東京の人はずるいです

 2023年5月17日(水)。22時14分。


 こんにちは。井上和音です。


 今日はもう一記事書いたからいいや、もう寝ようと思っていたけれどなんとなく書いています。


 考えてみれば、良い記事が出来たと思った時でさえ実はPV数も増えてはおらず、じゃあ良い記事と悪い記事の違いはなんですかと自分に問うてみても特に違いは分からずに。そもそもが自分は良い記事を書くためだけに書いているのかと言われてみればそうでもないという根本的な姿勢を思い出したりしています。


 しかしながら、9時台や10時台に毎日書くとなると、考えてみれば9時台や10時台のニュースなりドラマなりを観ることは一生無いのかと突き付けられてしまうと、それはそれで不幸な人生のような気はします。金曜ロードショーとかは私は一生観ることは出来ないのでしょうか。


☆☆☆

 今日のロアッソ熊本のコーナー。


 J2第16節。HOME。vs.ベガルタ仙台。0-1。負け。●。J2第16節が終わった時点でのロアッソ熊本の順位、12位。勝ち点21。


 次節、vs.水戸ホーリーホック。2023年5月21日(日)。AWAY。


 ベガルタ仙台の選手のミドルシュートしか見れていませんが、素晴らしいゴールでした。あれは防ぎようがありません。連戦が続いていますが頑張ってほしいです。


 ソーシャルワーカーさんも応援に行っているらしいです。

☆☆☆


 さてさて。何かをずっと書き続けるコツみたいなのは、実は人間関係をあまり気にし過ぎないことなのかなと思います。人間関係を気にし過ぎてしまうと、言っていいこと悪いことの中の、悪いことばかりが増幅してしまい結果として何も書けなくなっていく。頭の中で壊したくない人間関係のその対象となる人物を思い浮かべてしまうと、途端にその人との関係性を保ちたくなってくる。要は空気を読みたくなってくる。高校生までブログや小説の執筆に手が回らなかったのは、学校という閉鎖空間の中で心地よく生活していくためには友人との人間関係を保ち続けなければ絶望と孤独の中で生き続けなければいけない。そんな制約があるからです。


 毎日学校や宿題に追われている学生が、どうして小説やブログを書く暇があるのでしょうか。私の経験上はどうやったら出来るの、と疑問に思ってしまいますが都会の学校や時代の変遷と共に、学生の個人が個性を発揮しながら生きていける基盤でも整ってきている良い時代なのかなと思います。羨ましいですね。


 私は大学時代の一人暮らしになってから、「ようやく自分のしたいことを追究できるぞ。四年間だけ。四年間やってダメならば諦めようか」という思いで大学に行きました。そもそもの大学へ行く目的が「一人暮らしをやってみたい」「都会に行ってみたい」程度だったので、地元の大学へは行くつもりもなく、また都会でない大学へも行くつもりも無かったために、だいぶ行く大学が絞られていました。本当は早稲田大学に行きたかったのですけれどね。東京に行ってみたかったですねえ。東京に住んでみたかったですねえ。神田神保町の古本街に立ち寄ってみたかったですねえ。そんな大学生活を送りたかったのですが、京都でも同じような大学生活は送れていたかもしれません。同志社大学って大学に行っていたのですが。私って本当に同志社大学っていう大学に行っていたのでしょうか。


 記憶が薄い。


 何が言いたいかというと、四年間で本来ならば作家への挑戦や何かしらを書くことはやめようと決意していたはずなのですが、突然の統合失調症という意味の分からない、計画にはもちろん存在していない突然の事故により、計画していた就職も頓挫してしまった過去を生きてしまったのです。それで、卒業も就職も何も上手く行くことが無く、どうしようもなくまた書くとか言う作業を再開してしまったのです。


 それも実家で。


 田舎の学問より京の昼寝。


 このことわざに先ほど出会ってしまったのですが、残酷な言葉を私に突き付けてきますねえ! MicrosoftのIME予測変換は! と思いました。残酷なほどに真実なこの諺に対抗する術はありませんよ。都会のほうが情報量は多いし、田舎で一生懸命努力しても所詮は井の中のかわずでしかありません。ベストセラー小説しかブックオフには並んでいませんよ。熊本において本との偶然的な出会いなど、ほぼありませんね。流通量がまず違いますから。


 こんなことを書きたいわけではないのでちゃんと早く本題に入りましょう。


 あんまり具体例とか挙げたくはないのですが、note でよくサイボウズという会社の方からスキを貰ったりします。サイボウズという会社はたまたまですが、高校時代の友人だった人も就職して行ったので名前ぐらいは知っていました。深くは知りませんが、サイボウズという会社の名前を背負って note などでも個人アカウントで活動している方も居るらしいです。


 先ほどの note のツイッター公式アカウントさんがスペースで話しているその話者さんも、サイボウズという会社の社員さんでした。note とサイボウズという会社が何か関係があるのかないのかは分かりません。ただ、会社ぐるみで創作を応援しているのは良い会社だなあと思いました。


 ただただ。これから先は言っていいことなのか悪いことなのか分かりませんが、会社の代表として作家として活動されている方が、サイボウズという会社や他の会社の方々と、顔を知っている人間関係にうずもれている中で、よく創作という活動を続けていけるなあと思いました。これは非難でも中傷でもなんでもありませんが、自分が会社の中に入って「こういう名前で創作しています」と言うことは極力避けています。創作と言っては大袈裟おおげさなのかもしれませんが、何かを書く時に配慮しなければいけない誰かの顔が浮かんだ瞬間に、「もう書くのをやめるか」と本音を書くことをやめてしまいます。私の性格が悪いから、で、その書くのをやめてしまう理由は尽きてしまうかもしれませんが、胸襟きょうきんを開いた人間関係の中で、どうして何かしらの創作が出来てしまうのでしょうか。もっと言えば、顔が映っている状態で「創作の仕方はこうです!」と堂々と言えるのは、一体どうしてなのか。更に更に言えば、先ほどスペースで少しだけ聞いてしまった真実なのですが、サイボウズという会社の方は一切書いておらず、ただインタビューで聞かれた言葉を録音して、二時間程度のインタビューを四回程度行ったその内容を、ただ文字起こしをしただけで書籍化になったと言うのです。


 言ってしまえば、会社ぐるみで行う書籍化など、実は私が辿り着きたい一歩目の書籍化など、しょうもないほど低いハードルなのだなあと感じました。しょうもないと言うか賞もないと言っていいかもしれません。なんなのだろう。一年以上ずっと書いている私の費やした時間とか、実は都会に住んでいて、企業なりのある程度のバックアップがある人からしたら馬鹿にしてもし足りないくらいに、馬鹿げた行動だと思われているのかなあと感じました。「書籍化くらいされて当然だよ!」と都会で働く人は思っているのかもしれません。田舎の学問より京の昼寝と言われるくらいですから、みやこで努力している人は、どんなに私が田舎でえっちらほっちら頑張っても所詮は手が届くこともない、遥か先の頂きに居る人達なのかなあと感じました。多分、情報が入ってくるスピード感なども段違いなのだろうなと思います。


 紛れもない事実だと感じました。


 ただの妬みなのかもしれませんが。


 書きたいことを正直に書く内容ってこんな感じになってしまいました。東京は憧れますねえ。

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