読書の通読は嫌いだし、勉強も嫌い。

 2023年1月22日(日)。14時55分。休みの日。外は雨。


 はい。こんにちは。井上和音です。パズドラをしていて、負けて時間の無駄使いをしてしまったのかなあとか思ってしまい、英文法の本を読んでいました。


 『真・英文法大全 関正生著』。


 適当に開いたら仮定法のところで、「仮定法で大事なのは助動詞が過去形になっているところ」とか書かれていて、「ああ。懐かしいなあ」と思うと共に、「I were~」の文とか出てきて、「懐かしいけれど忘れていたなあ」とか思うのと同時に、「過去に習ったことって、こんなにもざるのように忘れていくもんなのかな」とか思って悲しくなりました。


 あと同時に、勉強って継続して脳にストレスを掛け続けなければ、頭が良くなることも無いし、脳みそに負担を掛け続けなければ頭が良くなる、ないしは記憶力がよくなることなんて無いのだなあと思いました。


 昨日、ツイッターで住友商事に勤めている若い方が、痴漢をしているところをばっちり映された動画を見てしまいましたが、その方は同志社大学出身で。恐らく商学部でしょう。そこから、海外のビジネススクールに通って、住友商事に入社しているそうです。家族もいて、子どもは三人。今はミャンマーに派遣されているそうです。


 なんというか。同志社大学に行ったら、こういう生活が。こういう未来が待っているよ、みたいな感じに見えてしまい、なんか、悲しくなりました。そう。普通、こういう未来を歩むために受験勉強とか頑張って、テストとか乗り越えて。受験が終わったら勉強のことなんか忘れて。好きな人と結婚して。子どもとかもいて、みんなハッピーみたいな構図が、同志社大学くらいに行く人の普通の人生なのかなと思いました。


 自分もそうなるだろうと、就活の時はワクワクしながら未来の自分を探していました。


 大学生活が弛んでいたのも、将来はちゃんと働くから弛んだ大学生活でもいいんじゃないかとか思っていました。


 多分、私がこれから先どう生きたとしても、統合失調症になった自分を許すことは一生無いのかなと思っています。


 勉強しても。勉強してなんになるの。というのはあります。なんにもなりません。ただの趣味です。貯金500万円を達成したら、次は本を買いそうな気がします。甘いですね。半年後の未来のワクワク感や、期待感を、今持ってしまう。そのこと自体がなんか甘いのかもしれません。


 そういえば、「なんで実家暮らしで親と暮らしているのにそんなに本を持っているのですか」とか尋ねられそうなのですが、ポケモンカードにはまる前(そこまではまっていませんが)、は通院費以外の出費、趣味に使う出費は全て本を買うことに力を注いでいたのですね。


 結局、統合失調症になった自分を受け入れることが出来ず、勉強を続けたいとかいう甘い考えを以って、たくさんの本を買っていました。特に、親にばれないようにkindleでセール中の本とかをたくさん買っていました。


 しかし、結局。読みません。というか。読んだところで虚しさだけが増していく自分に気が付いてしまいました。読んだところで。勉強したところで。記憶力はざるだし、毎回読んでも新しい発見があるくらいざる。だから「読書には付箋を貼らなければなんの意味も無い」という自分だけの定説を持っていたのですが。まあ、勉強して、本を開いていたからそんなことを考えていたのですが、ポケモンカードとか買いだして、また、スマホ代とかコンタクトレンズ代とか、来月からは自動車保険代も自分で払うようになりますが。そういった出費が増えれば増えるほど、本を買う意味も無くなっていったし、買っても漫画くらいしか読まなくなって。過去に買った本の遺物を、今、ぱらぱらと開いて、付箋をちょこちょこと貼っている。ただそれだけのことをしています。


 私は読書が嫌いです。はい。断言できます。本に結構接してきたから分かるのかもしれませんが、本の厚みのうち、厚みを出すためだけに書かれた文章というのが、本のなかの9割くらいを占めていて、残りの1割くらいの面白いところを綴るためだけに、9割くらいの文章に時間を割かなければいけません。文章一個一個にダジャレの効いている本もあることにはありますが、大半の本が、本を厚くするために文章が綴られています。


 読書が嫌いというか、通読が嫌いなだけかもしれません。


 ネット小説も読まないし、「何が面白いのだろう」くらいにしか思いません。


 勉強だって嫌いです。しょうもない教育しか受けていないから、そう思うのかもしれませんが、結局記憶力ゲームというか。理論の流れが分からない場合とか(例えば化学のmol濃度とか)、結局、定理を覚えたもの勝ちというか、受験に関して言うならば、過去問をとにかく繰り返し解いて、出題側のクセを見抜けばそれで終わりというか。


 勉強の中で、一つだけ分かっていることがあるとすれば、「難しい」とか「深い」とか言われている、大学で習うような大学受験の範囲を掘り下げたような理論のほうが、よっぽど分かりやすいというか、高校時代まで「暗記しなさい」の一言で終わっていたことが、理論としてすっと受け入れられていく感じ。そんな感じを受験勉強中も何度も味わってきて、「私が記憶力が悪いのはそうかもしれないけれど、本当に分かって教壇に立っている人はどれくらいいるのだろうか」とか思ってしまいました。


 それで、教員免許とかの授業は取らなかったというか。気付いた時には一年次から取っておかなければいけなかったので、何も出来ることは無かったというか。図書館司書もそんな感じで、何も考えていなかったので、何もかもパーになってしまった感じです。


 何もできない。


 まるで仏様のてのひらの上をくるくる回っている感じ。


 どんなに努力しても。努力のベクトルがありません。


 どんなに文字を打ちこんでいても。この文章が本になる未来は決して無いでしょう。


 なんのための努力ですか? と頭のいい人に問われそうですが、「何もしないよりも、何かを続けたら何かが変わるかもしれないじゃないですか」となんの計画性も無い駄文が続いていくだけなのかなと思います。


 統合失調症になってから。仏様の掌の上をくるくる回る孫悟空の気持ちが良く分かるというか、何をやっても結局運命論というか。努力しないほうが頭の良い方法なのではないかと、半年くらい前の自分はそこに行きついてしまいました。本ではなく、新しいスマホだったり、コンタクトレンズだったり、ポケモンカードを飾ることにお金を使ってしまいましたが。今度は貯金しようと考えています。この考えが正しいのかどうか。全く分かりません。


 結局明日も、パートタイマーの仕事に行くだけですから。そこで英語が話せたりしても、果たしてなんの意味があるのか。正しいことだけが正しいわけではないことを痛感しているので、職場では英語どころか日本語の会話すらほとんどしていません。それが現実という感じ。労働からは逃げられないから、労働している間に勉強したこととかは全て忘れていく。


 それに統合失調症ですし。統合失調症の人が本を読むと、「数学で長年解決されてこなかった命題の証明ができた」とかツイッターのプロフィールとかに書いてしまいがちなので、現実を生きましょう。現実を。


 せめて人に迷惑をかけないように生きていきたいです。なんか虚しくてすみません。

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