何でも先輩に聞いて邪魔者扱いにされていたが、それでも必死に成長する広川の姿を先輩たちはじっくり愛情をかけて育てていってくれた。広川もそれに応えるかのように、必死にくらいついていった。そして、その努力が認められて、入社3年目で本社の駐在員として採用されることになった。


 ただこの頃に、徐さんと別れた。中国で働き始めた頃は頻繁に会っていて、関係もうまく行っていたが、お互い仕事が忙しい中会うことができずに自然に別れてしまった。当初の中国に来た目的はそこで消え失せたが、中国での仕事は広川にとっては全てが新鮮で、失恋の悲しみと寂しさを忘れさせるものだった。順調に中国のビジネス習慣や仕事内容も覚え、日本の本社でも広川の名前が噂になるぐらい成果と実績をあげるようになっていった。

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