現実

 はっとフィーネは目を覚ました。全身汗だくで、今まで息が止まっていたかのように胸が苦しかった。目に見える景色はただただ真っ暗で、一瞬まだ自分は夢の中にいるのだろうかと思った。


(ニコラス様……)


 頬に手を当てると触れていて、それが涙なのだと気づく。先ほどの光景はすべて夢で、ここは現実。フィーネは全身の力を抜いた。安心すれば、ひどく喉が渇いたと思い身体を引きずるようにして起き上がった。


(今何時かしら……)


 上着を羽織り、のろのろと寝室の扉を開ければ、物音一つせず、使用人の気配もなかった。真夜中、を過ぎた時刻だろうか。暗闇の廊下を壁伝いに進みながら、フィーネは一階へ下りていく。


 妙な既視感があった。前世の、病に伏したニコラスがフィーネではなくレティシアの名を呟いた日。真相を確かめようと屋根裏部屋へ向かったこと。あの時あんな場所へ行かなければ、知らない振りをし続けていれば、なにか、変わっていただろうか。


(今世でも、私は彼と出会えたのだろうか……)


 ずっと不思議だった。どうしてレティシアという最愛がいるのに、また自分はニコラスと再会したのか。心のどこかで今度こそ、と願っていたのだろうか。それとも――


 灯が漏れて、誰かの話し声が聞こえてきた。どきりとした。気配を殺しながら、客間の方へとフィーネは足音を立てないよう向かう。


 そっと扉の隙間から見えたのは、ニコラスとレティシアだった。テーブルにはお酒とグラスが置いてあり、ソファに身体を預けた二人は熱心に何かを話し合っていた。


 今日の夕食の感想や、最近の貴族の振る舞い、海を渡った国のこと。フィーネはじっと耳をひそませながら、なぜかほっと息を吐いた。そしてすぐに自分の行いがはしたないと、部屋へ戻ろうとする。


「……それにしても、フィーネが本当に無事でよかったわ」


 自分の名前が出たことで、フィーネの心臓は再び激しく鼓動し始める。


「ああ。本当に」


 ニコラスの深く安堵したような言葉。嘘や冗談を言っている感じはなかった。


 ――お前はレティシアの代わりにはなれない

 ――お前はただのみすぼらしい少女だった

 ――お前なんか引き取らなければよかった


(そうだ。ニコラスさまがあんな酷いこと言うはずがない……)


きっと眠りに落ちる直前まで二人のことを考えて、不安に駆られていたから、あんな悪夢を見てしまったのだ。


それでもフィーネは自分が今断崖絶壁に立たされているような心地がした。


「でもね、私、思ってしまうの」


 フィーネは早く終わってくれと願った。聞きたくないと、耳を塞いでしまいたかった。


「あの時……フィーネが階段から転落して意識を失った時、もし……もしもあのままフィーネが目を覚まさなかったら、私とあなたは一緒になれたんじゃないかって――」


 レティシア、とニコラスが遮った。


「そんなこと言うもんじゃない」

「でも」

「彼女が亡くなっていたら、きっと今こうしてきみと話すことはできなかった。誰かの犠牲の上に成り立つ幸福なんて、辛いだけだ」

「……そうね。ごめんなさい」


 鋭く咎めたニコラスに、すぐにレティシアも謝った。そうして二人は、また当たり障りのない会話を再開する。


 フィーネはそっと足音を消して、部屋へと引き返した。喉の渇きは、もう消えていた。


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